温泉街を発って十数日。
キルニス王国国境の門をくぐる。
ここから王都キリシアの町までは1日ほどかかるらしい。
目的のダンジョンはそこからさらに10日ほど。
とりあえず、その国境の町で宿を取ると、さっそく私は銭湯に出掛けた。
旅の埃を落とし、ゆっくりと湯船に浸かる。
ゆったりと体をほぐしながらこれからの予定を簡単に考えてみた。
とりあえず、キリシアの町で依頼の状況を確認して、物資の補給をすることになるだろう。
それからダンジョンに向かう。
(おそらく、次のダンジョンは長丁場になる。今回は保存がきくものを多めに用意しておいた方がいい。ダンジョン手前の村にも色々とあるだろうが、質があまりよくないかもしれんしな…。大きな町で質の良いものを手に入れておく方が無難だろう。でないと、チェルシーが耐えられなくなってしまうかもしれんからな)
と考えて私はひとり苦笑いを浮かべた。
(その後はいつものように宿場町を転々としながら移動することになるが、ただし、野営は避けたいな。無駄な体力を消耗しないようにしておかなければならない。と、なると。ダンジョンまで十数日は見ておいた方がいいか…)
と、なんとなく目算を立てて、今度はダンジョンのことについて考えてみた。
今回行く、ダンジョンはカルデラ型。
中央に高い山があり、その周りは草原。
そして、外側は断崖絶壁の山にぐるりと囲まれている。
わかりやすく言うとドーナツ型の草原が広がっていると言えばいいだろうか。
広さは王都をすっぽり納めても十分にお釣りがくるほど広い、というよりも、ちょっとした国くらいの広さと言った方がいいだろうか。
とにかく、中央に辿り着くまでサクラの脚を考えても10日前後かかるはずだ。
私はその広さを思って少しげんなりしつつも、
「ふぅ…」
と息を吐いて、お湯をパシャンと顔にかけた。
ダンジョンに異常があるかどうかはわからないが、今回のダンジョンは広い。
だとすれば中央付近の大物が出やすい所だけでも鎮静化しておくに越したことはないだろう。
それならダンジョンに経済を支えられている村に影響を及ぼさず、かつ、ダンジョンをいい感じに鎮静化できるはずだ。
そんなことを考えてまた、パシャンと顔にお湯をかける。
そして、体が程よく温まったのを確認するように肩を軽く回すと、私は湯船から上がった。
「にゃぁ」(遅いぞ)
と言ってジト目を向けてくるチェルシーに、
「すまん。ちょっと考え事をしていてな。つい長湯をしてしまった」
と苦笑いを浮かべつつ軽く謝る。
そして、
「にゃぁ」(まぁ、よい。ほれ。さっさと行くぞ)
というチェルシーを抱き上げると、いつものように専用の抱っこ紐に入れ、さっそく町へと繰り出していった。
(さて、なんにしようか)
と思いつつ、店を探す。
この辺りの地域は山がちなこともあって、農業生産はあまり活発ではない。
その代わり、手工業が盛んで特に絹の生産で有名だ。
(絹は食えんしな…)
と妙なことを考えつつ歩いていると、「軍鶏鍋」と書かれた1軒の飲み屋の看板が目に入った。
「お。軍鶏鍋があるがどうだ?」
と、念のため聞いてみる。
すると、当然、
「にゃぁ」(うむ。よいぞ)
という返事が返って来た。
さっそくその店の扉をくぐる。
「猫がいるが構わんか?」
といういつもの言葉を言うと、快く迎えられ、4席ほどしかない小さなカウンターの隅に座らせてもらった。
ビールと同時に軍鶏鍋を頼んでゆっくりと飲みながら待つ。
すると少し時間を置いて、待望の軍鶏鍋がやって来た。
さっそくチェルシーの分を取り分ける。
「にゃ」(いただきます)
という声とほとんど同時にチェルシーが肉にかじりついた。
「んみゃぁ!」(美味い!)
と声が上がり、チェルシーの目が輝く。
(ほう。どれどれ)
と思って私もさっそく肉を口に運ぶと、これでもかというくらいあふれ出る肉のうま味が口いっぱいに広がった。
「美味いな…」
と思わずつぶやく。
次にスープをひと口。
これまたどこからどうやって引き出したのかというくらいうま味の詰まった味で、
(これは大当たりじゃないか…)
と私を驚愕させるのに十分な美味しさだった。
途中からは米酒を合わせて食う。
すると、ぷりぷりというよりもぶりぶりとした食感の肉からあふれ出すうま味と酒のほのかな甘みが口の中で交わってなんとも言えない極上の味わいを醸し出した。
最後は雑炊で〆て大満足で店を出る。
ついつい調子にのって飲み過ぎたのか、ふわふわを通り越してややふらふらとする足取りで宿に戻ると、なんとか最低限の身支度を整え、倒れるようにそのまま眠ってしまった。
翌朝。
少しだけ重たい体を何とか持ち上げるようにして起きる。
(…歳を考えんとな…)
と反省しつつも、昨日のあの味を思い出してニヤけながら荷物をまとめて宿を出た。
広い街道を進む旅は順調に進み、その日の夕方には王都キリシアの町に着く。
そこでまずは宿を取って、いつものように銭湯に向かった。
その日の飯は適当な酒場で済ませる。
いわゆる居酒屋飯というやつで、から揚げやらピザやらのどこにでもある料理だったが、それなりに味は良く、満足のいく食事になった。
「にゃぁ」(うむ。たまにはこういうのもよい)
「ああ。基本に帰った感じだな」
「にゃぁ」(しかし、毎回では困るぞ?)
「ははは。気をつけよう」
という会話をしながら宿に戻る。
そして、その日もゆっくりと体を休めた。
翌朝。
さっそくギルドに向かって依頼の様子を見る。
特に急を要する依頼は無かったが、念のため受付で聞いてみると、これから向かうダンジョンで魔物がやや多いらしく、町中の依頼がなかなか受けてもらえないという事だった。
(些細なことかもしれないが、生活に影響が出んとも限らんし、やはりダンジョンを鎮静化しておいた方がよさそうだな…)
と思いつつ、ギルドを後にする。
そして、市場で乾燥野菜や加工肉、チーズや香辛料なんかの食料品を品定めしながら結構な量買い込むと、半日ほどで着くという次の宿場町へと出発した。
いくつもの宿場町を辿って移動すること12日。
ようやくダンジョン前の村に着く。
手前のギルドで依頼を見てみたが、やはりここ最近魔物が少し多いようだという話だった。
大物の目撃例もあるという。
(これは、想像以上に気を引締めてかからんといかんかもしれんな…)
と密かに思いつつ、その日は最後の確認をしてゆっくりと体を休めた。
翌朝。
さっそくダンジョンに向かう。
まずは山登り。
外輪山には登山道が整備されていて歩きやすいという話通り、順調に進み、その日のうちに山を越え盆地の端に到着することが出来た。
いつも通り野営の準備をし、飯を食う。
「にゃぁ」(奥に行ったら新鮮な肉を食わせろよ)
と文句を言いつつも、少し辛味の効いたドライソーセージを入れたピラフを美味しそうに食べるチェルシーを微笑ましく思い、私もどこか朗らかな気持ちでそのピリ辛のピラフを口に運んだ。
翌朝。
本格的な冒険を始める。
序盤の林の中では時折若い冒険者の姿を遠くに見かけた。
(この辺りに出るのはゴブリンか、せいぜい狼くらいだろうな…)
と思いつつ先を急ぐ。
チェルシーにも、小者は放っておいていいと事前に伝えておいた。
おそらく勝負は明日か明後日からだろう。
そうやって進んでいると、やがて林を抜け、草原に出る。
遠くを見ると、このダンジョンの中心である山の影がはっきりと見えた。
冒険者たちが長年かけてつけてくれた細い道をたどってその山を目指す。
おそらくここから10日前後はかかるだろう。
それに、到着したらその山に登らなくてはいけない。
おそらく世の冒険者にとっては過酷な部類に入る冒険になるはずだ。
(サクラがいてくれて良かった)
と心の底から思い、サクラを軽く撫でてやる。
すると、そんな私の感謝の気持ちが伝わったのかどうかはわからないが、サクラが小さくしかし楽しそうな声で
「ぶるる」
と鳴いた。
その日は順調に進み、やや大きな木の下で野営にする。
乾燥野菜とベーコンでスープを作り、それに硬いパンをつけた。
「にゃぁ…」(まぁ、よいがのう…)
というチェルシーを苦笑いで撫でてやりながら、食べる。
質のいいベーコンのおかげでそれなりの味になっているスープに硬いパンを浸して食べていると、なぜかあの頃、勇者パーティーの一員としてみんなと旅をしていた時のことを思い出した。
(あの頃はこういう料理ばっかりだった。特にケインが作るスープは大雑把な味でたまに辟易としたものだ)
と思ってつい笑みを浮かべてしまう。
するとそれを見ていたチェルシーが、
「にゃ?」(なんじゃ?)
と怪訝な顔で私を見てきた。
「いや。ちょっと昔のことを思い出してな」
と言ってまたチェルシーを撫でてやる。
「にゃ」(ふん。まぁよいが、ほれもうちっと肉を寄こせ)
というチェルシーに手頃な大きさのベーコンを取り分けてやると、チェルシーはそれを、はぐはぐと夢中で食い始めた。
危険なダンジョンの中で朗らかに夜が更けていく。
こうして、小さなランタンの灯りの中で食う飯はなんとも懐かしい味がした。