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第73話北へ03

それから10日。

キリシアの町まではあと10日ほどに迫っている。

私はそこでまた寄り道をすることにした。

目的は骨休め。

この近くには有名な温泉地がある。

ついでといっては何だが、そこに寄って何日かのんびりしていくことにした。

久しぶりに湯治気分を味わうのも良かろうと思って、少しウキウキしながら、少し脇道へ逸れていく。

やはり温泉と聞いて楽しい気持ちになるのは日本人の前世的な記憶があるからなのだろうか?

と、そんなことを考えながら進むこと3日。

山間の小さな川が流れる狭い土地にいくつかの温泉宿や商店がひしめき合うようにして軒を連ねている町に入った。


何とも風情ある街並みを、浴衣を着た観光客がのんびり散歩しているのを横目に見つつ、さっそく老舗のような宿に入る。

「猫が一緒だが、かまわんか?」

といつものセリフを投げかけると、その宿の女将らしき人物が、

「ええ。どうぞ。ようこそおいでくださいました」

と快く応じてくれた。

さっそくその女将に案内されて部屋に上がる。

部屋は和風ではないが、どこか明治、大正期の洋館を思わせるような作りで、どことなく日本的な美しさのある、落ち着いた部屋だった。


「今お茶をお淹れしますね。こちらのお部屋は内風呂が付いておりますので、いつでもお使いいただけますよ。ああ、もちろん源泉かけ流しでございますわ」

という女将のなんとも素敵な言葉を聞いて、

「ほう。そいつはいいな。お茶を飲んだらさっそく使わせてもらおう」

と言って、まずは一服する。

「こちらのお饅頭はこの辺りの名物で水がいいから大変美味しゅうございますよ。ある程度日持ちもしますから、お土産や旅のお供にもぴったりで、よくお買い求めいただいておりますの」

と、さりげなく勧めてくる女将に、やや苦笑いしつつ、

「ああ。帰りにでもたんまりと買って行こう」

と言って、ゆっくりとお茶を飲んだ。


やがて、

「お夕飯の時間になったらお声がけしますので、それまではごゆっくりおくつろぎください」

と言って女将が下がっていくと、私はさっそく風呂に入る。

今日は私の隣でチェルシーも湯桶に入って温泉を満喫していた。

「んにゃぁ…」

と気持ちよさそうな声を上げるチェルシーの横で、私も、

「ふいー…」

とおっさん臭く息を漏らす。

割と広めに作ってある窓から森の緑を眺め、ぼんやりとお湯を楽しみ、十分に体が温まると、浴衣に着替えて部屋でゴロンと横になった。


どうやら私はそのまま眠ってしまっていたらしい。

「てしてし」という感触で目を覚ます。

「にゃぁ」(先ほど女将がやってきたぞ)

と言われて気が付くと、いつの間にか私の上には肌掛けが掛けてあった。

「ああ、すまんことをしたな」

と誰にともなく謝り、起き上がる。

そして、軽く布団をたたむと、部屋を出て適当に居合わせた仲居さんに、

「すまん、寝てしまっていたらしいんだが、今から飯の用意を頼んでいいか?」

と言って、部屋に戻った。

やがて、仲居さんが何人かやって来て飯の支度をしてくれる。

あの、旅館ならではの固形燃料ではないが、小さな魔石燃料を使って焼く、肉の溶岩焼きや季節の野菜で彩られた小鉢、川魚に、おそらく鹿肉のしぐれ煮などなど。

豪華な飯が並び、私はチェルシーの分の肉を焼き始めた。

肉が焼けるまでの間に小鉢をつまみながら日本酒こと米酒をちびちびとやる。

温泉で程よく温まった体が今度は酒で中からじんわりと温められた。

よく考えれば普通の田舎料理だが、そこは旅館で食べるという雰囲気も合わさって美味しくいただき、満足のうちにゆっくりと眠る。

チェルシーも満足したようで、いつもより気持ちよさそうに寝ていた。


翌朝。

これまた、いかにも旅館と言った感じの朝食をいただき、久しぶりの温泉卵を堪能する。

チェルシーは初めての温泉卵だったらしく、

「にゃぁ…」(これはなんとも美味いな…。半熟とも生とも違う甘味がよい。それに出汁の味も控えめでよいのう…)

とご満悦の表情でそう言った。


さて、昼はどうしたものかと思ったが、この辺りは飲食店も多いそうだ。

お散歩がてら町を散策してみてはいかがです?

という旅館の人の勧めで私とチェルシーはなんの目的もなくただ温泉街をぶらぶらすることにした。

なるほど、人気の観光地とあって、お土産屋やら飯屋がいくつもある。

私はそんな光景を見ながら、屋台でやっていた弓矢の的当てをしたり、チェルシーに乞われて綿あめを買ってやったりしながら、楽しく町を散策した。

「にゃぁ」(そろそろ腹が減ったぞ)

と先ほど綿あめを食ったばかりだというのに、いつも通り正確な腹時計でそう言ってくるチェルシーに苦笑いしつつ、

「あいよ」

と答えて、飯屋を探す。

いくつかある飯屋を覗いてみると、そのうちの1軒に麦とろを出す店を見つけた。


「お。ここなんてどうだ?」

という私に、チェルシーは怪訝な顔で、

「にゃぁ?」(麦とろとはなんじゃ?)

と聞いてくる。

「ああ。チェルシーは初めてだったか。なに、とろろ芋っていうねばねばした芋をすって出汁で伸ばしたものを麦飯にかけて食う食い物なんだが…。食ってみないか?」

と言うとチェルシーは、少し迷ったようだが、

「にゃぁ」(よかろう。物は試しじゃ)

と言って、その店に入ることを了承してくれた。


さっそくその店に入って、麦とろと鹿焼きの定食を頼む。

やがてやって来たとろろを麦飯にたっぷりかけてチェルシーにもとろろを取り分けてやると、

「にゃ」(いただきます)

と言って、チェルシーがさっそくとろろを口にした。

「…んにゃぁ…」(…美味いが食いにくいのう…)

というチェルシーを見て、

(ああ、こうやってがっつりすすり込む系は猫にはちょっと向かなかったかもしれんな…)

と気付き、

「すまん。ちょっと食いにくかったな。今日はこっちの鹿焼きを食ってくれ。味噌がしみててなかなか美味いぞ」

と言い、鹿肉を勧める。


「にゃぁ」(うむ。今度からは気を付けい)

と言いつつ、鹿肉を美味しそうにはぐはぐするチェルシーを見て、少し反省しつつも私は思いっきり麦とろをすすり込んだ。


女将におすすめされたひと口大の饅頭を6つほど買って旅館に戻る。

そしてまた、風呂を堪能し、今度は寝てしまわないように気をつけながらくつろいだ。

その日は昨日とは違い川魚が中心の飯を美味しくいただく。

(やはり、こういう所で食う飯は特別感があって美味く感じるな…)

と思いながら、心行くまでその味を堪能し、再びゆっくりと休ませてもらった。


また、旅館ならではの朝食をいただき、久しぶりの納豆に少し感動を覚えながらも宿を出る。

まずは厩でサクラをたっぷり甘やかすと、さっそく出発した。

行きがけに例の饅頭を10個ばかりかう。

「さて、次の宿場町でちょっと準備を整えたら、こんどこそキリシアの町だな」

とつぶやくと、

「にゃぁ」(やっとその気になりおったか)

という少し呆れたような声が返って来た。

「ははは。まぁ、そう急ぐ旅でもあるまいよ」

と、呑気に答える私に、チェルシーも苦笑いで、

「にゃぁ」(まぁ、そうじゃな)

と返してくる。

そんな会話にサクラが、

「ひひん!」

と嬉しそうな声を上げて横から入って来た。

「ん?サクラものんびり旅が気に入ってくれたのか?」

と言うとサクラが、また、

「ひひん!」

と鳴く。

「そうか、そうか。気に入ってくれたか」

と言ってサクラを撫で、温泉街を出た辺りでさっそく先ほどからウズウズしていたサクラに跨らせてもらった。

「よし。のんびり行こうか」

という私の声に、

「ひひん!」

「んにゃぁ…」

という返事が返って来る。

その返事を聞いて、私はサクラに「ゆっくり前進」の合図を出した。


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