ケインの屋敷に留まること1か月と少し。
そろそろ春を迎えようかという頃。
いつもの朝食の席で、私はそろそろ出立しようと思っていることをケイン一家に告げる。
その話にエミリアだけでなく子供達も悲しそうな顔になった。
クレアはチェルシーとの別れがつらいのだろう。
ルークも何気にそうだ。
ユリウスはここ最近ずっと勉強を見てやっていたからそれで別れを惜しんでくれているのかもしれない。
ケインは平気な顔をしているが、おそらく内心では寂しく思っていてくれているはずだ。
しかし、私は風来坊の冒険者で、しかも、ダンジョンを鎮静化して回るという仕事を抱えている。
これ以上ここに留まることは出来ない。
私がそんなことを思って複雑な表情をしていると、ケインが、
「風に吹くなというのは無理だからな」
と苦笑いでそう言った。
「すまんな。私の風来坊は治りそうにない」
と私も苦笑いで返す。
「元気でやれよ」
「ああ。お前もな」
という短いやり取りで私とケインの別れの挨拶は終わった。
やがて、食事が終わり仕事に出るというケインと硬い握手を交わす。
その後、私は部屋に戻り簡単に荷物をまとめると玄関へと向かった。
そこで、
「次はどこにいくの?」
というエミリアの質問に、
「さて、どうしたものかね」
と、いつものように苦笑いで答える。
「うふふ。ジークらしいわね」
と笑うエミリアとも握手を交わし、子供達とも握手を交わした。
クレアとルークはチェルシーとも別れを惜しみ、チェルシーも、
「にゃぁ」(達者でおれよ)
と子供達にひと言声を掛ける。
そして、私は玄関先で待っていてくれたサクラに跨ると、
「そのうちまた来るさ」
と言って、後ろ手に手を振りながら、ケインの屋敷を後にした。
その足でまずは市場に向かう。
これからの旅に備えて道具や香辛料をそろえておきたかった。
買い物を終えると、まずは宿をとって荷物の整理をする。
使える物と使えない物を整理して少しだけ荷物を軽くすることができた。
そんなことをしていると、
「にゃぁ」(昼だぞ)
と、いつものようにチェルシーが昼飯を要求してくる。
「ああ。そんな時間か。何がいい?」
と聞くと、
「にゃぁ」(あっさりじゃな)
という抽象的な答えが返ってきた。
その答えに私は少し考えて、
「じゃぁまず、うどんなんてどうだ?美味い店がある。その店は甘味も充実しているから、食後に蜜豆やらあんみつやらが食えるぞ」
と提案する。
チェルシーは当然、
「にゃ!」(うむ。そこへ連れて行くがよい。甘味は正義じゃ!)
と言ってその提案に乗って来た。
さっそくその店に行き、食後。
「にゃぁ…」(ぷるぷるとこりこりが合わさった口の中の楽しさよ…)
といいつつ、甘味の味にご満悦のチェルシーを連れて、先ほど荷物の整理をしていて雨具がいい加減古くなっていることに気が付いた私は、昔行ったことがある装備屋を目指して進む。
少し道に迷いながらもなんとか道具屋街に着くと、私はそこにある1軒の老舗装備屋の扉をくぐった。
「いらっしゃいませ」
と言って出迎えてくれる老紳士に、
「雨具が欲しいんだ。高くてもいい、性能、耐久性共に申し分ないものを見せてくれ」
とまずは欲しい物の条件を伝える。
すると、その老紳士は、
「失礼します。少しだけ寸法を」
と言って、私に巻き尺を2、3回当てると、
「すぐにお持ちいたします」
と言って奥へと下がっていった。
すぐに戻って来たおそらくこの店の主人だと思われる老紳士が、
「こちらなどいかがでしょう?ワイバーンの皮膜を使っておりますからまず雨は通しません。それに耐風性もありますから、いざと言う時は防寒具にもなりますよ」
と言って、1着のローブのようなものを見せてくれる。
私はそれを軽く触ってみつつ、
「いいな。よし、これにしよう」
と言って値段も聞かずに即決した。
「かしこまりました。金貨3枚になります」
という店主に、
「ほう。安いな」
と言うと、店主は少し苦笑いをしながら、
「実はとある冒険者様の注文で作ったのですが、結局その話が流れてしまいまして。そんな曰く付きの物ですから、このお値段にさせていただいております」
と正直なところを話してくれた。
「ほう。それは幸運だったな。いや、いい物を紹介してくれた」
と言って店主と握手を交わし金貨を渡す。
そして、私は丁寧に包んでくれようとする店主に、
「どうせ荷物の中に詰め込むんだ、簡単で構わん」
と言って、ほぼそのままそのローブを受け取ると、軽く礼を言ってその店を出ていった。
また宿に戻り軽く荷物を整理する。
しばらくの間のんびり書き物をしていると、またチェルシーが、
「にゃぁ」(飯の時間じゃぞ)
と、正確な腹時計で飯時であることを教えてくれた。
「さて、王都最後の夜だ。どうする?」
と聞くと、チェルシーは、
「にゃぁ…」(なんだかんだで揚げ物系はあやつの家で堪能したしのう…)
と言って少し考え込む。
私も一緒になって考え込み、ふと、
「しゃぶしゃぶなんてどうだ?」
と思いついて提案してみた。
「にゃ!」(よいの!)
というチェルシーの賛同を得て、さっそく町に繰り出す。
そして、ほんの少し高めの店を見つけると、
「猫がいるがかまわんか?」
といつもの声を掛けて、さっそくその店の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいまし」
と言って笑顔で出迎えてくれる給仕係のご婦人に、
さっそくビールを注文し、品書きを見る。
すると、しゃぶしゃぶと食べ比べというコースがあった。
見れば、ロースでも肩ロースとリブロース、それにサーロインやモモ、バラの5種類が少しずつついてくるという物らしい。
私はそれを見て、チェルシーに、
「おい。このコースなら一度にいろんな部位の肉が食えるみたいだぞ?」
と教えてやる。
それを聞いたチェルシーは当然のように、
「にゃ!」(それにせい!)
と言って、そのコースを注文しろと言ってきた。
「あいよ」
と答えて、ビールがやって来るのと同時にそのコースを頼む。
そして、なんとも贅沢なしゃぶしゃぶ大会が始まった。
コースの最後を出汁茶漬けで〆て、店を出る。
「にゃぁ」(やっぱりリブロースじゃな)
と言うチェルシーに、
「ああ。あの脂の甘さはよかった。しかし、私くらいの歳になるとモモくらい脂身が少ない部分が妙に美味く感じられたな…」
と、やや自嘲気味に腹をさすりながら、そう答えた。
「にゃぁ」(まぁ、あの肉本来のうま味がぎゅっと詰まったようなところも魅力的じゃったが、やはり肉は身と脂の相乗効果よ。サーロインも、肩ロースも良かったが、今回の肉ではリブロースが一番そのバランスが良かった。…まぁ、バラも嫌いではないが、あの中だとのう…)
とまるで評論家のようなことをいうチェルシーを微笑ましく見ながら、宿への道を歩く。
ふんわりと浮かぶ雲の隙間から時折顔を覗かせるおぼろ月の柔らかい光を受けて、私たちはほんわかとした幸せを感じながら無事、王都最後の夜を締めくくった。
翌朝。
王都を発ち、大きな門を抜け、商人や旅人たちに混じって街道を進む。
「にゃぁ」(行先は決めたのか?)
と聞くチェルシーに、
「いや。とりあえず北に進んでみようと思っているがな」
と答えると、チェルシーは、
「んにゃ?」(ほう。なぜ北なんじゃ?)
と聞いてきた。
そんな質問に私は、
「ん?ああ、そろそろ暑くなる時期だし、避暑も兼ねてな。あとなんとなく美味い川魚が食いたくなった」
と正直に答える。
「にゃぁ…」(相変わらずよのう…。まぁ、避暑と川魚には賛成じゃがな)
と若干ため息交じりに答えるチェルシーを軽く撫でてやりながら、街道の分岐点に差し掛かると、北へ向かう道へと入って行った。
楽しそうに歩き、時々速くなり過ぎるサクラを少し宥めつつ進む。
私たちの視界には、麗らかな春の日差しに照らされて春蒔きの小麦が青々と芽吹く畑がどこまでも広がっていた。