「ジークさん、朝から押しかけてすみませんね」
と言うナジクに、
「いや、構わんがどうした?」
と何気なく聞く。
すると、ナジクは少し困ったような顔で、
「実はちょっと相談したいことがありまして」
と言って、苦笑い気味に話を切り出してきた。
その話によると、最近、村周辺の森に獣が多いらしい。
今の所、鹿が多くて茸や山菜の採取が少し影響を受けている程度らしいが、そのうち、それがひどくなるのではないかと心配しているそうだ。
「森になにか異変でもあるんでしょうか?冒険者さんならその辺りにも詳しいかと思ってお話を聞きにきたんですよ」
というナジクに、
「それは気になるな…」
と言って、顎に手を当てつつ考える。
そんな私の様子に、
「どうでしょう?」
と心配そうな様子を見せるナジクに向かって私は、
「いや。今の所心配はないだろう。しかし、鹿が増えたということはそのうちそれを追って狼なんかの肉食動物がやってくるかもしれない。そうなれば家畜が狙われかねない…。しかし、話を聞く限りでは定期的に冒険者に依頼を出すという所まではいっていないような気がする…。うーん…」
とまた考え込む私に、ナジクはますます心配そうな顔を向けてきた。
「どういたしたらよいでしょうか?」
と聞いてくるナジクに、
「そうだな…。まずは状況把握が必要だろう。…よし、ちょっと見てくるか」
と、何気なく答える。
するとナジクは少し安心したような顔で、
「では、ギルドに依頼を出しますので、何日か待っていただけますかな?」
と手続きを踏みたいから少し待ってくれと言ってきた。
「ああ、いや。それには及ばんぞ。なに、散歩ついでだ」
と言うと、ナジクは、
「いえ。しかし、それでは…」
と、遠慮がちに言ってくる。
そんなナジクに私は、
「なに。村に狼が来たら、この美味いチーズが危機にさらされてしまう。食いしん坊の端くれとして、そんな危機は見逃せん」
と冗談めかしてそう答え、
「ついでに鹿の一頭でも狩って来よう」
と笑って見せた。
そんな私のひと言に、
「では、鹿肉を持って帰って来られたら、うちのルーシーにローストでも作らせましょう。あれであの子は料理が上手いですからねぇ」
とこちらも冗談めかしていうナジクと握手を交わし依頼とも言えない依頼が成立する。
そして、私は、お茶のお替りを持ってきてくれた女将に、ざっくり状況を説明すると、
「すまんが、チーズを堪能するのは少し先になりそうだ」
と言って、さっそく出発することを告げ、部屋に戻って冒険の準備り掛かった。
手早く準備を済ませ、
「お昼にどうぞ」
と言ってサンドイッチをくれた女将に礼を言い、宿を発つ。
途中、村の小さな商店街で、肉や野菜を軽く調達すると、私はさっそく森の方へと向かっていった。
森に入り歩くこと3日目。
ついに発見した狼の痕跡を辿りながら歩く。
(このくらい距離があればまだ村に被害は無かろうが、先に潰しておくに越したことはないな…)
と思いつつ歩いていると、私の周りを取り囲むように気配が動き始めた。
(来たか)
と思って適当に開けた林の中で足を止め、サクラから降り軽く撫でてやる。
そして私は、やや大きな木を背にしてサクラを守れる位置につくと刀を抜き、油断なく構えた。
集中して構えていると、周りの気配がざわつき始める。
やがて、狼たちがちらほらと姿を現し始めた。
私の周りを取り囲むように動きながら徐々に間合いを詰めてくる狼たちに対して私はただじっとしてその動きを見る。
すると、おそらくリーダーと思しき個体が、
「ワオォーン!」
と声を上げ、狼たちが一斉に襲い掛かって来た。
腰を落とし刀を一閃する。
そして、次の瞬間、狼たちが斬られて地面に転がった。
残ったのはリーダーと思しき個体のみ。
しばし、その個体と見つめ合う。
すると、その個体は慎重に私から距離を取り始めた。
やがて、その個体が見えなくなったところで、
「また、つまらんものを斬ってしまった」
と冗談を言いながら刀を納める。
すると、チェルシーが、いわゆるジト目を私に向けてきて、
「にゃぁ」(終わったら飯にせい)
と呑気に飯を要求してきた。
それに私は、
「あいよ」
と、いつものように苦笑いで答える。
そして、私は村の危機を未然に防ぐことが出来たことに少しの満足感を感じながらも、
(さて、昼は何にしようか)
と考えながら、少し血なまぐさくなってしまったその場を後にした。
少し移動し、小川が流れる開けた場所で、さっそく昼飯にする。
ジャーマンポテトにチーズを掛けただけのものを作り、
(やはり素材が美味いと違うな)
と感心しながら食べていると、横でチェルシーが、
「にゃぁ」(うむ。やはりチーズもベーコンも良い味だ。この村を発つときはたっぷり買っていくがよいぞ)
と、かなりご満悦の表情でそう言った。
やがて昼食が終わり、さらに森の奥を目指す。
本来ならここで任務完了でもいいのだろうが、もしあのダンジョンのようなものが出来つつあったりしたら一大事だ。
私はそのことを確かめるべく、密かに気を引き締めて進んでいった。
そうやって進むこと2日。
「にゃ」(おるぞ)
と言うチェルシーの声に、
(やはりか…)
と、やや気を重たくしながらもより慎重に辺りを見回しながら進んで行く。
すると、もはやお決まりのようにゴブリンの痕跡を発見した。
(ほんと、どこにでも湧いてくるな…)
と半ば呆れつつその痕跡を追っていく。
痕跡は小さい。
おそらくいても少数だろう。
そんなことを考えながら進んで行くと、案の定小さな集団がたむろしているのを発見した。
迷わず突っ込んで行って、一気に殲滅する。
そして、適当に目についた魔石を拾い集めると、例の木刀にしか見えない杖を地面にそっと突き立てて軽く魔力を流してみた。
軽く引っ掛かりのようなものを感じたが、あのドルトネス共和国の洞窟で感じたような大きなひっかかりというよりも淀みのようなものは感じない。
(なるほど。まだ奥があるということか…)
と感じつつ、心の中でそっとため息を吐く。
そして、
「にゃぁ」(飯の時間じゃぞ)
というチェルシーに、またいつも通り、
「あいよ」
と苦笑い気味に答えると、私はその場で調理の準備に取り掛かった。
飯を終え、さらに進む。
そして、そろそろ日暮れが近づいてきたかと言う頃。
「にゃ」(おるぞ。たぶん豚じゃ)
とチェルシーが言った。
また少し辟易としながらも注意深く辺りを観察し、その痕跡を探す。
するとやがて、それらしい痕跡を発見した。
油断なくその痕跡を辿っていく。
見たところ、それほど大きな集団ではなさそうだ。
そのことにほっとしつつ丁寧にその痕跡を追っていくと、やがて5匹ほどのオークがなにやら貪っているところに出くわした。
こちらも迷わず突っ込んで行って殲滅する。
そして、魔石を拾い集めると、まずは飯の用意に取り掛かった。
まだなんとか明るさを残している間に飯を食い、杖を地面に突き立てる。
すると、先ほどよりも大きな引っ掛かりを覚えた。
(良かった。まだ小さい)
と思いつつ、一度深呼吸をして、集中力を高める。
そして、気合とともに一気に魔力を流し込むと私はその場を鎮静化しにかかった。
魔力を一気に持っていかれるような感覚に耐えながら作業を行い、やがて、その引っ掛かりがなくなったのを感じて杖を上げる。
「…はぁ…はぁ」
と肩で息をしながら、立ち上がると、思わずふらりとよろけてしまった。
(この小さな淀みを解消するのに、これだけ魔力が必要なのか…。やはり、もう少し効率的に鎮静化作業が行える方法を編み出さんといかんな…)
と思いつつ、チェルシーとサクラのもとに戻ってどっかりと座り込む。
私を心配して頬を寄せてきてくれるサクラに、
「ありがとう。大丈夫だ」
と言うと、サクラは私の横に膝をついてくれた。
たぶん、寄りかかって休めと言ってくれているのだろう。
また、
「ありがとう」
と礼を言って、遠慮なくその体に寄りかからせてもらう。
すると、安心したからだろうか急に眠気が襲ってきて、私はそのまま意識を手放してしまった。
翌朝。
テシテシという軽い感触で目を覚ます。
ふと目を開けると、チェルシーが、
「にゃぁ」(朝飯の時間じゃ)
と、いつもと変わらない調子でそう言ってきた。
「あはは…。あいよ」
と苦笑い交じりにそう答えて起き上がる。
一晩中私の側にいてくれたサクラをたっぷりと撫でてやると、私はさっそく飯の支度に取り掛かった。
根菜とベーコンで簡単なスープを作りチーズを挟んだパンを食う。
その日の朝はゆっくりと飯を食って、しばらくのんびりさせてもらった。
やがて、十分に疲れが取れているのを確認してサクラに跨る。
そして、私はちょっとした満足感を胸にその場を後にした。
途中鹿を仕留め、5日ほどかけて村に戻る。
さっそく村長宅を訪ねると、ナジクが、
「ああ…よくぞご無事で…」
と、少し泣きそうな顔で出迎えてくれた。
私は、その意味が一瞬分からなかったが、どうやら予想以上に帰りが遅かったので、心配してくれていたらしい。
明日戻らなかったらギルドに捜索依頼を出そうかと思っていたのだそうだ。
それを聞いて私は、
(ああ、ついでに森の奥まで調査に行ってくると伝えていなかったな…)
と反省しつつ、
「いや、ついでにいろいろ調査をしてきてな。すっかり遅くなってしまった。申し訳ない」
と謝りつつ、
「土産だ」
と言って、鹿肉を差し出す。
すると、ナジクは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにニコリと笑って、
「ルーシーに渡してきましょう。今夜はうちに泊まって言ってくだされ。美味しいローストをご馳走いたしますぞ」
と言ってくれた。
翌日からは宿に移ってのんびりとした時間を過ごす。
たまにサクラの散歩がてら森に行き、鹿を狩っては宿や村長宅に持ち込んで村中に配るという生活を送る事、1か月ほど。
私はようやくフチ村を発つことを決めた。
「長い事世話になったな」
と女将に声を掛け、弁当を受け取る。
「いいえ。またいつでもお越しくださいまし」
という女将に
「ああ。また来よう」
と社交辞令を返すと、
「夏のチーズはまた味が違って美味しゅうございますよ」
と返されてしまった。
「ははは。それは是非食べに来んといかんな」
と言って笑顔を返す。
すると、私の胸元でチェルシーも、
「にゃ」(うむ。是非来ねばなるまい)
と、いつものように鷹揚な態度でそう言った。
「うふふ。楽しみにまっておりますわ」
という女将に別れを告げて、宿を発つ。
村長宅にも挨拶に寄り、商店街でチーズや加工肉をたんまり買うと、私はなんとも清々しい気持ちで村の門をくぐった。
冬の冷たい空気の中、ケインが住む王都オルセーを目指して進む。
「にゃぁ」(真っすぐ行くのか?)
と聞くチェルシーに、
「ああ。一応そのつもりだ」
と返すと、
「にゃぁ」(ほう。お主にしては珍しいのう)
と、冗談交じりに返されてしまった。
そんなチェルシーの言葉に苦笑いで、
「ははは。寄り道は十分したからな。それに、このチーズはケインたちにも食わせてやりたい。と言うよりも、ケインの家の料理人に調理してもらったらどんな美味い料理になるか見てみたいからな」
と、こちらも冗談を返す。
するとチェルシーが、
「にゃぁ」(おお。それはよいな。あそこの家の料理は美味かった。よし、ささ身チーズカツを作らせろ。この濃厚で甘味のあるチーズはささ身と相性が良いはずじゃからな)
と言って、私の冗談に乗って来た。
「ははは。了解だ」
と笑いながら答える。
そんな呑気な会話をしていると、ほんの少し寒さが和らいだように感じた。
冬晴れの空の下、のんびりと旅は続く。
私はこれからのことに若干の不安を抱えつつも、
(まぁ、なるようになるさ)
という気持ちの方が強くなってきているのを感じながら、私はゆっくりとサクラの背に揺られた。