ダンジョンの中を進むこと5日。
サクラと出会った地点を超えて、さらに奥を目指す。
ここまではチェルシーの勘もあって、オークと狼を少し狩った程度で特に困難なことはなかった。
しかし、ここからは気を引き締めてかからなければならないだろう。
なにせ、ダンジョンの奥地だ。
時に、とんでもない化け物が出てくることだってある。
私はそんなことを思い、小休止を取っている時、サクラに、
「いざとなったら逃げろよ」
と声を掛けた。
「ぶるる!」
という鳴き声が返って来る。
私はその鳴き声を聞いて、おそらく否定されたんだろうと感じた。
そんな健気なサクラを、
「よしよし」
と言って宥める。
すると、サクラはどこか寂しそうに、
「ぶるる…」
と鳴いた。
「すまん。そんな事にならんようにするから安心してくれ」
と言ってサクラに謝る。
「ぶるる…」
と鳴いて頬ずりをしてくるサクラをもう一度撫でてやっていると、チェルシーから、
「みゃぁ…」(まったく…。子供を心配させるようなことを言うでない)
と言われてしまった。
「そうだな。少し気負い過ぎていたのかもしれん」
と素直に反省し、チェルシーのことも撫でてやる。
するとチェルシーは、
「ふみゃぁ」(わかればよいのじゃ)
と、どこか気持ちよさそうな声でそう言った。
やがて再び歩き始める。
重たい空気の中進んでいると、案の定チェルシーが、
「にゃ!」(来るぞ!)
と叫んだ。
杖を構えサクラを守れる位置を取る。
その時、上の方から「バサッ」と音がした。
(ちっ)
と思いながら上を見る。
そこには獅子の体に鷲の翼をもった怪物がいた。
私はその敵を視界に入れつつ、
(グリフォン!?こいつらは厄介だ。好戦的なうえに群れてきやがる…。それにこいつらがいるってことは…)
と考えて集中力を高める。
そして、
(いいだろう。どっちの魔力が先に尽きるか試してやろうじゃないか)
と覚悟を決めた。
「グゲェッ!」
とみにくい声で鳴きながら、こちらの隙を窺うように上空を飛ぶグリフォンを見ながら、
(まずは2、3羽落とさせてもらうぞ)
と心の中でつぶやきながら狙いを定める。
そして、一気に旋風の魔法を上空に向けて放った。
また、
「グゲェッ!」
という鳴き声が聞こえて、3羽のグリフォンが消える。
グリフォンは集団でミノタウロスを狩るくらいの戦闘力がありながらなぜか実体が無い妙な魔物だ。
私はキラキラと輝きながら落ちていくその魔石には目もくれず、次のグリフォンに向けて狙いを定めた。
仲間がやられたからだろうか、怒り狂ったように突っ込んでくるグリフォンに素早く魔法を放ち続ける。
10羽も落としただろうか。
いったんグリフォンの攻撃が止んだ。
私はその隙に、いったん大きな木の影に入り荷物の中から包丁とまな板を取り出す。
(よし、これであいつには対抗できるな…)
と思いながら、サクラとチェルシーに、
「ここでじっとしていてくれ。ちょっと薪を刈って来る」
と言うと、その木陰から一気に飛び出して行った。
ヤツらが襲って来やすいようにあえて開けた場所を目指す。
上空にいるグリフォンに時々牽制の魔法を放ちながら、ヤツらを誘導するように走り、やがてやや広い草地に出た。
上空で羽ばたくグリフォンたちが私めがけて一斉に飛び掛かってくる。
私はそれを冷静に引き付けると、杖を地面突き立て、一気に魔力を解放した。
竜巻の魔法が発動する。
私を中心に出来た大きな風の渦がグリフォンたちを巻き込み、次々と魔石に変えていった。
(くっ…。ちょっときついな)
と思いつつも、次に向かう。
まだ少し残党がいるようだ。
私はそれの残党をめがけて風の矢を放った。
その矢はどうやらかすったようだが、グリフォンに致命傷を与えることなく上空に消えていく。
しかし、その魔法の攻撃を見て、グリフォンたちは逃げるようにして飛び去って行った。
(よし、かかった!)
そう思いながら、グリフォンたちの後を追いかける。
当然追いつけるわけはないが、それでも方向さえわかればそれでいい。
どうせそのうち例の魔物特有の重たい空気が辺りに漂い始めるはずだ。
そう思って、私はグリフォンたちが飛び去った方へ全力で走っていった。
(…おっさんにマラソンはきついんだよ)
と心の中で愚痴を言いつつも懸命に走る。
するとしばらく走ったところで、こんもりとした森が見えてきた。
(やっぱりな…)
と思いつつ、そのこんもりとしたまるで神社の周りにある鎮守の森のような場所の目の前でいったん立ち止まる。
そして、集中して魔力を練り、息を整えると、その森へと慎重に近づいていった。
森の手前まで来て、まずは挨拶代わりとばかりに連続して風の刃の魔法を放つ。
すると、目の前にあった木が次々と斬れ「ミシミシ」と音を立てて倒れた。
次の瞬間また、「ミシミシ」と音がして、わずかに地面が揺れる。
私の目の前で地面がゆっくりボコボコと持ち上がり、ゆっくりと森が動いた。
(よし)
と思いつつ、また続けざまに風の刃を放つ。
今度はあからさまに森が動き出した。
地面から根がはい出て来てモゾモゾとうごめきだす。
私はそれをめがけ、丹念に魔法を撃ちこんでいった。
やがて、その根が地面から出てまるで鞭のようにゆっくりしなりながら、私に襲い掛かって来る。
私はそのゆっくりとした鞭を、たっぷりと防御の魔法を纏わせた「世界最強のまな板」でしっかりと受け止めた。
緩慢、しかし、重たい根の攻撃を受けては魔法を放つ。
それを何度か繰り返していると、先ほど逃げたと思ったグリフォンが再度襲ってきた。
数は3羽ほどだろうか。
切羽詰まったように突っ込んでくるグリフォンに風の矢を放って落としていく。
そして、また、根の攻撃をまな板でいなすと、私は一気に森の中へと突っ込んでいった。
森の中に入ると、先ほどのように根ではなく、枝の鞭が飛んでくる。
先程の根よりも若干早い。
私はその枝の攻撃をまたまな板で防ぎつつ、剣で薙ぎ払って森の中心付近を目指した。
(しかし、面倒臭いな)
と、次から次に襲い掛かって来る枝をまな板で防ぎ、剣で払いながら、周囲に目を凝らす。
(そろそろあってもおかしくないが…)
と思いつつ見ていると、森の中央付近だろうか、1本だけ動かない木が見えた。
(あった!)
と思いながら、その木に近づいていく。
枝の攻撃はさらに苛烈になってきた。
剣だけではなく魔法も使ってその攻撃を何とかかいくぐり、その動かない1本の木を目指して前進していく。
そして、ついにその木に辿り着くと、一気に剣を突き立てた。
「ギエェ!」
と生木が裂けるような、叫び声のような、気色悪い音とも声ともつかないものが響き渡る。
そして、それまで木の洞のように見えていた光が灯り、まるで人の顔のような形になった。
高さは3メートルほど。
身体を強化して飛べば十分に届く距離だ。
私は、腰に差しておいた包丁を素早く抜くと、一気に飛び上がり、その顔のように見える箇所の中心、ちょうど眉間の辺りに包丁の刃を突き刺した。
「ギエェ!」
と、また変な音を響かせて周りの空気が一変する。
それまで、しつこいほど襲い掛かって来ていた枝や根が一気にその動きを止めた。
私は素早く包丁を抜き、なんとか着地すると、その場で、
「ふぅ…」
と息を吐き、思わず座り込んでしまった。
(まったく。これだからグリフォンとトレントのセットは嫌いなんだよ…)
と、まるでお決まりのようにいつもつるんでいる2種類の魔物のことを思って辟易としながら、しばし息を整える。
そして、何とか重たい腰を上げると、まるで化石のようにからっからに乾いたトレントの枝を魔法と剣で次々に落としていった。
やがて、一抱え分くらいの枝を落とすと、今度は思いっきり剣を振ってトレントをぶった切る。
トレントは当然のようにバキバキと音を立てながら倒れ、ついには灰になってしまった。
灰の中から魔石を取り出す。
そして、その魔石を見ながら、
(…やっぱり、この辺りでトレントが出るってことは、ダンジョンがやや活発なようだな…)
と、この目の前にある事実を憎々しく思った。
やがて、すっかり静まりかえったトレントの森を一抱えの枝を持って出る。
時折落ちているグリフォンの魔石を拾いつつ、先ほどグリフォンの集団と戦った辺りまで戻って来ると、
「ひひん!」
と声がして、サクラが駆け寄ってきた。
「おいおい。じっとしてろって言ったろ?」
と言いつつも笑顔で迎えてその首筋をたっぷり撫でてやる。
「ぶるる」
と鳴いて甘えてくるサクラの上から、チェルシーが、
「にゃぁ…」(まったく…。子供に心配をかけるでないわ)
と、ため息交じりにそう言ってきた。
「はっはっは。すまん、すまん。おー、よしよし。もう終わったから怖くないぞ」
とチェルシーに軽く謝りつつ、まだまだ甘えてくるサクラをこれでもかというほど撫でてやる。
「さぁ、もう大丈夫だ。よし、飯にしようか」
と声を掛けると、チェルシーが、
「にゃぁ!」(そうじゃの!)
と嬉しそうな声を上げた。
気が付けば夕暮れ。
西の空は紫から群青へ変わろうとしている。
私は、適当なところで野営の準備に取り掛かると、適当に積んだトレントの枝に火をつけ、ゆっくりとスープを煮始めた。
異常なほど火持ちがいいトレントの枝でゆっくりとソーセージ入りのポトフを作り、チェルシーと2人でゆっくりと食べる。
サクラもその横で美味しそうに草を食み、先ほどまで激しい戦闘を繰り広げていた場所とは思えないほど長閑な空気の中楽しい食事が進んで行った。
やがて、食後のお茶の時間。
チェルシーに向かって、
「なぁ、チェルシー…」
とぽつりとつぶやくように声を掛け、話を切り出す。
「んみゃ?」(なんじゃ?)
と呑気に私の膝の上で丸くなりながら、聞き返してくるチェルシーに、
「魔王としての意見を聞きたい。この状況、お前はどう見た?」
と、このダンジョンの異変とも言えない些細な異変についてどう思っているのかを聞いてみた。
「…にゃぁ」(…正直、わからん。しかし、なにかおかしいのう。どうせお主もそう感じておるのじゃろ?)
とチェルシーが器用に片目を開けて私を見ながらそう聞いてくる。
私はその問いに、
「ああ。ダンジョンが活性化しているというほどのことではないが、通常よりは活発になっているのは間違いないように思う…」
と、正直に今私が持っている現状に対する認識を伝えた。
「にゃぁ…」(お主はそれが我がこの状態であることと係わりがあると思っておるのか?)
と、チェルシーが真正面から聞いてくる。
私はその質問に少し戸惑いながらも、
「いや。正直わからん。しかし、全く関係ないとは言えんだろう」
と答えた。
「…にゃぁ」(我を殺すか?)
というバカな質問に、
「バカ言うな」
と率直に答える。
しかし、
「にゃ?」(ではどうすると?)
と先を促がすような質問には、
「…わからん」
と言葉を濁らせた。
「にゃぁ…」(わからんではわからんぞ…)
というチェルシーの呆れたような声が返って来る。
その声に私は苦笑いを浮かべつつも、
「ああ。そうだな…。とりあえず私はこの現状をなんとかしないといけないと思っている。そして、その原因を探りたい。だが、その中に、チェルシー、お前を殺すという選択肢は無い」
と、私の気持ちを率直に伝えた。
「…んみゃ?」(…なぜじゃ?もしかして我に対して情でも湧いたか?)
と、チェルシーがからかうような言葉を投げかけてくる。
私はその言葉にまた苦笑いを浮かべて、
「ふっ。それも無いとは言わん。しかし、それだけじゃない。どうも