私が撫でてやる度、嬉しそうに、
「ぶるる…」
と鳴くユックを連れて、とりあえずその場を離れる。
先程荷物を置いていた場所まで戻ると、私はユックを軽く宥めてやってから、野営の準備に取り掛かった。
簡単な夕食を済ませ、食後のお茶を飲みながら、
(さて、どうしたものか)
と考える。
このユックを連れて行くことに問題はない。
むしろ大助かりだ。
問題は名前。
自慢じゃないが、私にネーミングセンスというものはない。
(さて、困った…)
と思っていると、チェルシーが、
「にゃぁ」(アレキサンダーなんてどうじゃ?)
と言ってきた。
「いやいや、女の子だぞ?」
と突っ込む。
そのユックも、
「ひひん!」
と抗議の声らしきものを上げた。
(え?)
一瞬、ぽかんとする。
「…えっと、チェルシー。もしかして、会話できてるのか?」
という私に、チェルシーが、
「にゃぁ…」(そんなわけあるか…。しかし、ユックは賢いからの。ある程度の言葉は理解しよるぞ)
と言って、若干のジト目を向けてきた。
「そうか。お前は賢い子だったんだな」
と、微笑みながらユックを撫でてやる。
そして、その嬉しそうな顔をじっと見ながら、なんとなくクリクリとして淡い桜色の瞳を見て、
「サクラなんてどうだ?」
と名前を提案してみた。
ユックは一瞬きょとんとしていたが、すぐに、
「ひひん!」
と鳴いて、私の頬ずりしてくる。
どうやら気に入ってもらえたらしい。
私もなんだか嬉しくなって、
「そうか、そうか。気に入ってもらえてよかったよ」
と言うと、そのユック、サクラの首筋を優しく撫でてあげた。
その日は甘えてくるサクラと一緒にくっついて寝る。
夏のことで、その体温は少し暑かったが、それでも私は、なんだか幸せな気持ちでゆっくりと休むことが出来た。
翌日の朝。
さっそく村に向かって出発する。
さすがに鞍が無い状態では乗れないが、荷物をほんの少し積ませてもらったので、比較的楽に行動できるようになった。
ユックは魔物だけあって、森の中もまったく苦にせずついて来てくれる。
むしろ、私に、
「早く行こう」
とせかしているようにさえ思えた。
帰路は比較的楽しく進む。
途中ゴブリンを焼いたが、その程度のことしかなかった。
無事森を出て、さっそく村の田舎道をのんびり歩きながら村長宅を目指す。
途中、なぜか村人たちの目が私に注がれているような気がしたが、
(まぁ。サクラが珍しいんだろうな)
と思いつつ、気にせず進んだ。
村長宅に着くと、
「おーい。すまんがちょっと出て来てくれんか?」
と声を掛け、村長を呼ぶ。
すると、まずは村長の孫娘のルーシーがやって来て、
「おかえりなさいませ」
と言って出迎えてくれた。
そんなルーシーに向かって、私は、
「すまんが、この家に厩はあるか?…なんというか、森の中で偶然ユックに懐かれてしまってなぁ」
と言いつつ後ろにいるサクラの方を軽く振り返る。
そして、再びルーシーに目を向けると、そこには驚きの表情で固まるルーシーの姿があった。
「すまん。驚かせたか?」
と聞くと、ルーシーは、その驚きの表情のまま私を見て、ぶんぶんと無言で首を横に振る。
私が、その様子をきょとんとした顔で見ていると、ルーシーは恐る恐るという感じで、
「し、神馬様をお手懐けになられたのですか?」
と聞いてきた。
「え?しんば?」
とやや間の抜けた声で聞き返す。
すると、ルーシーは、
「この村で、あなた方がユックと呼んでらっしゃる馬の魔物は神の馬、神馬として崇められております…」
と自分が何に驚いているのかを教えてくれた。
心の中で、
(やっちまった…)
とつぶやく。
そして、私も恐る恐るという感じで、
「えっと、なにかまずいことをしでかしてしまっただろうか…」
とルーシーに聞くと、ルーシーはまたぶんぶんと首を大きく横に振り、そして、ハッとしたような表情になると、
「おじいちゃん!大変!聖者様!聖者様よ!」
と言いながら、家の中へと駆けこんでいった。
(え?せいじゃ?…ってあの聖者か?…いや、私は賢者なんだが…)
と思いつつ、その玄関でひとりぽかんとする。
しばらくすると、家の中からバタバタと音がして、村長がルーシーに手を引っ張られながら出てきた。
「おじいちゃん、ほら!」
と言ってルーシーがサクラの方を手で指し示す。
すると、村長がこれまた驚きの表情を浮かべた。
しばし沈黙が流れる。
しかし、村長はすぐにハッとしたような感じで、我に返ると、その場で、
「ははぁ!」
と言いながら、膝をついてしまった。
ルーシーも何かに気が付いたように、その場に平伏する。
その様子に私は慌てたような呆気にとられたような、そんななんとも言えない気持ちになって、サクラの方を振り返った。
当然サクラは我関せずという感じで、平然としている。
私はどうしたものかと思いつつ、
「面を上げい」
と軽く冗談を言ってみた。
「ははぁ」
と言いつつ、村長が顔を上げる。
「あ、すまん。冗談だ…。あー、なんていうか…」
と私が言葉に詰まっていると、村長が、
「恐れながら申し上げます。この村でユックは神馬と呼ばれ、神の使いと大切にされております。そして、その中でも白いものは特別とされておりまして、その白い神馬を従えしお方のことを聖者様とお呼びしております」
と、現在の状況を何となく説明してくれた。
私はその説明を聞き、
(…ところ変われば色々あるんだなぁ…)
と感心しつつも、
(とりあえずこの状況をなんとかせねば)
と思って、
「あー、なんだ。とりあえず、ユックっていう魔物は気まぐれでな。そこいら辺のばあさんに懐いたかと思えば、勇者を袖にすることだってある。今回のことだって、たぶん偶然だと思うぞ?だから、あんまりかしこまらんでくれ。…ああ、ちなみに、この子はサクラと名付けたから、そう呼んでやってくれると嬉しい」
と、村長たちに普通にしてくれとお願いしてみた。
「か、かしこまりました、聖者様」
と言い、ためらいながらも立ち上がる村長に、両手を顔の前で振りながら、
「いや、その聖者ってのもやめてくれ。私はただの冒険者だ」
と言って、謙遜する。
「い、いえ。さすがにそれは…」
と言って、さらにかしこまる村長に、私はため息を吐きながら、
「じゃぁ、せめて賢者と言ってくれ。…一応、本物だからな」
と言うと、諦めて自分の身元を明かした。
その言葉に、きょとんとする村長に、一応賢者ジークフリートだともう一度告げる。
すると、また村長はかしこまって、
「ははぁ」
というと膝をついてしまった。
ややあって、ようやく落ち着いた村長に、とりあえず家の中に入れてもらう。
そして、ルーシーに、
「すまんが、飯と風呂をお願いできるか?」
と頼み、村長には、
「森の状況とこれからのことを説明したいから話を聞いてくれ」
と言って、リビングへと通してもらった。
「まず、森の状況だが」
と話を切り出す。
そして、浅い所にかなりの魔物がいたことを告げた。
その話に驚く村長に向かって私は、
「状況は意外と深刻だ。おそらくダンジョンの奥に何か異変がある。すまんが、明日は一日準備に充てさせてもらって、明後日から詳しく様子を見てくるから、村人にはくれぐれも森の奥へは行くなと伝えておいてくれ」
と告げ、真剣な眼差しを見せる。
私のその様子に村長は緊張しながらも、
「かしこまりました」
と言って、深々と頭を下げてくれた。
その日は、先日とは打って変わってよそよそしいというか、妙にかしこまる村長やルーシーに苦笑いしながらもゆっくりと休ませてもらう。
そして、翌日をしっかり準備に充てると、さらにその翌日。
「じゃぁ、くれぐれも森へは近づかんようにな」
と村長に念を押して、サクラを連れ、森の中へ入っていった。
「ひひん!」
と鳴いて楽しそうなサクラを先頭に進んで行く。
先日までにあらかた狩っておいたせいだろうか、魔物の影は薄い。
ただし、今回の状況を招いてしまったのが、もしかしたら私自身の甘さのせいかもしれないと思うとどこか気が重たい。
私は、
(なんともしても原因を突き止めないとな…)
と密かに決意しながら、目撃の多かった地点からさらに奥、ダンジョンの中心に近いと思われる方を目指して、しっかりとした足取りで歩を進めていった。