問題無くオークを処理し、その場からできるだけ離れて野営にする。
その日はなんだか気疲れしてしまって、チェルシーには申し訳ないが、また簡素な飯で済ませた。
それでも一応気を遣って、ジャーマンポテトの上にとろとろのチーズを乗せてやったからチェルシーもわりと満足してくれたようで、今は、気持ちよさそうに寝ている。
私はひとり食後のお茶を飲みながら、ぼんやりと夜空を眺め、不運続きで少しげんなりとしていた気分を整えた。
(明日はせめて食える魔物に会いたいもんだ)
とやや不謹慎なことを思って苦笑いを浮かべる。
私の横で幸せそうに眠るチェルシーを見ていると、少し荒んでいた心がずいぶんと癒された。
(こいつ、本当に魔王なんだよな…)
と、思って微笑みを浮かべる。
やや横柄ながらもツンデレでかわいい食いしん坊。
それが私のチェルシーに対する印象だ。
(人間は魔王をとにかく敵視しているが、そもそもその常識が違っているのかもしれん…)
と、ふと、ずいぶん問題のある考えが頭に浮かんだ。
(おいおい…)
と自分のずいぶん大胆な考えに苦笑いを浮かべる。
しかし、こんなチェルシーを見ていると、どうにも魔王が即ち悪であるとは思えないのも事実だ。
(まったく。この世界は不思議だらけだ)
私はそんなことを思うと残りのお茶を一気に飲み干した。
翌朝。
いくぶん、すっきりとした気持ちで目覚める。
どうやら少しは気持ちを整えられたらしい。
そう思って軽やかな気持ちで朝食の支度をしていると、チェルシーが起きてきた。
「にゃぁ」(今日の朝飯はなんじゃ?)
と、いつも通りの朝の挨拶をしてくるチェルシーに、
「ははは。おはよう。今日もベーコンだ。芸が無くてすまんな」
と微笑みながら答える。
「にゃ」(冒険中じゃいたしかたあるまい)
と言って理解を示してくれるチェルシーに軽く感謝しつつ、いつも通りの朝食を渡す。
「にゃぁ」(いただきます)
と言って、さっそくチーズの乗っかったベーコンに食らいつくチェルシーの姿を愛でながら、私もいつものベーコンサンドを頬張った。
やがて簡単な朝食が終わり、
「さて、行こうか」
と声を掛けて立ち上がる。
「にゃ」(今の所近くにはおらんぞ)
と言ってくれるチェルシーに礼を言う代わりに軽く撫でてやり、私はさっそく森の奥を目指し歩き始めた。
その日は何事も無く終わる。
いや、正確に言うと100匹ほどのゴブリンの群れを魔法で一気に潰しただけで終わった。
また簡素な晩飯を食べながら、
「明日辺り、出て来てくれるといいな」
「にゃ」
と会話を交わす。実に平穏な空気の中、その日はとっぷりと暮れていった。
翌日。
さらに奥、いかにも怪しそうな場所を目指して進む。
すると案の定、
「にゃ」(おい。近いぞ)
とチェルシーがそちらの方向を指し示してくれた。
「ふっ。美味い肉が取れるといいな」
と軽い冗談を返して、チェルシーを撫でてやる。
「にゃぁ」(しっかりやれよ)
とチェルシーが気持ちよさそうに目を細めながら、激励の言葉を投げかけてくれた。
迷わずどんどん進んで行く。
進むにつれ、周りの空気はどんどん重たくなっていった。
そして、ついに痕跡らしきものを発見する。
どうやら想像以上に数が多いか体が大きいらしい。
(これはちょっと気を引き締めてかからなければいかんな)
と思って、密かに気合を入れる。
さらに迷わず進んで行くと、ついにそれらしき影を発見した。
「おいおい…」
と思わず声を出してしまう。
数は3。
しかし、その体格がやたらと大きい。
それを見た私は、
(特異個体じゃねぇか)
と思って顔面を引きつらせた。
「にゃ」(お。でかいのう)
とチェルシーが呑気な声を掛けてくる。
そんなチェルシーに、
「ああ、特異個体だからな」
と一応教えてやると、チェルシーは、
「にゃ?」(とくいこたい?)
と言って首を傾げた。
「まぁ、なんて言うか…。何かの原因で育ち過ぎた魔物ってことだ」
と説明すると、チェルシーは、
「にゃぁ」(ほう。良く育った美味しいお肉という訳か)
と、ややずれた方向に理解した。
「…まぁ、普通よりちょっと美味いかもな」
と、かなり昔食べた記憶を思い出しながら、チェルシーに答える。
すると、チェルシーが、
「にゃ!」(さっさと狩って来い!)
と何とも偉そうに進撃の合図を出してきた。
「…へいへい」
と、ため息交じりに答える。
そんな風にいかにもいい加減な感じで答えつつも、私は、
(あいつら異常に硬いんだよなぁ)
と、かなり昔戦った記憶を思い出しながら、一つ息を吐き、気合を入れて魔力を練り始めた。
チェルシーに荷物番を頼んで、駆け出す。
体の中に魔力を巡らせて身体能力を上げる身体強化も使った。
(これ、疲れるんだよなぁ…)
と、愚痴りながら走る。
そして、一気に一番手近にいたミノタウロスへと突っ込んで行った。
「ブモォッ!」
と雄叫びを上げて鋭いこぶしを叩きつけてくるのを、
(危ねっ)
と思いつつ、速さでかわす。
そして、その脇をすり抜けざまに魔法を一発叩き込んだ。
サッとミノタウロスの脇腹辺りが裂ける。
しかし、かなり浅い。
かすり傷といったところだろう。
そんな状況を見て、
(ちっ!)
と舌打ちをしつつも、次々と打ち込まれてくる鋭い一撃を何とかかわし、徐々に相手にかすり傷を増やしていった。
やがて、相手に隙が多くなってくる。
足にいくつかの傷つけられた1匹が、こぶしを叩き込むと同時につんのめった。
(よし。そこっ!)
と思って私はかなりの魔力を乗せた風の刃を叩き込む。
その魔法が的確に相手の首筋を捉えた。
(1匹目)
と思って、すぐに飛び退さり、また叩き込まれてきたこぶしをかわす。
地面に大きなくぼみが出来て、周りに土煙が上がった。
すかさずもう一発。
「ブモォッ!」
と醜い声が上がった。
(ちっ!外したか)
と思いつつ、飛び退さる。
どうやら先ほどの一撃は肩の辺りに当たったらしい。
当てられた1匹が肩を抑えてうずくまっていた。
(お。とりあえず動きは止められたっぽいな)
と思って、最後の1匹に集中する。
その1匹は仲間を痛めつけられたのが気に入らなかったのだろうか、
「ブモォッ!」
とかなり大きな雄叫びを上げて、こちらに連続してこぶしを叩き込んできた。
(危ねぇだろうがっ!)
と心の中で愚痴りながら、なんとかそれをかわす。
そして、隙を見て、脇腹に風の矢を叩き込んだ。
「ブモォッ!」
と痛そうな叫び声を上げるソイツからいったん距離を取る。
そして、まずは先ほど肩の辺りをやられてまだうずくまっている1匹に魔法を打ち込みトドメを刺した。
後を向き直り、怒りと痛みを抱えてこちらに突っ込んでくる最後の1匹を睨みつける。
そして、集中して魔力を練ると、ヤツの額めがけて最後の一発を撃ち込んだ。
「ドシン…」
と音がして、地面を揺らしながら最後のミノタウロスが沈黙する。
私はそこでようやく息を吐き、戦いが終わったことを覚った。
その場で座り込みたくなるのをぐっとこらえて、膝に手を突き、息を整える。
(ふっ。歳かねぇ…)
と、やや自嘲気味に笑った。
ややあって、息が整うと、チェルシーのもとへぼちぼち歩きながら戻る。
そして、いかにもウズウズとした感じで私を出迎えてくれたチェルシーに、
「今夜はすき焼きだ」
と告げた。
「にゃぁ!」
と言葉にならない声を上げて喜ぶチェルシーをいつものように抱っこ紐に入れて荷物を持ち、さっそく倒したばかりのミノタウロスのもとへ戻る。
「さて。ここからもうひと頑張りだな」
と苦笑いを浮かべると、私は例の包丁を取り出し、さっそく肉を取り出す作業に取り掛かった。
刃を入れた瞬間。
あの硬かったミノタウロスの皮が嘘のようにきれいに切れていくのを見て、
(なんじゃこりゃ…)
と驚く。
(…これ勇者の剣並みじゃないか)
と思いつつもとりあえずは楽に解体できることに感謝して、さくさくと肉を剥ぎ取っていった。
やがて、十分に肉が取れたところで、余ったミノタウロスを消し炭にする。
そして、消し炭の中から角と魔石を取り出し、解体とも言えない解体作業は無事に終了した。
気が付けば夕暮れ。
「にゃぁ!」(ほれ。終わったらさっさとすき焼きを作らんか!)
というチェルシーの催促に苦笑いしつつ、さっそく料理の準備に取り掛かる。
ここでもあの包丁の恐ろしいほどの切れ味が遺憾なく発揮され、綺麗な薄切り肉が何枚も生成された。
思わずよだれが出てくるのを必死に我慢してまずは米を炊く。
これまでの長い人生の中でもっとも長い数十分だった。
ついに肉を焼き始める。
砂糖が焦げる香ばしさと醤油が焦げる香ばしさ。
そのどちらにも負けない肉が焼ける香り。
たまらない香りの三重奏がまるで天使の歌声のような、
「じゅー」
という甘美な響きとともに辺りに広がった。
「にゃ!にゃ!」(肉!肉じゃ!肉をくれ!)
というチェルシーに最初の一切れを渡す。
「にゃ!」(いただきます!)
と言うや否や肉にかじりつくチェルシーの姿を微笑ましく眺めて、次に自分の分の肉を焼いた。
「んみゃぁ!」(美味い!)
という感嘆の声が聞こえる。
私はその声を聞きながら、今か今かと自分の肉が仕上がるのを待った。
焼きあがるとひと口に頬張る。
(ああ、これが幸せの味か…)
と、思わず感動してしまった。
特異個体は多少美味いという認識だったが、この特異個体は特に美味かったらしい。
(強さだけでなく、味にも差があるとは…。もしかして、魔物の強さと味は比例するのか?)
とバカなことを考えつつ、夢中で頬張る。
頬張っては溶けてなくなり溶けてなくなってはまた次の肉を頬張るということを繰り返し、私たちは大満足のうちにすき焼きを食べ終えた。
〆に余った汁を飯に少したらし、掻き込む。
(ここに卵があれば…)
と思ったが、野外では致し方ない。
(これは本格的に荷物持ちのことを考えねばならんな…。しかし、チェルシーがいる状態でパーティーを組むのは難しいだろうし…。馬かぁ…。そんな幸運に恵まれればいいが…)
と少し残念に思いつつも満足してその日の食事を終えた。
翌日。
角を荷物に括りつけて帰路に就く。
(さて。特異個体の角だ。ドワイトのやつどんな顔をするだろうか)
とほくそ笑みつつ、森の中を順調に進んでいった。
やがて、ダンジョンを出る。
背中にミノタウロスの角を括りつけた私はやたらと目立ってしまったが、そこはあまり気にせず堂々と街道を歩いてルネアの町に戻っていった。
ルネアの町の門をくぐると、さっそく、ドワイトの店を訪れる。
「おーい。とってきたぞ」
と店の奥に向かって声を掛けると、さっそくドワイトがやってきた。
「ほう。早かったな…っておい、そいつは…!?」
と、角を見た瞬間ドワイトの目が見開かれる。
私はなぜかしてやったりというような気分になって、
「どうだ?いいまな板が作れそうか?」
と冗談めかしてそう聞いた。
「…。しょうがねぇ。世界最強のまな板を作ってやるよ」
と、あきれ顔でいうドワイトに、
「どのくらいかかる?」
と聞く。
すると、ドワイトは顎に手を当てて考えながら、
「20日ばかりくれ」
と言ってきた。
それを聞いて私は、
(うーん。微妙な日数だな)
と思いつつ、少し考える。
(この町でのんびりしてもいいが、さすがに退屈だ。その間にまたダンジョンにでも入るか?)
と、そんなことを思って私が考え込んでいると、おそらく私の考えを察してくれたのだろう、ドワイトが、
「待ってる間、オフィーリアにでも会ってきたらどうだ?ここから3日ばかり行ったトルネ村って所に拠点を置いてるはずだ」
と割と魅力的な提案をしてくれた。
「おお。そうなのか?それはいいな。よし、暇つぶしがてらちょっと行って来よう」
と言って、私はその提案を快く受け入れる。
「ああ、そうするといい。ついでにたまには盾を持ってこいって伝えておいてくれ」
と言うとドワイトはさっそく角を抱えて店の奥へと戻っていった。
私もさっさと店を出る。
(オフィーリアか。懐かしいな…)
と一緒に魔王討伐の旅をしていたころのことをなんとも懐かしい気持ちで思い返した。
そこへ、
「にゃ!」(おい。お好み焼きを食うぞ!)
とチェルシーから催促の声がかかる。
その声に私は、
「ああ、そうだな。あれが出来たかどうかも気になるし行ってみるか」
と答えて、例のお好み焼き屋がある方へ足を向けた。