令嬢と男を助け出した翌朝。
さっそく2人の部屋を訪ねる。
軽く扉を叩くと、令嬢の方が扉を開けてくれた。
男はベッドで横になっている。
しかし、男は私に気が付くと、痛む体をなんとか自分で支えながら、起き上がろうとした。
「無理はするな」
と声を掛ける。
すると男が上半身をおこした状態で、
「ありがとうございます」
と言い軽く頭を下げてきた。
その礼にうなずき返し、
「具合はどうだ?」
と聞く。
「ええ。まだ少し痛みますが、2、3日あれば何とかなるかと…」
という男に、
「無理はするな。特に足は腫れがひどい。おそらく筋をやったな。痛み止めの薬を持ってきてやったからとりあえず後で飲んでおけ」
と言って、令嬢に持ってきた薬を渡した。
「何から何まで恐れいります」
と頭を下げつつ薬を受け取る令嬢に、
「名乗るのが遅くなった。冒険者のジークだ」
と言ってまずは自己紹介をする。
すると、令嬢は、
「こちらこそ申し遅れました。私…あの…」
と言って男の方を見た。
男は、苦笑いを浮かべ、
「私の名はザック。そちらの女性は、…エミーです」
とそれぞれの名を告げる。
私は、それを苦笑いで受け止めると、
「とりあえず、事情を聞かせてくれ」
と持ち前のおせっかいを発動した。
案の定、男から、
「聞かないでいただけると助かります」
という言葉が帰ってくる。
令嬢の方はうつむいたままだ。
そこで私は男の方に目を向けると、
「このままだと立ち行かなくなるんじゃないか?貴族のお嬢様に一般庶民の暮らしは厳しかろう」
と、鎌をかけてみた。
男の顔色が変わる。
私は、
(なんとも純朴な青年だな…)
と心の中で苦笑いしつつ、
「これも何かの縁だ。相談にくらい乗ってやろう」
と言って、話の続きを促がした。
「いえ…」
と言い淀む男に、令嬢が、
「ザック、お話しましょう。助けていただいた方に嘘を吐くのは心苦しいですし、今の私達にはたとえほんの少しでも誰かの助けが必要よ」
と真剣な眼差しで声を掛ける。
「し、しかし、お嬢様…」
と男はまだ言い淀むが、それを令嬢は、
「ザック」
とやや厳しい口調で窘めた。
「…はい」
と男が折れる。
そして、令嬢は私を向き直ると、
「大変失礼いたしました。私の名はエメリア。エメリア・グランフォーゼと申します」
と言って貴族式の綺麗な礼を取った。
私は、
(なっ…。それって伯爵家じゃねぇか…)
と心の中で驚きつつも、一応、平静を保って、
「ほう。伯爵家のご令嬢だったか。それは大変失礼した。私の名はジークフリート。一応、賢者だ」
と私も本当の自己紹介をする。
すると令嬢は私の言葉に大きく目を見開いて、
「こちらこそ大変失礼いたしました。まさか賢者様とはつゆ知らず…」
と言って、最上級の礼を取り直した。
男、ザックも慌ててベッドを降りようとする。
そんな2人に、
「ああ、そのままでいいぞ」
と声を掛けて手で制すると、私は、
「かまわん。ご覧の通り今は一介の冒険者に過ぎん。堅苦しいのは無しにしてくれ」
と言って笑顔を浮かべて見せた。
「恐れ入ります」
と言って、ザックがベッドの上に座り直し、エメリアが礼を解く。
私は、
「とりあえず、話を聞こうじゃないか」
と切り出し、エメリアに椅子を勧めると、私も手近にあった椅子に座った。
開口一番、
「駆け落ちの理由はなんだ?」
と遠慮なく聞く。
すると、エメリアが驚いたような、困ったような顔で、
「…その…」
と言うと、ぽつぽつと事情を語り出した。
聞けば2人は幼馴染同然の仲らしい。
それがいつしか恋仲になったのだそうだ。
しかし、エメリアは伯爵令嬢で、ザックは執事の倅。
どう考えたって結ばれるはずがない。
それで2人は、思い詰め、今回のことに及んだんだそうだ。
(まったく。絵物語みたいな話じゃないか…)
と妙なところに感心しつつ、まずは、ザックに向かって、
「なるほど。事情は分かった。で、グランフォーゼ伯爵というのはどんな人物なんだ?」
と聞く。
するとザックは、悔しそうな、自分で自分のことを情けないと思っているような感じで、
「はい。お館様は大変お優しく、すばらしいお方です。…エメリア様のことも大変可愛がっておられ、それを思うと私も…」
と、いかにも苦渋に満ちた顔でそう答えた。
私はその答えを聞き、
(なるほど。このまま逃げおおせることだって可能だろう。しかし、それじゃ誰も本当に幸せにはなれんな…。ではどうするか…)
と考えを巡らせる。
私がそうやって、顎に手を当てながら、しばらく考え込んでいると、
「あ、あの…」
とエメリアが遠慮がちに声を掛けてきた。
「ん?」
と言って、目で話を促がす。
すると、エメリアは、
「はい。あの、その…。今回のことは私のわがままなんです。…どうしてもザックと一緒になりたくて、でもきっとそれは出来ないって、きっとお父様を失望させてしまうって考えたら、どうにもたまらなくなって」
と今にも泣きだしそうな顔でそう言った。
「い、いえ。お嬢様。それは私も一緒です。…お館様にはあんなにもお世話になっておきながら、お嬢様のことを諦めきれなかった私が悪いのでございます」
と言ってザックがエメリアを慰める。
そのやり取りを聞いて、私は、
(なんだ。要するに若さゆえに先走ったってことじゃないか…)
と気付き、密かにため息を吐いた。
思い詰めて泣き出すエメリアに痛みをこらえながらザックが近寄る。
そして、2人は抱き合うと、
「…ごめんなさい、ザック」
「いえ、いいのです。お嬢様」
と言いながら、涙を流し始めた。
私はそんな空気の中、
(さて、どう話を進めたものか)
と思案する。
私は、まださめざめと泣きながら、抱き合う若い2人を見て、
(おそらくだが、グランフォーゼ伯爵は2人の仲に気が付いていたんじゃないか?うん。たぶんそうだ。となると、ここは真正面から当たるのが正解だろう。もし、それでだめだったら、私が本気で駆け落ちを手伝ってやればいい。いざとなればなんとでもなるだろう…)
と考え、密かに苦笑いを浮かべた。
やがて、2人が落ち着く。
私は、
「まぁ、そう興奮していてはいい案も浮かばんだろう。ギルドに納品するついでに飯を買ってきてやるから、しばらくはゆっくりするといい」
と言い置き、
「いいか。くれぐれも無理はするなよ。万事この賢者ジークフリートに任せておけ」
と、ここぞとばかりに賢者という言葉を発して、部屋を出て行った。
「…にゃぁ」(…おい。腹が減ったぞ)
と呑気に飯を要求してくるチェルシーに、
「すまんな。人間にはいろいろあるんだ」
と軽く謝って、部屋に備え付けられている小さな机に向かう。
そして、
「もうちょっと待っててくれ」
と言って、紙とペンを取り出すと、その場で一筆したため始めた。
手紙を書き終わり、
「すまん。待たせたな」
と言ってギルドに納品する薬草を持って部屋を出る。
「にゃぁ」(肉だぞ)
と言うチェルシーに、
「ああ。わかったよ」
と気軽に答えて、私は苦笑いで宿を出ていった。
まずはギルドで薬草を納め小銭をもらうと、
「すまん。大至急だ」
と言って手紙を差し出し、粒金貨を2枚払う。
これで早馬で行ってくれるはずだ。
グランフォーゼ伯爵領はすぐ近く。
おそらくこの手紙を読んだ伯爵はすぐに迎えをよこすだろうから3日もかからないだろう。
私は2人を騙すような感じになってしまうことを少し後ろめたく思いつつも、
「よし。終わったぞ。飯にしよう」
とチェルシーに声を掛けて、さっさとギルドを後にした。
いかにも大衆向けの店でスタミナ丼を堪能し市場で適当なサンドイッチを買って宿に戻る。
2人はまだ思い詰めたような表情をしていたが、
「まずは食え。腹が減ってはなんとやらだからな」
と言って、無理やりサンドイッチを押し付けた。
それからは、2人の面倒を見つつのんびりとその時を待つ。
そして、3日目の昼。
予想通り伯爵家から迎えがやってきた。