それからの日々は慌ただしく過ぎる。
魔王討伐ともなれば短くとも数年、長ければ十数年がかりの大仕事だ。
当然ながら命の保証はない。
というよりも私たちが負ければしばらくの間、次の勇者が転生してくるまで何百年も、人間は肩身の狭い思いでひっそりと生きていかなければならなくなってしまう。
そんなことになれば一大事だ。
私は嫌々とはいえ引き受けてしまった大仕事の責任に押しつぶされそうになりながらも、今の自分にできることをせっせとこなしていった。
王国からたんまりともらった資金で武器を作る。
ヒトの国クルシュタット王国、ルネアの町に行き、毎日のように職人街に通って時には工房に泊まり込みながら、いつも世話になっているドワーフの武器職人と一緒に最高の武器を作り上げた。
そして、いよいよヒトの勇者ケイン、聖女エミリア、ドワーフ戦士オフィーリアともに盛大な見送りを受けて旅立つ。
何度も死線をかいくぐり、各地を転戦すること5年。
私たちはようやく魔王のもとへと辿り着いた。
激しい戦闘がどのくらい続いただろうか。
戦士の盾が魔王の膨大な魔力によって悲鳴を上げ、聖女エミリアの聖属性魔法もそろそろ限界、勇者ケインも肩で息をしているようだ。
かく言う私も、ズタボロで杖を構えるのがやっとの状態。
(くっ…。このままじゃジリ貧だな…。なんとか一発逆転の手を考えなければ…)
そんなことを考えながら魔王の隙を窺う。
すると、勇者ケインが最後の力を振り絞り、真正面から突っ込んだ。
(なっ!)
と思うがもう遅い。
私は、にんまりと笑う見た目だけは可愛らしい少女の魔王に向かって咄嗟に残りの魔力全てをぶつけた。
火でも水でも風でもない、ただの魔力の塊を一気にぶつけるだけの初級魔法。
だが、その魔法がなぜかものの見事に魔王に当たり一瞬の隙が生まれる。
そこへ勇者ケインが斬りつけた。
「ぬぉぉっ!」
と魔王がちょっと可愛らしい断末魔の声を上げて盛大になにやら青白い光を放ったあと消える。
どうやらその攻撃で魔王が消滅したらしい。
周りの空気が一気に澄み渡るのを感じた。
みんなもそれを感じたのだろう。
一斉にその場にへたり込む。
勇者ケインはなんとか剣を杖にしてまず聖女エミリアのもとに近寄ると、そっと聖女エミリアを抱きしめて、
「終わったよ」
と、いかにも主人公っぽい甘いセリフを吐いた。
私はそんな光景を苦笑いでみつつ、魔王の玉座に近づく。
一応念のため、魔王の消滅を確認しておきたかった。
しかし、そこで私は、魔王の玉座の裏に白くて小さな毛玉があるのを発見する。
「ん?」
と思って見ると、それはまるで生まれたてのように小さな猫だった。
(お。萌え)
と思わず前世の記憶の中でもそろそろ死語になりつつあるという情報がある言葉を心の中でつぶやく。
そして、その子猫を慎重に手の平に乗せて抱きかかえると、その子猫が、
「にゃー!」(なんじゃこりゃぁ!)
とまるであの刑事の最後のセリフのような言葉を発した。
「え?」
と事態が飲み込めず呆然としてしまった私にその猫は続けて、
「にゃ!」(おのれ、何をした!)
と言ってくる。
しかし、私はまだ事態がつかめず、
「…なんだ、お前?」
と思わず普通に聞いてしまった。
「にゃ!」(魔王に向かってお前とはなんじゃ!)
と言ってその子猫が私の胸ぐらに爪を立ててくる。
しかし全く痛くない。
むしろくすぐったいくらいだ。
私はその状況をまだ完全に飲み込めなかったが、とりあえず、
「おー。よしよし」
と言って、その子猫をあやすように軽く揺らしてやった。
「に、にゃぁ!」(こ、こら、やめんか!)
と子猫が叫ぶ。
しかし、私は構わず、
「おー。よしよし。怖かったなぁ」
と言ってとりあえずその子猫をあやし続けた。
「んみゃぁ!」(な、なんじゃ!人を赤子扱いしおって…。くっ。地獄の業火で焼き払ってくれるわ!)
とその子猫がすごむが、当然何も起きない。
「にゃ、にゃぁ…」(な、なに。力が…)
とその子猫は器用に絶望の表情を浮かべた。
(ほう。猫にしては表情豊かだな。さすがはケットシーってところか)
と、とりあえず猫がしゃべっていることをいったん棚に上げて、感心する。
すると、
「ふしゃーっ!」(おのれ、何をした!)
と子猫が再び先ほどと同じようなことを言って、私を睨みつけてきた。
そこへみんながやって来る。
「どうした?」
と聞いてくる勇者ケインに、
「ん?いや、子猫がいてな…」
というと側にいた聖女エミリアが、
「まぁ、ラッキーキャット!?なんて可愛らしい…」
とうっとりとした目でその子猫を撫でた。
「ふしゃー!」(ええい、触るな!)
と子猫が怒りの声を上げる。
「あらあら。ごめんなさい。怖くないわよ」
と言って、撫で続ける聖女エミリアを見て、勇者ケインが、
「なんなら連れて帰るかい?」
と笑いながら聞いた。
「え!?よろしいんですの!?」
と聖女エミリアは喜びの声を上げるが、次の瞬間、
「ああ、でもメイドのマーサが猫がダメだったわ…」
と言って、しょんぼりとした顔になる。
「そうか…。それは残念だな」
と言って、勇者ケインが聖女エミリアの肩に手を置き慰めるように言うと、戦士オフィーリアが、
「はっはっは。魔王討伐のご褒美に子猫が一匹ついてきたってわけかい」
と豪快に笑った。
「うふふ。素敵なご褒美ね」
と聖女エミリアも笑う。
私もなんだか楽しくなって、
「ああ。このままにはしておけんし、私が連れて帰るか」
と言って笑った。
「にゃ!」(な、なにを言うか!)
と子猫が抗議の声を上げる。
しかし、どうやらみんなにはその声が喜びの声に聞こえたらしく、
「じゃぁ、しばらくは旅の仲間になってことか。よろしくな、子猫ちゃん」
「ええ。よろしくね」
「あはは。安心しろ。いくらアタシでも猫までは食べないからね」
とそれぞれに笑顔を浮かべてその子猫を順番に撫でた。
「ふみゃぁ!」(に、人間は猫を食うのか!?)
という子猫に、
「はっはっは。安心しろ、オフィーリアの冗談だ」
と言って慰めてやる。
すると、子猫は少しほっとしたのか、
「にゃぁ…」(助かった…)
と安堵の声を漏らした。
そこへ勇者ケインが、
「よし、じゃぁ、名前を付けてやろう」
と提案してくる。
「まぁ、そうね。これからしばらくの間一緒に旅をする仲間ですもの。お名前は必要よね」
と嬉しそうに言う聖女エミリアに、戦士オフィーリアが、
「そうだね。うーん、白いからシロとか?」
と適当な名前を提案してきた。
「あら。オフィーリアちゃん。それはいくらなんでもあんまりよ」
と聖女エミリアが抗議する。
すると、勇者ケインが、
「はっはっは。猫なんだからタマなんてどうだ?」
とこれまた適当な名前を提案してきた。
「まぁ…。初代勇者様由来の由緒ある素敵な名前ね。でも、タマって猫は世の中に多過ぎるから、ちょっと紛らわしいわ」
と聖女が思案気な顔をする。
すると、子猫が、
「ふしゃー!」(そんな適当な名前つけるな!)
とまた抗議の声を上げた。
「ん?どっちも気に入らんのか?」
と聞いてみる。
すると、子猫が、
「にゃぁ!」(当然じゃ!まったくなんてセンスじゃ。我はこの子にチェルシーという素敵な名を付けてやったと言うのに…)
と嘆くような自慢するようなことを言ってきた。
その言葉を聞いて私は、
「ほう…。チェルシーね…」
と、思わずつぶやいてしまう。
そのつぶやきに勇者ケインが、
「ん?」
というような顔をした。
私は若干慌てて、
「ん?ああ。なんというかぱっと思いついたんだがどうだろうか?」
と、いかにも今思いついたかのように取り繕う。
すると、聖女エミリアが、
「まぁ素敵なお名前!」
と胸の前で手を合わせてなんとも嬉しそうな表情を浮かべた。
「へぇ。なんだか貴族のお嬢様みたいな名前だねぇ」
と戦士オフィーリアも感心したような表情を浮かべる。
「はっはっは。いい名前をもらってよかったな」
と言って、勇者ケインが子猫を撫でてやると、子猫は、
「…にゃぁ…」(…な、なぜこうなった…)
と何やら諦めたようなことを言った。
「まぁ、気に入ってくれたのね」
と、見当違いのことを言って、聖女エミリアも子猫を撫でる。
戦士オフィーリアは、
「あはは」
と笑いながら、その光景をおかしそうに見つめていた。
そこで私はやっと、
(さて、どうしたもんか。というか、なにがあった?)
と考える。
どう考えても、この子猫は魔王だ。
魔力の気配はちっとも無いが、しゃべることなんかからみて間違いないだろう。
私はそんな状況に頭を悩ませながら、
「よし。とりあえず少し休憩できる場所まで移動しよう」
と言って、移動を開始した勇者ケインをはじめ、仲間たちの後姿を見つめた。
「にゃぁ!」(どうしてくれる!)
という子猫、もといチェルシーに向かって、私は、
「とりあえず、猫のフリをしておいてくれ。なんとかする」
と小声でつぶやき、今は事態を悪化させるなと諫める。
「にゃぁ…」(仕方ないのう…)
と魔王はまた諦めるようなことを言った。
どうやら納得してくれたらしい。
当面の利害は一致している。
私はこの事実を何とか隠したい。
そして、魔王はこの状況をどうにかできる可能性を探る時間が欲しいのだろう。
そんな状況で私たちは密かに手を結ぶことを選択した。
そして、いよいよ凱旋へという旅の途中。
魔王といろんな話をする。
もちろんみんなにはバレないようにこっそりと。
魔王曰く、今回乗り移ってしまったであろうラッキーキャットことケットシーの寿命は百数十年程度だろうとのこと。
どうやら見た目通り、本当に子猫だったらしい。
人畜無害で、人間にも愛されるいくつかの魔物のうちの一種、ケットシーの平均的な寿命はそのくらい。
私の寿命も天寿を全う出来ればそのくらいだろうから、なんとも都合がいい状態だ。
とりあえず私は生きている間、この不始末の隠蔽が出来るし、なにより魔王を直接監視下に置くことができる。
魔王は魔王で、子猫として保護を受けられ、この状況を理解または打開する時間を得られるのだから損な取引ではないだろう。
そんなお互いの利害を確認したところで、私はみんなに、
「あー。凱旋とかめんどくさいから任せていいか?私はしばらくゆっくりしてまた冒険者に戻る。王様とかそういうやつらにはよろしく伝えておいてくれ」
といろんな義務と権利を放棄すると申し出た。
「なっ!いいな、それ。じゃぁ、私もそうするよ。王族とか貴族とかそういう堅苦しいのは苦手だからね」
と戦士オフィーリアも自分もいろんな柵はごめんだということを言って私の案に乗って来る。
そんなわがままを、勇者ケインと聖女エミリアはそれを苦笑いで受け止めてくれた。
「わかった。王様たちや政治のことは任せてくれ。どうせ、私は勇者として転生してしまった以上、そういう柵から抜けられんしな」
と言う勇者ケインと、
「ええ。私もどうせ教会から抜けられないし、そっちの方はしっかりと抑えておくわ」
と言ってくれる聖女エミリアに丁寧に礼を言い、私と戦士オフィーリアはそれぞれの道を行く。
そしてひとりになった私は、
(さて、どうしたもんか…)
と思いつつ、とりあえず胸に抱えた可愛らしい子猫を撫でた。