初夏の爽やかな日差しの中。
草原の中を通る街道を歩きながら、私の左肩に乗って少し爪を立ててくる子猫に向かって話しかける。
「なぁ、チェルシー。そろそろ機嫌を直してくれないか?」
「にゃっ」(ふんっ)
「いや。悪かったと思ってる。しかし、あのくらいのことでそこまで怒らんでもいいだろう?」
「ふしゃー!」(あのくらいじゃと!?)
「あー…すまん。いや、別に事態を軽くみているわけじゃないぞ?ただ、ちょっとした事故だったんだ。勘弁してくれ」
「ふみゃぁ!」(あの肉は我が育てていたんだぞ!)
「…すまん。この埋め合わせは必ずする」
「…んなぁ」(…埋め合わせをと言うなら、竜の肉を所望じゃ)
「なっ!おいおい。いくらなんでもそれは要求が過大すぎる。豚バラの恨みはせめて豚トロくらいで手を打ってくれ」
「…にぃ…」(…食い物の恨みは大きい…)
「くっ…。しかしそいつは…」
「…んなぁ…」(…まったく。仕方ないな。シャトーブリアンあたりで手を打ってやろう)
「なっ!お前、あれがいくらするのか知ってて言ってるのか!?」
「んにゃぁ」(お主の稼ぎなら問題あるまい)
「…まぁそうだが」
「にぃ?」(それとも、なにか?酒場で散財する金はあっても我に肉を食わせる金は無いとでも言いたいのか?)
「くっ。それを言われると…。致し方あるまい。次、どこか大きな町に寄った時にでも探してみよう」
「にゃっ」(ふっ。わかればよいのじゃ)
そう言うとその猫、チェルシーは私の肩からスタッと飛び降り、
「にゃぁ!」(抱っこじゃ!)
と言って、私に抱っこ紐こと、特製の鞄で抱っこすることを要求してきた。
私がこうして話ができる猫とこんな田舎道を歩き、なおかつやや尻に敷かれ気味なのには訳がある。
説明すると長くなるが、ざっくり言うと、賢者の私が魔王との戦いで何かしでかしてしまったらしい。
なぜか魔王の魂が消滅せず、その飼い猫、チェルシーに乗り移ってしまった。
本来なら国に報告する必要がある。
しかし、そんなことをしたら、この猫は間違いなく殺されてしまうだろう。
それはいくらなんでも耐えられない。
というか、私の責任問題だ。
国から何を言われるか、どんなお叱りを受けるかわかったものじゃない。
そんなこんなで、猫好き故の甘さと、責任回避したいという2つの理由で私は今の状況を選んだ。
あと、一応賢者として、単純な興味もある。
現在、魔王こと猫のチェルシーは私と話ができる以外、何の力もない。
いや、正確に言えば人間と同じものをたらふく食えるという能力はあるようだが、それは別にどうでもいいだろう。
ともかく、消滅からだいたい200年周期で復活してくる魔王の魂が子猫に閉じ込められているというこの奇妙な現象の行方を見てみたい、と単純に興味を持ってしまった。
この世界に「おそらく」転生してから200年くらい。
いくら長寿のエルフといえどもあと100数十年の人生。
軽く100年ほどは生きると言われているラッキーキャットことケットシーと旅をするのはいい暇つぶしになる。
私はそう思って、この奇妙な現象を私だけの胸にとどめておくことにした。
(はぁ…。それにしてもこの魔王の性格がもう少し可愛らしければなぁ…)
と思いつつ、私の胸にぶら下げた特製の抱っこ紐の中で呑気に昼寝をしているチェルシーに視線を向ける。
「…んなぁ…」(…にく…)
とチェルシーが寝言を言った。
(…ったく。呑気なもんだ)
と苦笑いしつつ、その頭を軽く撫でてやる。
すると、チェルシーが、
「…ふみぃ…」
と気持ちよさそうに鳴いた。
(寝てる時だけは可愛いんだよな)
と思いつつ、また苦笑いで軽く肩をすくめる。
不意にどこか麗らかな初夏の風が吹き抜け、辺りの草をさわさわとなびかせた。
(平和だねぇ…)
と心の中でつぶやく。
私はポケットをまさぐり、吸うとスースーするシッカパイプ取り出すと口にくわえて、軽く吸い、
「ふぅ…」
と軽く息を吐いた。
魔王が討伐されてから、10年。
人々の心にもようやく落ち着きが戻ってきた頃。
私は今日ものんびりその魔王を胸に抱いてあてのない旅を楽しんでいる。
今日もこの世界は平和だ。
私は青く澄み渡る空を見上げて何となくそんな感慨にふけった。
そんな平和な街道を、子猫を抱えてのんびり歩きながら、少し昔のことを思い出す。
私、ジークことジークフリートが賢者なんてご大層なものに選ばれたのは15年くらい前。
当時私はざっと180数歳。
そろそろ自分の年齢がいくつなのかも曖昧になってきた頃。
冒険者という名の放浪生活の途中、5年ぶりくらいに帰った実家でのんびりしていた私に王城から召喚状が届いた。
そんなものを届けられた理由はさっぱり分からなかったが、召喚状というからには無視できない。
そこで私は、嫌な予感しかなかったものの、仕方なくその呼び出しに応じて王城へ向かう。
そして、そこからこの数奇な運命が始まった。
王城に行き、召喚状をみせる。
すると、いきなり衛兵に王城の奥の方まで案内された。
ややあって私は、いきなり謁見の間らしき所に連行され、どこからどう見ても王としか思えない人物の前で跪くことになる。
そこで、王の横に立っていた偉そうなおっさんから、
「汝、荒物屋コーエン商会が次男、ジークフリートに相違ないか?」
といきなり身元を問いただされた。
(いや、呼び出したのはそっちなんだからそのくらい知ってるだろ?)
と思いつつ、
「ええ。そうですが」
とやや不機嫌に答える。
するとそのおっさんは、やや眉間にしわを寄せながらも、
「うむ」
となんだか偉そうにうなずき、
「冒険者として活動し、単独でワイバーンロードを討伐せしこと、偽りなかろうな?」
と、今度は私の経歴に難癖をつけてきた。
私はいよいよカチンときたが、そこは冷静になって、一応丁寧に、
「ええ。間違いございません」
と短く答える。
そう答えながら、私が、
(だからどうした?早く用件を言え)
と、また心の中でふてくされていると、そのおっさんは、また、
「うむ」
と偉そうにうなずいて、
「幼少期より実家の荒物屋を手伝い、商才を見せたというのも事実か?」
と聞いてきた。
その質問への返答には少し困る。
なにせ商才なんて立派な物は発揮していない。
なぜか知らないが20歳くらいの時に突如蘇ったというか、頭の中に浮かぶようになってきた、おそらく前世と思しきものの記憶を使って、ちょっと便利な野菜の皮むき機とか魔導回路を小型化して小型家電っぽい物をいくつか作った程度だ。
たしかに、あれは売れたが、いかんせん小さな荒物屋で扱うには評判が良すぎた。
そこで、大きな商会に権利ごと売って、実家の店を少し広げるのに使ったが、所詮、その程度だ。
それを持って商才と言えるかどうか。
私はそう考えて、
「私には商才などありません」
と正直に答える。
すると、目の前のおっさんは、
「ほう…」
と、また偉そうに答えて、
「汝は魔導工学院を優秀な成績で卒業したと聞いておるが?」
とまた私の経歴を問いただしてきた。
確かに私は魔導工学院を卒業している。
それも、そこそこ優秀な成績で。
しかし、それも前世の記憶的なものがあったればこそのことで、私の実力じゃない。
私は、
(このおっさんはいったい何が言いたいんだ?)
と思いつつ、
「優秀かどうかはともかく、卒業はしました」
と答える。
そして、また、
「うむ」
とえらそうにうなずくおっさんに向かって、思わず、
「で?」
と、素で聞いてしまった。
おっさんの眉間のしわが深くなる。
(あ、やべ…)
と思ったが、私は、
「こほん」
と小さく咳払いをすると、
「失礼した」
と答えておっさんに話の続きを促がした。
おっさんも、
「こほん」
とわざとらしく咳払いをする。
そして、
「汝が学生時代に書いた論文、『魔力の集積及びその回転機構への実装に関する考察』は現在、魔導院にて研究されているとの報告を受けておるが、汝の理論に間違いないか?」
とまた、私の経歴に対する質問をしてきた。
(ん?魔力の集積…、ああ、あの小型ハンドミキサーを作るついでに書いたやつか。ああ、そう言えばあの時無性にミルクセーキが飲みたくなって、小型ミキサーに使える強力なモーターっぽい物を開発しようとしてたんだったな…。いまじゃどこのご家庭でも当たり前に使われているはずだが、それが魔導院となんの関係が?…いや、考えようによっては軍事も含めていろんな応用はできそうだが…)
と思いつつ、
「あー、そんなものも書きましたね」
と何となく答える。
すると、おっさんはまた偉そうに、
「うむ」
とうなずくと、先ほどから無言で玉座に座っている王に向かって、なにやら耳打ちをし始めた。
(ん?なんだ?)
と思っていると、王がスッと立ち上がる。
そして、
「ジークフリートよ。そなたを賢者と認める」
と意味の分からないことを高らかに宣言した。
「………」
言葉にならない。
(何を言ってんだ、このおっさん)
と思いつつ、
(あ、いや、私もいい歳だから他人のことをおっさん呼ばわりはできんかもしれんが…)
と妙なことを考え、ややドヤ顔でこちらを見下ろしてきている王に視線を向ける。
すると先ほどから王の横で偉そうにしていたおっさんが、
「ごほん!」とわざとらしく咳払いをした。
(おっと…)
と思って、私はとりあえず、
「ははぁ」
とそれっぽいことを言って頭を下げる。
すると、頭上から王の声で、
「これからは勇者ケインを助け、世のために尽くせ」
という意味の分からないセリフが聞こえてきた。
「は?」
と思わず聞き返す。
しかし、王は満足げにうなずくと、
「以上である!」
と言ってさっさと引っ込んで行ってしまった。
(え?ちょ、あの…)
と思いつつ、その後ろ姿を見ていると、先ほどの偉そうなおっさんが近寄って来て、
「光栄に思え」
と、こちらもドヤ顔で言って来る。
私はますます訳が分からなくなって、また、
「は?」
と聞き返してしまった。
その後、別室に移動して、詳細の説明が始まる。
どうやら、私が魔王討伐隊の一員に選ばれてしまったらしい。
「お断りします」
と一応言ってみたが、
「王に逆らうのか?」
とすごい勢いで睨まれてしまった。
魔王復活の兆しがあることはこの世界の人間なら誰でも知っている。
そして、勇者ケインという者がこの世に生まれ順調に育っていることも。
だが、それは一般市民には関係ないことだ。
そう思っていたが、どうやら違っていたらしい。
私はものの見事にその騒動に巻き込まれてしまった。
なんでも、戦闘力と学力の両方を兼ね備えた人物を選んでいる時に私の名前がどこかからひょっこりとあがったらしい。
他にも候補はいたが、どうやらみんな国の要職についているとかで、一番自由気ままに生きている私が選ばれてしまったようだ。
今更ながら、自分の風来坊気質を恨む。
そして、
(…これも転生者ってやつの運命なのか?)
と、これまで誰にも明かしてこなかった自分の身の上を恨んだ。