翌朝。
さっそくソト村への帰路に就く。
どこか気楽な気持ちで時々果実を摘みながら、軽い足取りで森を進んだ。
私たちに油断があったとは思わない。
しかし、私たちはいつの間にか、魔物の縄張りに入り込んでいたらしい。
気配を感じた時にはすでに虎の魔物の射程だった。
「アイカ!」
と叫んで盾をお願いする。
「おう!」
と答えたアイカが盾を構えると、私は、すぐさま薙刀を地面に突き刺した。
(じっくり考えている余裕は無い)
そう感じた私は一気に魔力を薙刀に流し込む。
私の中の魔力が一気に持って行かれた。
(くっ…)
と、一瞬顔をしかめてしまうが、そのまま構わず一気に浄化の魔法を発動した。
「グオォォ!」
とやや苦しそうな声が上がる。
そして、虎の魔物が茂みの中から飛び出してきた。
ユナが矢を放つ。
「ギャン!」
と声をあげた虎の魔物にアイカが突っ込んで当て身を食らわせた。
完全に倒れ込んだ虎の魔物にベルがトドメを刺す。
勝負は一瞬で終わった。
しかし、私たちは全員でその場にへたり込む。
ほんの少しの油断があったのだろう。
そこを相手に上手く突かれてしまった。
反省、恐ろしさ、悔しさ。
いろんな感情が渦巻き、みんなでしばらく黙り込む。
私は、
「はぁはぁ…」
と肩で息をしながら、何とか立ち上がりみんなに、
「大丈夫?」
と声を掛けた。
「ええ…」
とユナが何とか返事をし、アイカとベルもうなずいてくれる。
そのことにまずは一安心して、
「よかった…」
と、つぶやいた。
そこでようやくみんなが腰を上げる。
そして、横たわる虎の魔物を見つめた。
「ジルがいなかったら危なかったわね…」
とベルがつぶやく。
アイカも無言でそれにうなずいて、
「ありがとう」
と私に礼を言ってきた。
私は力なく首を横に振りながら、
「いや。みんなのおかげよ。みんながいてくれるから迷わず行動できたんですもの」
と答える。
そして、
「まずは解体しましょう。あと、ジルは落ち着いたらまた例の魔法で周囲に異常がないか探ってちょうだい」
と言うユナの落ち着いた声でみんな、それぞれの作業に取り掛かった。
私も息が落ち着いてきたのを感じて、もう一度地面に薙刀を突き立てて魔素の流れを読む。
先程の浄化のおかげだろうか、周囲の魔素は滞りなく流れている。
淀みの気配もない。
まずはそのことに安心し、私はそのままゆっくりと魔力を流すと、念のため、もう一度浄化の魔法を発動した。
一通りの作業が終わり、ようやくみんな落ち着きを取り戻す。
「…油断していたわ」
と悔しそうに声を絞り出すベルに、
「いえ、相手が一枚上手だったのよ」
とユナが慰めの言葉を掛けた。
「まだまだだね…」
とアイカも悔しそうにつぶやく。
私は、そんなみんなに、どう言葉を掛けていいかわからず、しかし、
「さぁ、悔やんでいても仕方ないわ。反省は村に戻ってからゆっくりしましょう」
と、わざと気丈な言葉を投げかけた。
沈黙の中、着実に歩を進める。
みんな、緊張感をみなぎらせていた。
野営中も2人一組で抜かりなく見張りを行う。
そして、行よりもやや疲労を感じながら翌日の夕方前、ソト村に辿り着いた。
さっそく村長に報告に行き、体を休めさせてもらう。
その日の晩、私たちは部屋でそれぞれに感じたことを話し合った。
まずは私が、
「浄化した後は魔物が出てこなかったからどこか安心する気持ちがあったのかもしれないわ」
と反省の言葉を述べる。
「ええ。私たちも、これまで帰り道に魔物に遭遇していなかったから、てっきりそういうものだと思い込んでいたのかもしれないわ」
というベルに、ユナも、
「ええ。どこかでジルの浄化が万能だと思い込んでいたのかもしれない」
と続いた。
「それを言うなら一番気を抜いていたのは私かも…。盾役なんだから常に周りに気を配ってなきゃなのに…」
とアイカがまた悔しさをにじませる。
私は軽く首を横に振り、
「それはみんなも同じだわ。アイカだけの役目じゃない」
と声を掛けた。
しばしの沈黙が流れ、ユナが気を取り直したように、
「ようするに『まだまだ』ってことね」
と、苦笑いで肩をすくめる。
「ええ。子供っぽい言い方かもしれないけど『おうちに帰るまでが冒険』って言葉が身に染みたわ」
とベルも続き、アイカも、
「まったく、その通りだね」
と言ってうなずいた。
私もその言葉にうなずく。
あれはたしか「アイビー」と一緒に行動した時だ。
私は先輩風を吹かせてそんな言葉を「アイビー」のみんなに贈った。
そのことを思い出して恥ずかしさを覚える。
(未熟者の私が良く言えたものね)
と心の中でそっとシニカルな笑みを浮かべた。
「さて。反省も済んだことだし、今日はゆっくり休みましょう」
とユナがみんなに声を掛ける。
私たちはそれぞれに、
「そうね」
というようなことを答えてベッドに横になった。
やがて、枕元の灯りが消される。
私は、いろんな感情を抱えつつも、ひとまずは目を閉じて体の疲れを癒すことに専念した。
翌朝。
村長に見送られて村を後にする。
みんな普段通り振舞っているが、やはりどこかすっきりとしない気持ちを抱えているように見えた。
特に真面目なベルは考え込んでしまっているのだろう。
私はそんなみんなの気を少しでも紛らわそうと、あえて明るい声で、
「帰りはどんなカレーにしようかしら?」
と声を掛ける。
きっとみんなも私の意図をわかってくれたのだろう。
一様に苦笑いを浮かべながらも、
「私は魚貝たっぷりでトマトが入ったやつが気になったかな?」
「私は、オムカレーね」
「私はあの辛いのに挑戦してみたいわ」
とそれぞれ次に食べるカレーの話をしてくれた。
「うふふ。じゃぁ、少し急ぎましょう。そしたら、お昼と夜2回カレーを食べられるかもよ」
と冗談っぽく声を掛ける。
「そうだね!」
とアイカが元気よく返事をして、ユナとベルも笑ってうなずいてくれた。
悔しさ、情けなさ、恐怖。
いろんな感情を抱えて旅路を急ぐ。
しかし、そんな感情も仲間で支え合って持ち合うと、一人で抱えているよりもずいぶん軽く感じるものだと思いながら、私は先頭を切って初夏の街道を進んだ。
約束通りトリスタン市国でカレーを堪能し、明るさを取り戻した私たちはまた船に乗り、今度は川を遡る。
行よりも半日ほど遅く船はクレインバッハ侯爵領の港へ到着した。
そして、いつものように裏街道に入り帰路を急ぐ。
みんなそれぞれ帰ったら自分の課題に取り組みたいと言っていた。
ユナは魔法の精度。
アイカはさらなる防御魔法の強化。
ベルは一撃の早さを磨きたいらしい。
私も、瞬時に浄化しても魔力を持って行かれないようにさらに魔力操作の練習をしたいと思っている。
そんな思いを胸に抱き旅路を進み、私にとってはいつものように明日はチト村という所まで辿り着いた。
簡単なスープで夕食を済ませる。
焚火の火を囲みながら、お茶を飲んでいると、アイカが、
「やっと帰れるね」
とつぶやいた。
「うふふ。そうね」
とユナがつぶやき返すと、ベルが、
「ジルはいつもこんな気持ちで帰って行っていたのね」
と言って私に目を向けてくる。
私はその言葉に少しハッとして、
「ええ。まるで実家に帰る感じだわ」
と、半分苦笑いではにかんだ。
「なんとなくだけど、わかるわ」
とベルが微笑む。
「ええ。だって、なんだかあの家って暖かいもの…。ユリカちゃんは可愛いし、アンナさんは優しいし…」
と私が答えると、アイカが、
「あはは。まるで家族だね」
と言って笑った。
私はその言葉になんとも言えない感情を持つ。
「家族」
その言葉が妙に胸に刺さった。
(家族かぁ…)
と、ふと胸の中でつぶやく。
当たり前だけど、私たちに血のつながりなんかない。
それでも、お互いがお互いを必要として、信頼でつながっている。
その関係にどんな名前を付けたらいいのか、家族と呼んでいいのか、今はまだわからない。
私にはまだ迷いもあった。
しかし、これだけははっきりしている。
(私はユリカちゃんとアンナさんと、家族になりたいと思ってるんだ…)
そう気が付いた。
(なれるかな…)
という不安な気持ちが湧いてくる。
しかし、ユリカちゃんの無邪気な笑顔とアンナさんの微笑みを思い起こしたら、その不安が少し軽くなった。
(不思議なものね)
と思って心の中で苦笑いを浮かべる。
「うふふ。なんだか嬉しそうね」
とベルが私の顔を覗き込んできた。
焚火の灯りに照らされたみんなの顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいる。
私は少し照れくさくて、
「もう…」
と、少し不貞腐れるふりをした。
「はははっ」
「うふふ」
「ふふっ」
とみんなが笑う。
私は少し火照った頬を冷まそうと思って空を見上げた。
きらりと瞬いた星が不意に流れる。
「あ…」
と思わずつぶやいた。
「ん?」
と聞くベルに、
「ううん。ただの流れ星」
と答える。
「あら。いいわね。何をお願いしたの?」
とまるで少女のようなことをいうユナに、
「そんな暇なかったわ」
と答えると、アイカが、
「3回唱えるってどう考えたって無理だよね?」
と言って、みんなで笑った。
穏やかに夜が更けていく。
焚火を囲んで談笑する私たちの上でまた誰にも知られず流れ星が流れた。