長いようで短い旅も今日で終わる。
王都からチト村まではエリーの足で5日間。
途中のゴブリン騒動を入れたので、予定より大幅に遅れてしまったけど、私はいつもより晴れやかな気持ちでチト村を目指した。
やがてチト村の入り口、木で出来た簡単な門が見えてくる。
私はウキウキとした気持ちで門に近づくと、とりあえず、
「ジミーいる?」
と、一応門の横にある詰所の中に声を掛けた。
詰所の奥、門番の住居になっている小上がりの奥から、
「あー。適当に入れー」
となんともやる気の無い声が聞こえてくる。
「あんたねー…。たまにはちゃんと働きなさいよ!」
と声を掛けると、また奥から、
「へいへい」
と声がした。
きっと、本を読んでいるか、村のご婦人方から頼まれた小間物の修繕でもしているのだろう。
ジミーという男は意外にも手先が器用で、騎士のくせして便利屋のような仕事を請け負っている変わり者だ。
確か村にやって来たのは私と同じくらいの時だというから3年ほど前だろうか。
町ならともかく、こんな小さな村に騎士が駐在していること自体おかしい。
しかし、なぜか子爵様はこの村に詰所まで作ってこのジミーという男を駐在させている。
まったくもって謎の多い人物だ。
だから村のみんなも最初はジミーのことを遠巻きに見ていた。
しかし、ジミーという男はどうにも人懐っこいというか、人の懐に飛び込むのが上手い性格らしく、今では「駐在さん」と呼ばれてけっこう親しまれ、何か困りごとがあればみんなが頼るような存在になっている。
「まったくもう…。相変わらずの昼行燈ね」
とまた私がやや呆れた声を掛けると、やはり先ほどと同じように奥の方から、
「はっはっは。今日も平和でなによりだ」
と軽い返事が返ってきた。
「んじゃぁ、勝手に入るわよー」
「ああ、勝手にしてくれ」
というなんともいい加減な会話で入村の許可を得てさっそくアンナさんの家を目指す。
途中、
「お。ジルちゃんじゃねぇか!お帰んなさい!」
とか、
「久しぶりだねぇ」
という、おっちゃんやおばちゃんたちに、
「ただいま!」
と声を掛けながら明るい気持ちで先を急いでいると、1軒の小さな家が見えてきた。
さっそく裏庭に回りエリーを馬小屋に入れる。
すると、勝手口が勢いよく開いて、
「ジルお姉ちゃん!」と叫びながら小さな女の子が勢いよく私に向かって飛び込んできた。
「ただいま!」
私は久しぶりに会うユリカちゃんをしっかりと受け止め、
「今回もお土産買ってきたよ」
と微笑みながらその少女特有の柔らかい髪を優しく撫でる。
「やったーっ!」
と無邪気に喜ぶユリカちゃんを抱え上げ、
「うふふ。ちょと見ない間に大きくなったわね」
と言いながら、勝手口に向かって、
「アンナさんただいま!」
と声を掛けると、そのまま家の中へと入っていった。
「うふふ。お帰りなさい」
と声を掛けながら奥から出てきてくれたアンナさんに、もう一度、
「ただいま」
と声を掛ける。
「お腹は空いてない?」
と聞いてくるアンナさんに、私は、
「うーん…。一応、お昼は食べたけど、ちょっと小腹が空いてるかな?」
と遠慮なく自分のお腹の空き具合を伝えた。
「あら。まぁ。じゃぁ、昨日焼いたパウンドケーキがまだありますから、それでお茶にしましょうね」
と微笑みながら言ってくれるアンナさんの言葉に、
「おやつ!」
と私よりも先に私の腕の中にいるユリカちゃんが反応する。
「あらまぁ」
と笑うアンナさんと一緒に私も、
「あはは」
と笑顔を浮かべ、私たち3人はさっそくダイニングに場所を移した。
「ああ、そうだった!」
と言って、私はまだ荷物も下ろしていなかったことに気が付く。
「ごめん、ちょっと荷物取って来るね」
と言いながら、再び裏庭に出て行く。
そんな私の後をアンナさんが追いかけてきて、
「うふふ。私もなんだか気が急いちゃって」
と恥ずかしそうに笑いながら、荷下ろしを手伝ってくれた。
何度かに分けて、いつも使わせてもらっている空き部屋に荷物を運び込むと、裏の井戸で軽く顔を洗って今度こそお茶の時間になる。
アンナさんが淹れてくれた美味しい紅茶を飲み、ドライフルーツがたっぷり入ったパウンドケーキを頬張ると、濃くて優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「んー!やっぱりアンナさんのケーキは美味しいよね」
と言って私が笑顔を浮かべると、
「でしょ?」
となぜかユリカちゃんが得気な表情をする。
私がそんなユリカちゃんの頭を撫でながら、
「あはは。そうだね」
と笑うと、アンナさんが、
「あらまぁ。うふふ」
と笑い、ユリカちゃんは少し照れながら、「えへへ」
と笑った。
小さなダイニングに穏やかな空気が流れ、楽しいおしゃべりが続く。
私がユリカちゃんにせがまれて王都の様子を話すと、アンナさんも興味深そうに聞いてくれた。
それからも、途中で食べたご飯や旅でみた風景を話して聞かせる。
冒険の話は一切しなかった。
きっと話せばユリカちゃんは怖がるだろうし、アンナさんを余計に心配させてしまう。
アンナさんは冒険者のことをある程度知っているだろうが、ソロの厳しさやゴブリンの恐ろしさまでは知らないはずだ。
そんな2人を不安にさせるわけにはいかない。
それに、私もこの幸せな空間にそんな殺伐とした話を持ち込みたくは無かった。
美味しいお菓子と楽しい笑顔。
私はこの空気を求めてこの家に来ている。
きっとアンナさんもユリカちゃんもそんな空気の中で暮らしたいと思っているはずだ。
私は、目の前に広がる幸せな光景を微笑ましく見つめ、また美味しいお茶を飲んだ。
「さて、そろそろお夕飯の支度に取り掛かりますわね」
というアンナさんの声がかかる。
幸せな時間はいったん中断。
「じゃぁ、ユリカちゃんはお姉ちゃんと一緒に本でも読もっか。あのね、新しい本を買ってきたのよ」
「うん!あのね、ユリカご本読むの大好きなの!」
と無邪気に笑うユリカちゃんの手を取って、私たちはダイニングのすぐ横にあるちょっとしたリビングスペースのソファに腰掛けてさっそく『おしゃれ魔女リリトワの冒険』のページをめくった。
私の膝の上で一生懸命字を追いかけながら、
「リリトワちゃん可愛いね!」
とか「
頑張れリリトワちゃん!」
と言って物語の世界にすっかり夢中になっているユリカちゃんに優しく読み聞かせをする。
最後まで読み終わり、
「もう一回!」
と、せがむユリカちゃんの頭を撫で、
「あはは。続きは明日ね。だって、そろそろご飯だよ」
と良い匂いが漂ってくる台所の方へと目を向けた。
途端に私のお腹が「きゅるる」と鳴く。
「あ!ジルお姉ちゃんのお腹、鳴いた!」
と笑うユリカちゃんに、
「あはは。鳴いちゃったね!」
と笑い、
「さぁ、早くご飯食べよ」
と言いながらまたユリカちゃんの手を取ってすぐ隣のダイニングにある食卓の席についた。
やがて、ユリカちゃんと一緒に食器を並べていると、アンナさんが鍋を持ってくる。
食卓の上に置かれた鍋のふたが開けられると、そこにはほかほかと湯気を上げるクリームシチューが入っていた。
「あ!ジルお姉ちゃんの好きなやつ!」
とユリカちゃんが叫ぶような声を上げる。
「うん。私の好きなクリームシチューだね」
と私が笑顔を見せると、
「今日も寒いですからねぇ」
とアンナさんが笑いながら、みんなのお皿にシチューを取り分けてくれた。
「いただきます」
とみんなの声がそろう。
みんなで一斉に口に運ぶと、
「美味しいね!」
と言って笑い合った。
ミルクとバターの優しい甘さが口いっぱいに広がり、胸の奥を温めてくれる。
なんでもないはずの家庭料理。
特別な材料も何も使っていないはずのただのクリームシチュー。
だけど、アンナさんが作るとすごく美味しい。
野菜の切り方、火の加減、味付けの仕方…。
きっといろんな工夫が詰まっているんだろう。
でも、それ以上にこの食卓の笑顔が何よりもこの普通のシチューを美味しくしてくれているような気がした。
野営中の一人ご飯はもちろん、宿の食堂でも、王都の居酒屋でも味わえなかった優しい味と温もりが私の胸に広がっていく。
(ただいま…)
私は改めて、そんな言葉を心の中でつぶやいた。
目の前で美味しそうにクリームシチューを頬張るユリカちゃんを眺めながら、目を細める。
気が付けばアンナさんも私と同じようにユリカちゃんが一生懸命大きな口を開けて食べる姿を眺めていた。
私たち2人の目が合って、
「うふふ」
「あはは」
と微笑み合う。
そして私もユリカちゃんに負けないくらい大きな口を開けて暖かいクリームシチューを頬張った。