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第3話はぐれ聖女ジル03

やがてベッツさんが持ってきた1冊の本を私もエリオット殿下も、興味深そうに見つめる。

表紙を見る限り古いエルフ語で書かれているらしい。

タイトルは「行脚日記」。

タイトルから中身が想像できない。

「へぇ。エルフの古語か…。面白そうだけど、ちょっと読むのが面倒くさそうだね」

と言いながら、さっそく本をめくる殿下の横から私も覗き込むようにその内容を見てみた。

ここエルバルド王国を含む周辺5か国の言語はほぼ共通している。

ほぼ、というのはエルフの国ラフィーナ王国で使われている言語がちょっと違うから。

その違いは本当にちょっとしたことで、文法も文字も同じだけど単語や言い回しがちょっと違うと言う程度。

エルフ語を知らないエルバルド王国民でもなんとなく何を言っているのかは理解できるくらいの違いだから習得するのは難しくない。

しかし、古い言葉となるとそれなりに読み解く力が必要になってくるから、エリオット殿下は面倒くさいと言ったのだろう。

私は読むのに少し苦労している様子のエリオット殿下を差し置いて、横からさくさくと読み始めた。

(えっと、著者はシェルフリーデル・エル・リード・ルシェルロンドさん…。また、長くて古風な名前ね。で、内容は…って、これレシピ集じゃん)

と私がその内容に微妙な表情を見せていると、ベッツさんが、

「どうやらレシピ集の様ですが、なかなか面白いですよ。現代の料理の基礎が書かれていますし、中には何なのかわからない材料の記述もありますから」

と私に笑顔を向けてくる。

「へぇ。例えばどんなのがあるの?」

と聞くと、ベッツさんは、

「失礼」

とエリオット殿下に断って、

「例えばこの辺りですね。この餡子のレシピはおそらく現存する中でもかなり古い部類になりますし、この『カルボナーラ』というのは生クリームを使ったパスタらしいのですが、この『グアンチャーレ』という材料が謎です。それに、その次にある『ウニ』というのも謎です。どうやら海産物のようですが」

と、少し先のページをめくりながらいくつか指摘してくれた。

「なるほどねぇ」

と、興味深く聞く。

エリオット殿下も、

「なるほど。文献としては面白そうだね」

と言うが、続けて、

「これは僕の書棚にあっても宝の持ち腐れになっちゃうね」

と言いながら私の方に目を向けてきた。

私が、「ん?」という顔をしていると、エリオット殿下が微笑みながら、

「食いしん坊のジルの方が活用してくれそうだと思ってね」

とまた、ウィンクしてくる。

私は、そのウィンクは流したものの、

「まぁ、私なら興味深く読むと思いますが…」

と言って、またその本に視線を戻し少しページをめくった。

「ちなみに、いくらなんだい?」

とエリオット殿下が聞くとベッツさんは、

「ええ。希少本ということもありますので、金貨3枚になります」

と平然とした口調で言う。

私は、

(高っ!)

と思って、そっと、慎重にその本を閉じた。

「へぇ。手頃だね」

と言うエリオット殿下の言葉に、

(…さすが王家ね…)

と世の中の格差を感じつつ、エリオット殿下に私はまた、

「エリオット殿下。そういう所ですよ」

と言ってジト目を向けた。

「え?」という顔で私を見るエリオット殿下に私は、ため息を吐きながら、

「その金額で庶民は1か月くらいちょっと贅沢に暮らせます」

と教えて差し上げる。

するとエリオット殿下は、

「ああ…。確かに、こういう所だね」

と申し訳なさそうな、苦笑いのような、微妙な表情を浮かべた。

根は良い人なのだ。

王家に生まれたにしては、偉ぶったところも無いし、庶民文化への理解も深い。

しかし、それでもやはり王族は王族。

随所でこういう所で身分や価値観の差を感じる。

だから、私は学生時代からその本気なのか冗談なのかよくわからない軽口をいつも受け流して適度な距離を保つようにしてきた。

エリオット殿下はなぜか私に気軽に近寄って来るけど、うかつに近づきすぎれば面倒事に巻き込まれる。

学生当時から私はそんな予感しか持っていなかった。

「まぁ、それはともかく」

とエリオット殿下はさっそく気を取り直して、

「とりあえず、この本をもらえるかな?」

と言いながら財布を取り出す。

そこから金貨3枚を受け取ったベッツさんは、

「毎度ありがとうございます。ただいま領収証の準備を」

と言って奥に下がりかけたが、そこへエリオット殿下が、

「いや。領収証は良いよ。私物だからね」

と声を掛け、

「かしこまりました」

とベッツさんもうなずいてさっそくその本を綺麗な布で包み始めた。

そこで私はハッとして、

「ああ、こっちのお会計もお願いします」

と言って、ベッツさんに「おしゃれ魔女リリトワの冒険」を差し出す。

こちらも、

「かしこまりました」

と言って受け取ってくれるベッツさんにポケットから銀貨を渡すと、横からエリオット殿下が、

「へぇ。そういうのも読むんだね」

と興味深そうな顔でその絵物語を見ながら若干的外れなこと言ってきた。

「…知り合いの子供へのお土産ですよ」

と、つっこむとエリオット殿下は、「え?」とやや間抜けな声を出す。

私が、少しあきれ顔で、

「今、拠点にしてる村の下宿先に小さな女の子がいるんです。その子へのお土産です」

となんとなく概要を説明すると、エリオット殿下は、また意外そうな顔をして、

「へぇ。君が子供にお土産を買うようになるとはね…」

とかなり失礼な発言をした。

「私だって、そのくらいのことはしますよ?」

と、またエリオット殿下にジト目を向けると、エリオット殿下は、

「ははは。そうだね。いや失敬」

と、いかにもおかしそうに笑う。

「まったく。人を何だと思ってるんですか?」

と、まだジト目を向けたまま私が問いただすように聞くと、エリオット殿下は、

「ん?優等生だったくせして冒険者になった跳ね返りの変わり者だろ?」

と、さも当たり前のことのようにそう言った。

私はその言葉にまずはため息で答える。

そして、

(たしかに当たってるけどさぁ…)

と思いながら、

「殿下。そういう所ですよ」

と残念な物を見るような目でそう言ってやった。

私のその言葉にまた意外そうな顔できょとんとするエリオット殿下を適当に無視して、絵物語の本を受け取る。

そして、

「では、殿下。ごきげんよう」

と軽く貴族向けの礼をして、その場を立ち去ろうすると、エリオット殿下が、

「ああ。ちょっと待った」

と声を掛けてきて、

「ほら。さっき言っただろ?この本は君にあげるよ」

と言いながら、「行脚日記」を差し出してきた。

私は、

(ああ、なんかそんな風に言ってたわね…)

と思い出しながら、

「もらう謂れがありません」

と頭を下げる。

しかし、エリオット殿下は、例の軽い笑顔で、

「本はきちんと読まれてこそその価値を発揮するものだよ」

と言って、私にその高価な本を押し付けてきた。

私はそんなエリオット殿下にまたため息で答える。

しかし、

(これ、断ったら逆に面倒なことになるやつだよね…)

と思って、少し恭しい態度で、

「このように高価なものをいただき恐悦至極に存じます」

と答えてその本をありがたく頂戴することにした。

「ははは。相変わらずつれないねぇ」

と笑いながら、また、エリオット殿下は、

「まぁ、そういう所が可愛いんだけどさ」

と軽口を叩く。

私はまた、ため息を吐き、

「だから、そういう所ですよ」

とまたジト目を向けてそう言った。

ややあって、ベッツさんに見送られながら本屋を後にする。

するとなぜかエリオット殿下は私を呼び止めて、

「これからの予定はどうなっているんだい?」

と聞いてきた。

私は、

(なんで殿下がそんなこと気にするの?)

と思いつつ、

「適当にぶらつきながら拠点に戻りますが?」

と答える。

「ははは。なんとも風来坊だね」

と笑う殿下に、

「ええ。冒険者ですから」

と答えると、エリオット殿下は、

「リリエラが会いたがっていたよ」

と私に優しい視線を向けながらそんな言葉を投げかけてきた。

私の脳裏にエリオット殿下の妹、リリエラ様のあどけなくも優しい微笑みが一瞬にして蘇る。

私より5つ年下のリリエラ様の笑顔はまさに天使の微笑みと言っていいだろう。

見る人を幸せにする魔力を持っていると言っても過言ではないかもしれない。

私はそんな美しい微笑みを思い出しながら、

「リリエラ様のお加減はいかがですか?」

と聞いてみた。

「うん…。良くも悪くもないね。相変わらずさ」

とエリオット殿下は少しだけ顔を曇らせながら、苦笑いを浮かべる。

リリエラ様はお体が弱い。

だからかなり優秀であるにも関わらず学校へも通う事が出来なかった。

私は学生時代、エリオット様に請われて何度もリリエラ様を訪ねたことがある。

リリエラ様は私の生まれ育った居酒屋の話や田舎の子供の普段の生活の話なんかをさも楽しそうに聞いてくださった。

私もその楽しそうな様子が嬉しくて、いつも夢中になって話しているうちにすっかり打ち解けて、まるで友人の様に接してくれるようになったことを覚えている。

(また会いたいな…)

私もリリエラ様同様、そんなことを思うと、

「今回は今日で王都を離れますが、どうせまた呼び出されるはずですから。その時は是非」

と答えてエリオット殿下に微笑みかけた。

すると、殿下はなぜか苦笑いで、

「ジュリエッタ。そういう所だよ」

と謎の言葉を発する。

その謎の言葉に私がきょとんとしていると、エリオット殿下はまた苦笑いを浮かべたまま、

「まぁ、そういうことだから、いつでも気軽に訊ねてやって欲しい。門番は君のことを覚えているからね」

と答え、後ろ手に手を振りながら、

「また会おう」

と言って颯爽と王宮の方へと帰って行った。

私は、そんなエリオット殿下をまだ若干きょとんとしたまま見送る。

しかしすぐに、

(まぁ、いっか)

と気を取り直し、また下町の方へ2冊の本を抱えて戻って行った。

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