目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第113話春の庭03

そんな夜から10日ほど経った朝。

いつものように稽古にでると、ローズが仕事着でやってきて、

「本日のリーファ先生の診察で問題が無ければ午後からお会いしたいとお嬢様がおっしゃっておられます」

と伝えてくれた。

リーファ先生からも、ずいぶんと体調が戻ったから近いうちにまた遊びにいってやるといい、とは聞いていたが、やはり本人から聞くと安心感が違うのだろうか、よりうれしい気持ちになる。

「わかった。行こう」

と伝えると、ローズは嬉しそうに笑って、

「お待ちしております」

と明るく返事をして離れへと戻って行った。


稽古を終えて、井戸端で顔を洗って勝手口から屋敷に入る。

相変わらず良い匂いのする台所を何とか通り抜けると食堂で朝食を待った。

「なにかいいことでもあったのかい?」

といきなりリーファ先生から声を掛けられる。

(…そんなに顔に出ていただろうか?)

と少し焦りつつも、

「ああ、マリーの調子が戻ったらしいな」

とできるだけ平静を装ってそう答えた。

「ああ、そうだね。どうだい?今日の午後はみんなで会いに行かないかい?そろそろ庭に出てもいいころだろうしね」

と言ってリーファ先生は少しいたずらっぽく笑う。

「そうなのか!?」

私はその言葉に思わず大きく反応してしまった。


すると、ちょうどそのタイミングで、

「うふふ。楽しそうですねぇ」

と言って、朝食をカートに乗せたドーラさんとズン爺さんが食堂へやってくる。

ルビーとサファイアもやってきて、

「きゃん!」(マリーに会いたい!)

「にぃ!」(おやついっしょ!)

と言って私の足元にじゃれついてきた。


「よし、午後はみんなでマリーのところに行こう」

私がそう言うと、

「じゃぁ、美味しいプリンをご用意しませんと」

と言ってドーラさんが微笑み、ズン爺さんも、

「あっしは庭の石ころでも拾っておきますかいねぇ」

と言ってくれる。

(ああ。私はいい家族に恵まれた)

しみじみそう思うと、いつものベーコンエッグと野菜スープがやたら美味く感じられた。


午前中、ウキウキ、イソイソと仕事を片付ける。

アレックスが若干変な目で見ていたようだが、気にならない。

今ならどんな申請でも許可してしまいそうだ。

もちろんそんなことにはならないが。


昼、屋敷に戻ると、昼飯を食うのももどかしいような気持ちになる。

そんな様子を見かねたのか、リーファ先生がオムライスをすくう手を止めて、

「おいおい。慌てなくてもマリーは逃げないぞ」

と苦笑いしながらそう言った。

途端に恥ずかしさが湧いてくる。

「すまん、そうだな。うん。飯は落ち着いて食わねば…」

そう言って、ひとつ深呼吸をすると、落ち着いてオムライスに向き合った。


食後、いつものように薬草茶を飲んでいると、またソワソワとした気持ちが湧き上がってくる。

マリーにだって、準備も食休みも必要だ。

それがわかっているからなんとか落ち着かせようとあえてゆっくり薬草茶を飲んでいたつもりだったが、どうやらそうはできていなかったらしい。

「はっはっは。とりあえず、コハクを呼びに行こうか。そうだ。今日はエリスも連れていこう。そろそろ挨拶をさせておいた方がいいからね」

と笑いながらリーファ先生が言ってくれる。

「ああ。そうだな」

私も自分自身に苦笑しながら、またひとつ深呼吸をすると、ルビーとサファイアに、

「行こうか」

と微笑んで立ち上がった。


厩舎に行くと、すでにコハクとエリスが外で待っていた。

「ひひん!」(はやく行こう!)

というコハクに対して、エリスは、

「ぶるる」

と鳴いて、「落ち着きなさいよ」と言っているようだ。

「気持ちはよくわかる」

と言って、笑顔で2人を撫でてやる。

コハクが少し落ち着いたところで、

「さぁ、行こうか」

と声を掛けて離れへと向かった。


今日は庭から入る。

リビングの中からこちらを見ているマリーが、

「うふふ。お待ちしておりましたわ」

と言って、いつもの微笑みで私たちを迎えてくれた。

マリーは、車いすに乗っている。

「この車いすって、とっても素晴らしいものですね」

そう言って、マリーは車いすの手すりの部分を撫でながら、また「うふふ」と言って微笑み、

「とっても嬉しいですわ」

と私に笑顔を向けてくれた。


「よかった…」

私は感極まって、そんな言葉しか出せない。

「うふふ…。ねぇ、バン様。押してくださる?」

マリーにそんな言葉を掛けられて、周りを見てみると、みんなが「うん」と笑顔でうなずいてくれた。

「ああ。もちろんだ」

私は笑顔でそう言ってマリーの方へ歩み寄る。

(…ここにはスロープを付けておくべきだった)

そんなことを思いつつ、メルとローズにも手伝ってもらって、車いすごとマリーを抱え上げてそっと庭に下ろした。


ゆっくりと押すと、車輪がゆっくりと回り始める。

車輪の表面には革が張ってあるが、簡素な作りの車輪はやはり少しカタカタと音を立てた。

室内で使用することを前提に作られているのだろうから、仕方ないが、

(やはり長い距離の移動は難しそうだな)

そんなことを思い、揺れ過ぎないよう慎重に、笑顔のみんなに向かって進んでいく。


「…バン様」

と、マリーが声をかけてきた。

「ん?」

私は軽く聞き返す。

「ありがとうございます」

そう言うマリーの声が少し震えていた。

後ろ姿しか見えないが、きっと涙ぐんでいるのだろう。

「いや、礼なんていらんさ」

私はできるだけ優しくそう答え、

「みんなのおかげだな」

とひと言添える。

「ええ。そうですわね」

と少し明るい声でマリーが答えた。


「でも、その真ん中にいるのはいつもバン様でしたわ」

そう言われたところで、私はふと足を止め、

「そうか?」

と聞くと、マリーは振り向き、目に涙をためながら、

「…バン様はいつも私に新しい景色を見せてくださいます。…お友達ができたのも、プリンも…。こうして、初めてお外に連れ出してくれたのもバン様ですわ…」

そう言って微笑むと一粒涙をこぼす。

私は微笑んだつもりだったが、どうやら涙ぐんでいたらしい。

「これからもっといろいろなものが見られるさ」

明るい口調で言ったつもりの言葉が少し震えていた。


「うふふ。ええ。そうですわね。きっといっぱい…」

マリーはそう言って、少し言葉を切る。

そして、

「一緒に見てくださいますか?」

と美しく微笑みながらそう言った。


「もちろんだ」

私も優しく微笑むと、

「うふふ」

「ははは」

と2人して笑い合う。

ひとしきり微笑み合うと私たちは涙を拭い、

「さぁ、行こう。みんな待ってる」

と言って、再びみんなの元へとゆっくりと近づいていった。


「ひひん!」(マリー!)

と言ってまずはコハクがすり寄ってくる。

「うふふ。心配かけちゃったわね。ごめんなさい」

と言って、マリーは微笑みながらコハクを撫でた。


「きゃん!」

「にぃ!」

と言って、ルビーとサファイアも駆け寄り、マリーにじゃれつく。

マリーは、2人のことも、

「うふふ。ありがとう」

と微笑んで、順番に撫でてくれた。


「ぶるる」

少し離れてエリスが小さく鳴く。

「ねぇ、コハクちゃん。あの子も紹介してくださる?」

と言って、マリーがコハクに顔を向けると、

「ぶるる」

とコハクが鳴いて、少し遠慮気味にエリスが近づいてきた。


「うふふ。エリスちゃんっていうのね。素敵なお名前…。バン様がつけてくださったの?」

そう言われたエリスは、

「…ぶるる」

と照れたように少し顔を背けながらそう鳴く。

「うふふ。ねぇ、エリスちゃん。私ともお友達になってくださる?」

マリーがそう聞くと、エリスは、

「ぶるる!」

と嬉しそうに鳴いて、マリーに顔を近づけた。


マリーが、エリスを優しく撫でると、今度はコハクも顔を近づけてくる。

どうやら嫉妬したらしい。

私はそんな光景を微笑ましく見つめた。

横でリーファ先生も嬉しそうにしている。

もちろん、メルもローズも笑っていた。


「さぁ、お茶にしよう」

真っ白なガーデンテーブルとパラソル。

マリーの好きな紅茶。

プリン。

そして、笑顔。

目の前に広がるそんな光景が私の胸を満たす。

春の庭。

暖かな午後。

うららかな日差しをまとったそよ風に、シロツメクサが揺れていた。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?