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第92話食えない豚10

リーファ先生も馬たちをなだめる。

笑顔で「はっはっは」と笑いながら「なに、心配いらんよ」と快活に言っているのがいかにもリーファ先生らしい。

私がそんな光景を苦笑いしながらもほほえましい気持ちで見守っていると、

「さて、行こうか」

と、ひとしきり2人を撫で終わったリーファ先生がそう言い、私も、

「ああ」

と短く答えてうなずいた。

簡単に背嚢の中身と装備を確認して、私たちは森の奥へと入っていく。


しばらく行くと森の異変が顕著になってきた。

ちらほらと最近倒されたばかりの木も見えるし、地面を掘り返したような跡もある。

「ひどいもんんだ」

私が思わずそうつぶやくと、

「ああ、放置すると、もっとひどいことになる」

とリーファ先生が苦虫を嚙み潰したような顔でそう言った。

森の恵みは村の生命線だ。

もし、森の浅いところでこんなことになれば村人の生活はあっと言う間に立ち行かなくなる。

村長としては見過ごせない。

…いや、村長としてだけではない。

森に生きる冒険者としても見逃せないし、この世界に生きる一人の人間としても見逃せない。

こんなにも美しいこの世界になぜ魔獣などというけったいなものがいるのか。

時々、そんな答えのわからない疑問を抱くことがある。

しかし、それは考えても詮無きことだろう。

沸々と怒りがわいてくる。

胸の奥が熱く、かつ冷えていくのを感じた。


(…いかん)

そう思って、ふと我に返る。

(少し前にローズに対してこう思ったはずだ。相手の殺気に流されず、怒りに身を任せるな。常に冷静でいることが肝要だ、と)

そう思って私は「ふぅ…」と一つ息を吐き、となりにいるリーファ先生を見た。

見れば彼女も深呼吸をしている。

私はそれを見て、

「なぁ、リーファ先生」

と声をかけた。

どうした?という顔でリーファ先生が私の方に視線を向けると、私は続けて、

「帰ったら何が食いたい?」

と聞いた。

リーファ先生があっけにとられたような、呆れたような、そんな表情に変わる。

そんな表情を見て、私は苦笑しながら、

「熊鍋はもちろんだが、帰りに鳥の一つでも狩っていってやりたい」

と言い、

「アウルの肉なら最高だ。ヒーヨはこの場合ちょっと向かない」

と続けて、ひとつ間を置くと、

「なぁ、から揚げって知ってるか?」

と聞いた。

「おいおい…」

と、リーファ先生が言う。

おそらくこんな時に何を言っているんだと言いたいのだろう。

しかし、私は構わず続けて、

「鳥の肉を一口大に切って醤油やらなんやらでしっかり下味をつけたあと、粉をまぶして揚げるんだ。きっとドーラさんが作れば最高のものに仕上がる。噛めば鳥の脂が一気に口の中に広がって、ものすごく米が進むんだ。…食べたみたくないか?」

と言った。

「………。」

リーファ先生はしばらく絶句していたが、一気に破顔すると、

「はっはっは。相変わらずだねぇ、バン君は」

と言って笑いながら、

「よし、アウルはまかせろ」

と満面の笑みでそう請け負ってくれた。

「はっはっは。頼んだぞ」

と言って私も笑う。

ひとしきり笑ったあと、私は少し真剣な表情で、

「ちなみに、マヨネーズをつけても美味い」

と止めを刺して、その冗談を終わらせた。


しばらくよだれをたらしそうな顔をしていたリーファ先生だったが、少し緊張が取れたのだろう。

落ち着きを取り戻して、

「ありがとう」

とひと言言った。

私は何も言わず、

「ふっ」

と笑って答える。

(なんともいい関係になれた)

心の底からそう思い、うれしい気持ちを抱えると、先ほどまでの怒りと焦りはどこかへ消え去っていた。


やがて窪地へ近づくと、なんとも言えない臭いが漂い始める。

私とリーファ先生は無言でうなずき合う。

私が先行して慎重に進んだ。


「…これは…」

絶句する。

先に飯を食っておくべきだった。

いや、食っていたら吐いていたかもしれない。

目を背けたくなるようの光景が広がっていた。

荒らされた土地、散らかされた餌。

そして、むさぼる豚ども。


先程忘れたはずの怒りの感情が再び頭をもたげる。

(いかん。落ち着け。そう、落ち着くんだ)

一つ深呼吸をする。

ふと横を見ると、悲しそうなリーファ先生の顔。

自然とリーファ先生の肩に手をやった。

なんの慰めになるかわからないが、そうせずにはいられなかった。

そして、勤めて冷静に、

「6匹か」

とつぶやいた。


横で深呼吸をする音が聞こえる。

「いや、出てるやつがいる。もっとだ」

と嫌な言葉が耳に入ってきた。

迷う。

どうする?

自分に問いかけてみるが、踏ん切りがつかない。

しかし、この状況を黙って見過ごすことなんてできるはずもない。

………。

横を見ると、無言で前方を見つめるリーファ先生がいた。

ふと気づく。

(このところリーファ先生にばかり頼りすぎていた。今度は私が動く番だ)

と。

そして、

「とりあえず、あれを叩く」

短くそう言った。

リーファ先生は一瞬驚いた顔で私の方を見たようだが、また、前方に目を移すと、

「ああ」

と言って覚悟を決めたようだった。


「矢と魔法でどのくらいいける?」

そう聞く私に、リーファ先生は、

「これだけ範囲が広ければ大規模魔法は難しい」

と言って、

「ある程度の傷でひるませる程度ならいける」

と答える。

「充分だ」

私はそう言うと、

「まずは突っ込む。遠距離からくれ。目をつけられたら遠慮なく背中を預けに来い。絶対に守る」

と言って魔力を練り始めた。

冷静に。

丁寧に。

慎重に。

心を消していく。

怒りも憎悪も殺気もすべて。

ただただ無に。

暗く沈んでいく自我を追いかけていくとどこかで声が聞こえたような気がした。

誰のなんの声なのかはわからない。

わからないが、知っている声だ。


その声を聴いて、私はおそらく笑った。

顔の筋肉がそう動いたような気がする。

(…そうだ。守る。そして、帰る。あのトーミ村に)

覚悟を決めると不思議と冷静になれた。

背嚢を置き、立ち上がると、なんの構えもなく、ただ悠然と窪地の方へと歩いていった。


どのくらい歩いただろうか。

おそらくやつらが察知できる範囲に入ったのだろう。

殺気を感じた。

それを受け流す。

歩を進めると、不意に空気が動いた。

(来る)

直観で右に動いた。

地面をたたく音がする。

後ろから魔力を感じた。

リーファ先生だ。

頭上で汚い声がまき散らされる。

横なぎに払った。

やや硬いか?

そう思ったが振り切る。

おそらく足だ。

(始まった)

斬ったものの横をすり抜けるように移動すると振り返って袈裟懸けに斬る。

左斜め後ろに飛び退さった。

退きながら一閃。

(浅い)

横合いから空気が動くのを、腰を落としてかわすと頭上で、

「ブンッ」

と音がした。

気にせず突っ込んでそのまま斬り抜ける。

また汚い声がした。

いくつかの気配が近づいてくる。

私もそちらへ足を向けた。

迷いはない。

遠慮なく踏み込むと、また私の横を魔力がすり抜けた。

一瞬空気が淀む。

(ひるんだ)

一歩踏み込んで袈裟懸け。

斬ったものが倒れこんでくるのを避けて返す刀で突き刺した。

素早く抜いて後ろへ振るおうとすると、不意に気配を感じて左腕でしのぐ。

肘の先あたりに何かが当たった。

衝撃が走る。

(…ちっ!)

一瞬痛みがあったが構わずさらに踏み込んで右手一本で上段から振り抜いた。

おそらく手。

肘の下あたりを斬ったはずだ。

飛び退さって返す刀で次はわき腹。

手応えを感じて斬り抜ける。

いくつかの魔力がまた飛んでいった。

突っ込む。

そう思った時、胸騒ぎがした。

急いで引き返すと回り込んでいるヤツがいる。

「背中を預けろ!」

そう叫んだ。

私の背後からも追ってくるヤツがいる。

リーファ先生の姿が見えた。

間に合え。

そう思った瞬間、リーファ先生に迫っていたヤツがよろめいた。

すかさず突っ込んでリーファ先生を背後にかばう。

「後ろを頼む!」

私がそう言うと、魔力が飛ぶ気配がした。

(よし)

そう思って遠慮なく前に突っ込んだ。

どこになにをどうされたのかは知らないが、うずくまっているヤツの首を刎ねる。

そのまま飛び退さると、リーファ先生の横を通り抜けて腹を抑えて動けないでいるヤツの足を横なぎに斬り抜けた。

倒れたヤツの背中に飛び乗り、迷わず心臓に刀を突き刺す。


ふっと、あの現実に引き戻されるような感覚に陥って戦いが終わったことを悟った。

気が付くとリーファ先生が泣き笑いのような顔で私を見つめている。

「ただいま」

なぜだろうか。

そんな言葉が口を突いて出てきた。


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