翌朝。
今日は忙しくなる。
そう思って、簡単なスープで朝食を済ませ、さっそく昨日の予定通りに歩を進める。
しかし、結論から言うと、空振りだった。
どこにも痕跡が無い。
最後に見た地点でどうするか話し合った結果、これ以上北に行っても結果は同じだろうという結論に至った私たちは、少し南へ戻り、一つ前に見た崖がえぐれたような場所に着くとそこで野営にした。
とりあえず晩飯を作る。
今日はほうとうにした。
正確にはほうとうっぽいものだが、ドーラさんが打ってくれた平打ちの麺を乾麺にしたものがある。
具は乾燥野菜と茸、軽く塩抜きしたソルの干物で、味付けは味噌。
ここ最近肉が続いたから、今日は少しあっさりしたものが欲しくなっていた。
「いいねぇ。ちょうどそういう気分だったんだよ」
とリーファ先生が言う。
どうやら同じことを考えていたらしい。
2人してふーふーやりながらずるずると麺をすする。
食い終わると、2人とも、
「ふぅ…」
と言って空を見上げた。
(そういえば、この世界に星座って概念はないな…)
なんとなくそんなことを思っていると、
「茶を頼んでいいかい?」
というリーファ先生の声でふと現実に戻った。
薬草茶をすすりながら明日の予定を立てる。
「森に入るか?」
私がそう聞く、というよりも確認すると、
「そうだね」
と言ってリーファ先生がうなずいた。
「森の中に洞窟は?」
と聞くリーファ先生に、
「いや、わからん」
と正直に答えると、
「じゃぁゴブリンがいそうな場所に検討はつくかい?」
と聞いてきた。
私は一瞬「ん?」と思ったが、
「それなら、この辺りか…それともこの辺りだろうな」
と言って2か所ほどを地図上で示し、
「まず1か所目は谷合で渓流がある。川沿いには崖地もあるから住処になりそうなくぼみか穴くらいはあってもおかしくない。50程度の規模ならいけるはずだ」
と言って、1か所目の状況を説明すると、リーファ先生は、軽くうなずいて続きを促す。
「次に2か所目だが、最初の地点からそんなに離れていない。歩きで数時間ってところだな。そこは谷が埋まったような地形のくぼ地で木もまばらだし割と開けている。多少雨風にさらされることを除けば近くに沢もあるから水にも困らない。おそらく100位の集団なら十分に入るはずだ」
と言って、私が2か所目の特徴を説明すると、
「そこが臭いね」
と言って、リーファ先生が私の方に視線を向けた。
「じゃぁ、一気に奥を目指すか?」
そう言う私にリーファ先生は、
「いや、一応1か所目も見てみよう。ひょっとしたら小さな集団くらいならいるかもしれない」
と言って、慎重に行動するよう促す。
(少し気がせいていたらしい。私らしくもないことだ。やはりリーファ先生がいてくれて良かった)
そう思って反省し、
「そうだな、少し焦っていたようだ。ありがとう」
と言った。
「はっはっは。なにたいしたことじゃないさ」
と言ってリーファ先生が笑う。
おそらく照れ隠しだ。
やはりこの人の根本はかわいらしい。
そんな若干失礼なことを考えて私も微笑んだ。
「おいおい。なんだい?ちょっと馬鹿にされた気分だぞ」
と言って、リーファ先生がむくれる。
「いや、そんなことはないさ」
と言って私はごまかした。
「うーん。なんだか釈然としないが、まぁいいさ。ともかく明日も早い。さっさと寝よう」
と言って、リーファ先生はそそくさと寝袋に包まる。
私もいつものようにブランケットを取り出して適当に包まった。
ゴブリンもオークもいないに越したことはないが、いると思って行動しないとケガをする。
因果なものだ。
そんなことを思いつつ、明日に備えてゆっくり休んだ。
そろそろ起きるかと思ったその時、コハクとエリスが小さく鳴いた。
臭い。
おそらくゴブリンだ。
(…なぜこんなところに?)
一瞬そう思ったが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
素早く立ち上がるとリーファ先生を守れる位置に移動する。
コハクとエリスも寄ってきた。
寝袋がもぞもぞと音を立てたのでおそらくリーファ先生も起きたのだろう。
魔力を練りつつ気配を読む。
(数は…。少ない…。なんだ?)
違和感しかない。
さらに集中を高めて気配を読む。
おそらく狙いはコハクとエリスだ。
暗がりに乗じて襲うつもりだったんだろう。
(目に頼っていたら危ない…)
そう思って目を閉じた瞬間、空気が動いた。
(上!)
一気に刀を抜き放ち、斬り捨てる。
(次は左か!)
と思った瞬間、
「ノック」
という声が聞こえて左側の気配が揺らいだ。
(よし!)
一気にかたをつける。
踏み込んで横なぎに刀を振るう。
返す刀で袈裟懸け。
重心を少し右に移して、下段から跳ね上げる。
(次!)
左の気配に向かって袈裟懸けに斬った後、さらにその左側に突きを放つ。
素早く抜いてくるりと回ると、真後ろを横なぎに一閃した。
すべての気配が消える。
どうやらこれで全部らしい。
「ふぅ」
と小さく息を吐きつつも辺りを油断なく観察する。
ふいに私の影が伸びた。
リーファ先生が灯りをつけてくれたらしい。
灯りを頼りに辺りを見回すが、先ほど斬った個体以外に姿は見えなかった。
今度こそほっとして息を吐く。
刀に軽く拭いをかけ、鞘に納めようとしてふと思った。
臭い。
とりあえずその場に刀を置いて斬り捨てたゴブリンを集める。
「すまん、焼いてくれないか?ちょっと臭いを取ってくる」
リーファ先生にそう言って私は、近くの水場へと向かった。
コハクとエリスもついてきた。
美味そうに水を飲んでいる。
私は2人の邪魔にならない場所で先ほど拭いをかけた布を軽く洗い刀を拭いて鞘に納めると、防具に着いた返り血をぬぐった。
返り血はそれほど浴びていなかったから、それほど臭いもしないだろうが、それでも一応、防具を嗅いでたしかめた。
いつもの汗臭さを除けば不快な臭いはない。
コハクとエリスが水を飲み終えるのを待ってリーファ先生のもとへ戻った。
焦げ臭いにおいがすると思ったら、リーファ先生の視線の先には消し炭があった。
「お帰りバン君」
何事もなかったように挨拶をするリーファ先生に、私もあえて何事もなかったかのように振舞って、
「どう見る?」
と聞く。
(この人の魔法にいちいち驚いていたら身が持たん)
私がそんなことを思っていると、リーファ先生は、
「急いだほうがいいかもしれないね」
とだけ答えたので、私は、リーファ先生の真剣な表情を見て、これは本当に深刻な事態になっているんだろうと感じ、
「…そうか。とりあえず、移動しながら聞こう」
と言って、私たちはようやく白み始めた空の下森へ向かって出発した。
馬上で行動食と干し果物をつまみながらリーファ先生と話す。
「ヤツらははぐれか?」
私がそう聞くと、リーファ先生は、
「いや。おそらく逃げてきたんだろう」
と、意外な答えを返してきた。
「もしかして…オークからか?」
恐る恐る私がそう聞くと、リーファ先生は、厳しい顔で、
「ああ」
と短く答える。
「…襲われたのか」
私は一瞬だけ暗澹としたが、
(いや、リーファ先生がいるじゃないか)
と思って、なんとか気持ちを立て直した。
(しかし、この状況はまずい。オークはもうすぐそこまで迫っている。もうあと一歩遅ければ、と考えると恐ろしい。やつらが森を進行すれば、魔獣が森の浅いところに移動する。そうなれば、薬草やら果物を採取しに森に入る冒険者はもちろん、狩りをする炭焼きの連中にだって被害が及びかねない。そんな事態が目の前に迫っていたとは…)
私がそう考えていると、
「昨日の襲撃してきたのはオークから逃げ延びた残党だろうね。でなきゃあんな無茶な狩りはしかけてこない」
とリーファ先生は言って、
「おそらく2,3日前ってところじゃないかな?あのゴブリンが襲われたのは。」
と続けた。
私が、
「…そうか。オークがすでに別の場所へ移動している可能性は?」
と言ってリーファ先生の見解を聞くと、リーファ先生は、
「…五分五分だね。ただし、その窪地からそう遠くへは行っていないはずだ。ヤツらは無駄に図体がデカい分追いやすい。探すのにそう手間はかからんよ」
と教えてくれた。
私が少し考えて、
「よし。急いで窪地に向かおう。何もなければおそらく昼には着くが…。日が暮れれば不利になる。無理は避けよう」
と言って、これからの行動方針を決めると、リーファ先生も、
「そうだね。慎重にいこう」
と言ってその意見に賛同してくれた。
足早に1時間ほど進むと、草原の端にたどりついた。
少し辺りを見回すと、少し離れたところに小さな水場があるのが見える。
私とリーファ先生は顔を見合わせると、うなずき合った。
私は、
「よし、あの水場へ行ってくれ」
と言ってエリスに指示を出す。
馬たちは一瞬不思議そうな顔をしながらも、素直に指示に従って歩き出した。
やがて水場に着くと、その場を観察する。
小さいがきれいな水が湧き出る水場。
辺りは草地だし、身を隠せる程度の大きな岩もある。
心配なのは雨風だが、少し歩けば森があるからよほどのことでもない限りやり過ごせるだろう。
そんな判断をした私は、一度リーファ先生に視線を送り、リーファ先生がうなずいたのを確認してから、
「コハク、エリス。2人はここで待っていてくれ」
と言った。
「「ひひん!」」
予想通り2人は抗議の声を上げる。
コハクは少し怒っているし、エリスは悲しそうだ。
そんな2人をなだめながら、私は、
「ここからはいくらなんでも危険過ぎる。ここなら安全だ。しばらく待っていてくれ」
と言う。
エリスの方はうなだれながらも仕方ないとあきらめてくれたようだ。
しかし、コハクは、
「ひひん!」(わたしはいける!)
と言ってまっすぐな目で私を見てきた。
私は、そんなコハクを撫でながら、
「ああ。コハクなら大丈夫かもしれないな。でもわかってくれ、エリスは誰が守るんだ?」
となるべく優しい言葉で、諭すように微笑んでそう言う。
そう言われたコハクは、
「ぶるる…」(わかるけど…)
と鳴いて、ちょっとだけごねるそぶりを見せたが、
「…ぶるる」(…わかった)
と言って、最後には納得してくれた。
「すまんな…。3日だ。3日以内には戻ってくる。…もし、それ以上経っても戻ってこなかったら村に行ってくれ。ズン爺さんならちゃんと対応してくれるはずだ。いいな?」
私がそう言うと、2人とも泣きそうな顔になった。
そんな2人に、私ができるだけ優しい顔で、
「大丈夫だ。マリーが守ってくれている」
と言って、手首に巻き付けた組紐を見せると、一瞬2人の泣き笑いのような感情が伝わってくる。
「ぶるる…」(うん。まってる…)
と言ってコハクが言うと。
エリスも私に顔をこすりつけてきて、
「ぶるる」
と鳴いた。
そんな2人をひとしきり撫でると、私は2人に向かって、
「そろそろリンゴが旬だ。帰ったらみんなで食べよう」
と笑顔でそう言った。