エインズベル伯爵をお迎えするという大きな仕事を終え、緊張から解放されたからだろうか?
私はなんとなく脱力してしまい、役場へ向かう前にドーラさんにお茶を淹れてもらう。
アレックスには悪いが、今の私は使い物にならないだろう。
少しは気分を整えないと、と思い、少しだけサボらせてもらった。
少し遅れて役場に着くと、仕事中のアレックスに、
「すまん、遅くなった」
と言って謝る。
「いえ。かまいません。とりあえずひと段落といったところでしょうから、ゆっくりされてください。なんなら休みでも構わないくらいです」
とアレックスは言うが、
「そういうわけにもいかんだろう…」
と言って、とりあえず書類に目を通す。
それがひと段落したところで、
「もういいですよ」
とアレックスが言ってくれたので、とりあえず私は目の前の問題である例のウサギの状況を聞きにギルドへと向かった。
ギルドに着き、私がカウンターで仕事をしているサナさんに、
「やぁサナさん。アイザックのやつは空いているか?」
と声を掛けるとサナさんは、
「こんにちは、村長。例のウサギの件でしたらあらかたの状況を把握して報告してあります。どうぞ」
と言って案内してくれた。
私がギルドマスターの執務室へと入っていくと、アイザックはのんびりと書類を眺めている。
私がいつものようにソファに腰かけ、
「よう。書類仕事は無事に終わったようだな」
と、少しからかうようにそう言うと、アイザックは、
「ああ、まったく…。大変だったぜ」
と言ってげんなりとした顔をし、
「で、今日は…ああ、例のウサギの件か。ちょっと待ってくれ、たしかこの辺に資料が…。ああ、あった、これだ」
と言って、何枚かの紙が閉じられたファイルを私によこしてきた。
「ありがとう。見せてもらうよ」
そう言って、私がその資料を見ていると、
「失礼します」
と声がして、サナさんがお茶を持ってきてくれ、
「どうぞ。ウサギの増加地点はいくつかあるようですが…」
と言って、サナさんは戸棚から地図を取り出すと、机の上にそれを広げ、例の草地がある地点を示しながら、
「特に報告があったのはこの辺りです。数か所に比較的規模の大きい巣穴が確認されています」
と言って簡単に概要を説明し、いつものように淡々とした口調で、
「失礼します」
と言って、執務室から出て行った。
「まぁ、そういうことだ」
と言ってアイザックはおざなりに概要の説明を終えたので、私は、
「おいおい…」
と言って、アイザックのその適当な説明に少しあきれながらも、
「で、お前の見解は?」
と訊ねる。
するとアイザックは、
「なんとも言えんな…。ただ釈然としねぇ。…ただ、その先、この辺りにはまだ調査を入れてない。ガキンチョどもを行かせるには危険すぎるからな」
と言って地図を示した。
「そいつは気になる…」
私は、それを聞いて妙な胸騒ぎを感じたが、理由まではわからない。
いわゆる勘というやつだ。
当たるか外れるかは五分五分。
信用しすぎてもいけないし、信用しなさすぎるのも良くないだろう。
しかし、アイザックの言うようにただただ釈然としない感覚だけが胸に引っかかった。
「その先の草地に…、例えば鹿型のディーラが出たとしても、ウサギはそこまで移動しない。草食のディーラは脅威じゃないからな。ウサギがおびえると言ったら…アウルかキツネだな」
そう言う私に、向かってアイザックは、
「ヒーヨの可能性はどうだ?」
と聞いた。
しかし、私は、顎に手を当て、
「いや、ヒーヨは無い。あいつらはウサギを相手にしない」
と言って目の前の地図をじっと見つめる。
(なにか見落としは…)
と思って私は考え込み、他に何か可能性はないだろうかと思って少し話の方向を変えてみた。
「そう言えば、街道に狼が出たんだったな?」
と言って、アイザックの方へ視線を向けると、
「ああ。5匹ばかりな。どうも食いっぱぐれた若者の集団だったらしい」
「なるほど…」
アイザックのその言葉に私はまた考え込む。
(単に縄張り争いに負けたか…。いや、ウサギが増えてるんだったら、狼は餌に困らない。すると、たまたまか?)
「…そっちもわからんな」
結局私はそう言って、天を仰ぐと、
「ふぅ…」
と息を吐いた。
「すまん、もう一度考えを整理させてくれ」
私は視線を戻してアイザックへそう言うと、
「ああ、かまわんが、森と魔獣に関してはお前の方が詳しい。俺にわかる範囲ならいいが…」
とアイザックは少し自信なさげにそう言う。
「いや、ギルマスとして常に情報に触れているんだ。もしかしたらその中にヒントがあるかもしれん」
そう言って私がギルドの情報に何かあるかもしれないと言うと、
「まぁそうだな」
と言ってアイザックは立ち上がり、書類棚から何冊かのファイルを持って来た。
「ここ数カ月の情報だ。中堅どころからの報告も入ってる。サナからは特に異常はないと報告を受けてたが、見落としがあるかもしれん。なにせ、あいつは冒険の経験はないからな」
とアイザックはぱらぱらとその書類をめくり、
「討伐数でみると…、ウサギの数が増え始めたのは…3か月くらい前からだな。最初は1割程度の増加だから普段と差はねぇと思ったんだろう。すまん、俺も気にしてなかった」
と言う。
「いや、1割程度なら書類上はわからんさ。それに報告してきたのは初心者なんだろ?だったら現場の異変に気が付かなくても不思議じゃない。お前が謝るほどのことじゃない」
私がそう言うと、
「そう言ってもらえると助かる。今後はもう少し新人教育に力を入れよう」
と言って、頭を下げた。
「気にするな。で、他には?」
そう私が続きを促すと、
「ああ、エイクは例年通りだな。…強いて言えばディーラが少ないか?まぁあいつらの住処はもっと奥だから別におかしなことじゃない。ただ、この時期ならたまにいてもおかしくないが…」
と報告書をめくりながら言う。
「そいつはちょっと引っ掛かるな。確かにおかしなことじゃないが…。中堅連中からなにか気になる報告がないか?」
私がそう聞くと、アイザックはまた書類をめくりながら、
「いや、特に…」
と言いかけて、
「ん?」
と何かに気が付いたようだ。
「どうした?」
私が訊ねると、
「…魔獣じゃねぇが、獣がちょいと少ねぇ。と言ってもそれほどじゃねぇから、本人たちも『今回は運が悪かった』くらいにしか思わない程度だ」
と言って首を傾げる。
私もその点が少し気になって、
「何が少ない?」
と聞くと、アイザックは適当な紙切れに数字をメモしながら、
「鹿とキツネ、あと狼もだ」
と言った。
私は、狼というのが引っかかって、
「狼が減っていれば、鹿はそんなに減らないだろうが…。それとも、すでに鹿を食いつくして他に移動…なんてことはないな。森に鹿は狩りつくせないほどいる…。それにキツネが減ればウサギが増えるのはわかるが、そもそもなぜキツネが減った?」
と私が次々に疑問を並べていくと、アイザックも、
「そうだな…」
と相槌を打って、私たちはまた考え込む。
2人して考えることしばし。
アイザックが、
「ゴブリンか?」
と言った。
たしかにゴブリンなら鹿を狩る。
すると狼の餌が少なくはなる。
しかし、それが狼の減少につながるかといえばそれは考えにくい。
それにキツネだ。
キツネが減っている理由がわからない。
キツネを狩るのは獣では狼くらいだ。
狼とキツネが同時に減っているのはなぜだ?
そう思った私が、
「豹型のヌスリーやサルバンと虎型のジャールが同時にそれも近くに縄張りを作って出てきたか?それなら鹿もキツネも減ってウサギが増えるし、狼が食いっぱぐれて街道まで出て来るのも説明は付くが…」
と言うと、アイザックが、なんとも半信半疑と言った顔で、
「…虎と豹?」
と言った。
だが、私は、
「…いや、少し強引だった。そういう状態になるには、豹と虎がけっこうな数出てこないと間尺にあわない」
と言って、すぐに自分の説を否定し、また考え込む。
しばらく、2人して考えていたが、結局有効な答えは出てこない。
(このままここで考えていても埒が明かん…)
私はそう思って、
「…こればっかりは実際に見てみないとわからんな。とりあえず、早めに調査に行ってくる。都合が付けば明後日には出発しよう」
と言った。
すると、アイザックは、
「すまんな。いつもお前に頼りっきりだ」
と言って、申し訳なさそうな顔をするが、私は、
「いや、気にするな。村のために働くのが村長の仕事らしいからな」
といかにも気軽そうに、笑顔で答えてやった。
「…うちが中堅どころを常に抱えていられるほどデカいギルドだったらこんなことには…」
とアイザックはまた申し訳なさそうな顔をする。
私は、今度は苦笑いをしながら、
「おいおい、そいつはお前の責任じゃない。この村を冒険者が居つくような村にできていない私の責任だ。だから今回も自分のケツを自分で拭きに行くってだけのことだ」
と言い、
「そういうことだから気にするな」
と言って、後ろ手に手を振りながら、ギルマスの執務室を出て行った。