トーミ村を発ったジード一行は森の中を進んでいた。
「はぁ…」
とため息を吐いて、ジードは、
「リディが家を出て行ったのはいくつの時だったかな」
とジークとルビーのどちらともなくそう訊ねた。
「たしか、70歳を少し過ぎたころかと」
とルビーが答える。
「そうだったな…。もう100年以上か…。昔はたまに帰って来てくれたんだけどねぇ…」
と言ってジードはまたため息を吐き、
「あの子は昔から自由な子だったから、なんとなく覚悟はしていたけど実際に出て行かれた時はたまらなかったよ…」
と言った。
「陛下が立ち直られるのに季節が一巡りはしましたでしょうか?」
とルビーが当時を思い出しながらそう言うと、
「いや、もう少しかかった」
とジークが訂正する。
「そうだったか?」
とジードがまるで他人事のように言うと、
「ええ、さすがに公太子殿下もあきれておいででした」
ジークはそう答える。
「え?そうだったのかい?」
と、またジードが他人事のように言うと、ジークが、
「はい。予算処理に追い回されながらこぼしていらっしゃったのをよく覚えております」
と答えた。
「そうか…。それは悪いことをしたな。帰ったら孫に飴でも買ってやるついでに謝りに行こう」
と言って、ジードはまたため息を吐く。
そんなジードの様子を見て、
「陛下。あまりため息ばかり吐くと精霊に嫌われますよ?」
とルビーが窘めた。
ジードは、
「そんな迷信を…」
と言って、渋い顔をしたが、
「それにしても」
と言って話題を変えた。
「すごかったね。バン君は」
そう言うジードに対してジークは、
「はい。ヒトがあの領域にまで到達するのは稀かと」
と答える。
「ああ。リディが興味を示すのも納得だよ。…報告ではやたらと強いようだが変わり者。縛られることを嫌う傾向にあるって書いてあったのに、いきなり貴族になって辺境の最前線で村長になったっていうからついつい警戒してしまったけど…。本当に変わり者だったね」
と言って、ジードは苦笑した。
それに対してジークは、
「ええ、最初は王国に何か思惑でもあるのかと思いましたが、杞憂だったようで何よりです。しかし…」
と言って言葉を切った。
すると、ジードは、ひとつうなずき、
「ああ。西の辺境伯辺りは興味を示しているようだね。…まぁクルシウス殿がなんとかしてくれると思うが、念のために情報は集めておこう」
といかにも為政者らしくそう言う。
「かしこまりました。少し草をはやしておきましょう」
と言った、ジークに、ジードは、
「いや、少し種を蒔く程度でいい。刺激するのは良くない」
と言った。
「御意のままに」
とジークが短く答えてその会話は終わる。
すると、そばでその会話を聞いていたルビーが、
(また諜報の方々はお忙しくなられるのですね…)
と思いながら、
「相変わらず、政の会話というのは味気ないものですね」
と言いながら苦笑する。
するとジードも、
「そうだね」
と言ってうなずき、
「リディには見せたくない世界だよ」
と言って苦笑した。
しばらく進むとぽっかりと空いた草地に出る。
ジードが、
「さて、昼にしようか」
と言うと、
「かしこまりました」
と言って一行は馬から降り、ルビーがさっそく準備を始めた。
ジードが、
「昼はドーラさんが作ってくれたんだったね。なにかな?」
と聞くと、ルビーが、
「ガーのローストとピクルスのサンドイッチだとおっしゃっていましたよ」
と答え、
「ほう。そいつは楽しみだ」
とジードがにこやかにそう言う。
すると、ルビーは、冗談めかして、
「はい。あの方のお料理は格別でございます。なにか魔法でもお使いになっていらっしゃるのでしょうか」
と言ったが、それに対して、ジードは、少しだけ真剣な表情で、
「…もしかしたら、その線はあるかもしれない。彼女の料理はまるで食材の魔素の流れを読んでいるかのような巧妙さで作られている。まぁ本人がそれを意識して使っているとは思えんが…。ともかくその可能性も考慮しておいて損はないだろう」
と言った。
「まぁ…。では、あの村に送るメイドは魔力操作の素質があるものにいたしませんと」
とルビーが言、それを聞いたジードは、少し笑いながら、
「そうだね…。候補はいるかい?」
と聞いた。
ルビーは少し考えたが、
「確か、料理見習いにルシェルロンド男爵家の次女でシェルフリーデルという者がおります。それが適任かと」
と答える。
すると、ジードは少し驚いたような顔をして、
「ほう。その娘は魔力操作の才があると?」
と聞いた。
ルビーが苦笑しながら、
「はい。彼女は魔導院の騎士科をかなりの成績で卒業しております。しかし、なぜか料理人の道を志した変わり者です」
と答えると、ジードは、
「…それはまた変わり者だね」
と言って、笑い、
「で、料理の腕前は?」
と聞いた。
ルビーは、料理長曰く、と前置きしたうえで、
「まだ若く経験は少ないですが、まかないで作るスープが美味しいと評判の娘です」
とにこやかに答える。
「そうか、変わり者の男爵の家に変わり者のメイドか…。よし、戻り次第さっそく打診してみてくれ。面白いことになりそうだ」
と言ってジードは笑った。
「はい。闊達で向上心の強い子らしいですから、きっと喜ぶかと…」
ルビーも笑顔でそう言ったがそれを突然ジークが手で制し、ジードの前に出ると剣に手をやった。
だが、ジードは何気ない態度で、
「いいよ」
と言う。
ジークは、
「はっ」
と短く言って剣から手を放すと、ジードの後ろに控えた。
ジードが左手をすっと出すといつの間に用意したのか、ルビーがその手に弓を差し出す。
ジードはそれを見ずに受け取ると、矢もつがえずに構え、何事かつぶやいて矢を射るような動きをした。
すると、茂みの奥で何かが落ちる音がする。
ジークは素早くその音の方へ行くと、しばらくしてから戻ってきて、
「お見事です」
と言って、少し小さめのアウルを差し出した。
「サンドイッチを横取りしようとでも思ったのか…」
とジードが言うと、
「おそらく」
とジークが答えた。
ジードが、
「今晩は串焼きかな?」
と言うが、
「陛下。これはスープの方が良うございます。骨ごと煮込むといい出汁がでますので」
と言ってルビーは微笑んだ。
「そうだったね…。昔、リディがよく取ってきてくれたのをそうやってみんなで食べたものだ…」
とジードが懐かしそうな顔でそう言うと、
「はい。覚えたての弓でよく狩ってこられました」
とルビーも懐かしそうな顔でそう言う。
ジードは少し寂しそうな顔で、またため息を吐くと、
「あの子は昔から弓が上手だったね。いつかまた一緒に森を散歩したいものだよ…」
と呟いた。
その数日後。
帰りの馬車の中で、クルシウス・ド・エインズベルは「ふぅ」とひとつ息を吐いた。
「お嬢様がお元気になられて本当にようございました」
同乗しているメイド長がそう声をかけると、クルシウスは、
「ああ、本当に良かった。まさしく奇跡だ」
と言って嬉しそうに笑う。
しかし、すぐにその表情を引き締めると、
「…公女殿下であらせられたか…」
と言ってため息をついた。
「強敵でございますねぇ」
メイド長がそう言うと、
「ああ…」
と言って、
(マリーが恋か…。喜ばしいことだが、父としては複雑だ)
と思って苦笑いする。
しかし、すぐにまた思考を切り替えると、
(これで私はエルフィエル大公国には返しきれない借りを作ってしまった。大公陛下のお人柄からして、今すぐどうこうということはないだろうが…さてどう立ち回ったものか…)
と、いかにも外務卿の補佐役を務める人物らしいことを考える。
すると、
「旦那様?」
と言って、メイド長が声をかけ、
「何かご心配ごとでもございますでしょうか?」
と心配そうに見つめてきた。
クルシウスは、
「いや、なに。たいしたことじゃない」
と返したが、
(さて、考えるべきことは多い)
と思って、また少しため息を吐く。
(まずは、公女殿下のことは絶対に隠し通さなくてはいかん。バレれば、公女殿下はこの国に居づらくなる。…マリーを悲しませるわけにはいかんからな)
と考えてまた心の中で苦笑し、次に、
(それにあの治療法だ…。あれは慎重に扱わねば利権が絡んでくる恐れがある。厳に口止めをしておかねば…。あれは人類全体の財産だ。このことがバカな貴族に悟られないよう、しばらくはマリーの容体も伏せる必要があるな…。仮にあの治療法を広めるとなった時は、大公国側と協議になろうが…)
と考え、
(あとはバンドール・エデルシュタット男爵のことだ…。大公国が何を考えていたかはなんとなくわかる。当面、私にできることは、彼の平穏を守ることくらいか…。いや、それはなんとしても守り通さねばなるまい。マリーのためだ…)
とそこまで考えたところで、結局は国策よりも娘が大事なのだと気が付き、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
(さて、また忙しくなる…。しばらくはマリーに会えないな)
と思うと、急に寂しさが湧いてきた。
自然と少し表情が曇っていたのだろう。
そんな主人の気持ちを察した、メイド長は、
「次、マリーお嬢様にお会いになられる時にはきっと自分の足で歩けるくらいに回復してらっしゃいますよ」
と優しく声をかけてくれた。
その言葉にクルシウスは、
(そうか。あの子もついに自分の足で歩けるようになるのか…)
と思い、その言葉から、元気になる娘と自分から巣立っていく娘の両方を想像した。
すると、またメイド長が声をかけてくる。
「しかし、エデルシュタット男爵というお方は面白いお方でございましたねぇ」
といかにもおかしそうに笑い、
「ああ、そうだな。いろいろな意味で規格外の御仁のようだ」
とクルシウスもまた笑いながらそう答えた。
それに対して、メイド長は、
「ええ。そうですね」
と言って、主人の意見に同調し、
「私に政治向きのことはわかりませんが、きっと上手くいくように思いますよ」
と言った。
「ほう、どうしてそう思う?」
とクルシウスが素直に聞き返すと、メイド長は、
「何の根拠もございませんが」
と前置きしたうえで、
「マリーお嬢様が見込まれたお方ですので」
と言って、
「うふふ」
と笑った。
そう言われてクルシウスも、
(そうだな。きっと彼なら大丈夫だろう。エデルシュタット男爵の自由の翼は貴族の鳥かごで囲っておけるほど小さくはない。いざとなったらマリーを連れて羽ばたいていってくれるはずだ…)
とふとそんなことを思い、
「そうだな」
と言って笑った。
馬車は順調に進み、景色は緩やかに流れていく。
そんなのどかな車窓を眺め、クルシウスは、
(なるようになるさ)
と心の中でつぶやくと、
「さて、帰ったらまずエデルシュタット男爵への返礼品を揃えなければな」
と言った。
「そうですね。お立場上お土産を持っていくわけにはまいりませんでしたから、お礼は何か良いものを差し上げませんと」
とメイド長もうなずく。
「さて、何がいいだろうか…。馬では大公陛下と同じになってしまうし、武具の類も不要だろう…。装飾品の類は…もっと不要だな」
と言ってクルシウスが悩んでいると、
「食べものがようございますよ」
とメイド長が言った。
すると、クルシウスは目からうろこ、という顔をして、
「はっはっは。そうであったな」
と言って笑い、
(さて、これから送る食材をドーラさんはどんな料理に生まれ変わらせるのだろうか?味わえないのが残念だ…)
とそんなことを考えてクルシウスは苦笑し、また車窓を眺めながら返礼品として送る食材のことを考え始めた。