昨日、マリーと再会した。
ようやくだ。
この日をどんなに待ち望んだことだろうか。
いや、こんな日が来るとは思っていなかった。
父として、恥ずべきことだ。
そう思って、少し重たい気分で朝を迎えた。
メイド長の手伝いで身支度を整えると、朝食をとる。
マリーとは別だ。
まだ、一緒に朝食をとれるほどには回復していないらしい。
だが、聞けば少しずつ食べられるものが増えているのだとか。
パンやクッキーも少量なら食べられるようになったという。
それに、この村を含む辺境でよく食べられている米を緩く煮たおかゆも食べているそうだ。
肉はまだ無理なようだが、果物はよく食べるし、卵も工夫すれば口にできるまで回復したと手紙に書かれたているのを見た時には涙が止まらなかった。
ちなみに、その時、送られてきた手紙に添えられていたハンカチは額に入れて飾ってある。
もったいなくて、とても涙を拭くのには使えなかった。
朝食を終えたころ、リーデルファルディ先生がいらっしゃったと聞き、挨拶に伺う。
丁寧に礼をとろとすると笑顔で断られた。
なんでもそういう堅苦しいのは苦手だという。
デボルシアニーという家名は聞いたことが無かったが、エル・ファストとつくのだから貴族であることは間違いないのだろうに、なんとも気さくな方だ。
どことなく聞き及んでいたエデルシュタット男爵の人柄とよく合うような気がする。
聞けば診察はいつも午前中に行うそうで、午後は調子がよければ一緒におやつを食べるという。
マリーがおやつを食べると聞いてまた泣きそうになった。
そんな私の表情を見たリーデルファルディ先生は微笑み、
午後はゆっくり話すといい。
どうせバン
と言ってくださる。
貴族としてはどうかと思うこともなくはないが、そんなことよりもその人としての気遣いがうれしかった。
どうやら当初聞いていたよりもバンドール・エデルシュタット男爵という人物は良い御仁らしい。
そう思うと顔が自然と綻ぶ。
そんな私を見て、リーデルファルディ先生はまた少し微笑むと、さっそく診察へと向かわれた。
私はリビングでそわそわと時間を過ごす。
自然に囲まれた庭の景色は素朴ながらも美しく、窓から差し込む光は柔らかい。
良いところだ、と思いながら景色を見ているとメイド長が本を勧めてくれた。
読書と言う気分ではなかったが、よく見るとそれは絵物語だった。
マリーが小さい頃好きだった本だ。
確か剣士が悪い竜を退治する話で、普通の女の子が好むような内容じゃないが、どうやらマリーはその英雄が世界中を巡り歩く姿にあこがれを抱いたらしい。
いつか元気になったら旅行に連れていってくださいね。
と言って、微笑んでいたのを思い出す。
病気さえなければ、やんちゃな子に育ったのかもしれないな、そう思って苦笑した。
やがてリーデルファルディ先生が辞し、昼食の時間になった。
豚肉を焼いたものらしいが、周りに卵の衣が付いている。
チーズも混ぜ込んであるのだろうか?
びっくりするほど美味い。
私が驚いていると、メイド長が、
そちらのスープはお嬢様が召し上がっているものと同じだそうでございます。
と言った。
今、私はマリーと同じものを食べ、同じ味を共有しているのかと思うとまた涙がこぼれそうになる。
メリーベルが作ったというその質素な丸いものスープが私の心をこの上なく満たしてくれた。
そんな極上の昼食を残念ながら手早く済ませ、リビングに戻る。
そわそわしながら待っていると、ノックの音が聞こえてローゼリアに抱えられ、メリーベルに支えられながらマリーがリビングにやってきた。
無理をさせず私が寝室へ行こうと言ったが、マリーがリビングで一緒にお茶を飲みたいと言ってくれたのだそうだ。
どうしても私に元気になった姿を見せたいと言ってくれたという。
そんなマリーの姿を見て、もう涙をこらえることなどできなかった。
昨日と同じようにまた涙を流して抱き合う。
昨日と違うのは、お互いに笑顔が増えたことだろうか。
ややあって、少し落ち着くとメイド長が赤い目で紅茶を持ってきてくれた。
マリーも紅茶を飲む。
聞けばいつもはリーデルファルディ先生が処方してくれた薬草茶を飲んでいるそうだ。
なんでも魔素の循環を助ける成分があるのだとか。
しかし今日は、
「お父様と一緒に紅茶をいただきたかったので」
とはにかみながらそう言ってくれた。
嬉しさが込み上げてくる。
しかし、私は同時に罪悪感を抱いた。
「マリーすまなかった」
と私が言うと、マリーは少しきょとんとして、
「どうしてお父様が謝られるのですか?」
と聞いてくる。
私は言葉に詰まったが、正直に自分の気持ちを話すことにした。
「…私は逃げたんだ。勇気がなかった…。自分には何もできないことが悔しかった。日に日に弱っていくマリーの姿を見ているのがつらくて、目を背けてしまった。耐えられなかったんだ…」
うつむき、先ほどとは別の涙を流す私の頬にマリーの手が添えられた。
「お父様は、お優しい方です」
ひと言そう言う。
私はそれを否定した。
「私は…。私は、マリーを、誰よりも愛おしい我が子を看取る勇気が出なかった!弱い…弱い父親だ…」
私が、私の頬に添えられたマリーの手を取りながらそう言うと、マリーは首を横に振りながら、
「いいえ、違いますわ、お父様」
そう言って微笑んでくれる。
「お父様は、お優しい方です」
と言って、また先ほどと同じ言葉を繰り返した。
そして、マリーも泣きながら、
「お父様は私を苦しみから救おうとしてくださいました。いつも私のことを一番に考えてくださっていたのを私は知っています」
と言い、
「それに、怖かったのは私も同じです」
と言ってうつむく。
私はさらに自分の弱さを後悔した。
マリーに怖い思いをさせてしまった。
一人になったマリーはどんなにつらかったろうか。
そう考えると、たまらなくなって、
「すまない。すまない、マリー。バカで弱い父を許してくれ…」
そう言ってうなだれるようにマリーの膝に頭をつける。
しかしマリーは、
「違います。違いますわ、お父様。…私が怖かったのは、お父様につらい思いを…。自分の病気のせいでお父様を苦しめてしまうことが怖かったんです…。だから、私もお父様の愛から…逃げてしまいました」
と言って、私の頭を抱きしめた。
2人して嗚咽する。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
先に落ち着きを取り戻したのはマリーだった。
マリーは、また私の頬に手を当てて、私の顔をそっと抱き起すと、
「お父様。私、感謝しておりますのよ」
と言って、涙の中に微笑みを浮かべながら、私を見つめてそう言う。
私は、いったいこの弱い父親に何を感謝してくれたというのか、まったくわからなかったが、マリーは、
「だって、私をここへ、バン様とリーファちゃんの元へ導いてくださったんですもの」
と幸せそうな顔でそう言った。
「うふふ」
とマリーが笑う。
そんなマリーの笑顔を見て、私も微笑んだ。
いい友達ができたんだな。
そう思うと心の底から嬉しさが込み上げてくる。
しかし、その嬉しさはマリーが次に発した言葉で少しだけ打ち砕かれた。
「あのね。お父様。バン様ったらおかしいのよ。うふふ…。最初にご挨拶した時なんかとってもおかしかったわ。だって、いろんな挨拶がバラバラに入り交じっているんですもの。でも、すぐに気が付いたんですのよ。ああ、この方はまっすぐでお優しい人だって。まるでお父様みたいだわって思ってとっても嬉しかったの」
マリーは少し頬を染めながら、先ほど私に見せた顔とは違う種類の笑顔でそう言う。
「あと、バン様が教えてくださった、バンポという果物がとっても美味しくて、この間はシャーベットって言う冷たいお菓子を持ってきてくださったのよ。それにほら、ご覧になって。このブローチもその時、バン様にいただいたの。…とっても素敵でしょう?」
と言って、また嬉しそうに頬を染め、目を細めてそのブローチを見つめた。
「うふふ。バン様がとっても良く似合うっておっしゃってくださって、私うれしくって…」
それからも、エデルシュタット男爵の話とリーデルファルディ先生の話が続く。
一緒に食べたプリンという食べ物がとっても美味しかったこと。
硬いものが食べられない自分のためにエデルシュタット男爵がそれを考えてくれたこと。
エデルシュタット男爵が飼っているペットが可愛いこと。
リーデルファルディ先生がお茶目なこと。
マリーはそれをひとつひとつ大事そうに語ってくれる。
そして最後に、
「それでね。お父様。バン様ったら少し照屋さんだけど、とっても温かいお人なのよ。うふふ。私、あのお方とお話していると、とっても心が安らぐの。…でも、お帰りになる時はすごく寂しくなって…」
と言って、少しうつむき、
「うふふ。私ったら変ね」
と言って微笑んだ。
娘の恋。
それは、どんな刃物よりも鋭く、どんな花よりも美しい。
私はそう思いながら、まだまだ続くマリーの話を聞き続ける。
紅茶はすっかり冷めていた。