コハクと戯れるマリーと、それを幸せそうに見つめる伯爵の様子を少し離れたところで見守りながら、リーファ先生と話をした。
「マリーはずいぶんと元気になったな。心なしかふっくらしてきたように見えるが」
「ああ、そうだね。歩く練習も初めているけど、支えがあれば5,6歩けるようになったよ」
「ほう。そいつはすごいな。これもリーファ先生のおかげだ。もう少し時間はかかるだろうが、引き続きよろしく頼む」
私がそう言って、軽く頭を下げると、
「よしてくれよ。友達のためにやっていることだ。それに君が教えてくれた魔力操作のおかげでもあるからね…」
と言って、リーファ先生は少し恥ずかしそうにしたあと、真顔に戻って、
「しかし、もう一歩なんだ。どうも根本の治療となると難しい」
と気になる発言をした。
「…というと?」
私は、心配になってそう聞いたが、
「いや、なに。時間をかければ大丈夫だろうけど、どうもこの病気の核心部分にはまだ届ききっていないような感覚があってね。今少し考えているところさ。伯爵が帰られたら、少し魔力循環を休んで体力回復期間を設けようと思っている」
と言って、リーファ先生は、当面は大丈夫だと教えてくれた。
「そうか…」
私は、
(順調に推移していると思っていたが、やはり心配の種は残っているんだな)
と思い複雑な感じはしたが、それでも確実に進んではいるんだから、ここはリーファ先生を信じて気長に待つよりほかないだろうと思いそう答えた。
すると、リーファ先生が、
「あと、少し体力の回復期間を置いたら今度はバン君にマリーの魔力循環を試してもらいたい」
と言って私の方を見てきた。
「ん?」
私が突然のことに驚いて、リーファ先生の顔を見返すと、
「私の魔力循環はまだ君ほど完成してはいないからね。もちろん空いた時間に練習しているんだが、そう簡単には身に着けられないようだ。君も使いこなすまでには相当時間がかかったんじゃないかい?」
と言われた。
私は確かに一朝一夕にできるものじゃないなと思ったが、同時に、
「…まぁ、そうだな。しかし、私に治療のようなことができるのだろうか?」
と医者でも薬師でもない私にそんなことができるのだろうか?と思って、率直に疑問をぶつけてみた。
するとリーファ先生は、
「ああ、たぶん私よりうまくできると思うよ。しかし、それにはマリーの体力がある程度回復していないと難しいだろうから、今まで控えていたけれど、そろそろいい頃合いだろう。マリーも段々魔力操作のコツをつかみ始めているしね」
と意外なことを言って、太鼓判を押してくれた。
私はどうにも信じられないような思いがあったが、リーファ先生がそういうのだからそうなのだろうと思って、
「そうか…。ともかく私にできることならなんでもしよう。時期が来たら教えてくれ」
と言って、その役目を引き受けた。
「ああ、頼むよ」
リーファ先生はそう言って、また、コハクと楽しそうに戯れるマリーへと視線を戻した。
しばらくの間、うちの子や白馬ことコハクとじゃれ合っていたマリーだが、どうやら少し疲れてしまったようだ。
なんとなく、顔色がさえない。
私がそろそろ…と口にしようとしたところで、リーファ先生が、
「マリー、そろそろお暇するよ。急なことでずいぶん疲れただろう。今日はゆっくり休むといい」
と先に行ってくれた。
「ええ、そうね。名残惜しいけど…。また会えるものね。ありがとう。とっても嬉しかったわ。また遊びにきてくださる?」
とコハクに向かって話しかけた。
「ぶるる」
とコハクもなんとも名残惜しそうに鳴く。
私には、
(…がまんする…)
と聞こえたのだが、それはマリーも同じだったらしく、
「あらあら、そんなに悲しまないで。新しいお友達が出来て私すごくうれしいのよ。またいつでも遊びに来てね?」
と言って、コハクを慰めた。
私もできればもっと遊ばせてやりたいものだ、と思ったが、さすがにこれ以上の無理は良くないと思い、私は伯爵に向かって、
「伯爵、マルグレーテ様もお疲れのようですし、ここでいったん失礼いたします。」
「では、マルグレーテ様。またこの3人を連れて遊びにきます。今日はゆっくりとおやすみください」
と告げて離れを後にした。
一瞬、マリーが不機嫌そうな表情を浮かべたような気がしたが、きっとコハクたちともっと遊びたかったのだろう。
なんだか悪いことをしてしまったと思い、少しの後ろめたさ感じながら私たちは屋敷へと戻って行った。
その後、少し落ち込むコハクを連れて厩に行くと、うちの2人が、
「きゃん!」(コハクとあそぶ!)
「にぃ!」(のる!)
と言うので、
「あんまり遅くなるなよ?」
とだけ言い、ズン爺さんに、
「すまんが、見てやっていてくれ」
と頼んで屋敷へと戻って行った。
多分、2人なりにコハクを慰めてやろうというつもりなのだろう。
仲良くなってくれればいいが。
いや、さっきの様子を見る限り大丈夫だな。
とそんなことを考えながら、井戸で軽く手と顔を洗い、勝手口から屋敷に入っていった。
その日と次の日はあえて伯爵を晩餐には招かなかった。
残りの時間はマリーと過ごしてほしいと思い、伯爵にそう提案してみると、「お気遣い痛み入る」とのことだったので、伯爵の食事にもなるべくマリーと同じものを付けるようにしてお出しした。
中でも桃ことチールのタルトは大変喜んでくれたらしい。
なんでも伯爵領では採れない果物だそうで、大変珍しいと喜んでくれたという。
日持ちがしないから送れないのが残念だ。
リンゴならある程度日持ちがするから送れるのだが…。
どちらも伯爵領での栽培は難しいだろう。
その味はぜひ、この村の味として記憶にとどめておいて欲しい。
そして、また食べに来てもらいたい。
その頃にはきっとマリーも元気になってもしかしたら伯爵領へ戻れるようになっているかもしれない。
………。
そう思った瞬間、
(そうか…。マリーにしてもリーファ先生にしても、ずっとこの村にいるわけではないんだよな…)
そんな当たり前のことに気が付いてしまった。
なぜだろう。
2人はこのままずっとこの村にいてくれるような気がしていた。
そんなはずはないのに。
そう考えただけで、胸の奥にやるせなさが湧いてくる。
このやるせなさが去った後にはきっと大きな喪失感が待っているのだろう。
なぜか容易に想像できる。
この楽しい時間はずっと続かない。
マリーが元気になって伯爵領へ戻る。
そしてリーファ先生も無事に役目を終えて王都へ研究に戻る。
喜ばしいことのはずだ。
美味い飯を食って、その美味さを噛みしめたらいずれ飯は無くなる。
しかし、食後には満腹感と幸福感が待っているものだ。
それなのに、この場合はどうだ。
この時間はその楽しさを噛みしめれば噛みしめるほどその後の喪失感を大きくさせる。
だからと言って、この楽しい時間を噛みしめずにはいられない。
なんだ。
なんなんだ、この気持ちは。
答えはわかっているような気もするし、わかっていないような気もする。
もしくはわかりたくないのか…。
心が悶々とするというのはこのことか。
生まれて初めて感じたその感情に頭も心もついていけない。
そんな悶々とした感情がなんとなく私の心に居座り時々顔を出してくるのに耐えながら、伯爵が出立される日の朝を迎えた。
「エデルシュタット男爵。大変世話になりましたな」
伯爵は手早く朝食を済ませ、早めにトーミ村を発つというので、私も手早く朝食を済ませると離れの玄関まで見送りに出た。
マリーとの挨拶は昨日のうちに済ませたらしいが、伯爵の目は心なしか赤い。
「いえ、たいしたお構いもできませんでしたが、どうかまたお越しください。その時にはマルグレーテ様はもっとお元気になられておいでのことでしょう」
私がそう挨拶をすると、
「ええ、そう願っています」
と伯爵は嬉しそうに微笑まれた。
(そうだ。伯爵の心情を思えば、私が感じた寂しさなど取るに足りないものではないか。私はいつの間にか自分のことばかり考えていた。気の迷いとはいえ、なんと恥ずかしい…)
そう思うと、伯爵に対して申し訳ないような気持ちと自分が恥ずかしいような気持ちが湧いてくる。
私がそんな感情に苛まれて一瞬なにも言えずにいると、伯爵は、
「どうぞこれからもマリーのことをよろしくお頼み申します」
と言って、頭を下げられた。
私は慌てて、
「どうぞ顔をおあげください。礼を言わなければならないのは私の方です…」
と思わず言ってしまった。
伯爵は、「どういう意味だ」という表情できょとんとされている。
「ああ、いえ…。なんというか、マルグレーテ様がいらっしゃったことで、今までの生活では考えなかったようなことを考えられるようになりました。…なんというか、人とのかかわりの大切さであるとか、そういう漠然としたことなのですが…。ともかく、私にとってもいろんな物事を考えるよいきっかけになったのです。ですから、こういうのは…えっと…。そう!お互い様というやつです、きっと」
と、私は訳の分からない理屈で訳のわからないことを、早口に並べ立ててなんとかその場を取り繕おうとした。
伯爵は、ふふふと笑うと、
「そう言っていただけると助かります。きっとまた来させていただきます。その時はまたよろしくお頼み申します」
と言って、名残惜しいが、という挨拶を交わし伯爵は村を発って行かれた。