急いで、食堂へ降りていくと、食卓の上にはすでにカツサンドが鎮座していた。
サラダとコーンスープも添えてある。
「おはようバン君」
私がカツサンドに気を取られていると先にジードさんに挨拶をされてしまった。
「失礼いたしました。おはようございます」
私はそう言って、挨拶が遅れた非礼を詫びてから挨拶を返す。
「いやいや、気持ちはわかる。さぁさっそくいただこうじゃないか」
と、こちらも私同様この味が待ち遠しくてうずうずしていたであろう、ジードさんがそう言って、朝食となった。
少し寝かせてしっとりとしみ込ませた甘めのソースと、薄く塗られた辛子マヨネーズのアクセントがたまらない。
「うん。これだよ。これ」
そう言って、リーファ先生は舌鼓を打つ。
いつもの光景だ。
「なるほど、こういう食べ方もあるのか…」
ジードさんはしきりに感心しつつ、こちらも美味しそうに頬張っている。
やはり似たもの親子だ。
そんなことを思っていると、ジードさんが、
「そうだ、バン君。ジークから聞いていると思うけど、我々はそろそろお暇しようと思っているよ」
と言って、今日帰ることを告げた。
「ええ、伺っております。たいしたお構いもできず申し訳ございませんでした。次はぜひゆっくりなさってください」
私がそう言うと、
「ああ、時間が許せばぜひそうしたいものだね」
とジードさんは笑ってそう言ってくれた。
そんな朝食の後、名残惜しそうにするジードさんとそれを鬱陶しがるリーファ先生の掛け合いを経て、ジードさん一行は帰路に就いた。
見送りには私とリーファ先生、伯爵に加えて白馬とエリスも来ている。
ジードさんと伯爵が何やら話しているようだが、おそらく政治の話だろう。
難しい話はよくわからないし、出来れば関わり合いたくないと思ったから聞かないでいると、なぜか2人が私に顔を向けて苦笑いした。
いったいなんだったのだろうか。
ふと見れば、エリスたちも何やら会話を交わしているようだ。
きっと、他の森馬たちもエリスを心配しているのだろう。
少し名残惜しそうな雰囲気が伝わってくる。
ジードさんの立場上、そうそう頻繁に合うことは無いのだろうが、きっとまた会える。
そんな気がした。
一行が見えなくなるまで見送ると、私は役場に向かった。
その日の仕事は、出費の整理とリーファ先生の父親がやって来たことの報告書を実家に送付するくらいで簡単に終わる。
もちろん、ジードさんの身分は伏せた。
実家は実家でいろいろと大変なようだからあまり負担はかけたくない。
そんな簡単な仕事を終え、屋敷に戻ると、ちょうど昼が出来上がったところだった。
昼はたっぷりの夏野菜に蒸し鶏が乗ったサラダとビシソワーズ、そしてパン。
まるで朝食のようなメニューだが、
「少しさっぱりしたものがいいかと思いまして」
というドーラさんの言葉通り、脂ものが続いた胃のリセットボタンを押してくれるようなメニューだ。
食後のお茶を堪能すると、午後は例の白馬と一緒にマリーに会いに行くことになっていたから、リーファ先生を伴って台所へ向かった。
厩に行くには勝手口からの方が近い。
台所では、ルビーとサファイアが、食休み中なのか、ごろんとしてちょこちょこじゃれ合っていた。
リーファ先生が、
「新しくお馬さんがきたから一緒に会いにいかないかい?」
と誘うと、2人はぱっと立ち上がり、
((ごあいさつする!))
と興奮したようにそう言った。
私たちが、裏庭の菜園の脇を通って、厩に着くと、すでにズン爺さんはそこにいて、よしよしと言いながら他の森馬やうちの馬を撫でて飼葉や水をやっていた。
「やぁ、ズン爺さん。これからこの白馬をマリーに見せてあげたい。少しの間借りてもいいか?」
私がそう言うと、
「へぇ。そりゃぁもう」
と言って、さっそく馬房の柵を開けてくれた。
「ひひーん。ぶるる」(やったー!あえるー)
と言って、白馬は少し前足をあげて興奮したような様子を見せる。
「ほれほれ、あぶねぇからここで暴れちゃなんねぇぞ」
と苦笑しながらズン爺さんが軽くたしなめると、
「…ぶるる」(…ごめんなさーい)
と言ってシュンとした。
「はっはっは。そんなにうれしかったか。でも気を付けるんだそ?怪我でもしたらマリーが悲しむからな」
私がそうやって撫でながらなだめると、
「ぶるる」(うんわかった)
と言って、少し落ち着きを取り戻した。
「さて、マリーに会いに行く前にうちのペット…お前にとっては先輩になるのか?まぁこの2人を紹介するよ」
といって、まずはルビーを抱き上げて、
「この子はルビー。猫だ」
と言って、馬の目線の高さまで持ち上げてやった。
ルビーが、
「にぃ!」(よろしくね)
と言うと、
白馬も、
「ひひん」(よろしくー)
と挨拶をする。
続いて、サファイアも同様に抱き上げると、
サファイアは、
「きゃきゃん!」(サファイアだよ。お名前きまったらおしえてね)
と言い、白馬は、
「ぶるる!」(お名前!たのしみ!)
と言ってまた少し興奮する様子を見せた。
私がそんな様子を微笑ましく眺めていると、
「さぁ、そろそろ行こうか、もうあちらの準備はできているだろうからな。みんなでマリーを喜ばせてあげよう」
と言って、リーファ先生が皆にそろそろ行こうと提案する。
「ぶるるん」
「きゃん!」
「にぃ!」
(((はーい)))
3人はそう言って、トコトコ、トテトテと私とリーファ先生の後について、マリーの待つ離れへと向かった。
離れに着くと、玄関先にローズが待っていてくれた。
「皆さん、こんにちは。ご案内いたします。こちらへどうぞ」
と言って、いつもとは違い、リビングに面した庭の方へと案内してくれる。
建物の脇を抜けて庭に入ると、リビングの窓が大きく開けられていた。
楽椅子に座ったマリーとエインズベル伯爵の姿が見える。
離れの庭は芝生が2,30メートル四方くらいの広さがあるだろうか?
奥は雑木林へと繋がっていて、林はある程度人の手が入っているから、季節ごとに花が咲いたり実が生ったり、時にはリスなんかの小動物が出てくることもある、野趣あふれる庭だ。
変に飾り立てるよりもよほど美しい。
私に引き連れられて、白馬が庭に入ってくるのが見えた瞬間、
「まぁ!」
とマリーが手を口にあて、小さく叫ぶのが聞こえた。
「おお、これは…」
と言って、エインズベル伯爵も驚いている。
私が驚いている2人に向かって、
「こんにちはエインズベル伯爵、マルグレーテ様。突然押しかけて申し訳ございません。この白馬は、先日リーファ先生の御父上一行が森へ行ったときに出会って、なぜかついてきてしまったのだそうです。それで、良ければ当家で飼わないかとおっしゃっていただき、お言葉に甘えて頂戴することになりました」
と、簡単にことの経緯を説明すると、おそらく、前もってリーファ先生が説明してくれていたのだろう。
2人ともすんなんりその説明を受け入れてくれた。
「これはこれは…。いや、おどろきました。さきほどリーデルファルディ先生から白馬とは聞きましたが、これはユックですか?」
とエインズベル伯爵がそう聞いてくる。
「いえ、森馬というまったく別の種類なんだそうです。普通はエルフの森にしかいないんだそうですが、なにかの理由でこの辺の森に迷い込んできたのでしょう」
私がそう説明すると、
「なるほど」
と言って、伯爵はその説明に納得してくださった。
「マリー、触ってみるかい?」
伯爵がそう言うと、マリーは少し戸惑いながら、
「え、ええ…。いいのかしら?」
と言って、恐る恐る手を伸ばす。
馬に触るのなんて初めてだろう。
少し緊張しているようだったが、リーファ先生が、
「大丈夫さ。森馬は普通の馬よりもずいぶんと賢いからね。きっとマリーともお友達になってくれるさ」
と言って、白馬の首のあたりを軽くたたいて促した。
「ひひん」
白馬はそう軽く鳴いてゆっくりとマリーに近寄ると、
「ぶるる」
ともう一度軽く鳴いてから、マリーが撫でやすいように胸元のあたりまで頭を下げる。
「まぁ、とってもおりこうさんなのね。うふふ。撫でてもいいのかしら?」
マリーがそう聞くと、白馬は
「ぶるる」
と小さく鳴いてさらに頭をマリーに近づけた。
「あらまぁ。なんて素敵な子なのかしら。うふふ。とってもかわいいのね」
と言って、マリーは優しく白馬を撫でる。
「まぁ、とってもすべすべで気持ちいいわ。それにとっても温かい…」
そう言って、白馬を撫でるマリーを皆が微笑ましく見つめた。
マリーは微笑みながらしばらくその手触りを堪能していたようだが、やがて、
「あら。とっても素敵な目をしているのね。まるで昔お母様がしていらした琥珀のブローチのようですわ。ねぇ、お父様」
と言ってエインズベル伯爵に顔を向ける。
「ああ、そうだね。懐かしいよ」
とエインズベル伯爵も目を細めてそう言った。
「ええ、とっても懐かしいわ。お姉様が結婚式のときに着けていたのを見せてもらいましたが、とってもお似合いでしたわね」
と言って、二人が懐かしむような顔をすると、少しだけしんみりとした空気になった。
すると、白馬が、
「ぶるる」
と鳴いて、まるで、
(大丈夫?)
と言ったように聞こえたものだから、マリーは、
「うふふ。大丈夫よ」
と言って、再び白馬を軽く撫でた。
「ああ、そうだ」
とリーファ先生が唐突に、
「マリー、この子に名前を付けてやってくれないか?」
と言った。
「え?私が付けてもいいの?」
とマリーが戸惑い半分、嬉しさ半分という顔でそう聞き返す。
リーファ先生は、
「もちろんさ。きっとこの子もそれを望んでいるよ」
と言ってマリーを促した。
「ぶるる」
白馬もそうしてほしいと言っている。
「あらまぁ、困ったわ、どういうお名前にしようかしら…」
マリーはしばらく考えていたようだが、
「うふふ」
といつものように微笑むと、
「あなたのお名前はコハクちゃんにしましょう?だって、こんなにかわいらしい琥珀色の瞳をしているんですもの」
と言って微笑んだ。
「ひひん!」
馬はちゃんと気を遣ってマリーからちょっとだけ離れると、軽く前足をあげていななく。
さっきの言いつけをちゃんと守ったらしい。
賢い子だ。
「うふふ、そんなにうれしかったの?私もうれしいわ」
と言って、マリーは再びじゃれつくように顔を寄せてきた白馬改めコハクに頬を擦り付け合いながら、よしよしと撫であってうふふと微笑んだ。