ジードさんから…というよりもエルフィエル大公国からメイドが一人派遣されるという話がひと段落し、食事は終盤を迎えた。
普通ならこのままデザートになるのだろうが、ジードさんがエインズベル伯爵に向かって、
「クルシウス殿。ちょうどいい機会だ。デザートは私たちの部屋でいただくことにして、少し仕事の話をしないか?」
と持ち掛けた。
すると伯爵は今までの気さくな感じから一変して、
「はっ。仰せのままに」
と言って頭を下げる。
「うむ。ではバン君、すまないがクルシウス殿をしばし借りるよ。どうせ君のことだ、煩わしい政治の話なんて興味がないだろ?」
とジードさんが言ってくれたので、私はその言葉に甘えて、
「お気遣いありがとうございます。」
と言って、リーファ先生に視線を送ると、
「ん?ああ、私もいない方がいいだろう。ルビーやサファイアと一緒にデザートを食べようじゃないか。ドーラさん、今日のデザートはなんだい?」
と言って、ドーラさんに今日のデザートを聞いた。
するとドーラさんは、
「はい。今日はお饅頭をふかしましたから、緑茶と一緒にお出ししようかと思っております」
と言って、微笑む。
「お!いいね。じゃぁ、2人を連れてきてくれないかい?それからズンさんも呼んでみんなで一緒に食べよう」
そういって、リーファ先生は鼻歌交じりにさっさと食堂を出て行った。
私も、
「では失礼します」
と言って、出ていこうとしたが、ジードさんに呼び止められ、
「まんじゅうとは?」
と聞かれた。
しかし私は、ちょっと苦笑いをしながら、
「お茶は緑茶がお勧めです」
とだけ言って、また軽く一礼すると食堂を後にした。
「さて、まずは仕事の話をしようか」
ジーデルドロインは客室に戻るなり、クルシウスに向かってそう言った。
「は」
クルシウスは短く返事をしてうなずく。
「話というのは他でもない。バンドール・エデルシュタット男爵についてだ」
「というと?」
ジーデルドロインの言葉に対して、クルシウスは少し訝しがるような表情でそう聞き返す。
ジーデルドロインは「うむ」とひとつうなずいて、
「我が国は王国との間に無用な諍いを起こしたくない。そのカギを握っているのがバンドール・エデルシュタット男爵、ということだ」
「…はて、いったいどういう意味やら私には…」
クルシウスが本当に困惑したようにそう言うと、
「君は彼をどう見る?」
とジーデルドロインがそう質問した。
「…粗野なところはありますが、実直で好感の持てる青年かと」
クルシウスはそう言って、バンドール・エデルシュタットという男の人柄について率直な感想を述べた。
「うむ。それは余も同感だ」
と言って、ジーデルドロインはさらに続ける。
「大事な娘を預けるにあたって、彼についてはあらかた調べたと思うが。その時はどんな感想を持った?」
ジーデルドロインはそう聞くが、クルシウスは、なぜそのようなことを聞かれるのかわからない。
しかしわからないながらもここは下手にごまかさず、
「人となりや村での様子を調べる限り害意のない人物だと判断しました。また、野心の無い人物であると見ましたが…」
と答えた。
「そうか」
ジーデルドロインは短くそう言うと、さらに続けて、
「外務卿の補佐をしておる貴殿なればこそ聞くが、王家はかの男をどう見ておる?」
ジーデルドロインの目は鋭い。
クルシウスは困惑しながらも、ここで隠し立ては悪手だと直感的に思い、
「彼が男爵位を与えられた経緯から考えて、王家は彼を煙たがっております」
と答え、ジーデルドロインの反応を見た。
「…そうか。詳しくは知らんし、聞く気も無いが、いわく付きの爵位であったか…」
ジーデルドロインはそう言って少し考え込むと、
「やはり心配のし過ぎであったのかもしれんな…」
と言ってため息を吐いた。
クルシウスはまだ理解できない様子で、
「おっしゃる意味はまだよく理解できませんが、陛下は彼がなんらかの政争の具になるとお考えなのでしょうか?」
とクルシウスはやや厳しい顔で、ジーデルドロインを見つめてそう言った。
すると、ジーデルドロインは、
「いや、その心配はずいぶんと薄くなった。まだ完全に無くなったわけではないがな…」
と言い、
「クルシウス殿。貴殿もバンドール・エデルシュタットという男をくだらんことに巻き込みたくないと考えているのではないか?」
と言ってクルシウスに視線を向ける。
するとクルシウスも、
「なぜ彼が政に関わってくるのかは存じませんが、一人の父親として申せば、そのような事態は看過できません」
と言ってクルシウスはジーデルドロインをまっすぐ見つめた。
「うむ」
とジーデルドロインは深くうなずいて、
「余も大公である前に娘を持つ一人の父親である。娘の幸せが何よりの望みだ。バンドール・エデルシュタット男爵にはこのままこの村で平穏に暮らしてもらいたい。もちろん我が娘も一緒にな」
と言って、クルシウスを見る。
2人の視線がぶつかった。
「なるほど…。陛下の意はなんとなく…。しかし父としてなら私も引けぬところがございます」
と言って、クルシウスはジーデルドロインにから目をそらさずにそう返す。
そんなクルシウスの視線を受け止めると、ジーデルドロインは、
「はっはっは。娘を持つといのは大変なことだ。お互いに苦労するな」
と言って、肩の力を抜き、やや語調を柔らかくすると、
「ところで、マルグレーテ嬢はおいくつになられるのかな?」
と聞いた。
「もうすぐ、22でございます」
「そうか…で、あればなおさら引けぬな」
と言い、
「あとはバン君の選択次第か…」
と言ってジーデルドロインは苦笑した。
「さぁ、仕事の話…と言っていいのかどうかはわからんが、とにかくこの話はこれまでにして、まんじゅうとやらをいただこうじゃないか」
と微笑みながらジーデルドロインはそう言うと、自ら大公の服を脱ぎ捨て、ただのジードへ戻った。
一方その頃、私はリビングでルビーとサファイアにそれぞれ小さくちぎった饅頭を食わせていた。
2人は、
「きゃん!」(おいしい!)
「にぃ!」(あまい!)
と言って、美味そうに食っている。
私も一口頬張り、膨張剤など無いこの世界で、天然酵母がもたらすもっちりとした皮の食感と優しい餡の甘さを堪能し、そこに緑茶の苦みを合わせると、思わず「ふぅ」と息を吐いた。
「うん。これは実にいいお菓子だね。皮はもちもちとした食感がありながらもふんわりとしている。それになにより中の餡がなめらかなのがいい」
とリーファ先生がそう言う。
「ほう。リーファ先生はこしあん派か」
と私が聞くと、リーファ先生は、
「うーん…それは難しいところだな。こういう饅頭の時はなめらかなこしあんがいいが、アンパンは粒あん派だね」
と真剣な表情でそう答えた。
私はそんなリーファ先生の表情を見て私は、
(…可愛らしいな)
と思い、つい微笑んでしまう。
すると、それを見たリーファ先生は、
「おいおい、なんだいその笑いは?そういうバン君はどっち派なんだい?」
と言って詰め寄ってきた。
「いやいや、そういう意味で笑ったんじゃない」
と言って、自分がリーファ先生をかわいらしいなどと思ってしまったことに少し焦りながら、
「私も甲乙つけがたい」
とだけ答えると、リーファ先生は、
「まったく、なんだっていうだい。なんだか馬鹿にされているような気がするのは私だけかい?」
と言って少しすねたような顔をした。
「いやいや、そんなことはないさ。ただ、ちょっとおかしくてね」
と私は一応弁解する。
「おかしいってなにがだい?」
そう言って、リーファ先生は私をにらむと、ぐっと顔を近づけてきた。
ドキリとした。
私はわけもわからず焦ってしまって、ふいに顔を背けると、思わず、
「いやぁ、お姫様がこしあんか粒あんかで悩んでる姿がおかしくてな…ははは」
と言ってついついうそぶいてしまう。
すると、リーファ先生は先ほどまでの明るい表情を少し曇らせて、うつむくと、
「黙っていたのは悪かったよ。本当の姓を名乗ると何かと煩わしいし、それに人から妙に距離を取られてしまうと思ってね。すまなかった」
と言って、さらにシュンとする。
私は焦って、
「いやいや、こっちこそすまん、からかい過ぎた…。いや、たしかにお姫様ってのには驚いたが…別にたいしたことじゃない」
と言って、自分の考えを素直に話すことにした。
「なんと言えばいいのか…。ちょっと前、人は立場じゃないと思ったことがあってな…。私も男爵になろうが村長になろうが所詮、私という人間は剣と食い意地しか能の無い「バン」という名のおっさんだ…。だからリーファ先生もお姫様だろうが女王様だろうが、リーファ先生はリーファ先生。つまり、ちょっと食いしん坊なエルフさんってことで変わりはない、そう思うんだ…」
私が真剣にそう言うと、リーファ先生は、
「…食いしん坊は余計だ」
と言って、「ふっ」と小さく笑ってくれた。
そして、
「…まったく、相変わらずだね。君ってやつは」
と言って、饅頭を一口食うと、
「うん。甘い」
と言って、嬉しそうに微笑んだ。
そんな様子に私も少し安心して、
「ああ、そうだな…」
と言って、饅頭を一口った。
そんな様子を不思議そうな目で見ていたペットの2人に向かって、ドーラさんが、
「ほら、お饅頭をあげましょうね」
と言って、自分のもとへと呼ぶ。
2人は早速ドーラさんの足元へ行き、
「きゃん!」(たべる!)
「にぃ!」(あまいのすき!)
と言って、饅頭を要求した。
ドーラさんは、
「うふふ」
と笑って、饅頭をちぎって食べさせてやりながら、
「今夜は蒸しますねぇ」
と一言つぶやいて、ズン爺さんと一緒になって微笑んだ。
私はなんとなく窓の外を見やり、緑茶をすする。
口の中で甘さが解けていくのを感じた。
ふぅ…と息を吐くと、顔の火照りが少しは冷めたような気がする。
「明日も晴れそうだ」
ぼんやり夜空を眺めてそんな意味の無いことをつぶやくと、隣でリーファ先生も、
「そうだね」
とつぶやいた。