やがて、晩餐の時間が近づいてきた。
私は一度身支度を整えるために、リビングを辞し着替えを済ませたが、まだ少し時間があると思ってもう一度リビングへ戻る。
ジードさんたちは自室へ戻っているようだ。
時間になれば食堂へやってくるのだろう。
そんな風に思ってソファに座ってぼんやりしていると、こちらも身支度を整えた、といってもいつものローブを脱いで、シンプルなワンピースに着替えた程度の、リーファ先生がやってきた。
「そろそろかい?」
と聞かれたので、私が、
「いやもう少し時間があるみたいだ」
答えると、リーファ先生は私の向かいに座り、
「いやぁ、この村に…いや、君といると、かな?ともかく退屈しないね」
と言って、「ははは」と小さく笑った。
「まったくだ…。しかし、退屈よりはいいだろ?」
と私が聞くと、
「程度によるね」
と言って肩をすくめて苦笑いする。
「そうだな」
と言って、私も苦笑いすると、そこでなんとなく会話が途切れた。
一瞬の沈黙の後、
「さて、そろそろ玄関に出てるよ」
と言って私が立ち上がると、
「ああ、じゃぁ食堂で待っていよう」
と言ってリーファ先生も立ち上がって食堂の方へ向かって行った。
さて、今日の飯はなんだろうか?
いつものように呑気なことを頭に浮かべながら玄関に向かい、静かに伯爵の到着を待つ。
10分ほど待っただろうか。
離れの方からメイドを連れて伯爵がやって来るのが見えた。
一瞬迷ったが貴族の礼は取らずそのまま迎える。
「ようこそおいでくださいました」
私がそう声をかけると、
「いや。こちらこそお招きいただき感謝いたします。本日はリーデルファルディ先生の御父上も同席なさるとのことで、楽しみにしてまいりましたよ。して、先生の御父上のお名前は何とおっしゃられるので?」
と伯爵にそう聞かれたが、私は、
(そういえば伯爵にジードさんの名前を教えていなかったな…というよりそもそも、ジードさんの本名を覚えていない…)
と思って、少し焦る。
しかし、今更遅い。
そう思って私は、正直に、
「…えーと、私はジードさんとお呼びしています。申し訳ない。エルフさんたちの名前は長いものですから、略称で呼ばせていただいております。一度自己紹介はしていただいたのですが…」
と、いかにも申し訳ないという感じでそう答えた。
「はっはっは。そうでしたか。いえ、失礼が無いようにあらかじめお名前をうかがっておこうかと思ったのですが、思えばその場でお聞きすればいいだけのことでした。なに、かまいませんよ」
と伯爵は寛大にもそうおっしゃってくださる。
私は恥ずかしくなったが、気を取り直して、
「寛大なお言葉感謝いたします。ではさっそくご案内いたします」
と言って伯爵を屋敷に招き入れた。
私が食堂の扉をノックすると、ルビーさんがドアを開けてくれる。
中では、リーファ先生親子が談笑していた。
私は伯爵を招き入れ、ジードさんに向かって、
「ジードさん、こちらがマルグレーテ様の御父上でクルシウス・ド・エインズベル伯爵です」
とエインズベル伯爵を紹介した。
すると、ジードさんが立ち上がり、
「ジーデルドロイン・エル・ロイ・ファスト・リベルシオートだ。今はジードとだけ呼んでくれ」
と、意外にもやや尊大な感じで自己紹介をした。
私は少し驚いて伯爵の方を見ると、伯爵は少し慌てたように、例のエルフ式の礼をとって、
「知らなかったとはいえ、大変なご無礼を。どうかひらに…。リトフィン王より伯爵位を賜るクルシウス・ド・エインズベルにございます。今宵は偉大なる森の祖を受け継がれしジーデルドロイン・エル・ロイ・ファスト・リベルシオート陛下に拝謁仕り恐悦至極に存じます」
と言って、深々と礼をした。
(え?なにっ!?いま陛下と言ったか?)
と私が頭の中を混乱で一杯にしていると、今度はジードさんが、
「よい。聞けば我が子リーデルファルディとそなたの息女マルグレーテとは友人と聞く。父同士も交誼を結ぼうぞ」
とまた鷹揚に答えた。
私はチラッとリーファ先生の方を見たが、「あちゃー」という顔をして額を抑えている。
(陛下ってあれだよな…。王様とかに使う…)
と思って、リーファ先生に視線を送り、助けを求めたが、リーファ先生は、「なんてこったい」という顔でただ首を振っていた。
ジードさんもさはおかしそうにクスクスと笑っている。
私は本当にどうしたらいいのかわからなかったので、とりあえず、
「えっと、私はどうすれば…?」
と聞いてみた。
「はっはっは。いいよバン君、今まで通り普通にしたまえ。なにせ君は娘の友人なのだからね」
と言って、笑いながらジードさんはそう言ってくれる。
リーファ先生も、少しは立ち直ったのか、
「いやいや、なかなかいいイタズラでしたよ、父上。どうせ計算づくなんでしょう?」
と言って、「あはははは」と困ったように笑っている。
私はあきらめた。
本人が笑っているのだから、それでいいのだろう。
それに、なにより私は礼を知らない。
形式的には失礼なのかもしれないが、人間として失礼でなければそれでいいはずだ。
と、そう思って、
「…お言葉に甘えます」
と言い、伯爵の方を向くと、
「…エインズベル伯爵もどうか一緒にこのイタズラの犠牲者になってください」
と言って、乾いた笑みを浮かべた。
伯爵も苦笑いしながら、立ち上がってくれる。
ジードさんはまた大笑いをし、ジークさんとルビーさんは頭を抱えながら苦笑しているようだ。
とりあえず、種類は違ってもみんな笑顔ならそれでいいじゃないか。
私は開き直って、
「とりあえず、飯を食いましょう」
といつもの笑顔でそう言った。
やがて一同が食卓へつくと、ドーラさんがそれぞれにシードルが入ったグラスを配ってくれた。
私はこういうときどうすればよいのかわからなかったが、ジードさんが、
「乾杯の音頭をとってくれるかい?」
と私に向かって言うので、
「では」
と言ってひとつ咳払いをしてから、
「よきイタズラに」
と言って、グラスを掲げ、
「乾杯」
と言って晩餐をスタートさせた。
おかげで、なのかどうかはわからないが、意外にもその晩餐は和やかに進んだ。
乾杯が終わると、さっそく料理が運ばれてくる。
ロースとヒレとササミのカツ3種に、白飯、ナメコことヌメタケの味噌汁、あといくつかの小鉢が付いた、ちょっと豪華なミックスカツ定食といった感じのメニューだ。
あえて田舎風に見えるものを出してみた。
もちろん箸が用意されているし、あのカツの下に引く網も竹製だが再現した。
あの網の力は偉大だ。
だが、残念なことに、この時期、キャベツが用意できなかった。
そこは仕方がないのでカイワレと水菜ことエクサで代用した。
ソースは、ドーラさんの特製ソースで、とんかつソースというよりは、洋食屋のソースと言った感じのものだが、これが美味い。
野菜のうま味と程よい酸味が後を引く。
そして、味変用にはおろしポン酢も用意されていた。
私が、
「脂っこい料理ですので、間に適宜付け合わせの野菜を挟んでください」
と言ってなんとなく食べ方を伝えると、みんなでさっそく箸をつけた。
「これは…」
と言って、ジードさんは絶句している。
エインズベル伯爵も同じように驚いたような顔を見せると、
「肉を油で揚げる料理と言うのはいくつかありますが、もっと脂っこかった印象です。それに比べてこれは素晴らしい。外側のカリッとした食感と内側の肉の柔らかさの対比が絶妙ですな」
と言って、カツの魅力を語った。
どうやらお気に召したらしい。
「うん。いつもながらに素晴らしいね。ドーラさんのカツは。揚げ加減が絶妙だ。父上、この料理はただ単に揚げればいいというものではありません。加減が重要なのです。肉の厚み、衣の量、油の温度、全てが調和しないとこの味は出ないのです」
と言ってなぜかリーファ先生がジードさんに力説している。
「なるほど…そうか。やはりこれは…」
と言ってジードさんはまた一口カツを食べると、
「なぁ、バン君。うちからメイドを一人送るからドーラさんの下で働かせてやってくれないか?」
と意外な提案をしてきた。
「え?」
私があっけに取られていると、
「なに、バン君。大事にとらえる必要はないよ。どうせ父上のことだ。私の世話役…というよりも監視役かな?を送り込むついでにこの家の料理を盗んでやろうって魂胆なのさ」
とひとつため息を吐いてからリーファ先生はそう言い、ジードさんをジト目でにらんだ。
すると、ジードさんは、
「いや…まぁ、そういう思惑が無いとは言わないが…。この味、この料理はぜひ我が国でも取り入れたい…。どうだろうか?」
と言って私に申し訳なさそうな視線を向けてくる。
私は少し戸惑ってしまったが、この家の料理、すなわちこの世界にはない新しい料理が世界に広まってくれるのであれば大歓迎だ。
むしろ積極的に広めてもらいたい。
そう思ったものだから、
「うちの料理は特に秘匿するほどのものではありませんし、むしろ世に広めたいと考えておりますのでどうか存分に盗んでください。あとは…ドーラさんの手間が増えなければかまいませんが」
と言って、ドーラさんの方を見ると、ドーラさんは、
「ええ、お手伝いしてくださる方がいらっしゃってくれるのであれば私は助かりますが…」
と遠慮気味に答えながらも一応了承してくれたので、
「そのお申し出、お受けいたしましょう」
と言って私はジードさんの提案を受け入れた。
すると、ジードさんは本当にうれしそうな顔をして、
「そう言ってもらえてうれしいよ。ああ、もちろん給金はうちから出すからね」
と言い、
「聞けば、こういう料理のアイデアを考えるのはいつもバン君だというじゃないか。だとすればこれからもまだまだ新しいレシピが生み出される可能性があるだろ?それをいち早く知れるというのだから、こんなにうれしいことはないよ」
と言って、「はっはっは」とさも愉快そうに笑った。