屋敷に戻ると、馬の様子を見に行った。
我が家の厩は裏庭の奥にある。
厩の中ではズン爺さんが作業をしていた。
「やぁ、ズン爺さん、お疲れ様」
私がそう声をかけると、ズン爺さんは、
「お疲れ様です、村長。こいつの見物ですかい?」
と言って、例の白馬を撫でてやりながらそう言った。
「ああ、どうだいそいつは?」
と「一応」私がそう聞くと、
「へぇ。他のもそうですが、おとなしいもんでさぁ。まぁちょいと餌のえり好みはあるようですが、掃除をしようと思やぁ、勝手に避けてくれるし、無駄に暴れもしねぇ。よほど賢いんでしょうなぁ」
と言って、がはは、と笑った。
ズン爺さんによると、白馬も含め、森馬の世話についてはジークさんから少し指導してもらったらしい。
いくつか注意点はあるが、基本的な飼育方法は普通の馬と同じだそうだ。
私は、
(まぁ、ある程度のことは意思疎通ができるから大丈夫だろう)
と考えて、
「そうか、とりあえずほっとしたよ。大変になるだろうがよろしく頼む」
とズン爺さんに言って、例の白馬に話しかけてみた。
「この飼葉は好みじゃなかったか?」
と私が撫でながらそう聞くと、
「ぶるる」
と鳴いて、
(これよりも葉っぱとかおやさいがいい)
と言い、私が続けて、
「ほう。他の馬もそうなのか?」
と聞くと、
「ひひん…ぶるるる」(他の子はこれでいいって。でも時々みどりの草が食べたいみたいだよ)
と教えてくれた。
私は、
「ほう、そうか」
と言って、ズン爺さんの方へ顔を向けると、
「ズン爺さん、この白馬は新鮮な葉っぱか野菜が好みらしいあと、他の馬は飼葉でいいそうだが、たまには緑の草が食いたい時があるそうだ」
と言って馬たちの好みを教えてやった。
するとズン爺さんは、ちょっとだけ驚いた顔を見せたが、
「ルビーやサファイアと同じで賢いんですなぁ。こいつは世話が楽でようございます」
と言ってまた、がはは、と笑った。
私は、
(この白馬はいったいなんなのか?…いや、そういう事は、深く気にしないのが一番だな。多分、気にし出したらキリがない。ずいぶんと利口だし、いい子のようだから心配ないさ)
と思い、とりあえず面倒なことはまとめて棚に上げておくことにした。
屋敷に戻ると、夕食にはまだ少し時間がある。
ジードさんとリーファ先生がリビングでお茶を飲んでいるらしいので、とりあえず私もリビングへ向かった。
「やぁ、バン君。おかえり」
リーファ先生がそう言うと、
「ああ、待っていたよ、バン君」
と続けてジードさんがそう言った。
「どうしました?」
と私が聞くと、今日の昼飯の鴨せいろ、正確にはクックせいろ、が美味かったからぜひレシピを教えてほしいと言う。
たしかにあれは美味い。
冷たい蕎麦をクックと白根が入った温かいつけ汁につけて食うというのがいかにも乙な感じだ。
つゆに溶けだしたクックの甘い脂の香りと、焼き目を付けた白根の香ばしさが合わさって、味に奥行きがある。
それに、乾燥させた冬ミカンの皮の爽やかな香りを効かせれば、そのやや濃いめの味を後に引かせない。
素晴らしい食べ物だ。
「わかりました。あとでドーラさんに頼んでおきましょう。ただ…、再現するのは至難の業かと思いますが…」
と私が言うと、
ジードさんは顎に手をやりややうつむき、真剣な眼差しで、
「…やはり…」
とつぶやいた。
私はなんのことだか分らなかったが、どうやらリーファ先生もわかっていないらしく、二人そろって首をかしげる。
そして、私はふと思い出し、そう言えばと、リーファ先生に例の白馬について相談してみた。
「聞いたと思うが、ジードさんが森で拾ってきた?…なつかれた?…まぁそのどちらかのあの白馬がマリーに会いたがっているようなんだが、どうする?」
と私が聞くと、
「なんだいそりゃ?」
と驚いた顔で聞き返された。
(リーファ先生はまだ聞いていなかったのか?)
と私も驚いて、ジードさんの方へ視線を向けると、ジードさんは、コホンとひとつ咳払いをして、
「あー。実は、森の中で白い森馬の子と偶然会ってね…。なぜか我々についてきてしまったんだよ。なに、ちょっと珍しい体色をしているけど、ただの森馬の子さ」
と言い、まだ疑問符が完全にとれないでいるリーファ先生に向かって、再度、
「真っ白でちょっと変わった色をしているけど、普通の森馬の子だよ」
と言った。
私が、
(ああ、あれか。大事なことなので2度いいましたよ。ってやつだな)
となにか妙な記憶を思い起こしつつ、1人で納得していると、リーファ先生は、ジードさんのその言葉で何事かを察したらしく、
「そうですか。そんなことがあったんですね。いやぁ、この辺りの森にも森馬はいたんですねぇ。しかも白いんですか?いやぁそれは本当に珍しい…。あはははは」
と棒読みで渇いた笑いを浮かべながらそう言った。
そんなリーファ先生に、私が、
「それで、ジードさんが、せっかくだからうちで飼ったらどうだというんだが、どうだろう?」
と聞くと、リーファ先生は、あきらめたような笑顔で、
「いんじゃないかい?というか、無下にはできないだろう」
と言って、また「あはは」と笑った。
「そうそう。それで、どうもその子がマルグレーテ嬢に会いたいらしくてね。会わせてやることはできるかい?」
とジードさんが例の白馬の希望を伝えると、
「…そうなんですか?へぇ…そうなんですね…。はっはっは、マリーは白い馬なんてみたことがないでしょうからきっと喜んでくれますよ。そうそう、あのリビングは庭に面していますし、椅子を窓際まで動かしてやれば撫でるくらいのことはできるかもしれませんね。さっそく明日の午後にでも見せにいきましょう。ルビーやサファイアも連れていったらもっと喜ぶでしょうね。うん、明日はみんなでマリーを喜ばせてあげましょう。はっはっは」
と言って、自分を納得させるように、かつ、なにかをあきらめたように笑った。
そんな一見和やかなお茶のあと、リーファ先生は今のうちにマリーにその件を伝えに行ってくると言って、リビングを出て行こうとした。
ジードさんは、そんなリーファ先生に向かって、
「ああ、ついでに、エインズベル伯爵を晩餐に誘ってきてくれ」
と気軽に使い走りを頼む。
私は、
「それならば私が…」
と言ったが、ジードさんは、私の言葉を遮って、
「いや、いいよ。リディ、お願いしていいかい?」
と言ってリーファ先生にもう一度頼んだ。
「ええ。かまいませんよ」
とリーファ先生もそう言って軽く請け負い、さっそく離れへ向かって行った。
リビングには私とジードさんたちが残る。
ジードさんは、
「あー…。バン君?」
と言ってやや遠慮気味に私に呼びかけた。
おそらく私に、ルビーやサファイアのことも含めてだろうが、「君はどこまで知りたいんだい?」と聞きたいのだろう。
そして、私がどこまで知っているのかも聞きたいと思っているに違いない。
ジードさんの目がそう言っている。
それを察して私は、
「…私はルビーもサファイアも普通の犬と猫だと思っています。まぁやたらと賢いし、…なんとなくは…。しかし、中身はかわいいもんです。普通の犬や猫となんら変わりません。ですから、あの子たちは普通の犬と猫ですし、あの森馬も普通の森馬なんでしょう」
と言って、彼女たちが何であるかよりも、どういう子たちであるかの方がよほど重要だということを伝えた。
「うん。そうだね…。うん…。そうだよ」
と言って、ジードさんはうなずき、その会話は終了する。
私たちはまた静かにお茶を飲み、リーファ先生の帰りを待った。
やがてリーファ先生が戻ってくると、
「マリーもかわいいお馬さんを見てみたいそうだから明日の午後にでも連れて行こう」
と言った。
私が、
「そうか。喜んでくれるといいな」
と目を細めながらそう言うと、
「ああ、みんな喜ぶさ」
と言って、リーファ先生も微笑んだ。