マリーが父親との再会を果たした翌朝。
いつもの稽古が終わるころ、ローズが仕事着姿でやって来て、伯爵が改めてきちんと面会したいと言っている旨を伝えてくれた。
私は少し考えて、
「面会は夕食の時でもかまわんか?昼間はマリーとゆっくり話せる大切な時間だろう。まずはマリーとの時間を大切にしてほしいからな。そう伝えてくれ」
と言い、「主になりかわり礼を」というローズに「たいしたことじゃない」と言って、いつものように井戸端で汗を拭いて屋敷へ戻った。
台所に入ると、
「きゃん!」
「にぃ!」
とペットの2人が(マリーよかったね)と言ってきたので、
「ああ、よかったな」
と言いながら2人を撫でてやると、
「きゃん!」
「にぃ!」
と鳴いて2人は嬉しそうにじゃれついてきた。
昨日の夜も、
(うれしとご飯がおいしいね!)
(いっぱいあったかいおいしい!)
と言っていたのを思い出して、少し笑ってしまった。
そんな私を見て、2人は少し不思議そうな顔をしていたが、私が、
「さぁ、今日も美味しく食べて元気に過ごそう」
と言うと、
「きゃん!」(うん!)
「にぃ!」(ごはん!)
と鳴いたので、みんなして笑いながら食堂へ向かった。
「やぁバン君、おはよう」
いつものようにリーファ先生と挨拶をかわす。
まだジードさんたちはまだ森から戻って来ていない。
今日は全員で食卓を囲む。
メニューは安定の白米と味噌汁、夏野菜のサラダに卵焼きと漬物。
ペット用の食事にも肉の横に卵焼きが付けられた。
基本的に2人にも何か一品私たちと同じおかずをあげている。
最初は少し心配したが、美味そうに食っているからきっと大丈夫なのだろう。
いつものように食後のお茶と会話を楽しむ。
リーファ先生によれば、昨日マリーは泣き疲れてそのまま眠ってしまったそうだ。
今朝の治療は様子を見ながら少し軽めにした方がいいかもしれないと言うリーファ先生に私は、焦らずじっくりやってほしいと伝える。
そう言えば、ジードさんたちはいつ頃帰ってくるのか聞いていなかったな、と思って私が聞くと、リーファ先生は、
「エルフはのんびりしているから、もしかしたら2,3日帰らないかもしれないね。でも森の中で生活できないエルフなんかいないから心配はいらないよ」
と軽く言うので、そういうものかと思って、納得することにした。
ひとしきり会話を楽しむとそれぞれの仕事に取り掛かる。
リーファ先生の父親が来るという突発的な出来事はあったが、一応、昨日で一山超えた。
今日はのんびりできそうだ。
さて、アレックスの仏頂面でも見に行くか。
少し緊張を緩めた私はそんなことを思いながら役場へ向かった。
役場に着くと安定の塩対応で迎えてくれたアレックスとしばし仕事をする。
報告によれば床屋に3人目の子が生まれたらしい。
あとで、薬草茶を贈ろう。
あれは産後の肥立ちにも良いらしい。
なんでも出産直後に乱れる魔素の流れを整えてくれるのだそうだ。
ともかく、母子ともに健康そうなので、一安心。
ちなみに生まれたのは床屋の大将待望の女の子だったそうだ。
末っ子で女の子だと、さぞ甘やかされるころだろうな。
そう思って微笑ましい気持ちにもなったが、同時にその子が笑って暮らせる村にしなければな、と思って少し気合が入った。
昼前、サナさんが役場にやって来た。
「失礼いたします。村長」
「やぁサナさん、どうかしたか?」
気軽に答える私に対して、サナさんはいつもの通りのアレックス的な表情で、
「たいしたことではないのかもしれませんが、念のためご報告しておくよう、ギルドマスターから言付かって参りました」
と言った。
私の気持ちが一気に引き締まる。
「…なにかあったのか?」
私の表情の変化を見たはずのサナさんだったが、相変わらず淡々とした口調で、
「ええ、それが、最近魔獣の目撃が多少増えているらしいのです」
と言った。
「…それはいかんな」
そう言って私は気色ばんだが、サナさんは、
「いえ。今のところウサギ程度ですので、初心者で十分に対応できる範囲です。ただ、ギルドマスター曰く、少し気になるとのことで、時間のある時にでもお話がしたいそうです」
と今のところは大丈夫だと伝えてくれた。
「そうか、わかった。アレックス。仮に私が森に行くことになったとしたら、10日ほどはかかると思うが、この時期ならいけそうか?」
緊急事態に備えて念のためにそう聞いてみたが、
「今のところ大丈夫です」
とあっさり答えられた。
私も、
「そうか」
と軽くうなずき、サナさんに顔を向けると、
「明日か明後日にはギルドに出向くからその時に軽く話を聞かせてもらおう。アイザックによろしく伝えておいてくれ」
と言う。
サナさんは、
「かしこまりました」
と言って、私の伝言を受け取ると、やはり淡々と一礼して執務室から出て行った。
そんなこともありながら、午前の仕事を終え、いったん昼食をとりに屋敷へ戻ると、ちょうどリーファ先生も戻って来たところだったらしい。
マリーの状態は思ったよりも良かったという報告を受けて一安心し、魔獣肉の生姜焼き丼を頬張る。
伯爵ご一行はポークピカタとパンを召し上がったそうだ。
どちらも美味いことに変わりはないが、私にはやはり生姜焼き丼の方が似合っている。
なんとなくそう思いながら豪快に掻きこんだ。
今日は午後も役場に出向く。
伯爵の来訪でかかった費用などのとりまとめを今のうちにできるだけやっておきたかった。
こういう作業はためておくと段々億劫になって期日前に慌てることになる。
夏休みの宿題と同じだ。
早めにできることはやっておいた方がいい。
そう思って精を出したが、慣れない作業に少し疲れた。
夕方、少し早めに役場を出て、自室で礼服に着替えると、リビングで伯爵の到着を待つ。
夏は日が長い。
窓から見える空はまだ充分に明るさを残していた。
美しく暮れていく空を眺めながらふとため息を吐いた。
「やぁ、バン君そろそろかい?」
リーファ先生がリビングへやって来てそう声をかけてくる。
「はっはっは。相変わらず緊張しているようだね」
と、かけてくる声には少しからかいのニュアンスが見えた。
私が、
「ああ。そうだな。まったく。これだから貴族ってのは…」
とげんなりしながら、反論する元気も無いといった感じでまたため息を吐くと、リーファ先生は、
「安心するといいよ。エインズベル伯爵はそれほど厳格な人物じゃない。むしろ気楽にできる相手さ。よほど失礼でない限りたいていのことは許されると思っておいていいよ」
と言って今度は励ましてくれる。
「さて、そろそろ玄関で出迎えてくるよ。リーファ先生は先に食堂で待っていてくれ」
私はそう言って、ドーラさんに一声かけると一緒に玄関の前に出る。
そうして5分ほど待っていると、メイドを伴って伯爵がやって来るのが見えた。
昨日と同様に礼をとり、
「ようこそおいでくださいました、クルシウス・ド・エインズベル伯爵。本日は心ばかりですが、おもてなしをさせていただきます。どうかごゆるりとお過ごしください」
と挨拶をしたが、これで正解なのかどうかはわからない。
こんなことならアレックスに確認しておけばよかった。
なぜ忘れていたんだろう。
まさに後悔先に立たずというやつか。
しかし、伯爵は、
「いや、エデルシュタット男爵。そのように堅苦しい礼はどうかご無用に願います。男爵は娘の命の恩人。こちらこそ深謝せねばならない立場です」
と、昨日同様、気さくに話しかけてくれた。
どうやらエインズベル伯爵という人は柔軟な考えの持ち主であるらしい。
外務卿の補佐というけっこうな立場で働かれている人だから、当然礼節には詳しいはずだ。
しかし、形式ではなく相手の誠意をくみ取って接してくれる。
格式を重んじる貴族にはなかなかできないことだ。
マリーは良い父親のもとに生まれたんだな。
そう思うと、なぜか私までうれしくなった。
私はそんな伯爵の気さくな態度に気を抜いてしまったが、ふと我に返って、
「…玄関先で失礼いたしました。どうぞ中へ」
と言って、伯爵を屋敷に招き入れた。