翌朝、ジードさんがやたらとどんよりした顔つきで、私を見るなりため息を吐いたから、なにか失礼でもあったのかと思って、ジークさんの方を見ると、首を横に振って、「気にするな」と伝えてくれた。
よくわからないことは気にしても仕方がないので、とりあえず美味い飯でも食えば元気になるだろうと思い、ドーラさんに美味い弁当でも作ってやってほしいと頼んで、いつものように役場へ出かけた。
出掛けに一応、ジークさんに今日の予定を確認してみると、やはり
そこまで積極的に狩りをするわけではないが、うまいこと出くわせば魔獣の一頭でも狩って来られるだろうという話だったので、うちのルビーは生肉が好きだから助かります、と言ったら、それを聞いたジークさんがやたらと張り切った表情を見せたので、くれぐれもご無理なさらずとだけ付け加えさせてもらった。
役場へ着くと、いつものようにアレックスが素っ気ない態度で迎えてくれて、一緒に伯爵をお迎えする準備の状況を確認した。
アレスの町まで続く街道はギルドに依頼して、見回ってもらうことになっている。
最近野盗や魔獣がでたという話は聞かないので、おそらく大丈夫だろう。
しかし、油断は禁物だ。
念には念を入れて警備を厳重にしておくにこしたことはない。
初心者でも構わないので、とりあえず街道を巡回してもらうように手配することにした。
村のご婦人方の手伝いの手配も確認したが、問題ないだろう。
料理上手の方々を中心に人選したから味は保証されたようなものだ。
そういえば、と思って、飼葉は十分か確認してみたところ、エルフさんたちの馬がきたから少し心もとないかもしれないという話だった。
そもそも森馬とやらが普通の飼葉を食うのだろうか?という疑問もあったが、念のため、森の入口のおっちゃんに余りがあったら分けてもらうよう頼むことにした。
あの人は馬の扱いに慣れているから、いつも良い飼葉を蓄えている。
ほかにも食材の調達状況を確認したが、コッツの隊商が間に合ったらしく、鳥もたくさん届いたということで安心した。
ついでにワインも持ってきてくれたとのこと。
そういえば、伯爵領の人たちがどんな酒を飲むのかまでは気にしていなかったから助かった。
他に確認漏れはないだろうかと思ってアレックスと一緒に点検したが、大きな漏れはなさそうだということで一安心すると、屋敷に戻って昼にした。
今日は午後も仕事だ。
抜かりがあったらいけないからギリギリまで、各所を確認しなければならない。
昼はジードさん一行のために作ったサンドイッチがあるということだったので手早くつまむ。
リーファ先生も伯爵が来るギリギリまでマリーの様子を見るということだったので、同じく手早く昼食を済ませると、また離れに戻っていった。
そんな感じでバタバタしているとあっという間に夕刻が近づいてきた。
執務室でそわそわしながら待つ。
すると、表に先ぶれの来る気配がした。
伯爵ご一行は1,2時間後には到着するはずだというので、離れに直接向かってくれと伝えて私はいったん屋敷の私室へ戻って、礼服に着替えてから離れへ向かった。
離れの玄関にはいつものようにローズがいた。
緊張とそわそわした感じが伝わってくる。
マリーのことはメルとリーファ先生が診てくれているらしい。
私は挨拶のことで頭がいっぱいだ。
どうして、こんなにも苦手なのだろうか?
他のことはたいていそつなくこなせるのだが、こればっかりはいつも上手くいかない。
(だから貴族なんていやだったんだ)
ついついそう思ってしまう。
しかし、貴族になったからこそこの村に来ることができた。
そう思えば、あまり恨み言ばかり言うのもどうかと思いなおして、ひとつ深呼吸をする。
なるようになれ、というかなるようにしかならんさ。
そう思って腹を括ると少しは気持ちが落ち着いた。
やがて、立派な馬車がやってきた。
車は玄関まえの馬車止めに止まり、ローズが駆け寄って馬車のドアを開ける。
中から、やや地味な貴族服を着た初老の男性が降りてきた。
体形はやや小柄でぽっちゃりとしているが、太っているというほどではない。
第一印象としてはいかにも人が好さそうな人物に見える。
私はさっそく貴族の礼をとる。
左足を一足半ほど右足の前に出し30度外側に開く、右足のかかとも30度内側に引き、つまり、左足と右足を縦一列に並べて自分の左側に120度の角度を作って足を前後にそろえた。
意外ときつい。
左手は胸の下、みぞおちよりも少し上に置き、右手は後ろに、手の平を外側に向けて腰に添える。
お辞儀の角度は25度。
背筋を伸ばし真っ直ぐと礼をする。
目上の方なので許しがあるまで直接目を見てはならない。
「バンドール・エデルシュタットにございます。クルシウス・ド・エインズベル伯爵様におかれましては、(…えーっと)ご多忙のみぎり、遠路はるばるのご来訪痛み入りましてございます。(あ、なにか違う…くそ…)」
私が、ところどころ詰まりながらもそう挨拶をすると、
「いやいや、楽にしてくだされ。貴方は娘の恩人。私こそ礼を尽くさねばならぬところ。どうかお顔をお上げください」
(想定問答とは違う…。ずいぶんと気を遣っていただいているらしい。ここはひとつお言葉に甘えよう)
私はそう思ってすぐに貴族の務めを放棄した。
「かたじけない。お恥ずかしい話、冒険者上がりで礼法は苦手としております。どうぞ失礼の段はお許しを」
と言って、少しだけ気楽に挨拶をした。
「ご実家で伺った通りですな。昔から礼法だけはお得意でなかったとか。いや、その方が逆に好感を持てます。実に素直で真っ直ぐなお人柄だ」
エインズベル伯爵は気さくにそう言葉をかけてくださった。
正直、ありがたい。
「そうおっしゃっていただけると助かります。さぁ、さっそく中へお入りください。マルグレーテ様がお待ちかねです」
私は型通りの面倒なやり取りを省いて伯爵を離れの中へご案内差し上げた。
伯爵だって一刻も早くマリーに会いたいに決まっている。
面倒なやり取りなど不要だ。
そう判断した。
「ああ、ありがたい。お言葉に甘えさせていただきましょう」
と言って、伯爵はローズが開けてくれた離れの玄関をくぐった。
きっと、今にも走り出したい気持をぐっとこらえられて歩いているに違いない。
そんな様子が、ありありと伝わってくる。
リビングの扉の前にはメルがいて、伯爵の姿が見えると、すぐにドアを開け、
「どうぞ」
と言って伯爵をリビングへと招きいれた。
伯爵はリビングに入った瞬間、一瞬だけ立ち止まって目を見開いたが、すぐに、
「あぁ!あぁ、マリーっ!」
と言って、ソファーに座るマリーに駆け寄ると、こちらも待ちきれないといった様子で両腕を伸ばすマリーを優しく抱きしめた。
「お、おお…おおぉ…。マリー…。マリー…」
もはや言葉にならず、ただただ伯爵は感嘆の声とマリーの名を連呼し、涙を流された。
マリーも、
「お父様…」
と言ったきり、
「うぅぅ…」
と泣いて言葉にならない。
互いに抱き合って何も言えず、ただただ涙していた。
やがて、少し落ち着いたのか、伯爵はマリーの頬に両手をあてがって、
「ああ、マリー…。ずいぶんと元気に…」
と言って、マリーを見つめ、微笑みながらもまた涙を流した。
「父上、私こんなにも元気に…」
とマリーも笑顔そう返すが涙で言葉にならない様子だ。
それから、親子はまた抱き合うと、しばらくの間言葉にならない言葉を交わしていた。
やがて、伯爵は少し落ち着いたのか、
「エデルシュタット男爵、なんと言って礼を尽くせばよいかわからない。ともかくありがとう」
と私に礼を言ったが、私は、
「いえ、私は何も。治療をしたのはそこにいるリーファ先生ですし、なにより一番頑張ったのは他ならぬマルグレーテ様でいらっしゃいます。どうぞ、その2人をお称えください」
と言って2人に視線を向けた。
すると、エインズベル伯爵は、リーファ先生に向かって、
「おお。そうでしたな。私としたことがあまりの嬉しさに取り乱し、大変失礼をいたした。リーデルファルディ・エル・ファスト・デボルシアニー様、いと尊き森の祖のお恵みに深謝を」
と言って、右ひざを床に付け、両手を交差させて胸に当てながら首を垂れ、綺麗に礼をした。
するとリーファ先生も同じような姿勢をとって、
「森の英知は全ての者のためなれば」
と言って、礼を返し、さらに
「令嬢マルグレーテ様に森の恵みあらんことを」
と言い、エインズベル伯爵も、
「寛容なる森に感謝を」
と言って礼を終えた。
そして、今度はマリーに目を向け、
「よくぞ耐えてくれた…」
と言って彼女を抱き寄せ頭をそっと撫でる。
小さな離れのリビングに夕日が差し込み、その場にいた全員を優しく包み込んだ。
その場にいたすべての者の涙が輝き、笑顔が朱に染まる。
私は、目元を拭うと、
「エインズベル伯爵。今宵はごゆっくりお過ごしください。私はここで失礼を。リーファ先生、あとは頼む」
と言って、礼を述べようとした伯爵を手で制し、目礼をすると部屋を辞した。
親子の語らいはこれからだ。
他人がいては邪魔だろう。
さて、今夜の飯はなんだろうか。
めでたい事のあったときに食う飯はなんでも美味い。
私は、
(こんな時まで飯のこととはな)
と自分に苦笑しながらも、軽い足取りで屋敷へと戻って行った。