私が離れに着くと、ローズが庭掃除をしていた。
「やぁローズ」
私が少し離れたところからそう声をかけると、
「師匠!こんにちは」
といつものように元気に返事をして、ローズは私の方へ駆けよって来る。
「今日、急な来客があったと聞きましたが、いかがなさいました?」
「ああ、そのことで来たんだが、ああ、その前にマリーに伝えてくれ。明日の夕刻には伯爵がお着きになるとな。そのあと時間があるならちょっと裏庭まで来てくれ。来客の護衛騎士の方と手合わせすることになったから見学に来るといい」
「はいっ!では、お嬢様に伝えて、すぐに参ります!」
そう言って、離れに駆け込もうとするローズに向かって私は、
「おいおい。そう急がなくても大丈夫だ。その方は今訓練用の木剣を選びにギルドへ行っている。落ち着いて、着替えてくるといい」
私が微笑みながらそう言うと、
「はいっ!」
と、満面の笑みを浮かべながらローズは離れに駆け込んで行った。
(まったく。元気な子だな)
私はそう思って、苦笑いすると屋敷に戻っていく。
自室で簡単に着替え、木刀を持って裏庭に出ると、さっそく場を整えるために少し掃き掃除をする。
すると、さっそくローズがいつもの稽古着に木剣を持ってやって来て、
「師匠、よろしくお願いします!」
と言い、掃き掃除を手伝ってくれた。
「師匠、その護衛騎士の方というのはどのような方なのですか?」
と聞いてくるローズに、
「今日会ったばかりだが、おそらく相当な使い手だ。私は対人戦が得意じゃないからやや分が悪い。しかし、いい稽古になるだろう」
私がそう言うと、ローズは、
「私は師匠が勝つと信じています!」
と言って、私を真っ直ぐに見つめてくる。
しかし、私は、
「ローズ、こういう手合わせは勝ち負けじゃない。相手を通して己を見つめるための機会だ。感情に流されず、冷静に自分と向き合う姿を学べ」
と言って彼女の肩を軽くたたき、そう諭した。
掃き掃除が終わり、井戸で簡単に汗を拭って戻ってくると、
「待たせた」
と言って、ジークさんがやってきた。
ルビーさんとジードさんも裏庭に出てきている。
「いえ。ところで、着替えはいいのですか?」
と私が聞くと、
「かまわん。道中着だ」
と言って上着を脱ぎ、そばにいたルビーさんに預けると軽く体を伸ばしたりして、動きを確かめ始めた。
私もそれに倣って、少し体の具合を確かめる。
(調子は悪くなさそうだ)
そんなことを思い、ジークさんの方に視線を向けると、軽くうなずかれたので、私も軽くうなずき返し、裏庭の真ん中あたりで向き合った。
互いに一礼して構える。
(やはり相当だ)
私はそう思いながら、いつものように丹田に気を溜め集中を高める。
お互いに動かない。
じりじりとした時間が過ぎていく。
それは突然だった。
気が付けばジークさんが目の前に迫っていて、横なぎに剣を振ってきた。
なんの予備動作も無かったように思う。
私は刀を下に向け、重心を少し斜め後ろに引いてて何とかその一撃を受け流すと、素早く距離を取り、少し身を屈めると今度は自分から仕掛けた。
(そう甘くはないか…)
小手への突きは簡単にはじかれた。
(しかし、これでいい。今は冷静に見極めろ)
自分にそう言い聞かせて、またすっと身を引き、脇構えの姿勢を取る。
ジークさんを見ると、八相の構えのように手元を顔の横に引きながらも切っ先をこちら側、やや斜め下に向ける独特の構えをしていた。
先ほどの速さに加えて力も乗ってきそうな構えだ。
おそらく袈裟懸けにくる。
そう思った瞬間気配が動いた。
私はまたしても後ろに重心を引き、袈裟懸けの力強い一撃を滑らせるように受け流すと、一瞬ジークさんの体勢がずれた。
すかさず小手に斬りつけるが、上手く引かれる。
私は一瞬で刀をひねり、薙ぎ払うように刀を動かすと、再び距離をとった。
(集中しろ、気配を読め)
そう自分に言い聞かせると、またしても脇構えの姿勢を取り、さらに気を集中させた。
やがて音が無くなる。
ただ、全身で気配を感じろ。
そう考えた刹那、ジークさんの手元にほんのわずか、力が入るのを感じた。
すかさず踏み込んで斬りこむと今度はジークさんが防御して後ろに距離を取った。
私は構わず一歩踏み込んで袈裟懸けに斬りつける。
すると、今度も後ろへかわしたはずのジークさんがいつの間にか一歩踏み込んで強烈な突きを放ってきた。
なんとか捌いて互いが交錯する。
次の瞬間お互いが素早く振り返り、袈裟懸けに剣を振り下ろし、鍔迫り合いの形になった。
しばし見合った次の瞬間お互いが後ろへ重心を移動させ引き際に剣を振るう。
お互いに届かない。
再び長いじりじりとした瞬間が訪れた。
(焦った方が斬られる)
お互いにそう思っているのだろう。
互いの集中が増した。
私の目にはジークさんから色が消え、黒い影になったように見えだした。
集中させた気の流れと呼吸を合わせるように静かに集中力を高めていくと、やがてその影が揺らめいた。
空気の流れがわずかに変わる。
私が右に半身を開くと鼻先を剣が通ったような感覚があった。
その感覚に合わせるように刀を振り上げるが、影には届かない。
今度は上から気配を感じた。
刀を両手で頭上に持ち上げ、一撃を受け止める。
そのままその力をいなすと右に動いて踏み込み、横なぎに影の左側面へ刀を振るった。
届いた。
しかし、浅い。
素早く振り返り返す刀で袈裟懸けに一撃を浴びせようとするが、今度は胴のあたりに気配を感じ、一瞬身を引いてそれをかわすと、次の瞬間に一歩踏み込んで上段から刀を振るった。
すんでのところで、影にかわされる。
次の瞬間、右から迫る気配があった。
それに刀を合わせて、巻き上げるように振るう。
振るった刹那、刀に衝撃を感じたが、ふとその力が抜けるような感覚があった。
危なかった。
私はそのままさらに一歩踏み込むと袈裟懸けに影を斬りつけようとしたが、すんでのところでなんとか止めることができた。
良かった。
まるで夢から覚めて現実に引き戻されるようなあの感覚に襲われたあと、目の前を見ると、そこには折れた木剣で防御の姿勢を取るジークさんの姿があった。
「それまで!」
唐突にジードさんと思しき人物の声がきこえた。
慣れない対人戦だったからだろうか、どっと疲れがこみ上げる。
私はゆっくり刀を引くと、鞘に納める動作を取って、ジークさんと向き合った。
ジークさんも同じように力を抜いている。
互いに一礼すると、まずジークさんが一言、
「参った」
と口にした。
ジークさんはそう言ったが、それはこちらのセリフだ。
「いえ、こちらこそ参りました。実戦なら初手で私の負けだったでしょう。あの一撃はすさまじかった」
私は素直に感想を述べる。
「どうだろうな。あれを、しかも2度までもかわされたのは初めてだ」
そういうジークさんに向かって、私は首を振り、
「途中で木剣が折れてしまったのが残念です。いつかまた御指南いただきたい」
と言って頭を下げた。
「こちらこそ。次はエルフの森で採れる白光で作らせた木剣でも持って来よう。黒ダマと同じくらいの強度がある。あれならそう簡単には折れんだろう」
そう言って、どちらともなく差し出した右手を握りあい、手合わせは終わった。
「師匠、お疲れ様です!」
そう言って、ローズが手ぬぐいを差し出してくれる。
これで、レモンのはちみつ漬けでも持ってきてくれていたら、完璧なマネージャーなんだが、と妙な記憶を思い出しつつ、
「ありがとう」
と言って、それを受け取ると、いつの間にか外に出てきていたペットの2人が私のもとへやって来て、
「きゃん!」(今日は鳥!)
「にぃ!」(鳥さん!)
と言ったので、私はふと力が抜けて、微笑みながら、
「よしよし、今日もドーラさんの飯を堪能しようじゃないか」
と言って2人を撫でた。
「さぁ、手を洗って食堂へ行こう」
と言って、私が井戸の方へと向かうと、お嬢様方も私の足元で嬉しそうにじゃれつきながらついてくる。
なんだかやたらと濃い一日だった。
そう思って空を見上げると、日は傾き夕刻になっていた。
体力を使った分、いつもより腹が減っている気がする。
鳥料理が楽しみだ。
そう思うと、余計に腹が減ってきた。