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第64話父来たる08

その日の午後はこれまでの人生で最も辛い時間だった。

まず、午後から退屈な授業が待っていると思うと、飯の美味さが半減してしまう。

せっかくドーラさんが作ってくれた、スキレットの底に薄焼き卵を敷いたタイプのナポリタン、すなわち鉄板ナポリタンの味も朧気だ。

デザートに出されたナーズのコンポートの甘さも感じない。

私の横で口の周りを真っ赤にしながらガツガツ食って、奇声を上げるリーファ先生をこれほど恨めしく思ったことはいまだかつてなかっただろう。


そして、午後から行われたアレックス先生の授業は、最初の挨拶だけでも夕方まで及び、クタクタになるまで頑張ったが、最終的にはなぜかアレックスが頭を抱えていた。

私はどうにかして今すぐ爵位を返上できないものかと真剣に考えもしたが、そんな妙案は浮かばない。

実家に迷惑をかけないためにも、さらにはマリーに恥をかかせないためにもと思えばこそなんとか耐えられたが、もう二度とごめんだ。

だいたい、礼の角度なんてどうだっていい事を気にする貴族社会の方がおかしい。


そんなことがあって、クタクタになって屋敷へ戻ると、今日の夕食は甘辛い醤油ベースのタレがたっぷりとしみ込んだコッコ肉のタレかつ丼とドーラさん十八番の茸汁だった。

デザートにはチールのゼリーもついている。

きっと、疲れて萎れきった私に対する、ドーラさんなりの気遣いなんだろう。

私の好きな物で励まそうとしてくれているように感じた。

疲れた体に甘じょっぱいタレの味と、いつもの優しい茸汁の味が沁みる。

それに、デザートのチールのゼリーはきっとマリーも一緒に食っているはずだ。

そう思うと、なんだか少し疲れが癒えたような気がした。


それから数日。

その日も、いつもと同じようにローズとの稽古から一日が始まった。

それにしてもここ最近、ローズの腕が上がってきている。

私は他人の剣技のレベルについてはよくわからないが、対人戦ならそれなりの騎士と戦っても問題ないレベルにはなっているだろう。

…あとは、彼女に人を斬る覚悟があるかどうかだ。


私は何度かある。

当然ながらあまり気持ちのいいものではなかった。

その時の私はまだ若く、あまりの怒りに自分を見失ってしまって、感情のままに人を斬ってしまった。

たしかに相手は斬られても仕方のない悪人だったが、それでも、本来人を守り、生かすはずの剣術をただの危険な道具にしてしまったのではないか。

そんな疑問が今でも時々脳裏に浮かぶ。

ローズもこれから、どうしても相手を斬らなければならない場面に出くわすことがあることだろう。

そんな時、冷静さを失えば、ぬぐえない後悔ばかりが心に残る。

怒りに飲まれず、相手の殺気を受け流す。

私もそんな剣を目指して日々精進しているが、果たしてそれに近づけているのかどうかはわからない。

しかし、少なくとも、ローズにはその辺りのことをしっかりと伝えなければいけない。

何年かかるかわからないし、その間に失敗することもあるだろう。

その時、私はどうすれば彼女の支えになってやることができるだろうか?

そんなことを思いつつ、キラキラと目を輝かせながら懸命に剣を振る彼女を見つめた。


朝食を済ませて役場に赴くと、すでにアレックスは出勤していていつものように机の上に書類を広げている。

おそらく今日の昼頃には先ぶれが来て、明日の夕刻には伯爵が到着なさるだろう。

大方の準備は整っているが、午後は最終確認をしなければいけないな。

そう思って私もいそいそと執務机に向かったところで、役場のドアが勢いよく叩かれ、

「ごめんくだせぇ」

とおとないの声が聞こえた。

いったい何事だろうか?と思って、アレックスと共に執務室を出て、玄関を開けてやると、そこには炭焼きの若者が息を切らして立っている。

よほど急いできたのだろう。

私が、

「どうした?」

と聞くと、

「へ、へい。…さっき炭焼き小屋に森の奥の方から、やたら綺麗な馬に乗ったエルフさんが3人ばかりいらっしゃいまして、村長のお屋敷はどこかっておっしゃいますんで…」

と、少し混乱気味にそう言った。


エルフ?

私はまったくピンとこなかったが、とりあえず、

「…わかった。その方たちはいまどこに?」

とその若者に聞いてみた。

すると、その若者は、

「へぇ、炭焼き小屋の所でちょっと休憩したらすぐにお屋敷に向かうとおっしゃってましたんで、昼頃には…。ベンのとっつぁんがご案内してくるそうでごぜぇやす」

と言う。

私は、まだ、どうにも訳が分からなかったが、

「そうか。ありがとう。ともかく屋敷で出迎えよう。アレックス、とりあえず水を飲ませてやってくれ」

と言って、その若者を労った。

アレックスは「はい」と短く言って、その若者に「奥へ」と言って案内していく。

「すいやせん。かたじけねぇことです」

と頭を下げながら奥へ水を飲みに行くその若者を見送ると、私はさて一体なんだろうか?

と思って首をひねった。


商人だろうか?

いや、エルフの商人は主に北の辺境伯領辺りで活動しているはずだ。

わざわざ辺境のトーミ村まで、しかも森を通って商売に来るとは思えない。

なにか他の用件でこんな辺境まで来たのか?

…そんなことは考えられないが、ともかくそれなら普通は先ぶれを入れるはずだ。

本当にいったいなんだろうか?

そう思って、私はふと気が付いた。

(ああ、そう言えばちょっと前にリーファ先生に誕生日プレゼントが届くとか言っていたじゃないか)

それか!思った私は、とりあえず急いで屋敷に戻ると、ドーラさんにもうじきエルフの人たちが来るらしいと伝えてとりあえず、茶の準備を頼んだ。


それから、離れに行って、いつものように掃き掃除をしていたローズに、

「リーファ先生にエルフの人たちが届け物を持ってきたようだから、治療が終わり次第戻って来てくれるように伝えてくれ」

と伝言を頼んですぐに屋敷に引き返し、とりあえず着替えた。


ほどなくすると、リーファ先生は屋敷に戻って来て、

「エルフが来ているんだって?」

と怪訝そうな顔で私にそう言った。

「ああ、さっき炭焼きの若者がひとっ走り先ぶれにきてくれたんだが、なんでもやたらと綺麗な馬に乗ったエルフさんが3人ほど屋敷に向かって来ているらしい。…例の届け物か?」

と私が聞くと、

「………」

リーファ先生はしばらく考え込んでから、ぱっと目を見開いて顔を上げ、一瞬驚いたような顔で私を見ると、すぐにまた下を向きため息を吐いてから、

「ああ、それはたぶんうちの父親だ」

と言った。


「親御さん?」

私は驚いてそう聞くと、リーファ先生はいかにもげんなりという顔で、

「ああ、やたら綺麗な馬ってところでなんとなくわかったよ。おそらく、いつもみたいに飾り付けた森馬もりうまにでも乗って来たんだろうね…」

と、言った。


しばらくの間、私は言葉を発することができなかったが、やがてはっとすると、

「ともかく、それは急いで準備しなきゃいかんな。なにか用意したほうがいいものはあるか?」

と私が言って、リーファ先生を見た。

するとリーファ先生は、

「いや、特には…」

と言いかけて、

「いや…。もしかしたらしばらく滞在したいと言うだろうな…」

と、もはや諦めたような顔でそう言った。


「そうか…。とりあえず、ズン爺さんを呼んでこよう。客間の準備がある。なんなら村のご婦人方にも手伝ってもらわなければ…」

私はそう言って、慌てて屋敷を出ていこうとしたが、リーファ先生に止められた。

「いや、それは大丈夫だ。おそらくメイドが付いてきているはずだからあっちにやらせればいいさ。寝具なんかはあるんだろ?」

「あ、ああ。納屋に予備がいくつかあるが…」

「じゃぁ、大丈夫だ。なに、先ぶれも無しにいきなりやって来たあっちが悪いんだ。不満なんて言わせんよ」

と、リーファ先生はあきれたような、怒ったような顔でそう言い、

「なんならそのまま突っ返したいがね…」

とまたため息を吐きながらそう言った。


「いやいや、そういうわけにもいかんだろう。久しぶりに会うんだ。せめて何日かゆっくりしていってもらおう。伯爵家の騎士の人たちとの兼ね合いもあるが、いざとなれば私室も空いているから部屋はなんとかなる。エルフの国からとなると長旅でさぞお疲れのはずだ」

私がそう提案すると、リーファ先生はしばらく考えてから、いかにも仕方ないなという表情で、

「…おそらく客室2つで足りる。どうせ父と護衛とメイドの3人だろう。護衛とメイドは夫婦だから、同室でいい」

と、いかにも適当で構わんという感じで言うと、

「ああ、馬はもしかしたら5,6頭連れているかもしれないが、その世話も護衛がやるだろうから心配いらんよ」

と、言った。

「そんなものなのか?いや、まぁ、じきに伯爵がいらっしゃるのだから、こちらとしては簡単で助かるが…」

「ああ、どうせ森の中を野営しながら来たはずだ。なんなら庭先でも構わんくらいさ。屋根があるだけましだと言ってやるよ」

と今度はちょっとだけ悪い顔をしながらリーファ先生は「はっ」と吐き捨てるように苦笑した。


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