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第63話父来たる07

それから4日後。

いつものように役場に赴き執務をしていると、役場の前庭に馬が着くのが見えた。

恰好からして、エインズベル伯爵家の使者だとすぐにわかったので、アレックスを迎えにやると、すぐに、その使者を伴って執務室に戻って来た。

「バンドール・エデルシュタット男爵様へ我が主クルシウス・ド・エインズベルからの書状をお持ちいたしました」

そう言って、書状を差し出してきたのはアレスの町で書状を預けたあの騎士だ。

「すまんな。すぐに確認して返事を書く。少し待っていてくれ」

私はそう言うと、

「アレックス。すまんが、応接へ案内して茶を差し上げてくれ。あと、ドーラさんに言って、軽くつまめるものを」

とアレックスに指示を出した。

使者の騎士が、

「かたじけない」

と言って、いったん下がると、私は早速書状を開封した。


書状によると伯爵の到着は今日から数えて5日後を予定しているという。

つまり、私の出した書状が到着するとすぐに準備をし、かなり急いで出発したことになる。

さらに、その書状には、村に来る前日はアレスの町の私の実家に泊まることになるから、そこから改めて使者を出す。

滞在予定は5泊6日。

同行するのは騎士4名とメイド1名の計5名。

と書いてあった。

(王に近く、激務の伯爵にしてはずいぶんと長く休めたものだ。それに急ぎの旅だからだろうか?ずいぶんと少人数で来られるのだな…)

きっと、伯爵は貴族の見栄よりも早さを重視したのだろう。

あらためて、その書状から伯爵がこの日をどれだけ待ち望んでいたかが伝わってきた。


私は頭の中で簡単に部屋割りを考える。

離れで空いている部屋は2部屋。

伯爵が1部屋使うとして、メイドがもう一つの1部屋使うとしたら騎士は泊まれない。

そこは母屋の客室を使ってもらうことになるが…。

一応、私室も手入れをしておこう。

たしか、寝具は予備があったはずだ。

あとは…念のため、村に1軒だけある宿屋も1部屋抑えておくか。

人手は村のご婦人方に手伝いを頼めば大丈夫だろう。

…よし、なんとかなりそうだ。

私はそう考えをまとめると、急いで了解した旨の返事をしたため応接室へ向かった。


応接室には先ほどの騎士がいた。

私が応接室に入って来た瞬間立ち上がろうとしたので、私はそれを手で制し、

「疲れたろう。楽にしてくれ」

と言って騎士にそのままでいいと促す。

「かたじけない」

騎士はそう言って、少し浮かしかけた腰をまたソファーに沈めると、私の勧めで茶を飲み、クッキーをつまんだ。


「これはうまいですなぁ」

騎士が食ったのはドーラさん特製のアップルクリームを挟み込んだクッキーだ。

クリームにたっぷりとアップルブランデーに漬け込んだ干しリンゴを混ぜ込んであるから、口に入れた瞬間、爽やかだが濃厚なリンゴの香りが一気に広がる。

勧めた紅茶との相性も抜群だ。

疲れた体には心地よい甘さだろう。


そんな一幕で、場の空気が少し和むと、私は部屋割りの予定などを伝えた。

その騎士は、

おそらく人員の配置に問題はなかろう。

詳しくは本隊を率いる者に伝令を送るからあちらで対処してくれるはずだ。

と言ってくれたので、私は一安心し、その場に控えていたアレックスに宿の手配を頼むと、彼はすぐに宿屋へと向かってくれた。


そうして、必要なことを伝え終わると、騎士はすぐに発つという。

私が、「せめて道中に食ってくれ」と言って、先ほどのドーラさん特製クッキーを包んで渡すととても喜んでくれた。

よほど美味かったらしい。

その様子に、なぜか私まで誇らしいような気持ちになり、笑顔で使者を見送った。


さて、これから忙しくなるぞ、そう思いながら私は執務室に戻り、アレックスの帰りを待っていると、やがてアレックスが戻って来て、宿の手配が無事に終わったと報告してくれる。

私は早速マリーにこのことを伝えに行こうと思って、執務室を出かかったが、ふと思い出してアレックスの方を振り向き、

「なぁ、アレックス…。あとで、貴族の礼を教えてくれないか?」

と言った。


なんだかあきれた顔をして、

「いいですよ」

と答えてくれたアレックスの冷ややかな視線を背に受けながら、マリーのいる離れへと向かう。

離れの玄関にはいつものようにローズがいて、掃き掃除をしていた。

「やぁローズ。マリーに伝言があるんだが、まだ診察中かな?」

「師匠!こんにちは。先ほど終わって今はリビングでリーファ先生とお茶を召し上がっておられるところです」

ローズはそう言って、玄関のドアを開け、私を招き入れてくれると、

「少々伺ってまいります。少しお待ちください」

と言って、先にリビングへと向かった。

ややあって、

「お待たせいたしました。どうぞ」

と言って、私をリビングへと招き入れてくれる。

私がリビングに入ると、マリーが笑顔で出迎えてくれた。


「ようこそ、いらっしゃいました。バン様。いかがなさって?」

「突然すまんな。エインズベル伯爵から使者が来て5日後にいらっしゃると伝えてきたからそれを知らせにきたんだ」

「まぁ!」

マリーはそうひとこと言って胸の前で手を叩くように合わせると、涙ぐみながら、

「…うれしい。私こんなにうれしいの…。うれしくて…」

と言葉を詰まらせ、リーファの胸に顔をうずめて泣き出した。

私はそれがうれしい涙なのだとわかっていたが、それでも女性の涙というものに全く触れたことのない経験値の無さから、ただただオロオロとすることしかできなかった。


「よしよし。良かったね、マリー。やっとここまで来られたんだね。良かった」

そう言ってリーファ先生はマリーを撫でながら優しく話しかける。

私はそんな2人の様子を見ると、少し落ち着きを取り戻し、

「ああ。本当に良かったな…」

とつぶやいた。

メルとローズも目を濡らしているが、このうえなく嬉しそうな表情をしている。

しばらくの間、リビングには優しい空気だけが流れた。


そして、ようやくマリーは落ち着きを取り戻すと、

「…。ごめんなさい。私、あんまりうれしかったものだから、つい取り乱してしまって…」

と顔も目も赤くしながらそう言ったが、私はそんな彼女の顔をまっすぐに見て、

「いや、謝ることじゃない。私もうれしい」

と素直に今の自分の気持ちを伝えた。

すると、マリーは一瞬びっくりしたように目を見開いたあと、

「うふふ。私もそう言っていただけてうれしいですわ。…ええ、本当にうれしいです」

と言って、いつものように柔らかく微笑んだ。


私は離れを辞すると、そのまま役場へ戻ろうかと思ったが、なぜだか足元がふわふわする。

頭もボーっとしていた。

少し動悸もあるようだ。

風邪でもひいてしまったのだろうか。

いや、きっと私もマリーのあの喜びの感情に引きずられて私まで興奮してしまったのだろう。

このままでは仕事にならない。

そう思って、役場へ戻る途中井戸に寄って顔を洗っていると、ちょうど野菜を洗いに来たドーラさんと出会った。


「あら、村長。いかがなさったんです?」

多分ドーラさんは、この時間に私が井戸端にいることを不思議に思ったんだろうが、私は、

「ああ。さっきエインズベル伯爵、マリーの父上から手紙が届いてな。あと5日ほどで村に到着すると知らせてきたから、それをマリーにも知らせに行ってきたところだ」

とだけ答えて、井戸端で顔を洗っている理由をごまかした。

すると、ドーラさんは、

「まぁ!それはようございましたねぇ。マリー様はさぞかしお喜びになったでしょう」

と言って、まるで自分事のように喜んでくれる。

私もドーラさんがそう言ってくれたことが嬉しくて、

「ああ、それはもう大変な喜びようだったよ」

と言い、笑顔をこぼした。

そんな私の顔を見てドーラさんは、

「まぁまぁ。では、今日のご飯はとびっきり美味しくいたしませんと」

と言って「うふふ」と笑いながら楽しそうに野菜を洗い始めた。


私が役場へ戻ると、アレックスは書類を広げてなにやら忙しそうにしている。

「ああ、村長おかえりなさい」

「すまんな。なにか手伝うか?」

私は、なにかできることがあれば手伝おうと申し出たが、アレックスは、

「いえ、こちらは物品の在庫の確認ですので…。机の上に置いてある書類に目を通していただいたら、お昼へどうぞ」

といつもの素っ気ない態度で答えてくれた。

「そうか。すまんな」

と私は礼を言うが、

「いえ。その代わり今日は午後から礼法の授業となりますので早めにお戻りを」

と言って、アレックスは私を先ほどのふわふわした気分から一転、まるで漬物石を飲み込んだかのような気分にさせた。


(なんで、あんなことを言ってしまったのか。いや、この間マリーに始めてあったときの二の舞になってはいけない。やらねばいかんことだ。いかんことではあるのだが…)

と、私の頭の中は、そんな葛藤で揺れる。

しかし、私は、

「…わかった。お手やわらかに頼む」

と絞り出すようにそう答え、

「なんで貴族になんかしやがったんだ…」

と天を仰いでため息を吐きながら、見たこともない王に向かって悪態をついた。


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