さっそく私はマリーのいる離れへと向かう。
最近、マリーの体調は日に日によくなっているらしい。
リーファ先生曰く、そろそろ歩く練習を始めても良い頃なのだとか。
順調でなによりだ。
きっと父君もこの回復ぶりをみれば喜んでくれるだろう。
そんなことを考えつつ離れに着くと、いつものようにローズが玄関の掃除をしていた。
「あ!おはようございます、師匠」
私に気づいたローズが明るい声で挨拶をしてくる。
「ああ、おはよう。マリーとリーファ先生は治療中か?」
私がそう聞くと、
「はい、リーファ先生は先ほどいらっしゃいましたので、まだ魔力循環中かと思います」
と答えてくれた。
「そうか。エインズベル伯爵から例によって手紙が届いたから知らせにきた。やっと時間ができたから、近々村を訪れたいそうだ。マリーは喜ぶだろうが、一応リーファ先生の意見も聞いておきたくてね。すまんが治療が終わったら知らせに来てくれるか?私は屋敷で早馬の準備をしている」
私がそう言って、伝言を頼むと、
「わかりました。伝えておきます」
と言って、ローズは笑顔で請け負ってくれた。
相変わらず元気な子だ。
ローズに稽古をつけ始めて2年ほどになるが、いつの間にか彼女は私のことを師匠と呼ぶようになっていた。
私も私で彼女のことをローズと呼んでいる。
しばらくすると、メルがお嬢様もローズも愛称で呼んでいるのですから私のこともどうぞ愛称で、と言ってきたので、彼女のことも遠慮なくメルと呼ぶことにした。
当初はお客様として迎えていたマリー一行だが、いまではすっかり、家族ぐるみでお付き合いしているご近所さんといった感じだ。
そんな気兼ねのない関係が、マリーの療養生活に少しでも寄与できているのであればいいが…。
そんなことを思いながら私は屋敷へ向かった。
屋敷に戻るとさっそくドーラさんにアレスの町までひとっ走り行ってくると伝え、準備を整え始める。
慣れた作業でさして手間もかからない。
帰りは荷馬車だ。
おそらく野営を挟むことになる。
荷物は軽い方がいいとは思いつつも最低限の野営道具だけは詰めて行くことにした。
やがて、準備が終わるころ、ドーラさんがお茶を持ってきてくれて、お昼はゆっくり召し上がれないでしょうから、と言っておやつを出してくれた。
バンポの皮のはちみつ漬けを練り込んだクッキーだ。
爽やかな香りと少しの苦みが薬草茶とよく合う。
最近のお気に入りだ。
「そういえば、マリーもバンポが好きだと言ってたな」
私がふと思いついてそう言うと、
「ええ。村長が森で見つけてきた果物なんですよ、とお教えしたらご興味をお持ちになられましてねぇ。このクッキーもほんの少しですが、お食べになりましたよ」
とドーラさんが嬉しそうにそう言った。
「そうか、そいつはよかった。どんどん食えるものが増えてきているな」
そう言う私に、
「うふふ。マリー様も意外と食いしん坊さんなのかもしれませんねぇ。新しいものをお出しすると、とっても喜ばれるんですよ」
と言って、ドーラさんが笑う。
そんなドーラさんを見て私が、
「そいつは良かった。なにせ飯は元気の源だからな」
と言うと、
「うふふ。村長がおっしゃると、説得力がありますわね」
とドーラさんはまた笑いながらそう言った。
そんな感じで、ドーラさんと楽しく話しをしていると、やがてローズが私を呼びにきた。
「お待たせいたしました。本日の治療が終わりましたので、お知らせに参りました」
「おお、そうか。ありがとう。よし、じゃあ、さっそく行こう」
私がそう言うと、ローズは、
「はい!」
と明るく返事をして、さっそく一緒に離れへ向かった。
いつものようにリビングへ通される。
私がマリーと会うのは基本的にリビングだ。
さすがに男が女性の寝所に入るというわけにはいかないし、リビングまで出て来られるというのは、体調が良い証拠でもあるから、自然とそうなった。
最近では月に1,2度マリーを訪ねている。
もちろん、ルビーとサファイアも一緒にだ。
マリーはいつも冒険の話や村の様子などの話を聞きたがるので、毎度ネタには苦労するが、私にとってもそれは楽しい時間だから、毎回話は弾む。
しかし、そうやってマリーと話していると、なぜだか落ち着いた気持ちになるのだから、不思議なものだ。
私がリビングへ入ると、マリーは薄化粧をして、ソファーに座っていた。
背もたれにはクッションをいくつか置いて、楽に座れるようにしてある。
なんでも、このクッションのほとんどがマリーの手作りなんだそうだ。
道理で、やけにかわいい柄が多いと思った。
「診察の直後にすまんな」
私がそう言うと、マリーは、
「いいえ。今日はとっても嬉しいお知らせを持ってきてくださったんでしょ?」
と言って、いつものように柔らかく微笑んだ。
「ああ、そうだな。急がせてすまんが、一応マリーの意思とリーファ先生の意見を聞いてから返事を書こうと思ってな」
私がそう言うと、
「あら、私はもちろん大歓迎ですわよ?」
マリーはなぜ?という顔をした。
私は苦笑いしながら、
「ああ、そうだと思ったよ。で、リーファ先生の意見は?」
と今度はリーファ先生にも一応聞いてみる。
「もちろんいいとも。患者の精神状態も治療には大事だからね。しかし、無理はいかんから、面会は診察の後、体調の良い日を見計らって数時間程度に抑えてもらおうかな?この離れに泊まってもらえば時間の融通も利きやすいだろうしね」
と言って、ニコリと笑った。
「まぁ、それは素敵ね!」
マリーはそう言うと、両手を胸の前でパチンと合わせて満面の笑みを浮かべる。
「よし、じゃぁそう返事をしておこう。ああ、そうだ。こっちはマリー宛ての手紙だからゆっくり読むといい。おそらく、10日から15日くらいで来られるだろうから、返事はその時直接伝えればいいだろう」
私がそう言って、手紙を渡すと、
「まぁそんなに早く来てくださるのね!…でも、待ちきれないわ。ああ、私どうしたらいいのかしら」
マリーは興奮して少し混乱気味にそう言った。
「まぁまぁ、落ち着き給えよ、マリー。父君が来るまでにもっと元気になった姿をお見せできるように少しずつだが、歩く練習もしようじゃないか。きっと驚かれるぞ?」
リーファ先生がまるでいたずらっ子のような目をしてマリーにそう言うと、
「あら。それは素敵ね、リーファちゃん。うふふ。楽しみだわ」
といって、マリーも同じようにクスクスと笑った。
そんな微笑ましいやり取りがひと段落すると、私は先ほどのバンポの話をふと思い出して、リーファ先生に、
「ああ、そう言えば」
と話しかけた。
「ん?なんだいバン君」
「いや、たいしたことじゃないんだが、マリーは冷たいものは食えるようになったか?」
と私が質問してみると、リーファ先生は、
「ああ、今日みたいに暑い日なら少しくらいはかまわんぞ?」
と答えてくれたので、私は、
「そうか、じゃぁそのうち、ドーラさんにお願いしてバンポのシャーベットでも作ってもらおう」
と提案した。
「しゃーべっと?」
マリーが不思議そうな顔で首をかしげる。
「そういえば、マリーは知らなかったか。果汁に砂糖を加えて凍らせたもののことだ」
と言って、私が簡単にシャーベットの説明をすると、マリーは目を輝かせながら、
「まぁ!それは素敵ね。私凍ったものは食べたことが無いからとっても楽しみだわ」
と言って、「うふふ」と楽しそうに笑った。
そんな会話を聞いていたリーファ先生が、
「はっはっは。私もこの村に来て初めて食べたんだが、なかなかいい物だよ、あれは。暑い日に食べるとたまらないんだ。…よし、マリーのためにも、ちょっと大変だが私も協力しよう」
と言いうと、マリーは、
「まぁ…リーファちゃんがお料理してくれるの?」
と言ってリーファ先生を見つめた。
しかし、リーファ先生はそんな期待の眼差しに少し慌てて、
「いやいや、残念だけど私はただ魔法で氷を作るだけさ。なにせ食べるほうの専門家だからね」
と言い、マリーに向かって申し訳なさそうな顔を見せて苦笑いする。
だが、マリーは、
「まぁ、魔法って氷も作れるのね。すごいわ、リーファちゃん!」
と言って魔法で氷が作れるということに驚いた。
(世間知らずと言えば聞こえは悪いが、長い闘病生活でマリーはこんなにも世間から隔絶されて生きてきたのか…。しかし、今ではこれまでの時間を取り戻すようにいろんなことを積極的に吸収しようとしている。うん、良いことだ)
私はそう思って微笑むと、マリーにさっそく未知の食べ物、シャーベットを味わってもらおうと思って、
「じゃぁ、出かける前にさっそくドーラさんにお願いしておこう。さっそく食ってみるといい」
と言ったが、それに対するマリーの答えは意外なもので、
「あら、それはダメですわ、バン様。そんなに素敵な物なら、みんなで一緒に食べませんと」
と言った。
(これは一本取られたな…)
と思った私が笑いながら、
「はっはっは。たしかにそうだな。よし、帰ってきたらみんなで食おう」
と言いうと、マリーも笑って、
「うふふ、とっても楽しみですわ」
と言い、最後にリーファ先生が、
「これでまた楽しみが一つ増えたな」
と言って微笑んだ。