春。
そろそろ37歳が近づいてきた。
この冬も納税作業に四苦八苦した以外は何事もなく、穏やかな気持ちで春を迎えている。
秋から冬の間にあったことと言えば、秋の収穫祭で多数の酔っ払いが出たのと、冬至祭りに皆でツルウリ団子を食ったくらいだ。
サファイアが雪の積もった庭を駆け回っていたのも、ルビーが暖炉の前から動かなくなったのもいつも通り。
そして、2人して私の布団に潜り込んできて一緒に寝ることが増えたのも例年通りだった。
ちなみに、冬至にツルウリを食うと言う風習は私が日本の風習をまねて始めたもので、最近では村の風習になった。
ツルウリには風邪を予防する効果があるから、寒い日に食うと健康になれるというまじないみたいなもんだと説明したら、村人がまねをするようになった。
一口大に切ったツルウリの上に餡子を乗せ、小麦粉と上新粉を混ぜて作った皮で包んで蒸しあげたツルウリ団子が美味かったというのもあるだろう。
各家庭でも作りやすいお菓子だからか、今ではすっかり村の名物になった感がある。
心配していたマリーの体調もヒーターのおかげか、少し風邪気味の日もあったようだが、押しなべて健康を維持できたようだ。
秋、エインズベル伯爵から届いた書状には、
「冬は特に心配だ。引き続きくれぐれも頼む」
と書いてあったから、雪が解け始めるとすぐに、またマリーの刺繍を付けた書状を送った。
ちなみにいつも送っている刺繍入りのハンカチは全て額に入れて飾っているそうだから、伯爵はまた額縁を一つ注文することになるだろう。
そんな少し前の出来事を思い出しながらも改めて自分の仕事に集中し、とっとと書類を片付けた。
午後はいつものように村を散策…もとい見回る。
村ではそろそろ、田んぼに蓮華が咲き始めているから、もうじきハチを放す頃なのだろう。
野良仕事に精を出す村人に声をかけ、ギルドに調子を聞く。
酒の出来を確かめたりしたあと、のんびり馬の背に揺られ、じつにのどかなものだと思っていると、向こうから私を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい!村長さーん!」
よく見ると、炭焼きの若者のようだ。
今時期は山仕事のはずだが…。
そう思いながら彼に返事をする。
「ああ、どうしたー!」
私も彼に返事をしながら馬を軽く走らせ、その若者に近づいていってやった。
「…はぁ…はぁ…」
ようやく私の元へたどり着いて足を止めた若者はずいぶんと息を切らしている。
私は馬を降りて、とりあえず、彼に水筒を渡して声をかけた。
「おいおい、どうした。なにかあったのか?」
「へ、へぇ…。俺ら竹林の手入れに出とったんですやが…、ベンのとっつぁんが村長にお伝えしろって言って…」
「おう、まずは落ち着け。ゆっくりでいいからな。さぁ、まずは水を飲め」
「へ、へぇ」
私が水を勧めると若者はゴクゴクと水を飲み、少し落ち着いたのか事情を話し始めた。
「あっしたちは、この時期は、竹林の伐採やらなんやらの手入れにいっとるんですが…」
「ああ、例年そうだな。で?」
「へぇ、そしたら炭焼き小屋から歩きで2日くらいのところに、けっこうな広さのヌタ場を見つけやして。そんでベンのとっつぁんがこれはすぐに村長さんにお伝えしろってんで、走ってまいりやした」
「なに!?…そうか、それはご苦労だった。よし。少し休んでからでかまわんから、戻ってベンさんに伝えてくれ。私はすぐに準備を整えて明日の朝には森へ向かうとな。なんならこの馬を使ってくれてもいいぞ。麓のおっちゃんに預けておいてくれればそれでいい」
「へぇ、大丈夫でごぜぇやす。馬なら村の入口に預けておりますんで、すぐに戻りやす」
「わかった。私も急いで準備しよう」
「へぇ、お願いしやす。ではあっしはこれで…」
その若者は深々と頭を下げるとまた走っていった。
さすがは狩りもする連中だ、体力がある。
…いや、そんなことに感心している場合じゃない。
これは急がねば。
私は再び馬に乗るとギルドへと急いだ。
「おお、サナさんちょうどよかった」
夕方前でさほど込み合っていないギルドへ入ると、ちょうどサナさんがいた。
「あら、どうしました村長。なにかお急ぎのご様子ですね」
そう言ってサナさんは何かを察してくれたらしい。
「ああ、そうなんだ。どうやら森にでかいヌタ場があったらしい。たぶんイノシシで、何匹か連れた統率個体だろう」
「かしこまりました。すぐに討伐隊を手配いたします」
そう言うサナさんに私は少し待ったをかけて、
「いや、いい。今回は私が行く。すまんが、明日の朝までに荷物持ちを2,3人と人数分の馬を手配してもらえないか?」
「え、ええ…それは可能だと思いますが…。荷物持ちですか?」
「ああ、そうだ。どうせなら今回は肉と素材も持って帰りたい。頼んだ」
そう言って、私はさっそく屋敷に戻りかけたが、
「ああ、そうだ。できれば森の中で馬番ができるやつも手配してくれ。自分の身が守れて、いざという時は村まで逃げ帰れるくらいのやつで十分だ。そいつが解体まで出来たら申し分ないが…。まぁその辺はまかせる」
と付け加えて、そうそうにギルドを後にした。
そして、一人カウンターの中に残されたサナは、やや唖然とした顔で、
「…とりあえず、ギルドマスターに報告ですね」
と独り言を言うと、すぐにギルドマスターの執務室へと向かった。
私が急いで屋敷に戻ると、玄関先でズン爺さんが掃き掃除をしていた。
「ああ、村長。お帰りなさいまし」
「ああ、ただいま」
「なにかあったんで?」
ズン爺さんは私の急いた様子からなにかあったと察してくれたらしい。
「ああ、森にイノシシが出たらしくてな。明日から狩りに行ってくる。すまんがアレックスのところまでひとっ走りお願いできるか?」
「そりゃぁ大変ですなぁ。ええ、ええ、そりゃぁもう。さっそく行ってまいります」
ズン爺さんはそう言うとすぐに役場の方へ駆けていってくれた。
「おーい。ドーラさんただいま!」
私は玄関を入るなりそう声をかけてドーラさんを呼んだ。
すると、すぐに返事が聞こえて、ドーラさんがやってきた。
「あら、村長おかえりなさいまし。なにか急なことでも?」
「ああ、イノシシが出たらしくてな。明日の朝から狩りに行くことにした。すまんが、食い物の用意を頼めるか?」
「ええ、かしこまりました。…ルビーちゃんとサファイアちゃんは…?」
「ん?ああ…、どうするかな…。おそらく2人とも行きたがるだろうが…。今回は馬でいくから、留守番していてくれと言っておこう」
「かしこまりました」
「ああ、すまんが頼む」
私がそう言うと、ドーラさんはさっそく奥へと下がって準備に取り掛かってくれた。
私はそのまま2階へと向かう。
すると、
「きゃん!」(イノシシのお肉!)
「にぃ!」(生のお肉!)
といって2人が駆け寄ってきた。
…耳がいいな。
「ああ、わかった。新鮮なやつを持って帰ってくる。ドーラさんとズン爺さんの言うことを聞いていい子にしてるんだぞ?」
私がそう言うと、2人とも
「きゃん!」(わかった!)
「んなぁ!」(いい子にできるもん!)
と言って、私にすり寄ってきたので、私はとりあえず撫でてやってから自室に戻るとさっそく道具をそろえ始めた。
その日の夕食時。
一応、リーファ先生にも聞いてみたが、
「イノシシくらいなら君一人でなんとでもなるだろう。私はマリーを診つつ留守番をしているよ」
と言って留守を引き受けてくれた。
炭焼き小屋から歩きで2日ってことは馬で行けは1日といったところか。
急げばもう少し早く着くか?
いや、今回は冒険者もいるから、無理はできんか。
あとは素材の運搬がどのくらいかかるか…。
ともかく、5,6日は見ておいたほうがよさそうだな。
そんなことを頭の中で整理しながら、その日はゆっくりと風呂に入り、装備を確認してから、早めに休んだ。