エデルシュタットなんていうご大層な家名をいただいてから1年とちょっとが過ぎた。
ようやく、村長屋敷での生活にもなれてきたころ。
ドーラさんが作ったコッコのトマト煮を食べているときにふと思いだして、つぶやいてしまった。
「…チキンライス…」
と。
「えっと…。お口に合いませんでしたか?」
おそらく私がなんとつぶやいたかまでは聞こえなかったのだろう。
ドーラさんが不安そうな顔をして聞いてくる。
こうして一緒に飯を食うようになってから1年弱しか経っていない。
いくらか慣れてきたとはいえ、まだ多少の緊張もあるのだろう。
自分の料理がまずかったのかと心配になったのかもしれない。
「い、いや。そんなことはないさ。ただちょっと昔食った料理と材料が似ていたものだから、それを思い出してな。懐かしくなってつぶやいてしまっただけさ。…うん、ただそれだけだ、気にしないでくれ…」
私は焦ってそう弁解した。
昔食った…かどうかはわからないが、記憶にある料理を思い出したというのは嘘ではない。
チキンとトマトの組み合わせを見てふとその記憶がよみがえってしまっただけだ。
ドーラさんの飯は美味い。
ただの家庭料理だが妙に美味い。
懐かしい感じがするときもあれば、洗練された感性を感じることもある。
きっと、王都辺りで「ちょっと人気の食堂」くらいのクオリティーでは太刀打ちできないだろう。
しかし、足りないものもある。
そう、この世界にはケチャップがない。
トマトを煮たり、ソースに使ったものはあるが、ケチャップはない。
トマトソースとケチャップの違いは結構大きいと改めて感じる。
この世界にケチャップが無い理由はいろいろあるだろうが、その原因の一つが香辛料だ。
この世界では薬草とは認識されていても香辛料としては認識されていないというものが結構ある。
例えばローリエ。
この世界ではケッヒ、または単純に胃薬の葉と呼ばれている。
主に腹痛の薬の一部として使われているらしい。
けっして珍しいものではないが、薬用以外には使われないから流通量は多くない。
しかし、そこまで高いものでもない。
需給のバランスがちょうど取れているからだろう。
辺境伯領近くの森ではけっこう見かけるが、何かのついでに採ってくる程度のものだ。
シナモンもそうだ。
ニッケと呼ばれているが、こちらも胃薬や歯痛の薬に使われていて、食い物だという認識はない。
ほかの材料はほぼそろっている。
それらを使えばもしかしたらケチャップを再現できるのではないだろうか?
そうすれば、我が家に洋食革命が起こる。
そう思った私は、ドーラさんに相談してみることにした。
「なぁ、ドーラさん」
「はい、なんでしょう?」
「潰して裏ごししたトマトに何種類かの香辛料を入れて、もったりとするまで煮込んだソースを知らないか?普通のトマトソースより、少し酸味が効いているんだが…」
私はなんとなく知っている製法の記憶をたどりながらそう聞いてみたが、
「…すみません。わかりませんわ」
ドーラさんは少し顔を伏せて、申し訳なさそうにそう言った。
私の前世の記憶のせいで、ドーラさんにそんな顔をさせてしまったことを申し訳なく思った私は、慌てて、
「いや、無理はないさ。たしか…外国のものだったと思うからな」
と嘘のなぐさめを言ってしまった。
しかし、ドーラさんがそんな嘘に気が付くはずはなく、
「村長は相変わらず博識でいらっしゃいますねぇ。特に食べ物のこととなると、私なんかが思いもつかないものをご存じですから、感心してしまいますわ」
と普通に感心してくれた。
「いや。聞きかじっただけだから、そんなにたいしたことじゃない」
そう言って私は咳払いを一つすると、
「それはともかく、そういうものがあるんだが、作ってみないか?多分試行錯誤になるだろうから、空いた時間にでも一緒に作ろう」
「え、ええ。それはかまいませんが…」
ドーラさんはそう言って、私が一緒に料理をしようという提案にやや困惑しているようだったが、一応主人の命令だからと思ったのか、戸惑いながらも了承してくれた。
「よし、そうとなれば材料集めだな。なに、失敗したら他のソースかスープにでもすれば大丈夫だろう。…しばらくはトマト尽くしになるかもしれないがな…」
はっはっは。と笑って私がそう言うと、
「あらあら。それは大変ですこと。早く完成させないと、みんな体が真っ赤になっちゃいそうですわね」
といって、ドーラさんも笑いながら、「何をご用意したらいいんですか?」と聞いてきたので、私は思いつく限りの材料と香辛料を伝えて、手に入りにくいものはアレスの町にでも行って仕入れてくると請け負った。
それから10日ほどが経った。
季節は夏。
幸い、トマトは腐るほどある。
いや、実際には腐らせることなく、村できちんと消費しているが、ものの例えだ。
香辛料はニッケとケッヒに加えて、唐辛子と乾燥パセリが手に入った。
ちなみに、パセリはこちらの世界でもパセリというが、乾燥させたものを肉や魚の臭み消しに使う程度だから、料理屋ならともかく、一般家庭ではあまり使われない香草だ。
あとは、村にある材料でなんとかなるだろう。
今日は早めに仕事を終えて、夕方前には屋敷に戻ってきた。
「じゃぁさっそくやってみよう」
「はい」
最初は少量から初めてレシピを完成させることを目標にした。
もちろん作るのはドーラさんが主だが、今回は私も手伝うことにした。
なんとなくの記憶をたどってみるが、どうも分量まではわからない。
たしか、トマトは潰して煮る。
スパイスは香りが強くなりすぎない程度が程よいはずだ。
香味野菜は先に炒めてから水を入れてスープにしておくんだったような気がする。
あと、唐辛子は味を引き締めるのに役立つはずだから、香味野菜と一緒に炒めるほうがいいのかもしれない。
そんなおおよその手順を思い出しながら、完成形のイメージをドーラさんに伝えた。
「完成形はねっとりというか、もったりとしたソースになるから、結構な時間煮詰めなければいけなかったはずだ。あと、どちらかというと酸味の中に甘みとスパイスの香りがほんのりするのがポイントだったと思う。なんとなく想像はつくかい?」
すると、ドーラさんはしばらく考え込むような仕草をしていたが、
「そうですねぇ。トマトは少し煮込んで全体がトロトロになったら一回裏ごしして食感を良くしましょう。そうすれば程よく煮詰まるはずです。あと、香味野菜の食感も合わせた方がいいでしょうから、すりおろしてしまいましょうか。あとは、酸味があるとおっしゃいましたので、お酢をいれましょう。あまり酸っぱくてもいけませんから、酸味が飛び過ぎない程度にゆっくりと火にかけて調整した方が、そういう味に近づくなんじゃないかと思います」
と言って、即座になんとなくのレシピをはじき出してくれた。
「あと、青コショウもいいかもしれませんね。生のあれをちょっとだけ使うと爽やかな香りがついて、ようございますから」
といって、村でも採れる青コショウ、フルーティーな香りのする山椒とコショウの中間みたいなものを生で使うことを提案してくれた。
…さすがはドーラさんだ。
そんな感じでおおよその方針が決まると、それぞれの作業に取り掛かった。
まず、私はトマトを細かく切って鍋に入れ、じっくり煮込みながら潰していく。
ある程度のとろみは付いたが、当然種や皮が残っている。
ドーラさんに加減を見てもらってから、手ぬぐいを張ったボウルで丁寧に裏ごししていく。
そして、裏ごしが終わったものを再び火にかけて丁寧に煮込んでいった。
…かなり手間のかかる作業だ。
この手間を代わりにやってくれて、なおかつ、日持ちまでするようにしてくれていたのだから、やはり前世の食品メーカーというのはすごいと改めて思った。
私の横でドーラさんは香味野菜が焦げないように慎重に炒めて、少しの水で伸ばしてトマトとなじむようにしていた。
そして、さてお酢をどのくらい使おうかという段になって、
「香辛料をお酢に入れて煮てみましょうか?そうしたほうが、香りがお酢に移ってほのかに香りますし、酸味も少し穏やかになると思いますわ」
と言って、香辛料を入れた酢を火にかけると、慎重に加減を見ながら煮始めた。
ややあって、私が煮ていたトマトの様子を見ると、
「そろそろいいんじゃありませんかね?」
と言って、野菜と酢の投入しようと言ってきた。
「うん。頼む」
私がそう言うと、ドーラさんは私がかき混ぜている鍋に酢と野菜を投入する。
それから、しばらくかき混ぜていると、やがて、あの独特の香りがしてきた。
「…少し味見をしてみないか?」
私がそう言うと、
「そうですね。一度確認してみましょう」
と言って、ドーラさんと私は木の匙を鍋に入れて出来上がりつつあるケチャップ(仮)をひと匙すくった。
緊張の一瞬だ。
私は匙をおもむろに口に運ぶ。
「…ち、近い。近いがなにかが…」
「あらっ!おいしゅうございますねぇ。でも、村長のおっしゃるように何かが足りないような気がいたします…」
うーん…。
二人してうなる。
「…あら、お砂糖ですわ」
ドーラさんがそう呟いて、少しずつ砂糖を入れて味を調整し始めた。
やがて、ぽつぽつとマグマが沸騰するような感じで良い感じのとろみがついてきたので、火から下ろして、もう一度食べてみる。
ケチャップだ。
まぎれもないケチャップがそこにあった。
これで、村の食事に洋食が加わる。
オムライス、ナポリタン、ハンバーグ…。
サンドイッチにも変化が加わるだろう。
その感激に私が打ち震えていると、
「うーん…。これはもっと美味しくなる予感がしますわ」
そう言って、ドーラさんは何やらメモを取り始めた。
どうやら、ドーラさんの魔法はまだ発動中だったらしい。
それはともかく、こうして我が家にケチャップという調味料が生まれ、その後、洋食革命を引き起こすこととなった。