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第35話エデルシュタット家の食卓01 トリュフのせステーキ

薬草採集の旅から帰ってきた翌日。

とりあえず目の前の急ぎの作業を終わらせた私はリーファ先生に向かってこう言った。

「さて。…今日はゴルの肉を焼いてもらおう」

私がそう言うと、彼女は途端に目を輝かせて、

「いいな!よし、あの脂身の多い部分にしよう!」

と言った。

しかし、私は待ったをかける。

「いや、あれは後日の楽しみにしたい。なにせ私は普通のゴルの肉の味をまだ知らんからな。せっかくならそっちから食ってみたい。それにドーラさんに調理してもらうんだ。そこいら辺の店よりはきっと美味くなる。少し厚めに切ってまずはそのまま焼いてもらおうじゃないか。」

私が、そう提案すると、

「う、うーん…。そうだな。ここはいったん辛抱してその案に乗ろう」

といって、リーファ先生はやや渋々ながらも私の提案を認めてくれた。

「ありがとう。それに、赤身の部分だって相当美味いって話じゃないか」

「…あかみ?」

しまった、この世界には赤身という概念がなかった。

なにせ、肉は赤いものだからな。

「ん?…ああ、今思いついたんだが、あの脂の多いところはまるで霜が降りたように白い脂がまだらに入っていただろう?だから私の中では霜降りと名付けてみたんだ。対して、その他の部分は全体的に赤い。だからあえて区別するために赤身っていう造語を考えてみたんだが、どうだろうか?」

「なるほど、それは言い得て妙だね。うん、いいんじゃないか?採用しよう」

そう言ってリーファ先生は納得してくれた。

「よし、じゃぁさっそく焼いてもらおう」

そう言って、私は台所に行きドーラさんに焼き方などをリクエストした。

肉質を確かめてみたが、筋切りの必要はなさそうだとか、余分な脂を取り除いて、その脂を使って焼いてくれとか、そういうこまごましたことをお願いした。

ゴルの肉は初めてだったかもしれないが、ボーフ辺りの肉を扱ったことがあるドーラさんからしてみれば当然知っていることだったかもしれないが、私は生まれて初めて食うゴルの肉、しかもこれからの人生で二度とめぐり会うことが無いかもしれない肉を、心行くまで愉しみたかったから、ついついそんな差し出口をしてしまった。

ドーラさんはそれをニコニコ笑って許してくれる。

本当にできた人だ。

さて、私はその調理過程も是非見させてくれ、とまた無茶な注文をして、台所でドーラさんが調理する様子を見ていた。

これもドーラさんからしたら迷惑だったに違いない。

しかし、ドーラさんは少し困ったような笑顔を浮かべながらもそれを許可してくれた。

ありがたい。

ドーラさんはフライパンを温め、脂を溶かし始めた。

その横では簡単なスープを作っている。

野菜とベーコンで作るシンプルなスープだ。

ドーラさんのことだ。

きっと、あえてシンプルなものにして、ゴルの肉の濃厚さを引き立てるような味に仕上げてくれるつもりなのだろう。

さすがだ。

やがて、フライパンが良い感じに温まってきたところを見計らって肉が投入された。

ジュッという食欲をそそる音とともに肉の香りが台所いっぱいに広がる。

世界中のどんな香水よりも魅惑的な香りだ。

肉はやや分厚めに切って側面にも丁寧に焼き目をつけている。

これで肉汁を閉じ込められる。

素晴らしい。

やがていい感じに焼き目が付いたところで、フライパンをいったん火からおろすと、蓋をして肉を寝かせに入った。

私も待ちきれない気持ちをじっとこらえて肉の成長を見守る。

いつの間にか隣に来ていたリーファ先生もそわそわしている。

肉の成長を待つ間、手早く葉物野菜で簡単なサラダを作ってくれた。

さっぱりした苦みのある物を選んでいる。

きっと箸休めと口の中をリセットするのに最適な味なのだろう。

適当な大きさに刻んで塩と香りづけ程度のハーブ、酢と油で作った簡単なドレッシングをあえて出来上がりだ。

先に皿に盛って肉を待つ。

そろそろか…。

いよいよ念願のゴル肉と対面だ。

ドーラさんが蓋を開けるのを今か今かと固唾をのんで待つ。

そして、蓋を開けられたフライパン上には予想通り、圧巻の光景があった。

もう、待ちきれない。

このまま台所で食おうと言う我々2人に対して、ドーラさんは、

「村長、リーファ先生。ちゃんと皆そろって食堂でいただきましょう。ルビーちゃんもサファイアちゃんもお利巧さんで待ってますよ?」

そう言われて、少し恥ずかしくなりながら、2人ともそそくさと食堂へ戻っていった。

食堂に皆揃った。

ルビーとサファイアもだ。

彼らには味付けをしていない小さなステーキが、そして、人間の我々にはそれぞれの前には肉とスープそして、柔らかいパンがおかれている。

みんなそのままシンプルに食べるようだ。やはり、肉本来の味が気になるのだろう。

食べたことがあるはずのリーファ先生ですらそうしている。

「…いただきます…」

私は緊張しながらそう言うと、ナイフで肉を切る。

見事なミディアムレアだ。

感動した。

おそらくビーとサファイアを除いてみんな同じく感動しているだろう。

私は改めて一つ息を吐くと、私は目の前の肉に集中する。

そして全神経を舌と鼻に集中させるとおもむろに一口食った。

「………」

一瞬驚いて目を見開き、その後、私は思わず天を見上げた。

きっと今にも泣きだしそうな、しかし幸せそうな顔をしていたに違いない。

この一瞬が永遠に続けばいいのに…。

そんな恋する乙女が言いそうなセリフが頭に浮かぶ。

「ふっふっふ。どうだ?美味いだろう」

リーファ先生はいかにも自慢げにそう言った。

何を自慢しているのかわからないが、そんなことはどうでもいいほど感動している。

それ以外の感情、雑念は一切持ちたくなかった。

それほどにこの肉は美味い。

ふと横をみると、リーファ先生は次々と肉を切り分けながら一心不乱に食っている。

そして、

「うん!やはり美味い。歯ごたえはしっかりとあるが、筋張ったところがないから、口の中で肉がほぐれていくのがよくわかる。それにドーラさん!実にいい仕事だ!この焼き加減はまさに完璧。濃厚なうま味が詰まった肉汁を逃すことなく閉じ込めている。材料が良いのは確かだが、これは人間の技が作り出した奇跡だ!」

リーファ先生がそう言い終わったころ、私はようやく現世に戻ってきた。

口の中から肉がいなくなってしまった悲しみとともに…。

リーファ先生はいかにも止まらないといった風にモリモリと食べ進めている。

もう、半分くらいは無くなってしまっていた。

私ももう一切れ食べようと思ったところで、

「リーファ先生、ちょっと待った!」

と言った。

「…んぐ…。な、なんだい?急にそんな大声を出して…」

「ああ、いや。ちょっと思いついたんだが…」

と言って私はドーラさんに、コブシタケを持ってきてもらえないか?と頼んだ。

思い出せてよかった…。

高級ステーキとトリュフ。

私の記憶の中ではお高いレストランの定番というイメージがあったが、一度も食べたことのない夢の料理だ。

これは千載一遇のチャンス。

未体験の味が味わえる。

この世界にこんな食べ方があるかどうかは知らないが、これを逃す手はないだろう。

「なぁ、リーファ先生はゴルの肉にコブシタケを乗せて食ったことがあるか?」

一応、そう聞いてみた。

「…っ!い、いや…ない…」

彼女はそう言うとゴクリと唾を飲む。

「おい、もう味の想像がつくぞ…。なんで、なんで人類はそんな重大なものをこれまで発見していなかったんだ!いや、おそらく誰かが発見していたのかもしれない。しかし、それはあまりの衝撃的美味さに秘匿されていたんだろう…。そうだ、きっとそうに違いない!」

リーファ先生はややお壊れになって早口でそうまくしたてた。

しかし、同感だ。

なんで今まで思いつかなかった、いや、思い出せなかったのか。

後悔しかない。

過去の自分をぶん殴ってやりたいというのはこういう時のためにある言葉なのだろう。

心の底からそう思った。

ややあって、ドーラさんがコブシタケと小さなナイフを持ってきた。

私は冷静になろうと努めた。

いろいろな思考が頭を駆け巡るが、今はとにかく、食ってみよう。

興奮で少し手を震わせながらもここは自分でトリュフことコブシタケ削るように切り、肉の上に乗せていく。

リーファ先生も「早く!」と言ってせかすから、彼女の肉にも乗せてやった。

いざ、口へ…。

…嗚呼、神はここにいた!

教会の壁に書かれた薄っぺらな女神像なんてまがい物だ。

王宮の地下に眠る至宝だって、足元にも及ばない。

人類はこのために生きてきたのだ!

そう思えるほどの味と香りに全身が震えた。

リーファ先生に至っては感涙している。

きっと言葉にならないのだろう。

よくわかる。

私も泣きたい気持ちをぐっとこらえ、全神経を舌と鼻に集中させて味わった。

皆黙りこくっている。

普段は賑やかな食卓を静寂が包み込んだ。

…しかし、幸せな時は一瞬で過ぎ去る。

そう誰もが言っている意味がよくわかった。

気が付けば肉は無くなり、皿の上には虚しさだけが残っている。

「落ち着こう…」

私とリーファ先生どちらがそう言ったのかは定かではない。

心ここにあらず。

気が付けばドーラさんがいつもの薬草茶を淹れてくれていた。

いつもは冷静沈着な彼女の手も少し震えている。

どうやら感動してくれたらしい。

ズン爺さんに至っては食べ始めてから一言もしゃべっていない。

ただ目を閉じて余韻に浸っているようだ。

ちなみにルビーとサファイアはうとうとし始めている。

ともかく今は幸福の余韻に浸りたい。

おそらく皆同じように感じたのだろう。

食卓にはみんなが静かに茶をすするかすかな音だけが響いていた。

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