ひと悶着、いや、ふた悶着くらいはあっただろうか。
私は、必死でこの霜がたっぷりと降った肉のすばらしさを伝えたが、リーファ先生にはいまひとつ伝わらない。
仕方がない。
ここは実食で納得させよう。
そう思って、持ち帰れる量には限りがあるんだからそんな部位よりも食える部位を持って帰るべきだ、というリーファ先生をなんとか説得し、ようやく一塊を私が責任を持つから、と言ってなんとか採取させてもらった。
ちなみに、魔獣の肉はある程度日持ちする。
普通10日くらいならなんの問題も無い。
どういう理屈かはよくわからないが、魔獣の体内にある魔素量が通常の獣よりも多いからというのが定説だ。
この霜降りも村に帰るまでは十分にもってくれるだろう。
(さて、ドーラさんの手によって、この肉はどう生まれ変わるのだろうか…)
私はそんな期待を胸に歩を進めた。
荷物は結構な重たさになってしまったが、そんな苦労の先に美味い肉が待っている、そう思うと、自然と気持ちが軽くなってくる。
おそらくリーファ先生もそう思っているのだろう。
行よりも足取りが軽いように見えた。
やがてあのサルバンに遭遇した辺りに差し掛かる。
時刻は昼を過ぎてしまったが、概ね予定通りだ。
しかし、ここでゆっくりと休憩している暇ははい。
適当な木陰を選んで、小休止を取り、私が、
「よし、ここまでは順調だな」
と言うと、
「ああ、しかし今日はできるだけ進みたいね。なんなら少し無理をしてでも距離を稼ごう」
とリーファ先生が言った。
2人とも、ここはまだ危険な場所だということを嫌というほど理解している。
私も、リーファ先生の意見にうなずくと、さらに気合を入れて先を急いだ。
速やかに、かつ慎重に辺りを警戒しながら森の中を歩くのはかなり疲れる。
しかもけっこうな重たさの荷物をもっているから余計にそうだ。
しかし、今回はマルグレーテ嬢のことを思えば、時間は無い。
目的のものを得た今、ゆっくりとしている理由はないだろう。
目的を果たしたら、速やかに撤退。
それが冒険の鉄則だ。
それがわかっているからこそ、2人とも足を緩めることは無かった。
やがて日が暮れる。
しかし、私たちは簡易的な松明で灯りをともしながら、そこから数時間ほど歩いた。
感覚的には10時くらいだろうか。
そろそろ限界が近づいている。
そう感じた私は、
「よし、この辺りで野営にしよう。明日も早いから簡単になってしまうが、とりあえず落ち着ける場所を見つけたら適当に飯だ」
とリーファ先生に声を掛けた。
けっこう無理をしてしまったが、おかげでかなり危険な区域は脱している。
もちろん、油断はできないが、それでもようやく人心地つくことができる場所までやって来られたのは大きい。
適当に開けた場所を見つけると、さっそく2人して準備に取り掛かった。
当然飯は私が作る。
「今日はもう遅い。明日もあるから、申し訳ないが飯は簡単にしよう」
そう言ってはみたものの、やはり疲れているようで、体がぬくもりを欲しているのが分かった。
(よし、簡単に出汁茶漬けでも作るか)
そう思って、私はさっそく準備に取り掛かった。
いつものように簡易かまどを拵えて、火を熾し、まずは米を炊く。
米は残り2合弱。
まだパンも肉もあるから全て使ってしまっても大丈夫だろう。
そのくらいなら食い過ぎにはならない。
明日の行動には影響しないはずだ。
米を炊いている間にまずは小さなポットで湯を沸かし、先に薬草茶を淹れてリーファ先生に出した。
次に小鍋に湯を沸かす間に、干し肉を昔ながらの小刀を使った鉛筆削りの要領で薄く削ぐ。
そして、それを沸いた湯の中に適当に混ぜ合わせてある乾燥茸を投入し少し出汁を煮出した。
やがて湯が良い色の出汁に変わる。
本当はここで濾して澄んだ出汁を取りたいところだが、そこは仕方ない。
とりあえず出来上がった出汁を火からおろしてしばらく置き、じっくりとうま味を抽出した。
そうこうしているうちに米が良い感じに炊きあがる。
「うん。いい匂いだね」
リーファ先生が目を閉じて、鼻をクンクンさせ、スキレットから漏れる米の香りを嗅ぐと、今度は、
「それにこのスープも良い香りだ。うま味が強いのがわかるよ」
と言って、今度はスープの方に鼻をやった。
まるでごはんを待ちきれない子供が台所でそわそわしているように見えたから思わず、
「もうすぐだから少しいい子で待ってろ」
と、母親のようなセリフを言ってしまう。
すると、リーファ先生は
「はーい」
と聞き分けの良い子供のような返事をして、また薬草茶をすすり出した。
私もコップを出して、薬草茶を注ぎ一口すする。
そうしているうちに、米が良い感じに蒸らしあがったようだ。
「おーいできたぞ」
少し離れて薬草茶を飲んでいるリーファ先生に声をかけると、リーファ先生は「待ってました」と言わんばかりにさっとこちらへやってきた。
私はさっそくスープ用のボウルに飯を盛り、少し出汁の加減をみて、塩で味を調え飯にかけてリーファ先生に出す。
最初リーファ先生は初めての出汁茶漬けに興味津々という感じで見ていたが、私が豪快に箸で掻きこむのをみて、自分も豪快に掻きこみ始めた。
「うん、これはいいね。リゾットなんかとは違ってさらさらと食べられるし、消化にもよさそうだ。疲れて食欲が落ちたときなんかにはもってこいだね」
と言って美味そうに掻き込む。
どうやら気に入ってもらえたようだ。
そんな様子を見て、私が、
「本当はもっと出汁も具も工夫したいんだが、野営ではこれが限界だ」
と言ったら、
「ほう。工夫とは?」
と言ってリーファ先生が食いついてきた。
私は、
「…出汁は肉や茸でもいいが、海の魚で取るとまた全然違う。なんなら、出汁じゃなくて緑茶でもいい。さらにさっぱりする。そして、具もこうやって一緒に煮るんじゃなくて、別に作った味の濃いものを米の上に乗せて出汁か茶をかけるようにしたほうがいい。…例えば、ボーフの肉を醤油と砂糖で甘辛く煮たやつとかだな」
と言って簡単に説明してやる。
するとリーファ先生は、恐ろしいものを見たときのような表情を作り、
「…おいおい。本当に君は悪魔の使いなんじゃなかろうな?君の発想は人を堕落させかねんよ。まったく恐ろしいことを考える男だねぇ、君は」
と言って、私をまじまじと見つめていたが、やがてハッと気が付いたようにまた出汁茶漬けを掻きこみ始めた。
食後、いつものように薬草茶をすすりながら、明日の行動予定を簡単に確認する。
「そうだな、明日は村から半日くらいの所まで進みたいから…この辺りなんてどうだ?」
私がそう言うと、
「そうだね。明日は日暮れ前には野営地を決めて少し休もう。さすがに疲れてきたからね」
とリーファ先生もそう言って、賛成してくれた。
私も、
「ああ、そうだな。この辺りなら安全な野営場所も多いからゆっくり休めるだろう」
と言って、さすがに体力が厳しいと伝える。
「よし、そうと決まれば明日に備えてさっさと寝よう」
と言うリーファ先生の提案に、私も、
「そうだな」
と言って、簡単に火の始末をすると、さっさと寝袋を出して、睡眠をとった。