とりあえず、その場を後にする。
そして無事に近くで水場を見つけると、装備を外し服や体についた血を洗い流した。
リーファ先生は軽くケガの具合を確かめていたようだが、適当に軟膏でも塗っておけば問題ないだろうという程度だったので、ひとまずは安心する。
そこで、先ほどの魔石をもう一度よく見てみた。
それはまるでイエローダイヤモンドのように透き通った黄色をしている。
そんな魔石を眺めながら、私が、
「…改めて、自分の慢心にあきれたし、いい教訓になった…」
とつぶやくと、リーファ先生が、
「そうだね、私も同感だ。そうだ、バン君。なんならこれは売らずに手元に持って置いておいたらどうだい?戒めの記念碑として部屋にでも飾っておくといい」
と、やや茶化すような感じでそう言った。
リーファ先生はこの場の空気を少し和ませようという意思で、冗談っぽくそう言ったのだろうが、私は、
「…それがいいかもしれないな」
と答える。
(人間はついつい忘れてしまう生き物だ。この魔石は私にとっていい教訓になってくれるだろう)
私は、素直にそう思って、その意外と美しい魔石を受け取ると、そっと背嚢の中にしまった。
時刻は昼前。
サルバンのせいで予定よりもやや遅れてしまっている。
しかし、焦っても仕方がない。
とりあえず、せっかく水場もあることだし、少し早いが昼食にすることにした。
ここは少し開けているから、先ほどよりも魔獣の気配は感じやすいはずだ。
しかし、先ほどの例もある。
私たちは、慎重に辺りの気配を探りながら簡単に行動食で昼を済ませた。
さっさと腹に入れ、その場を後にする。
そして、先ほどにも増して、慎重に歩を進めると、やがて、目的の岩壁が見えるやや高い場所までたどり着いた。
時刻は昼過ぎ。
岩壁の様子を見るとやはり洞窟があり、麓からそこまで、なんとか昇っていけそうなルートが見える。
どうやら、岩登りとまではいかずに済みそうだ。
「少し観察してみよう」
私はそう言って、最後の打合せとちょっとした様子見を兼ねて少しだけ時間を割き、干し果物をかじりながら、
「どう見る?」
とリーファ先生に聞いてみた。
私の簡潔な問いに対して、リーファ先生は、
「そうだね…。見た感じ、居そうな気がするよ」
とつぶやくように言葉を発する。
(…やはりか)
私の中に少し暗い気持ちが広がった。
そんな私に対して、リーファ先生は、意外と平然とした顔をしている。
「とりあえずやってみなくちゃわからないってところじゃないかい?」
と言うリーファ先生の落ち着いた表情を見て、ハッとした。
そして、自分の弱さに気が付く。
どうやら私は無意識のうちに腰が引けていたようだ。
先ほどのサルバンのことがあったせいだろう、判断に少し迷いが出ていたらしい。
慎重に行動しなければならないという気持ちが強く出過ぎていた。
油断大敵ではあるが、時に果敢さも必要だ。
その辺のバランスは難しい。
(やはり冒険というのは一筋縄ではいかないな)
そんなことを思い、私は自分の弱さを噛みしめるようにそっと苦笑いをする。
そして、ひとつ深呼吸をして、しっかり覚悟を決めると、
「よし、行こう」
と言って、その洞窟を目指し進み始めた。
そこからは粛々と進む。
今のところ大きな魔獣の気配はない。
しかし、だからこそ緊張感が高まった。
そのことは何かしらの魔獣のテリトリーだということを示している。
もう、迷っている暇はなさそうだ。
改めてしっかりと自分に言い聞かせた。
(迷うな。進め)
と。
尾根を下って、少し森を進むと岩壁の麓にたどり着く。
遠目に見た通りそこまで険しい断崖絶壁ではない。
しかし、ところどころ狭いところもあるから、それなりに厳しい道だろう。
「よし、とりあえず洞窟の入口まで登ろう」
そう言って、私はさっそく登り始めた。
ところどころ狭い道を時々リーファ先生に手を貸しながら張り付くようにして進んでいくと、おおよそ1時間で洞窟の入口にたどり着く。
登り終えてから思ったが、途中でゴルに見つからなくてよかったと少し肝を冷やした。
だが、ともかく気持ちを切り替える。
(慎重になりすぎるな。しかし油断もするな)
と再び自分にそう言い聞かせた。
「よし、この辺りに余計な荷物を置いていこう」
洞窟の入口にある岩陰に必要の無い荷物を適当な布袋に入れて隠す。
最悪の場合ここに置いたものは捨てることになるが、それは仕方ない。
採取した薬草は予めリーファ先生と私の背嚢に分けて詰め込んでおいた。
何があってもこれだけは持って帰らなければならない。
特にあの2種類と、これから採るやつは。
準備が整い、松明に火を灯すとお互いにうなずきあって、洞窟の中へ進んで行く。
洞窟の入口は高さ20メートル以上あるだろうか、高い天井や壁はごつごつとした岩肌に覆われ見たものを圧倒するような雰囲気だ。
さらに奥へと進んでいくが、洞窟の中はもっと大きな岩がゴロゴロしていたり、水が流れたりしていて、進みにくくなるのかと思っていたが、思ったよりも歩きやすかった。
私が時折目印を付けながら足元を確認しつつ先行する。
リーファ先生も油断なく杖を構えて私についてきた。
進むことおおよそ1時間。
少し開けた空間に出る。
実際には松明程度の灯りでは全体像は見えないが、これまでとは明らかに音の響きが違っているからおそらくそうなのだろう。
慎重に周囲を確認すると、どうやらいくつかの横穴があるようだ。
おそらく、それぞれがどこかへ向かって分岐していると思われる。
「どうだ?」
私がそう聞くと、
「うん、こっちだろうね」
と言って、リーファ先生は高さ2メートルほどの大きな横穴の方を指しながら、
「この穴はおそらく行き止まりになっている。空気の流れが澱んでいるからね。ただし、その分湿気が強い。目的の苔はそう言うところを好むから、おそらく生えているはずだ」
となにやら確信したようにそう言った。
「わかった」
私はそう言って、また先行する。
ここからはリーファ先生も松明を灯して周りの壁なんかを慎重に観察しながら進んだ。
奥へ進むごとに少しずつ狭くなっていき、先ほどよりもやや歩きにくかったが、それでも険しいというほどではなかった。
そんな道を30分ほど進んだだろうか、辺りの岩が所々湿っている。
さっきリーファ先生が言った通り、ずいぶん湿気も強くなってきた。
「これだ!」
リーファ先生がそう言って、足を止める。
私には全く分からなかったが、言われてみればかすかに苔のようなものが生えているようだ。
しかし、言われなければ気づくことはなかっただろう。
「よし、採るぞ。その間松明でこの辺りをしっかり照らしていてくれ。あ、くれぐれも岩肌に近づけすぎないでくれよ。苔が焦げてしまいかねないからね」
そう言って、リーファ先生は片目にだけ小さなルーペが付いた眼鏡を装着すると、小さなナイフで岩の表面に生える苔を慎重にこそぎ落とし始めた。
30分くらいだろうか、ようやくリーファ先生がルーペを外し、
「終わったよ」
と言って少し眉間を揉む。
私はそんなリーファ先生に、軽くうなずきながら、
「よし、準備が整ったら戻ろう」
と短く告げ、来た道を戻り始めた。
しばらく歩くと、再び先ほどの大きな空間に出る。
できればここは素早く抜けたい。
こんな暗い所でゴルに遭遇したらひとたまりもない。
ともかくこの空間だけは抜けなければ、そう思って、慎重に気配を探りつつ進んだ。