朝食後。
また例によって食後の薬草茶を飲みながら今日の予定を詰める。
「その洞窟まではどのくらいだい?」
と聞くリーファ先生に、私が、
「…順調にいけば昼前には麓に着くはずだ」
と答えると、
「そうか…。となると、採取が終わるころには夕方を過ぎているだろうね…。できれば洞窟の外で野営をしたいところだが…。中で一泊の可能性もあるか…」
と言って、リーファ先生は顎に手を当てて考え込んだ。
私は、場合によっては私も採取を手伝えるだろうかと思って、
「ちなみに、目的の薬草ってのはどんなやつなんだ?」
とリーファ先生に聞いてみる。
すると、
「なんというか、苔みたいなやつだよ。本当は藻に近い仲間なんだが、まぁ見た目は苔だよ。岩壁に張り付いていて、黒ずんでいるのが特徴だ。…黒ずんでいるから注意してみないとよくわからない」
と言って、リーファ先生はその薬草の特徴を教えてくれた。
その言葉を聞いて、私は、
「なるほど…。ということは、今回も私は採取を手伝えんな…。とりあえず、ゴルが出たときの対処を考えておこう」
と自分の仕事は護衛だと改めて確認する。
その後は、想定される状況でそれぞれがどう動くのかの話し合いに移った。
まず、今回は時間的にあまり余裕がないことを踏まえて、ゴルがいようがいまいが、洞窟に入って行くことする。
そして、最初からゴルが巣の中にいる場合は、リーファ先生は後方から弓で支援し、私が近接で仕留めることになった。
洞窟の中は狭いし、リーファ先生がヤツを本気で仕留められるだけの威力で魔法を使えば、下手をすると落盤や酸欠ということになりかねない。
逆に、入口付近で外から巣に戻ってきた奴と遭遇した場合は、リーファ先生が火力で攻撃し、私が近接で防御する。
大火力でゴリ押しするということだ。
どちらかと言えばこの展開がもっとも楽な戦いになるだろう。
そして、もっとも考えたくないのは、採取の途中または帰り道に洞窟の中でヤツ遭遇するとうい場合。
この場合は、私が一人で対処することになるはずだ。
それだけはなんとか避けたいが、残念なことに、この確率が最も高い。
その場合はとにかく退路を拓いて逃げることを最優先するか、それがかなわない場合はいったん洞窟の中に引き返してこちらに有利な、ある程度狭い空間までヤツを誘いこんでから戦うのがいいだろうということになった。
そして、全ての戦闘における決定権は私が持たせてもらうことを了承してもらう。
冒険において、一瞬の判断が生死を分けることはよくあることだ。
指揮命令系統は確立させておく方がいい。
(しかし、できればヤツには留守にしていて欲しい。戦わないで済むならそれに越したことはなんだがな…)
と、そんなかすかな希望を抱きつつ、私たちはさっそく目的地を目指して出発した。
道中、いつにも増して慎重に進んで行く。
しかし、どうやら油断があったようだ。
気が付けば魔獣の間合いに入ってしまっていた。
おそらくサルバンという中型の豹かジャガーのような見た目の、隠密行動が得意な厄介なヤツだ。
(…やはりそう順調にはいかないものだな)
と思いつつもリーファ先生をかばう位置をとり、集中する。
ヤツはだいたいの場合、身を低くして物陰から狙ってくが、なぜか今回はそうではない気がした。
周りを観察する余裕は無い。
集中して気配を探る。
「…っ!」
一瞬、何かが動いた。
体が勝手に反応する。
どうやらリーファ先生を狙ってきたようだ。
とっさにリーファ先生を軽く突き飛ばしつつ刀を抜き放つ。
チッっと何かが刀に触れたような気がしたが、浅い。
いや、浅いどころか、傷らしい傷はつけていないだろう。
そう思って、周りを観察すると、案の定、10メートルほど先から、こちらをうかがうヤツの視線を感じた。
(初手は木の上から狙ってきたか…)
そう気が付いたが、もはや遅い。
私は、再びリーファ先生をかばえるような位置まで動きたいと思ったが、動けばその隙をついて奴は襲い掛かってくる。
直観的にそう思った。
「リーファ先生、生きてるか?」
油断なく身構えながらも、あえて冗談っぽく言ってみる。
「ああ、なんとかね」
そう言う彼女の声には少し痛そうな響きが加わっていた。
「すまんな」
私は油断なくヤツに視線を送りながらそう言うと、
「もう少し耐えてくれ、一気にケリをつける!」
そう叫ぶと同時に、一気にヤツの前まで間合いを詰める。
おそらくヤツはこちらから仕掛けてくるなど考えていなかったのだろう。
少し慌てたような気配を感じた。
しかし、魔獣は常に効率的に動く。
今は私を避けるのが最適解だと瞬時に判断したのだろう。
一瞬でヤツは私の動線から微妙にはずれると、私の横を抜け、リーファ先生に襲い掛かろうとした。
私とヤツが交錯する。
その瞬間、私はヤツに視線を向けることなく、手にしていた刀を横に振るとそのまま手を離し、ヤツに向かって投げつけた。
「ギャンッ!」
と叫び声を上げる。
手応えはあった。
しかし、致命傷にはなっていないはずだ。
そう思って私はすかさずヤツが倒れた方へ方向転換すると、少し飛んでヤツの頭を踏み抜いた。
ヤツの動きが止まる。
おそらく気絶したのだろう。
私はすぐさまヤツに飛び掛かると、素早く腰から剣鉈を抜き取りヤツの首元に突き刺した。
ヤツの首元からはバッっと勢いよく血が噴き出す。
返り血を浴びてしまった。
「ちっ」
思わず舌打ちをしてしまったが、それよりも今はリーファ先生だ。
「おい!大丈夫か?」
私がそう訊ねると、
「ああ、大丈夫だ」
という声が聞こえた。
「すまん、油断していたようだ…」
少しは安心しつつも、護衛である自分の油断を恥じて、リーファ先生に謝る。
しかし、リーファ先生は、
「いや、そんなことはないさ。たいしたものだよ…。私はまったく気が付かなかったからね…」
と苦笑いで答えてくれた。
リーファ先生もほっとして気が抜けたのだろう。
「あいてて…」
と少し顔をしかめる。
「どこか打ったか?」
と心配して私がそう聞くと、リーファ先生は、
「なに、少し手を擦りむいた程度さ。後尻を少し打ったが、背嚢がいいクッションになってくれたからね。そんなに痛くはないよ」
と、少し冗談めかしてそう答えた。
冗談が言える程度だったらまずは一安心だ。
ともかく、今は先を急ごう。
返り血も落としたいし、念のため、リーファ先生のケガの程度も確認しておきたい。
そう思った私は、
「おそらく、近くに水場があるはずだ。とりあえず、そこを目指そう」
と言って、リーファ先生を促がす。
しかし、リーファ先生は、
「ちょっと待ってくれないか?とりあえず、そいつの魔石だけ取らせてほしい」
と、珍しく魔石の採取を申し出てきた。
…サルバンの魔石は多少高い。
しかし、それでも多少だ。
リーファ先生と言う人はそういう目先の損得で動く人ではない。
今、リーファ先生が魔石のことを気にするという事はきっと何か訳があるのだろう。
そう思ったから、私が、
「別に構わんが、なにかに使うのか?」
と聞くと、リーファ先生は、
「いや、ちょっと調べてみたいんだ。どうもそいつは、特殊個体じゃないかと思うんだよ」
と真顔でそう言った。
見た目は普通のサルバンと何も変わらない。
そう思って私が、
「…こいつがか?」
と聞くと、リーファ先生は、ヤツの死体に近づき、胸のあたりをナイフでざっくりと切り分ける。
そして、手早く魔石を取り出すと、
「ほらね」
といって、私に魔石を見せてくれた。
魔石は当然、血に染まっているが、それでもはっきりと分かる。
それは、通常のサルバンの物とはまるで違っていた。
通常サルバンの魔石は茶色い。
しかし、ヤツのそれは薄く透明な黄色をしている。
たしかに特殊個体で間違いないだろう。
しかし、私はヤツに対して、多少速さはあるようには思ったがそれほどの脅威は感じなかった。
(リーファ先生は私が見逃していた何かに気が付いたのだろうか?)
そう思って、素直に、
「なぜ、こいつが特殊個体だと?」
と聞いてみる。
すると、リーファ先生は、
「おかしいと思わなかったかい?こいつは、私と君の両方に気配を悟られず、射程距離まで詰めてきた。しかも私はとびかかられるまで、全く気が付かなかったんだよ?ただのサルバンではありえない」
と苦笑いでそう言った。
なるほど、そう言われてみればそうだ。
ただ単に私が油断していただけかと思っていたが、そうではなかったらしい。
(こいつが我々を上回っていたのか…)
そう思うと、今更ながら肝が冷えてくる。
ずいぶん長い事冒険者を続けてきたし、この森にもいい加減慣れてきたと思っていたが、どうやらそれが慢心を生んでいたらしい。
(冒険者最大の敵は油断だ)
私はその言葉を改めて思い出しながら、心の中で猛省した。