リーファ先生から突きつけられた思わぬ診断に、私が、どう反応したものかと思っていると、
「まぁ、その辺の話はいいさ。村に戻ったらじっくり診察してみよう。それよりも飯にしないか?」
と言って、リーファ先生はやや強引に話題を変える。
「ああ、そうだな…。よし、昨日のヒーヨでも焼くか」
私も気を取り直してそう言うと、気分を変えて昼飯を作ることにした。
ヒーヨの肉は意外と美味い。
肉質は硬めで脂は少ないが、うま味が濃い。
いわゆる肉肉しい感じだ。
鶏肉というよりも、どちらかと言えば牛の赤身肉に近いだろう。
まずはこれから食う分を切り分ける。
2人分でおおよそ500グラムくらい。
食べすぎてもいけないが、それなりの量をたっぷりと焼くことにした。
わずかにあった余計な脂や筋を取り除き、肉の表面に軽く切り込みを入れ、均一にならす。
スキレットが十分に温まったところで先ほど取り除いた脂を入れ、良い具合に溶けてきたら、塩とハーブで下味をつけた肉を投入。
この時、焼く直前、片面のみに下味をつけ、一気に焼き色をつけるのが正解だ。
良い感じに焼き目がついてきたら、表面に塩とハーブを少々振ってから返し、両面を焼く。
しばらくすると脂のはじける音が微妙に変わった。
その頃合いで火からおろして蓋をし、適当に拾ってきた石の上に乗せ、しばし肉を少し寝かせる。
寝る子は育つ。
私ははやる心を抑え、余熱でじっくりと火を通しながら、肉本来のうま味を引き出しにかかった。
そうやって肉を育てている間に、付け合わせのスープを作る。
先ほど道すがら採ってきた茸と、野草にドライトマトを入れただけの簡単な物
こういう時は肉の美味さを邪魔しない方がいい。
そう思って、あえてシンプルであっさりとしたものに仕上げた。
スープが出来たところで肉を見てみる。
良さそうな感じだ。
皿に盛って切ってみると、いい感じのミディアムレアになっていた。
「おーい、出来たぞー!」
私がそう言うと、リーファ先生が戻ってきた。
どうやら近くの植物を観察していたらしい。
手にはいくつかの植物が握られている。
「何を採ってきたんだ?」
私がそう聞くと、
「ああ、そこいらに生えていたからついでにね。子供の腹痛なんかによく効くんだ。あって困るものじゃない」
と何気なく言って、手にした薬草を無造作に袋に詰めると、皿の前に座った。
「おお…これはいいじゃないか…!ヒーヨの肉なんて久しぶりだよ。ああ、惜しむらくは人数とスケジュールの都合で、これっぽっちしか持ってこられないことだね…。まぁそれは仕方ないか…。さて、今日も森の恵みに感謝していただこう!」
リーファ先生は明るくそう言うとさっそく肉にかじりつく。
「…んっ!おぉ…。うん…美味いな…」
そんな言葉にならない言葉を発しながらもぐもぐと肉を噛んでいる。
私もさっそく肉にかじりついた。
「…うん…確かに美味い」
私がそう言うと、リーファ先生も、
「うん。しかし、なにか一味足りない…。ああ、ここに調味料を持ったドーラさんがいてくれれば…」
と言って嘆息する。
「まったくだ。しかし、ない物ねだりというやつだな、それは…」
私がそう言うと、二人ともあきらめて、この味を楽しむことにした。
ヒーヨの肉は普通に美味い。
肉本来のうま味もあるし、食べ応えもある。
ややたんぱくな感じは否めないが、そこがヒーヨ肉の良いところだ。
充分に美味い。
しかし、一味足りない。
通常は脂の甘みが少ない分をバターで補ったり、肉を少し寝かせて水分を抜き、うま味を凝縮させてから焼いたりして、もっと肉のポテンシャルを引き出すのが常道だろう。
しかし、野営ではそれができない。
悔しいがここまでが限界だ。
私がそんなことを思いながら、ふと小川の方を眺めるとある植物が目に入った。
もし私の前世の記憶通りなら、あれはワサビだ。
「おいっ!あれ!あの植物を知っているか?」
私は慌ててリーファ先生の肩をつかみながらそう叫んだ。
「ん?」
突然のことに驚いたのだろう、リーファ先生が一瞬ギョッとしたような表情を浮かべながらも、私の視線の先を見る。
「…ああ、森の奥の方に行くとたまに水辺に生えているね。数も少ないし、特に薬効があるとも言われていないから、一応見たことがあるという程度だが…」
とリーファ先生は興味なさげにそう言った。
「ちょっと待ってろ、採ってくる」
そう言って、私は少し濡れるのも構わず、小川の中へと足を踏み入れた。
多分、後ろでリーファ先生はポカンとした顔をしているだろう。
しかし、今はそんなことより、ワサビだ。
私はその植物までたどり着くと、一気に引き抜いた。
…根が小さい。
しかし、葉をちぎって香りをかいでみると、確かにワサビの香りがする。
間違いない。小さいがワサビだ。
急いで戻ると、おろし金は無いので軽くナイフでたたいてみる。
すると、あの独特のツンとした香りが立ってきた。
(よし!)
思わず心の中で叫びながら、私はそれを肉の横に置く。
そして、
「私の勘が正しければ、いいスパイスになるはずだ。ちょっと試してみる」
と言って、私はひとつまみほどのワサビを肉に乗せて食ってみた。
「…!」
辛い。
ツンと辛い。
しかし、これまであっさりとし過ぎて一味足りなかったヒーヨの肉に独特の辛みが加わることによって、肉が本来持つ甘みが一層引き出されている。
これは美味いぞ。
そう思って、私はもう一掬いワサビを取り、肉に乗せるとまたかぶりついた。
日本の記憶がよみがえる。
こんな美味いものをなんでいままで思い出さなかったのだろうか?
後悔以外の言葉を思いつかない。
ワサビと言えば日本食文化の中核をなす存在だ。
私はまた口の中で淡白なヒーヨの肉とワサビの爽やかな辛みが織りなすハーモニーを楽しんだ。
視線を感じてちらりとみると、リーファ先生がこちらを凝視している。
「おい。それはなんだ?どういう味になる?というかそもそも食えるのか?」
いろんな質問が矢継ぎ早に来るところが、いかにも食いしん坊のリーファ先生らしい。
「これは好き嫌いがはっきりと別れる味だ。しかし、私は美味いと思う。辛いといえば辛いが、舌がやけどしそうなあの辛さじゃない。なんというか、独特の…言ってみれば鼻の奥がツーンとする感じ、と言えばいいか…ともかく、少し試してみてくれ。あ、ほんの少しだぞ、間違ってもつけすぎるな」
私がそう薦めてみると、リーファ先生は恐る恐るワサビをフォークに付け、なんと、まずはそのまま口に運んだ。
「…む!…んふー!」
なんだかわけのわからない叫びをあげて上を向く。
どうやら涙をこらえているようだ。
しばらくたって、ようやく立ち直ると、
「お、おい…こ、これは…いや…肉に付けてみなければわからんよな…」
そうひとりごちると、今度は肉に乗せてから口に運んだ。
「ん!んふー!…うん?…お!」
といって、驚きに満ちた顔で私を見る。
どうやら、最初のインパクトは強かったものの、お気に召したらしい。
「こいつは…驚いた。味を引き締めて、たんぱくだった肉に爽やかさと刺激を同時に与えてくれている…。しかも肉の味をより引き立てて…。これは、世紀の大発見じゃないかっ!?」
と興奮してそう叫んだ。
「…いやいや、それは大袈裟だろう…。まぁたしかになんで今まで気が付かなかったのかを後悔する程度には美味いが」
私が苦笑いでそう言うと、リーファ先生がいわゆるジト目を私に向け、
「おい、バン君…。なぜ君はこれがこんな味だと知っていた?」
と聞いてきた。
(…困ったな。まさか日本の記憶が…なんて言えない。どうしたものか…)
そう思って、とりあえず苦し紛れに、
「い、いや、昔、試しに食ってみたんだ…。なんだかいけそうな気がしてな…。そしたら、最初リーファ先生が感じたようにツーンとして…。それ以来手を出さなかったんだが、今、ふとひらめいたというかなんというか…」
と言い訳をしてみるが、なんとも苦しい。
しかし、リーファ先生は、軽く、
「ふっ」
と笑うと、
「…まぁ、いいさ。君は昔からそういう妙に勘のいいところがあったからね。深くは聞かんよ」
と言って、追求を止めてくれた。
「ともかく…。これは発見だよ。どうせ君のことだ、他に美味くなる方法も思いついているんだろ?」
と言ってリーファ先生は期待のまなざしで私の方をのぞき込んでくる。
そう言われれば、私も黙っておくことなどできない。
それに、この世界の食文化が発展するかもしれない好機だ。
そう思って素直に日本の記憶を引っ張り出してリーファ先生に話した。
「たぶんだが、刻むよりもすりおろすほうがいい。肉や魚の薬味として使うんだ。特に醤油との相性は良さそうだから、仮に量産できれば村の…そうだな、例えば蕎麦あたりが数段美味くなる…ような気がする」
と、私が正直にそう言うと、
「なるほど…。醤油か…。それは思いつかなかったな…。たしかに魚にも肉にも合いそうだ。よし、とりあえず、試験栽培用に何本か採っていこう。量産できるかどうかは、要研究だな!」
リーファ先生はそう言って、また肉にワサビを付けて口に運んでは「んふー!」と訳の分からない叫び声を上げ、その刺激と風味を楽しんでいた。