翌日の朝。エインズベル伯爵家一行を見送る。
ジュリアンをはじめ、皆一様に、ずいぶんと後ろ髪を引かれたようで何度もマルグレーテ嬢のことを頼むと言って旅立っていった。
ジュリアンたちが帰っていった日の翌々日の早朝。
各方面の調整をなんとか終えた私は、リーファ先生と共に森へと向かうことになった。
自室で準備をしていると、ルビーとサファイアがいかにもついていくと言わんばかりの目を向けてくる。
しかし、私が、
「今回は危険なんだ。すまんが、留守番をしていてくれ」
と真剣な目でそういうと、少ししょんぼりはしていたが、どうにか納得してくれた。
そんな2匹の頭を笑顔で軽く撫でてやる。
すると、2匹とも、
「きゃん!」
「にぃ!」
と鳴いて、「いってらっしゃい!」とか「気を付けてね!」というようなことを伝えてきてくれた。
リーファ先生は、マルグレーテ嬢のために十分な量の薬を準備したらしい。
それに念のため、使っている薬草の種類といざという時のためのレシピも置いてきたそうだ。
それを聞いて、私は安心するが、
(万が一のことは許されないな)
と気合を入れなおす。
そして、さっそくリーファ先生と共に森へ出発した。
森の入口までは馬で向かう。
荷物はそれぞれ持つが、重い物は私が担当した。
しかし、かさばるものと言えば、寝袋くらいだ。
私はいつもの防具と刀。
リーファ先生は弓矢と杖。
それぞれに慣れた装備と荷物を持っている。
森の入り口で軽くうなずき合うと、私たちはさっそく森の中へと進んで行った。
リーファ先生と森に入るのは何年振りだろうか?
最後に薬草採取のお供をしたのは、おそらく10年くらい前だったはずだ。
たしか東の公爵領の隣国との境界にそびえる山脈の麓だった。
森歩き自体はたいしたこと無かったが、私としては非常に衝撃の強い数日間だったのをよく覚えている。
その時のことを思い出し、軽く苦笑いしつつも、しっかりとした足取りで森の中を進んでいった。
当たり前だが、リーファ先生は森歩きに慣れていて、先行する私に遅れることなくついてくる。
また、頭の中ではなんとなく目的地の方角を把握しているように見えた。
リーファ先生が言うには、この程度のことはエルフなら子供でもできるんだそうだ。
さすがは森の民と言われるだけのことはある。そんな調子でズンズンと森を進み、1日目は極めて順調に終わった。
2日目も同じく順調に進む。
ここまではなんの問題も無い。
なにせ初心者でも来られる範囲内だ。
そして3日目、その日も順調に進んで、いよいよ明日からは本格的に魔獣の住処へ入ろうというかというところまで辿り着いた。
これまで順調に進めたのは、経験によるところが大きい。
私も、リーファ先生もそれなりに気配を読むことには長けていて、うまい具合に魔獣の出そうな場所を避けることができる。
しかし、明日からはそうもいかない。
おそらく、魔獣との遭遇はどうあがいても避けられないだろう。
そう思って、明日からの英気を養うことも兼ね、その日は早めに野営の準備に入ることにした。
「いやぁ、ここまでは順調だねぇ」
リーファ先生はやや呑気な感じでそう言う。
私もまだ余裕があるから、
「そうだな。まぁ明日からはわからんが。とりあえず飯にしよう。今日温かいものを食っておかないと、もしかしたらしばらくの間は食えないかもしれないからな」
こちらも呑気に答えた。
2人でさっさと野営の準備に取り掛かる。
とはいえ、やることはいつものようにタープを張って、寝る場所の障害物を少しどかすだけだ。
簡単に準備を終えると、私は、
(さて、何を作ろうか?)
と考え晩飯の献立を考え始めた。
持ってきた材料は日持ちのする乾燥したものを何種類かと、米やパン、簡単な調味料くらい。
「定番だが、リゾットにでもするか…」
そうつぶやいて、材料と器具を取り出し、茸と干し肉を水で戻し始める。
すると、
「お、リゾットかい?バン君にしては簡単だね。よし、その辺で薬味と果物でも採ってくるよ。ついでに水も少し補充しておこう。すぐに戻るからそのまま作っていてくれ」
と言って、リーファ先生はさっさと森の奥へと消えていった。
相変わらずというかなんというか。
行動力のある人だ。
苦笑しながら、私は調理の続きに取り掛かる。
ややあって、宣言通り、リーファ先生はすぐに戻ってくると、
「お待たせ。良い感じにリークとエクサがあったよ。あと小さいけど、ムシカも採ってきたが、ハムはあるかい?」
と聞いてきた。
リークは細ネギと行者ニンニクを足して2で割ったような感じのもので、やや香りが強い。
エクサはほぼ水菜。
ムシカはイチジクが近い。
「ああ、ハムは少しだけ持ってきた。リークはすぐに入れよう。良い香りが付くはずだ」
そう言って、材料を受け取り、調理を続ける。
やがていい香りがしてきた。
リークのアクセントがいい。
茸と干し肉だけだと少し香りが弱いのをうまく補ってくれている。
少し癖の強い食材ではあるが、最後にさっぱりした苦みのあるエクサを入れるから、味のバランスも良くなるだろう。
そんなことを考えながら米を炒め煮にしていった。
そうこうしているうちに飯が出来上がり、さっそく二人して食べ始める。
リゾットはやや癖が強かったがなかなかのものだった。
ただ、チーズを入れればもっとまろやかになっただろう。
しかし、持ってきていない。
残念だ。
ムシカには薄く切ったハムを乗せて食う。
ねっとりした甘さと塩気が意外と合って、デザートと前菜の中間といった位置づけだろうか。
やや癖のあるリゾットとのバランスが意外と上手く取れたのは計算外だ。
心の中でリーファ先生に感謝しながら味わった。
食事も一段落し、いつものように薬草茶を飲んで一服しながらリーファ先生に聞く。
「私も知っている薬草はついでに摘んでいけばいい程度のものだし、なんとなく効用もわかる。しかし、他の3つはどういうものなんだ?」
そう聞くと、リーファ先生は少し答えにくそうな顔をしてこう答えた。
「毒、といってもいいかな。ただ、マルグレーテ嬢の場合には少量であれば効果があるだろう。苦しみを和らげることができるからね。だが、一種の中毒性もあって厳重な管理が必要だ。それもあるから今回はバン君にだけ同行をお願いしたってわけさ。できる限りヒトの社会には知られたくないからね。間違っても栽培なんて考えちゃいけない類のものさ…」
なるほど、私の記憶になぞらえれば麻薬やモルヒネのようなものだろうか?確かに用法を誤れば危険なものだ。
この世界に広めてはいけないものだろう。
「…そいつは確かに危険そうだな。もしかして…」
私は途中まで言いかけて、そこで言い淀む。
聞いてはいけないことを聞いてしまったと思ったがもう遅い。
リーファ先生は明らかに悲しそうな顔になると、
「…鋭いね。ああ、そうだよ。最終的には…マルグレーテ嬢を…なんというか…苦しみから解放するために使うものだね…」
と言った。
私は俯いて黙り込む。
なんとも言えない思い空気が二人の間に流れた。
「まぁ、そうならないように手は尽くすさ。もしかしたら何とかできる可能性だってまだ無くなったわけじゃないからね」
とリーファ先生はあえて明るくそう言う。
「…ああ、そうだな。一番苦しいのはマルグレーテ嬢本人だ。我々が落ち込んでいる場合じゃない」
私も気を取り直すようにそう言った。
茶請けにと残していたムシカをかじる。
ねっとりとした甘さが少しむなしく感じられた。
翌朝、簡単にパンとスープで朝食を済ませる。
準備を整えるとリーファ先生と目を合わせて無言でうなずきあった。
(ここから先は少しの油断が命取りだ。それに今回は危険にさらされるのは我々の命だけじゃない。マルグレーテ嬢の命も懸かっている。しっかりと気を引き締めろ)
そんな覚悟を決めると、昨日までの呑気な雰囲気は完全に消える。
そして、いよいよ、本当の冒険が始まった。