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74話 初夜までの道のり

 ファビオラの願いが叶って、結婚式の日は、見渡す限りの晴天となる。


 初代皇帝の色である、金糸で刺繍された正装姿のヨアヒムに、ファビオラはうっとりと見惚れた。

 輝く豊かな金髪と合わさって、威風堂々という言葉がぴったりだ。

 そんなファビオラが着ているドレスもまた、同じ金糸で刺繍が施されていて、それを感慨深くヨアヒムは眺める。

 侍従と侍女に促された二人は、照れながら腕を組み、ゆっくりと会場へを足を踏み入れた。


 多神教のヘルグレーン帝国では、神前式ではなく人前式が一般的だ。

 ファビオラとヨアヒムも、集まった来賓たちが見守る中、皇帝ロルフの前で跪いて宣誓する。


「喜びのときも悲しみのときも、末永くお互いを愛し、敬い、共に助け合うことを誓います」


 そして夫婦になった証として、口づけを交わす。

 ヨアヒムがファビオラの白いベールを、そっと持ち上げた。

 現れた美しい銀髪に、ほう、と会場内から感嘆のため息が漏れる。

 口づけをどこにするのか、ファビオラは教えてもらっていない。

 ドキドキしながら薄目を開けて待っていると、ヨアヒムがゆっくり顔を寄せてきた。


「目を閉じて」

「っ……!」


 かすれたヨアヒムの小声に、慌てて目を閉じた瞬間――ちゅっ、と唇を吸われる。

 驚いて見上げたヨアヒムの唇には、口紅が移っていた。

 ファビオラの顔は真っ赤に茹で上がり、後ろに卒倒しそうになる。


「っ……!!!」


 声にならない悲鳴を上げたファビオラを、ぎゅっとヨアヒムが抱き締める。


「そんなに可愛い顔を、他の人に見せてはいけない」

「か、かわ……?」

「碧の瞳が潤んでる。……最高に可愛い」


 いつまでもファビオラを離さないヨアヒムに、さすがにウルスラが注意をした。


「そういうのは後でいくらでもしていいから、とにかく式を終わらせてちょうだい」


 いくらでもしていい、という言葉に反応して、ヨアヒムが抱擁をといた。

 こういうとき、ウルスラは息子の扱いが抜群に上手い。


「ゴホン、二人が夫婦になったことを認める。どうか皆も、初々しい門出を祝って欲しい」


 ロルフの言葉に、わっと拍手が沸き起こる。

 ついに結婚したのだという喜びが、ファビオラの胸中にじんわりとこみ上げた。

 感動していると、隣にいるヨアヒムから声がかかる。


「今後はファビオラ嬢を、敬称を付けずに呼んでもいい?」

「もちろんです。夫婦なのですから」

「……ファビオラ、愛している」


 それは反則だ。

 赤星のように煌めくヨアヒムの瞳に射抜かれ、ファビオラの心臓は早鐘を打つ。


(これから大勢と挨拶しなくてはいけないのに、失神しそうだわ)


 矢傷のことを打ち明けると決心をした初夜まで、まだ道のりは長かった。


 ◇◆◇◆


「来るまでに、ずいぶんと手間がかかったわァ。思い通りにこき使える、影や使用人がいないのって不便ねェ」


 東の古城を見上げて、エバがぶつぶつと文句を言う。


 エバを養子にしてくれた子爵家は、あまり豊かではない。

 だから所有していたドレスを全て売って、ここまでの路銀にした。

 価値を知らないエバが、二束三文で買い取らせたので、商人はずっとニコニコしていた。

 おかげで、立派な馬車を用意してもらえたのだが、残りの手持ちは少ない。

 しかし、子爵家に帰るつもりのないエバには、そんなことはどうでもよかった。


「ついにレオさまと会えるわァ! 北の塔では、レオさまの部屋に侵入するのは失敗したけど、おんぼろな城なら警備も厳しくないでしょ!」


 長旅の疲れも忘れて、エバは軽やかに古城へと歩いていく。

 そこに待ち受けるレオナルドが、魂に何を刻み込んでいるかも知らずに。


「今日は私とレオさまの、再会記念日よォ!」


 ◇◆◇◆


「ファビオラ、おめでたい日に話すには、はばかられる内容なのだが……どうせ知るのなら、新たな一歩を踏み出す今がいいと思う」


 結婚式から続くお披露目パーティの最中で、新郎新婦は先に下がった。

 正装をほどき、初夜の準備をするためだ。

 侍女たちに体を磨き上げられたファビオラが、皇太子の部屋と繋がる寝室で待っていると、そこに神妙な表情のヨアヒムがやってくる。

 そして、ベッドの上で向かい合った二人の間に、初夜とは思えぬ重たい雰囲気が漂うのだった。


「それは、私に関する話なんですよね?」

「きっと気持ちのいいものではない。だが当事者のファビオラは、知っているべきだろう」


 ヨアヒムの声音は静かだ。

 ファビオラが取り乱したとしても、それを受け止める覚悟が感じられる。


「教えてください。どんなことですか?」

「……ファビオラの見た、不思議な夢についてだ」

「っ……!」

「12歳のときに、ファビオラは神様の啓示を受けた、とお義父さんから聞いた」

「その通りです。私はそれを予知夢だと思いました」


 19歳で死んでしまう、夢の中のファビオラ。

 その元凶となるレオナルドとエバを避け、全く違う人生を歩んできた。

 20歳まで生き延びれば、そんな凄惨な神託から、脱したと言えるのではないか。

 ヨアヒムと仮初の婚約をしたとき、期限を区切ったのはそのためだった。


「あくまでも想定でしかないのだが……それは予知夢ではない。ファビオラが実際に歩んだ人生なのではないか、と私たちは結論づけた」


 ダビドが告白した、神様の恩恵の力について、ヨアヒムが説明する。

 王位を継承すると決まった者が授かるという、時を巻き戻す力――その力を、レオナルドは行使した形跡があった。

 だからこそ、ファビオラの死を極端に恐れ、神様から護ろうと監禁までしたのだ。

 あの屋敷から出てしまえば、ファビオラが殺されるとレオナルドは『知っている』から、あそこまで必死だったと考えられる。


「あの惨劇が……私の人生だった?」

「にわかには信じ難いだろう。言うなれば、今は二度目の人生だ」


 衝撃が強すぎる。

 夢にしては現実味があると思っていた。

 よもやそれが現実だったとは。

 だが、以前に抱いた疑問は解決した。


「時おり、元王太子殿下が、おかしなことを言っていたんです。私のことじゃないのに、まるで私のことみたいに……」

「それは、一度目のファビオラについての、記憶があったせいだろう」


 それならば頷ける。


「本来、その力は国の一大事に対処するため、与えられているらしい。それを元王太子は、ファビオラのために使った」


 ダビドもペネロペのために使ってしまった。


(まるで恋物語の、『身を亡ぼす恋』のようだ)


 万が一、そんな力を神様に授けられたとして、ヨアヒムは私欲に打ち勝てるだろうか。

 何のために行使したかは、本人が言わなければ、誰にも知られない。

 さらに力の詳細については、あいまいにしか伝承に残されていない。

 たとえ奇跡を起こせなくとも、国王としての資質を疑われることもない。


(ヘルグレーン帝国が、多神教でよかったと言わざるを得ないな)


 一途な信仰を捧げられるせいか、カーサス王国の神様は極端が過ぎる。

 時を巻き戻す力なんて、あまりにも人知を超越したものだ。


(そんな力を、ただの人が、正しく扱えるはずがない。恩恵ではなく、まるで試練だ)


 酷なことをする、と考え込むヨアヒムの前で、ファビオラも考え込んでいた。


「12歳の私が夢を見た日――それが、時が巻き戻った地点なんでしょうね」

「その日に、何かしらの意味があったのかもしれない」

「私の人生の、分岐点だったのだと思います。ちょうど入学したてで、これから人脈づくりをしたり、淑女としての知識を蓄えたり、大きく羽ばたく転換期でした」


 だから神様はそこまで戻したのだ。

 そこからなら、ファビオラはやり直せる。

 同じ人生を歩まなくて済む、と判断したのだろう。


「神様は私に、味方してくれたんですね。おかげで、ヨアヒムさまとも出会えました」


 ヨアヒムが恐れたことを、ファビオラも恐れた。

 二人が出会わなかった人生も、あり得たのだと知ってしまったから。


「私の一度目の人生で、ヨアヒムさまは、どう過ごしたのでしょうね」


 オラシオが横領した潤沢な資金があれば、マティアスはハネス親方から、装備をたやすく手に入れられただろう。

 私兵団だって、盗賊くずれの傭兵ばかりではなく、ちゃんとした騎士がいた可能性もある。

 もしかしたら力押しが効いて、皇位継承争いの結果は、異なっていたかもしれない。

 そこから勢いづいたマティアスが、調子に乗って、カーサス王国へ攻め込んだとも考えられる。

 防衛設備が整っていなかったエルゲラ辺境伯領は、あっという間に戦火にさらされただろう。

 そのときヨアヒムは、一体どこで、何をしていたのか――。


「……義兄上には、敗けなかったと思いたい」


 ヨアヒムが右肩に手を置く。

 あの日から、作家になりたいという夢を捨て、皇帝の座を目指して頑張ってきた。

 弱い者は簡単に、力によってねじ伏せられる。

 そんな現実に直面して、絶対に強くなろうと誓った。

 そしていつか、すべての脅威を排除して、初恋だったシャミ役の少女を探し、会いに行くと決めた。


「ファビオラに怪我をさせたことを、謝りたかった。私を貫通してしまった矢が……刺さっただろう?」


 ヨアヒムの視線が、ファビオラの左胸に注がれる。

 ワンピースが赤い血で染まったのは、その辺りだった。


「ちょうど私も、その話をしようと思っていたんです」


 侍女たちが着せてくれた、ふわふわしたガウンの襟を、ファビオラはぐいと引き下げる。


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