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69話 運命の分かれ道

「ヨアヒムさまとの契約期間も、残り数か月ね」


 ファビオラが寝たきりから復活し、さらに数日が経った。

 監禁されていた精神的苦痛で弱っていた胃腸も元通りになり、おかげで毎日の食事が美味しく、すっかりファビオラは元気を取り戻している。

 そうしたら、脳裏に思い浮かぶのは、ヨアヒムのことばかりだった。


「あれからずっと、王城に滞在していると聞いたけど……」


 ヨアヒムはヘルグレーン帝国の使者として、忙しくしているようだった。

 お礼の手紙を父のトマスに届けてもらおうとしたが、なぜか固く断られてしまう。

 こうしたことは直接、言った方がいいということだろうか。


「ヨアヒムさまを、訪ねてみようかしら」


 アダンから聞いた話では、レオナルドはファビオラを攫って監禁した罪で、北の塔に幽閉されたらしい。

 だから王城へ赴いたとしても、顔を合わせる心配はない。

 そしてエバは監視の目が厳しくなり、自宅からは絶対に抜け出せない状況だという。

 ファビオラが巻き込まれた火事について、いぶかしんだヨアヒムが頼んでくれたそうだ。


「相変わらず、ヨアヒムさまの推察はすごいわ。私が何も言わなくても、アラーニャ公爵令嬢を疑わしく思うなんて」


 本当に名探偵オーズみたいだ。


「そうよ、あの屋敷に助けに来てくれたときに――」


 ヨアヒムがこう言った。


『悪役に捕まってしまったシャミを救うのは、オーズの役目だろう?』


 あのときは混乱していたから、そのまま受け止めてしまったけれど。


「よく考えれば、不自然だわ。どうしていきなり、『朱金の少年少女探偵団』の話になったの?」


 こてん、と首をかしげる。


「あの台詞だと、私がシャミで、ヨアヒムさまがオーズだって、言ってるみたい」


 そこまで口にして、ようやくファビオラは気づいた。


「もしかして……ヨアヒムさまは思い出したの? 私があの日の少女だって……」


 ハッと左胸に手をやる。

 服の下には、星型の矢傷がある。


「どうしよう……ヨアヒムさまは責任感が強い人だわ。もし、私に傷が残っていると知ったら……」


 ファビオラと結婚すると言いかねない。


「駄目よ! それでは、ソフィさまが悲しむわ……!」


 確かめなくてはならない。

 ヨアヒムが思い出したのかどうか。

 ファビオラは急いで出かける準備をする。


「こんな古傷、私は気にしてないって、伝えなくちゃ! そして……愛する人と、幸せになってくださいって、笑顔で言うのよ!」


 ◇◆◇◆


「グラナド侯爵、ファビオラ嬢はまだ……?」

「完全に回復するには、もう少しと言ったところです」

「……お見舞いに行かせてもらえませんか?」

「ファビオラが無理をしてはいけませんので――」


 ヨアヒムとトマスが、立ち話で問答をしているところに、ファビオラは出くわしてしまう。

 先に財務大臣の執務室を訪ねたら、そこで働いていた書記官たちから、トマスは宰相の執務室にいると教えてもらったので、複雑に入り組んだ王城内の回廊を歩いてるときだった。


「お父さま? ヨアヒムさま?」

「っ……!?」


 トマスが、しまったという顔をして、ヨアヒムが、ひどく驚いた顔をしている。


「ファビオラ嬢、体調は大丈夫なのか!?」


 ヨアヒムが駆け寄ってきた。

 どうしてそんなに心配そうなのか。


「すっかり元気になりました。今日は、ヨアヒムさまにお礼を言いたくて、登城したんです」


 ヨアヒムはどこにいるのかトマスに教えてもらおうと思ったのに、それより先に二人を見つけてしまったのだと説明する。

 トマスは額に手をやり、首を横に振る。


「はあ、仕方がない。もう少し、ファビオラと一緒にいたかったが、誤魔化せるのもここまでか。ヨアヒム殿下、よろしくお願いしますよ」


 ファビオラが回復次第、すぐにヘルグレーン帝国へ連れ帰るとヨアヒムが言っていたので、それを遅らせようと大人げない行為をしていたトマスだった。

 だが、元気な姿で当人が現れてしまったため、ヨアヒムにファビオラを託すと、仕事へと戻って行った。

 その場に残されたのは、訳が分かっていないファビオラと、よろしくお願いしますの意味を拡大解釈したヨアヒムだ。


「ファビオラ嬢、まだ病み上がりなのでは? どこか座れるところに――」


 そう言ってヨアヒムが抱き上げようとするので、ファビオラは慌てふためく。


「大丈夫です! 自分で歩けます!」


 しょんぼりするヨアヒムと、それを温かく見守るバート。

 そんな二人の姿に、ファビオラはやっと戻ってきた日常を感じる。


「改めまして、助けていただき、ありがとうございました。おかげで、こうして回復しました」


 ファビオラがキレイなお辞儀をすると、ヨアヒムも微笑んだ。


「本当に良かった。長らく臥せっていると思っていたから、気が気ではなかった。まんまとグラナド侯爵に、はめられてしまったな」

「父が失礼をして、申し訳ありません。もっと早くに、私がお伺いすれば――」


 謝るファビオラを、ヨアヒムは手で制する。


「少しでも長く、ファビオラ嬢と一緒にいたい気持ちは、私も同じだからよく分かる。だからグラナド侯爵は、何も悪くない」


 さらりと告げられたが、その内容にファビオラは赤面する。

 破壊力のある言葉だったと自覚がないのか、ヨアヒムは平常通りだ。


「実はファビオラ嬢のために、お見舞いの品を用意したんだ。受け取ってもらえるだろうか?」


 こくりと頷くファビオラを、ヨアヒムがエスコートする。

 品物を取りに部屋へ行くのかと思ったら、王城の庭園へと連れて行かれた。


(この先には噴水があって、ベンチがあって――)


 予知夢の中で見たのと、変わらない風景がひろがっている。

 しかし今ここに、レオナルドはいない。

 華やかなお茶会も開かれておらず、咲き誇る花たちの柔らかい香りだけが漂っていた。


「カーサス王国の人に、何度も案内してもらったから、すっかり詳しくなったよ。ファビオラ嬢は、この噴水がなんて呼ばれているのか知ってる?」

「噴水に名前があるんですか?」


 それは初耳だった。

 ファビオラは目の前の噴水を眺める。

 きらきらと光を反射して、小さな虹をつくっていた。

 これだけ大きな噴水だから、確かに名前があってもおかしくない。


「この噴水はね、『運命の分かれ道』というんだって」

「それは……変わった名前ですね」


 ファビオラは宙を舞う飛沫を目で追う。

 四方八方へ水が飛び散る様子を、分かれ道に例えたのだろうか。

 それにしても運命とは、少し大げさに感じた。


「どうぞ、ベンチに腰かけて」


 ファビオラが座る場所へ、ヨアヒムがハンカチを広げる。

 狼狽えながらも、その上に座らせてもらう。

 するとヨアヒムが、ファビオラの前に跪いた。


「え……!?」


 てっきり、隣に座るものだと思ってたファビオラは、驚いて声を上げてしまう。

 ヨアヒムはしきりに苦労しながら、懐から何かを出そうとしていた。

 もしかして、それがお見舞いの品なのだろうか。


「ヨアヒムさま、そこはスマートに取り出さないと」

「待て、角が引っかかって……折れたら大変だ」

「だから俺が持ちますって言ったのに」

「それは駄目だ。特別で、大切な物だから――」


 やっと上着の中から、茶色の紙袋が出てきた。

 ファビオラはそれに見覚えがある。

 寒い日に、侍女のモニカがこっそり買ってきてくれたものと、同じだった。


「それは、王都の本屋さんの……」

「受け取って欲しい」


 両手で差し出された包みを、ファビオラも両手で受け取る。

 封がされていた口を開いて、そこから中を覗くと――。


「っ……! 朱金色の表紙!? もしかして……」

「つい先日、五巻が発売されたんだ」


 ヨアヒムが歓びを隠せないという顔をする。

 ファビオラも期待に目をきらきら輝かせた。


「見てもいいですか?」

「もちろん。……出来れば、表紙もめくって欲しい」


 少し顔が赤いヨアヒムの前で、ファビオラは慎重に本を取り出す。

 団旗を模した表紙を愛おしげに撫でて、サブタイトルを読み上げた。


「『誘拐されたシャミの行方を追え! 消えた手がかりとリーダーの謎』……シャミは誘拐されてしまうの!?」

「偶然だけど、ファビオラ嬢の状況に似ているよね」


 巻を追うごとに、オーズやシャミは年齢を重ねていき、四巻ではオーズは17歳、シャミは15歳だった。


「五巻では、二人は何歳になったのかしら? ヨアヒムさまは、もう読みましたか?」

「まだだよ。ファビオラ嬢が元気になってから、と思っていたから」


 最新刊を入手していながら、読むのを我慢していたのか。

 それはなんという耐えがたい苦痛だろう。

 ファビオラは頭を下げて詫びた。


「すみません、本当にもっと早く会いに来ていれば――」

「大丈夫。それより……その、表紙を……」


 ヨアヒムのしゃべり方が、ぎこちなくなった。

 いつまでも本を撫でてばかりのファビオラに、どうか表紙をめくって欲しいと促す。

 もしかしたら、そこに何かのメッセージが書かれているのだろうか。


 何の気なしにぺらりと開き、ファビオラはその衝撃に息を飲んで固まった。


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