「ダビド、今回はヨアヒム殿下が救出してくれたからいいものの、そうでなかったらファビオラは飼い殺されていた。レオナルド殿下は神様から護るつもりだったのだろうが、あれでは虫かごの蝶と変わらない。そこにファビオラの意志も、自由もないんだ」
トマスが一言一言、噛みしめるように伝える。
ダビドはそのたびに頷き返した。
「全くもって、その通りだ」
「私はダビドにも、責任があると思う」
「もっと早く、レオを問い詰めればよかった」
「そうじゃない」
断言したトマスは、ファビオラと同じ碧い瞳に、少しの悲哀を乗せた。
「ダビドが手本になってしまっているんだ。ずっと離宮で王妃殿下を、心無い者たちから匿っているだろう? レオナルド殿下は、それを真似たに過ぎない」
「っ……!」
「精神的に弱っている王妃殿下を、護りたい気持ちは分かる。だがその結果、王妃殿下はいつまでも社会から隔離され、公務もしない役立たずと陰口を言われ続けるんだ」
王妃ペネロペを罵るのは、なにも王妹ブロッサだけではない。
ダビドの前ではみんな、言わないだけだ。
「あの離宮は時間が止まったようだ、とパトリシアが言う。ラモナ殿下が亡くなったときから、何も変わらない、と。それでは駄目なんだ。時間が流れて状況が変わらないと、いつまでたっても哀しみの中だろう?」
「だが、世間は優しくない。またペネロペが、傷ついてしまう……」
「幼少期から何重にも護られて育ったせいで、王妃殿下は立ち直る経験を積めなかった。つらく悲しい出来事があったときは、誰かに支えられながら前を向くのだと、ダビドが隣で教えてあげればいい」
トマスに諭され、ダビドの眦が潤む。
「今からでも、遅くないだろうか?」
「何かを始めるのに、遅いなんてことはない。思い立った日が、最適な日なんだ」
箱入りだったペネロペには、悪意から遠ざけられた離宮での暮らしは、ラモナを失った哀しみこそあれ、ある程度は穏やかで幸せだったのかもしれない。
しかし、しっかり自立しているファビオラにとって、意に反して行動を制限されるのは、苦痛でしかなかったはずだ。
(それが分からなかったのだろうな、王太子殿下は)
ダビドとトマスの話を聞きながら、ヨアヒムはそう思った。
「ヨアヒム殿下は、何か望みはありますか? レオナルド殿下の態度に、思うところもあるでしょう」
レオナルドの処罰について、トマスがヨアヒムへ話をふる。
トマス自身は、ダビドへの訓告でもって、終わらせるつもりのようだ。
ヨアヒムにしてみれば温いと思うが、すべてはファビオラが無事だったからこそ。
これでファビオラに傷のひとつでもついていたら、トマスも容赦はしてしない。
そしてヨアヒムは処罰とは別に、どうにも気になっていたことを聞いた。
「疑問があります。どうしてカーサス王国の神は、ファビオラ嬢を殺そうとするのですか?」
レオナルドは、何度もそれを強調していた。
多神教のヘルグレーン帝国には、残酷な神様もいるにはいるが、カーサス王国は一神教だ。
唯一の神様がそれでは、信奉するのも躊躇われるだろう。
「そう思っているのはレオナルド殿下だけですが、事情があるのです」
トマスがダビドを横目で見た。
説明するには、繊細な内容を含む。
それを言っていいものか、確認を取ったのだ。
ダビドは自分の胸に手を置いて、ぽつりと呟く。
「……私が話そう。レオには、10歳の双子の妹がいた。名前はラモナ。ファビオラ嬢と同じ、銀色の髪だった」
ダビドが昔話を始める。
「その日は天気がよくて、子どもたちは庭園にある池で遊んでいた。だが小さな舟に乗っているときに、思わぬ事故が起きた。ラモナと従妹のエバが、同時に水に落ちたんだ」
思い出すたびに、鼻の奥がツンとする。
「エバはすぐに助け出された。ばたばたと手足を動かして、大きな水しぶきを上げていたから、護衛たちはそちらに集まってしまって――静かに沈んだラモナを見失った」
それは人災ではないか、とヨアヒムは思う。
「大勢で池をさらって、水底からラモナを発見したときには、もう息をしていなかった。……まるで寝顔のようだったよ」
ダビドがそこで、大きく深呼吸をした。
心を落ち着けないと、声が震える。
「カーサス王国は、千年以上も昔に、神様の御使いの一族が建立した。その一族はみな、美しい銀髪の持ち主だったという。時代を経た今でも、神様に愛される証として、銀髪は貴いものとされている」
ヨアヒムの視線が、ダビドとトマスの頭髪を往復する。
二人とも白髪が混ざるが、見事な銀髪だ。
「グラナド侯爵家には、数代前に王女が降嫁している。トマスもファビオラ嬢も、先祖返りで銀髪なんだ。しかし、銀髪を持つ者の数は、年々少なくなっている」
ふう、とダビドが溜め息を零す。
「だから神様は寂しがって、ラモナを手元に呼び寄せた。――レオはそう信じている」
「双子ということは、王太子殿下は当時10歳。溺れて助からなかった妹の死に、少年心が衝撃を受けたとしても、後から考えれば神業などではないと、分かりそうなものですが」
思いがけず水中に沈んだとき、何が起きたのか理解できず、身動きをしない者がいる。
そうした者は、普通に呼吸をしようとして水を飲み、そのまま静かに溺れていくのだ。
逆に、今から水中に沈むと分かっている者は、溺れまいと必死に水をかく。
ラモナとエバの違いは、それだろうとヨアヒムは考えた。
「護衛たちが証言するには、髪の色が池の中で目立たず……探すのに手間取ったそうだ」
銀色のせい、ということか。
それだけで神が連れて行ったと決めつけるのは、いささか乱暴だ。
ファビオラを監禁したレオナルドは、もっと具体的な何かを避けていた気がする。
ヨアヒムが首を傾げていると、ダビドが重々しく口を開いた。
「もしかしたら、レオは『知っている』のかもしれない。ファビオラ嬢の死に様を――」
それにトマスが反応する。
「どういうことだ? 『知っている』のは、ファビオラだけではないのか?」
ヨアヒムには、ダビドとトマスが、何について言い合っているのか分からない。
だがそこに、レオナルドが懸念する、ファビオラの死の謎が含まれているらしい。
「王太子殿下の処罰について考える前に、それらを明らかにしませんか?」
そう提案したヨアヒムを見て、二人は悩みだす。
よほど言いたくないことなのか。
「そこから何か分かれば、ファビオラ嬢を護りやすくなると思ったのですが」
あとひと押ししてみる。
これにはトマスが、一理あると頷いた。
「これは家族だけの秘密だが……すでにダビドには明かした部分もあるし……それにヨアヒム殿下はファビオラと……ならば、もう家族も同然だろう」
ぶつぶつと独り言を呟いた後、トマスが腹を決める。
「12歳のファビオラが見た、不思議な夢について話します。これは神様から啓示された、予知夢だったのではないかと――」
そしてトマスは、19歳で人生の幕を下ろしたファビオラの夢を、かいつまんで説明した。
「だからファビオラは、レオナルド殿下やエバ嬢と、距離を取り続けたのです」
トマスが話を締めくくる。
黙って聞いていたダビドが、長く息を吐く。
「現実と重なる部分もあるな。レオはファビオラ嬢を監禁したし、エバはファビオラ嬢を襲った」
ダビドの台詞に、ヨアヒムが眉をひそめた。
「エバという女性は、何者ですか? 先ほども、名前が出ていましたよね」
「私の妹ブロッサと宰相の娘だ。レオのひとつ年下で、ラモナの親友だった」
ヨアヒムが顎に指をあてて考える。
その仕草は、ウルスラにそっくりだった。
「今は何らかの刑罰を、受けているのでしょうか?」
「自宅で謹慎させている。城内に武器を持ち込み、それを悪用した咎で」
影に命じて他の令嬢を襲わせたのは、影がしたことなので罪に問えない。
だから、自ら手を下そうとした件だけの、処分ではある。
「ファビオラ嬢がヘルグレーン帝国へ帰るまで、その令嬢に監視をつけてもらうことは可能ですか?」
「それは可能だが……何か気になるのか?」
「今までの話を聞いていて、最も危険な人物だと判断しました」
ヨアヒムがきっぱりと断言する。
「現在はもう、影とやらを使役できない状況のようですが、それでも警戒は怠りたくありません。ファビオラ嬢の見た、予知夢の内容が引っかかります」
「エバにロープで、首を絞められたという?」
ダビドの質問に、ヨアヒムは首を横に振った。
「その令嬢は、人を殺すのは『二度目』と言いました。では『一度目』は、誰を殺したのでしょう?」
会議室が静まり返った。