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64話 荒療治が効く

「うわっ!」


 濡れた藁に足をすくわれて、マティアスが大袈裟に転倒した。

 したたかに尻もちをつき、その痛みに顔をしかめている。

 それを取り巻きたちがハラハラと見ているが、リノは構わず檄を飛ばした。


「もっと腰を落として、重心を下にしろ。そんなんじゃあ、いつまで経っても終わらないぞ」

「俺たちは、牛の世話なんてしたことがないんだ! 時間がかかるのは、当たり前だろう!」

「それだけ吠える元気があれば、大丈夫そうだな。夜までしっかり働けよ」


 にこりと笑われ、マティアスはさらに顔をしかめた。

 囚人として牢に入れられると思っていたのに、なぜか朝から晩まで牛舎の掃除をさせられている。

 文句を言ったら、「働かざる者、食うべからず」が、エルゲラ辺境伯領の教えだと返された。

 つまり、身柄がヘルグレーン帝国へ引き渡されるまで、毎日の食事を出してもらいたければ、マティアスたちは労働せねばならないのだ。


「あり得ない! 俺は第一皇子なんだぞ! 未来の皇帝陛下なんだぞ!」


 がしがしと乱暴に床を掃くと、ドンと鼻面に背中を押されて前のめる。

 振り返ったマティアスは、大人げなく牛に食ってかかった。


「お前! わざとやっただろう!」


 先ほどから仕事が進まないのは、こうして手が止まるせいもある。

 マティアスの反応がおもしろいのか、牛たちは交互にちょっかいをかけるのだ。


「いい玩具にされているな」


 リノが感心する。

 取り巻きたちはこの環境に徐々に慣れていったが、マティアスだけはいつまでも反発して怒鳴り散らしている。

 それが牛たちにとって、楽しくて仕方がないのだ。


「しばらく天気が悪くて、放牧してやれてないから、遊び相手にちょうどいいか」


 ぎゃんぎゃん喚くマティアスの声が、今日も雨音に負けず牛舎に響き渡っていた。


 ◇◆◇◆


「お義兄さま、お久しぶりです」


 リノの妻アルフィナが、イェルノとの再会を喜ぶ。

 血の繋がっていない義兄妹だが、二人は仲がいい。


「こうして会うのは、何年振りだろう。一番上の息子が、もうすぐ9歳になるんだって?」

「そうなの、とってもやんちゃよ! リノにそっくりだから、逞しい領主になるわ」


 ふわりと微笑むアルフィナは、幸せそうだった。

 それを見て、イェルノは安心する。

 皇城での居場所を失っていたイェルノに、新しい居場所をくれたのが先代のヴィクトル辺境伯だ。

 そんな義父から託された一粒種のアルフィナの頼みは、なんだって叶えたいと思っていた。

 だから、ファビオラの後ろ盾になるのも、快く引き受けたのだ。


「お義兄さまに後援をお願いしたときは、まさかファビオラちゃんが、ヨアヒムさまの婚約者になるとは思わなかったわ」

「ご縁というのは、どこで繋がるか分からないものだね。縁結びの神様は、特に気まぐれだと言うし」

「お義兄さまは誰と繋がっているのかしらね? きっとお相手が、恥ずかしがり屋なのだわ」

「私はこのまま独身でいいよ。アルフィナの息子の内の誰かが、次代のヴィクトル辺境伯になればいい」


 それが血筋的にも正しいと、イェルノは主張する。


「私が今、ヴィクトル辺境伯を名乗っているのは、中継ぎにすぎない。いつかこの爵位は、返上しようと思っていた」

「お父さまは、そんなつもりでお義兄さまを養子に迎えた訳じゃないわ」

「……皇族の血というものは、やっかいなんだよ。時流次第で、いつ皇帝に担ぎ上げられるか分からない。それは覚悟のない者にだって、容赦なく襲い掛かってくるんだ」


 長らくイェルノが、おびやかされてきたように。

 望む望まないに関わらず、血の濃さが優先される。


「穏やかな生活を送りたいなら、不要なしがらみだ。私は自分の子どもに、それを背負わせる勇気がない」


 疲れたように呟くイェルノに、アルフィナはそれ以上の言及をしなかった。

 同母の兄である皇帝ロルフと、6歳もの年齢差がありながら、それを感じさせないほど、イェルノは学業面で優秀だった。

 それゆえに何度も、側近たちによって、皇帝に相応しいと推挙された。

 ロルフを蹴落とすつもりはない、兄弟で争いたくない、自分の気性には向いていない、とイェルノがいくら拒んでも駄目だった。

 そんなときに、先代のヴィクトル辺境伯から、養子縁組を提案された。

 イェルノにとって、それは救いとなる。


「ヴィクトル辺境伯領は、静かでいい。ゆっくりと時間が流れて、皇城のかしましい噂も、ここまでは伝わらない。これくらいが丁度いいんだよ」


 穏やかに微笑むイェルノこそ、今が幸せなのだろう。


「お義兄さまにとって、皇城は嫌な場所なのね」

「あそこは魔の巣窟だよ。アルフィナも行けば分かる。……でも、ヨアヒムが皇帝になれば、変わるかもしれないな」

「赤公爵家と青公爵家の争いにも、終止符が打たれるんでしょう?」

「完全にではないけれど、青公爵家は勢力をそがれて、数代後までは大人しいだろうね」


 マティアスが並み居る観衆の前で、違法な私兵団を引き連れ、堂々とヨアヒムの命を狙ったのだ。

 まったく言い逃れができない状況に、ヘッダも青公爵も、監督不行き届きで重い処罰を受ける。


「マティアスは、頑張る方向を間違えた。皇帝とは力でなるものではなく、心でなるものなんだよ。傲り高ぶった者が、誰も幸せにできないのと同じだ」

「ヨアヒムさまは地方への視察もこまめで、よく民の声を聞いていたわ。それを鑑みると、結果として皇帝陛下が長子継承を覆したのは、正解だったのかしら?」

「難しいところだね。最初から皇帝になるべく育てられていれば、マティアスも違ったかもしれないから」

「エルゲラ辺境伯領で、護るべき民の生活がどんなものか学んで、気持ちを入れ替えてくれるといいわね」


 気持ちを入れ替えると言えば、リノと元気に駆け回っていた、小さなファビオラを思い出す。

 弟にすべてを奪われたと信じていたファビオラは、エルゲラ辺境伯領へ預けられた当初、自分の殻に閉じこもり、大人たちを一切寄せ付けようとしなかった。

 静かに泣き続ける幼子を、無理やり引っ張りまわしたのがリノだ。


(あんな荒療治で効くのか、と疑問に思っていたけれど、ファビオラちゃんは次第に笑顔を取り戻していったわ)


 顔色が良くなり、ご飯を食べるようになった。

 体力の限界まで、泥だらけで遊ぶようになった。


(手持ちのドレスじゃ、碌に走れないからって、私のおさがりをよく着ていたわね)


 ぶかぶかで動きやすい、アルフィナのワンピースを、ファビオラは殊の外喜んだ。


『お洋服、ありがとう』


 たどたどしくも、きちんとお礼が言えたファビオラは、エルゲラ辺境伯領で暮らすうちに、しっかりと気持ちを立て直した。


「リノの荒療治が効くのは、ファビオラちゃんで証明済みだから! お義兄さまは泥船に乗ったつもりで、安心していてね!」


 アルフィナの言い間違えに、イェルノが声をあげて笑った。


 ◇◆◇◆


「外からだと、普通の屋敷に見えるな」

「庭もよく、手入れされてますね」


 アダンに案内され、初めてカーサス王国の王都を訪れたヨアヒムとバートは、中央の通りからは少し離れた、レンガ調のこじんまりとした館を眺めている。

 鉄柵に蔓バラが巻き付いている程度で、外観はそれほど華美ではない。

 だがこの屋敷のどこかに、ファビオラが監禁されているという。


「お忍びの馬車で、レオナルド殿下が数日おきに訪れています。数名の女性の使用人たちが働いていて、おそらくは姉の世話もしているのでしょう」


 アダンが調べられたのは、そこまでだった。


「屋敷の間取りは、おぼろげですが書き取ってあります」


 胸ポケットから出した紙を、アダンが広げて見せた。

 ファビオラの予知夢を基にしてあるため、もしかしたら今は少し違うかもしれない。

 だが、監禁している部屋には目星がついている。


「この部屋が、怪しいと思います」


 アダンが指さしたのは、東向きの主寝室だ。


「水回りの設備も整っているし、監禁するのに条件は良さそうですね」


 バートも同意する。


「二階にあるのか。どうやって忍び込もう?」


 ヨアヒムがもう一度、館を見る。

 それから三人は、頭を突き合わせ作戦を練った。


 ◇◆◇◆


 その夜、ファビオラが監禁されている屋敷の通りにある店舗で、七色の炎を生み出す薪の実演販売が行われた。


「燃えているところが見られるのは、今夜限りだよ!」


 慣れた口上で客を呼び寄せるのは、『七色の夢商会』で売り子を体験したアダンだ。

 すでに購入している貴族や富裕層などは、前を素通りする。

 しかし、多くの庶民にとっては、いまだ手の届かない高嶺の花だ。

 七色に変化する様子を一目見ようとと、店舗前には大勢の人々が集まった。

 そこには、あの口が利けない使用人たちの姿もあった。

 さまざまな色に変化する炎を見て、手を叩いて感嘆している。

 アダンは大盤振る舞いで、どんどん薪を燃やした。


 そしてその隙に、ヨアヒムとバートは、屋敷へと忍び込んだのだった。


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