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40話 三人の母親

 ファビオラは卒業と同時に、ヘルグレーン帝国へ逃げるつもりでいた。

 しかし、アダンはそれでは間に合わないと言う。


「今度の長期休暇中に、必ずヨアヒム殿下に相談してください。お姉さまが助けて欲しいと願えば、絶対に手を差し伸べてくれます」


 自信たっぷりなアダムの口調に、ファビオラの心も揺さぶられる。


(第二皇子殿下は優しいから。それに、相談に乗ってくれるとも、言っていたし……)


 逃げる方法が、ヨアヒムとの婚約だけとは限らない。


(長期休暇が終わっても、ヘルグレーン帝国に留まれないかしら。仮病でも何でもいいから、カーサス王国に戻れない状況になればいいんだもの……)


 遠慮していては、レオナルドに捕まってしまう。


「分かったわ。なんとか第二皇子殿下にお会いできるよう、頑張ってみる!」


 ファビオラはアダンの助言を、前向きに検討することにした。

 アダンのホッとした顔に、ファビオラも笑顔を返す。


「そうと決まれば、論文を仕上げてしまわなくちゃ! 先生たちが合格を出すしかない、完璧な内容にするわよ!」


 長期休暇に入るまで、レオナルドからは、また贈り物が届けられるだろう。

 そのたびに、底知れぬ執着を思い出し、怖気が走るかもしれない。


(でも弱気になっては駄目! 20歳まで生き延びて、運命に打ち勝つのよ!)


 いっそのこと、ヘルグレーン帝国へ行ったら、銀髪を染めてしまおうか。

 朱金色の髪に変わったファビオラを見て、誰かが何かを思い出すかもしれない。


(あの男の子の面影が、どうしても第二皇子殿下に重なる。もしかして、という思いが捨てきれない……)


 はっきりさせたいような、有耶無耶でいたいような。

 ファビオラの気持ちは、定まらないのだった。


 ◇◆◇◆


「あら、お見舞いに来たのは、私だけじゃなかったのね」


 花籠を手にしたブロッサは、ペネロペが暮らしている離宮へ足を踏み入れると、まもなく先客の存在に気づく。

 艶のある黒髪を背に流した女性が、ペネロペと向かい合ってお茶を飲んでいるが、ブロッサからは顔が見えない。


「ブロッサさま……お約束した面会日は、明後日では……?」


 ブロッサの登場に驚くペネロペの声には、戸惑いが隠せない。

 わざわざ日にちを指定したのは、こうした状況を防ぐためだったのに。


「たまたま時間が空いたのよ。私は忙しい毎日を過ごしているんだから、急な予定の変更には、ペネロペさんが合わせてちょうだい」


 カーサス王国において、自由奔放なブロッサの動向に苦言を呈すことができるのは、国王ダビドのみ。

 ブロッサは勧められるより先に、勝手に席へ着いた。

 ペネロペが侍女に頼んで、追加のお茶を用意させる。

 そんな様子を、ブロッサはじっくりと観察した。

 結われた薄桃色の髪は、レオナルドに似ているが、全体的にハリがない。

 服で隠せない手首の細さから、痩せ過ぎて、骨が浮き出ているのが分かる。

 特別製のカウチに横たわり、体を起こすのも億劫そうなペネロペに、ブロッサの気持ちは明るくなった。


(ああ、安心した。私よりもずっと、ペネロペさんは不幸だわ。もとから華のない容姿だったけれど、それに磨きがかかっているじゃない。きっと王妃という立場がなければ、生きている意味もない女性なのよ)


 ふふっと含み笑いを漏らしたブロッサの隣で、黒髪の女性がソーサーをテーブルへ戻した。

 優雅なその仕種が気になり、ブロッサがちらりと目線を投げる。

 そこには目鼻立ちがくっきりとした美女が、意味深な微笑を浮かべていた。

 その顔に、思い当たる節のあったブロッサは声をかける。


「グラナド侯爵夫人、でしたわね?」

「ごきげんよう、アラーニャ公爵夫人」


 親しくもないパトリシアを、ブロッサが覚えていたのには理由がある。


(エルゲラ辺境伯家の長女パトリシア……オラシオさまの元婚約者だった少女。当時の面影を、そのまま残しているのね)


 皺ひとつない、若々しいパトリシアの容貌に妬み心が湧く。


(でも……このパトリシアにも、オラシオさまはなびかなかったのよ。年齢不詳な面構えも、無駄ってことよね)


 そう思うとブロッサは、パトリシアに対しても気持ちが大きくなった。


(オラシオさまに捨てられて、次に婚約した相手は平凡な侯爵家。しかも夫は金勘定しかできない財務大臣なんて、たいした価値はないということね)


 政治の花形は、やはり外交だ。

 数ある大臣職の中でも、最も人気が高いのは外務大臣で、オラシオはその統括をしている。

 パトリシアもグラナド侯爵家も、恐れるに足りない。


(せいぜい王妃の親友という地位に、しがみついているといいわ。どうせペネロペさんは、長生きしないでしょうけど)


 温かいお茶が、ブロッサの前に用意される。

 それを一口、飲んでから会話を始めた。


「ペネロペさん、今日は顔色がいいようね」

「おかげさまで。……パトリシアが私に、元気を分けてくれました」

「だったら少しは、公務を手伝ったらどうかしら? いつまでも寝たきりなんて、ただの役立たずじゃない。お兄さまに対して、申し訳ないと思わないの?」

「っ……!」


 ブロッサの言葉に、ペネロペが傷ついた顔をする。

 ニヤリと、口角が持ち上がるのをこらえられない。


(気持ちがいいわ! なんて無様なんでしょう! 罵られるだけで反論もできない! お粗末な存在なのよ!)


 興が乗ったブロッサが、更なる攻撃をしかけようとしたが、先にパトリシアが口を開いた。


「そうね、少しは世間の様子を、知るのもいいわよ。心身に負担がかからない程度で、復帰を考えてみたらどう?」

「パトリシア……あなたまで……?」


 親友を庇うのかと思われたパトリシアだったが、むしろブロッサの意見に乗った。

 ペネロペはへにょりと眉を下げる。


(面白くなってきたわ! 親友に裏切られるなんて、とても可哀そう! だけど当たり前よね。どうせ媚びを売るなら、より偉い者に擦り寄った方が賢明だもの!)


 変わり身の早さにブロッサが感心していると、パトリシアが暴露する。


「だって、ペネロペは知らないでしょう? アラーニャ公爵令嬢が王城内で刃物を振りかざして、謹慎処分の罰を受けている最中だっていうのを」

「まさか……エバが!?」

「プライドの高い宰相閣下が、減刑を請うために国王陛下へ頭を下げたと、社交界でもっぱらの噂になっているわ。アラーニャ公爵夫人はご息女の再教育のために、これまで通りに公務をしている暇もないのよ」

「そうだったの。じゃあ……私に出来ることがあるなら……」


 ペネロペがブロッサへ、同情を込めた眼差しを向けた。

 カッとブロッサの頬が赤くなる。

 それは、羞恥と憤怒のせいだった。


「余計なお世話よ!!!」


 ブロッサは勢いよく立ち上がると、見舞いの品として持ってきた花籠を投げ捨て、足音も高く離宮から出て行った。


(なんてこと! この私が憐れまれるなんて! 嘲笑うつもりで来たのに! 気分が悪いわ!)


 頭に血が昇ったブロッサが、カンカンになって立ち去った後、パトリシアは楽しげに声を上げて笑う。

 そして、オロオロしているペネロペを褒めた。


「あの眼差しは最高だったわ!」

「どうしましょう……ブロッサさまを怒らせてしまったわ」

「約束を守らず勝手に来たのだから、追い返したっていいのよ」

「そうなの?」


 幼少期からダビドの婚約者に内定していたペネロペは、数多のものから護られ過ぎて、今もなお世間知らずなところがある。

 その欠点を補完するのに、淑女の皮を被った野生動物なパトリシアは、あまり最適ではなさそうだった。

 だが、この二人はなぜか馬が合い、学生時代からの親友なのだ。


「だけど、エバがそんな事件を起こしていたなんて……」

「きっとショックを受けると思って、国王陛下もペネロペには言わなかったのね」

「昔はよく、エバが慰めに来てくれたのよ。私がラモナの代わりになる、なんて可愛いことを言ってくれて」


 侍女がブロッサの残した花籠を片付けようと持ち上げると、ころりと花束が転がり落ちた。


「あら、その花は……」


 花びらが銀色にも見える、カーサス王国だけに生える珍しい花だ。

 ペネロペはラモナを思い出したが、パトリシアはファビオラを思い出した。


「そう言えば、レオナルド殿下からファビオラに、過剰なまでの贈り物が届いているのよ」

「あの子ったら、限度を知らないんだから……」

「ラモナ殿下と同じ銀髪だから、興味を持つのは分かるわ」

「私と同じでレオも、まだラモナの幻影が見えるのかしら……」

「でもそれは、生きている身のファビオラにとって、迷惑なのよ」

「迷惑?」

「アラーニャ公爵令嬢が刃物を振りかざした相手は、ファビオラなの。理由は嫉妬よ」


 レオナルドを巡るファビオラとエバの関係を、パトリシアは説明した。

 ペネロペは初めて知る事実に、口元を手で押さえる。


「グラナド侯爵家としてはこれ以上、レオナルド殿下に近づいて欲しくないの」

「こんなことがあったのだもの。……そう考えるのも、当然よね」

「それにファビオラには、政略結婚をさせるつもりはないから」

「もしかして、どなたか既に?」


 ペネロペの頬がうっすらと染まる。

 恋愛ごとがからっきしなパトリシアと違って、ペネロペは恋の話題が大好きだ。

 それを知っているダビドが、王城の図書室の恋物語の品ぞろえを良くしているのは、司書たちの間では有名だった。

 しかしパトリシアは、う~んと首を傾げる。


「アダンいわく、最適な人がいるらしいわ。ただ……」

「ただ?」

「ファビオラの反応は、いい友人って感じだったわね」


 ファビオラの淡い恋心を正しく見抜けたのは、アダンとトマスだけだった。


「そこから、恋に発展するかもしれないわよ?」

「私にはあまり経験がないから、よく分からないわ」

「そうねえ……パトリシアは恋を自覚する前に、仕事の速いグラナド侯爵によって、政略結婚という名目で外堀を埋められたから……」

「その前の婚約者とは、会ったこともなかったしね」


 本当の政略で決まったオラシオとの婚約は、瞬く間に解消された。

 横やりを入れたのがブロッサだと知ってはいるが、それには何の恨みもない。


「ファビオラが恋をして、その相手と結婚したいと望むなら、願いを叶えてあげたいわ。だから、ごめんね」

「選ばれなかったのなら、それはレオが悪いのよ」


 そう言いながらもペネロペは、いつまでも銀髪を追いかけるレオナルドの気持ちが、分かってしまうのだった。


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