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30話 続けざまの事件

 しばらくは平穏な日々が過ぎた。

 用心棒が夜間の見回りをしていると気づいて、誹謗中傷のビラを貼れなくなったのだろう。


「このまま、何もなければいいけれど」


 そうファビオラが零した矢先、事件は起きた。

 息せき切って、ルビーが会長室へ駆け込んでくる。


「ファビオラさん、大変よ! あの貼り紙と同じものが、中央広場で見つかったわ! 私たちの顧客だけじゃなく、手あたり次第に嘘を広めようとしているみたい」

「大胆ね。一度だけならまだ、見逃そうと思っていたのに」


 こんなに大っぴらになってしまえば、ファビオラの胸の内だけでは治まらないだろう。


「よっぽど腹に据えかねているのか、自暴自棄になっているのか――」

「もうすぐここに、警吏がやってくるわ。ファビオラさんの話を聞きたいんですって」

「分かったわ。応接室に案内しましょう」


 主に商談で使用する応接室は、ファビオラの会長室の隣にある。

 やがて大柄な男性が二人、「貼り紙の件で」と来訪した。

 ソファへかけるよう勧めて、温かいお茶を出す。


「いやあ、お忙しい中、すみませんね。こちらも一応、捜査が必要でして」


 慇懃無礼な態度をとる年配の男性は、若すぎる会長のファビオラを、明らかに軽んじて下に見ていた。

 その隣に座る若い部下は、冷や汗をかいている。

 上司を諫めたくても、立場上、それが難しいのだろう。


「協力は惜しみません。何をお聞きになりたいのでしょう?」


 毅然としたファビオラに、上司が少しムッとする。

 ファビオラがカーサス王国の貴族だと知らないのか、途端に横柄な言葉遣いになった。


「あんたねえ、こんな騒ぎを起こして、申し訳ないって気持ちはないのかい? 堂々としちゃって。普通はもっと、ぺこぺこ頭を下げるんだよ?」


 体格がいいせいか、がなる声も大きい。

 深窓の令嬢であれば、おびえて畏縮してしまっただろう。

 しかしファビオラは、肉体派だらけのエルゲラ辺境伯領で育ってきた、たぐいまれな令嬢だ。


(大木を切り倒すおじさんや、仔牛を抱えるお兄さんと違って、声に張りがないわね)


 まったく動じないファビオラに、上司の顔色はカッと赤くなった。

 立ち上がろうとするのを部下が押さえ、落ち着いてくださいと宥めている。

 話が進まないので、ファビオラが先手を取った。


「お手数をおかけしているとは思います。ですが、私たちは言われなき悪評を立てられた側です。騒ぎを起こしたというのは、当てはまらないのではないでしょうか?」

「ふん! どうだか! 聞けば貼り紙をされたのは、初めてじゃないらしいな」


 上司は嫌らしい目で、部屋の中の装飾品をジロジロ眺めた。

 事業が順調であると商談相手に判断してもらうため、この応接室には、ある程度の値打ちがする絵画や花器が置いてある。


「短期間でぼろ儲けしたら、何か不正をしていると疑われても仕方がない。あんたの身から出た錆だよ!」

「お話がそれで終わりなら、私からは何も言うことはありません。どうぞ、お帰りください」

「不正を認めるんだな? 税金をごまかしているのか? 商業組合に賄賂を贈っているのか? あの貼り紙の内容も、あながち外れてないんじゃないか!?」


 せせら笑う上司を、部下が必死に出口へ引っ張っていく。

 結局、ぺこぺこ頭を下げたのは、ファビオラではなく部下のほうだった。


「何だったのかしら」


 ただ疲れただけの面会だった。

 すると、会長室で聞き耳を立てていたルビーが、ぷりぷり怒りながら入室してくる。


「あれじゃ捜査に期待はできないわ! つまり犯人は野放しってことよ!」

「せめて店舗の周囲だけでも、見回りを続けましょう。それに中央広場の貼り紙を剥がしに行って、そこを管理している方にお詫びをしないとね」

「あんな役立たずな警吏を相手に、ファビオラさんの貴重な時間を使うことはなかったわね」


 憤懣やるかたないルビーが、次からは自分が対応すると息巻いている。

 まだ学生のファビオラが、ヘルグレーン帝国に滞在できる時間は有限だ。

 出来るだけそれを仕事のために使いたいのは、ファビオラも同じだった。


「ピンチを逆手に取りましょう。ビラに書かれていた内容を、打ち消す広告を出すのはどうかしら?」

「いいわね! 事件が耳目を集めているうちに、こちらも動きましょう!」


 逆境はチャンス。

 商科の先生たちならば、そう言うはずだ。


「ルビーさん、あまり犯人を煽らないようにね」

「燻り出す程度にするわ」


 ◇◆◇◆


 ルビーの監修によって、人工薪には長い歴史がある、という物語調のポスターが制作された。

 その試作品を見せてもらったファビオラは、出来栄えに感心する。


「文章が柔らかくて、老若男女問わず読みやすいわね」

「それに、誠実さを感じるでしょう?」


 七色の炎を生み出す薪についての、ちょっとした豆知識も掲載されている。

 これは、つい他の人に教えたくなる、という伝聞欲に訴える仕掛けだ。


 ファビオラたちはこのポスターを、商業組合や取引先を通じて、あちこちに貼らせてもらった。

 そして、その間にもビラを貼られた場所へは、迅速に謝罪に向かい、お詫びとして七色の炎を生み出す薪を進呈する。

 こうした活動を続けていく内に、『七色の夢商会』への同情が集まった。

 それを感じたのか、ビラを貼られる回数は次第に減っていく。

 ファビオラは事態の収束を感じ、ホッと胸を撫で下ろした。


「近頃ようやく、貼り紙を見かけなくなってきたわね」

「きっと無駄だって分かったのよ」

「私がカーサス王国へ戻る前に、落ち着いてくれて良かったわ」

「本当は犯人を、捕まえて欲しかったけどね」


 あれ以降、警吏からは何の連絡もない。

 捜査なんて口だけなのよ、とルビーは腐す。


「ファビオラさんは来週、帰国の準備で忙しいでしょう? 今週のうちに、なるべく休みを取っておいてね」

「ありがとう。実はせっかく本を買ったのに、全然読めていなかったのよね」

「ずっと貼り紙の件に、かかりきりだったからね」


 やっと恋物語を手に取る。


(もう第二皇子殿下は、読み終えたかしら。いつか……感想を語り合ったりできるといいわね)


 しかしファビオラはヘルグレーン帝国に滞在中、恋物語を読破することは叶わなかった。


 ◇◆◇◆


「会長! 副会長! 起きてください!」


 男性の立ち入りを禁止にしている三階に、用心棒の声が響く。

 ダンダン、と容赦なく部屋の扉を叩かれ、ファビオラもルビーも飛び起きた。

 辺りを見渡すと闇に包まれていて、まだ夜明け前なのだと分かる。


「一体、なんだって言うの?」

「ルビーさん、取りあえずガウンを羽織って。対応に出ましょう」


 まだ寝ぼけ眼なルビーを促し、ファビオラが扉を開けた。

 すると――。


「一階の倉庫が燃えています! 直ちに避難してください!」


 血相を変えた用心棒の台詞に、二人は息を飲む。


「まだ火は、そんなに燃え広がっていません。しかし、中にあるのは薪ばかりです! 燃え移る前に、一刻も早く――!」


 用心棒の指示に従って、ファビオラたちは階段を降りる。


「消火活動はどうなっているの?」

「周囲の店舗に、助けを求めました。すぐに消防団も到着するでしょう」


 一階に来ると、焦げる匂いが鼻につく。

 ファビオラが玄関を飛び出すと、そこには黒い煙と橙色の炎が見えた。

 用心棒の言う通り、多くの店舗から人が出てきて、バケツで水を撒いている。


「私たちも加わりましょう!」


 貴族だ令嬢だと言ってはいられない。

 ルビーも腕まくりをして、消火にあたった。


「燃えやすい物を遠ざけて! 炎の緩衝地帯を作るのよ!」


 ファビオラの号令に、用心棒がさっと動き出す。

 やたらと水をかけても、火は消えない。

 ある程度の犠牲を覚悟して、その範囲内で火を食い止めるのが大切なのだ。


(エルゲラ辺境伯領で学んだことが、ここで役に立つなんて)


 叔父のリノから火の扱いを習ったとき、同時に火の怖さも教わった。

 もし火事が起きたらどうしたらいいのか、ファビオラは対処法を叩きこまれている。


「延焼させなければ、あとは消防団が消してくれるわ! 火の粉がかからないよう、周囲の店舗を護って!」


 自分の店舗が燃えている最中に、ほかの店舗を慮るファビオラの発言に現場は沸いた。


「若いのに、たいした丹力だよ」

「こっちも負けてられない。もっと水を持ってこい!」

「みんなで『七色の夢商会』を助けるぞ」

「今こそ、日頃の恩を返すんだ!」


 『七色の夢商会』が店舗を構える通りには、いくつかの商店が並んでいる。

 大通りから一本、外れた通りであるため、日頃から客足はそこそこ、雨の日には人影がなくなる、そんな通りだった。

 だが、ある日それが一変する。

 まだ少女と言ってもいい若い会長が店を開き、世にも珍しい七色の炎を生み出す薪を、大々的なパフォーマンスで売り出したのだ。

 以来、『七色の夢商会』の店舗には、多くの客が押しかけた。

 そしてその客たちは、この通りを回遊するようになる。


「そのおかげで、大通りにも負けない活気がやってきた」

「雨の日だろうと、来客が途切れない」

「むしろ寒い日ほど、人工薪を求めてお客さんがやってくる」

「この通りに商店を構える私たちにとって、『七色の夢商会』は福の神なんだ!」


 そーれ! と掛け声を合わせ、次々に倉庫へと水が撒かれる。

 まだ小火のうちに対処できたからか、火の勢いが衰えてきた。


「現場はここか!?」


 そこへ消防団が到着すると、店主たちは手を打ちあって喜ぶ。

 ファビオラたちは消火活動の邪魔にならないよう、燃えている倉庫から距離をとった。


「もう大丈夫だよ」

「よく頑張ったね!」


 ファビオラの両親より上の年齢の店主たちが、頬に煤をつけたファビオラを労う。

 みんな、顔なじみのご近所さんだ。

 それまで気丈にしていたファビオラだったが、ホロリと涙が落ちてしまう。


(ここにも、私の味方がいる――)


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