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23話 武器と防具

 数日間、『七色の夢商会』の店舗で売り子体験をしたアダンは、「いい勉強になりました」と笑顔で帰っていった。

 ファビオラはその後も仕事があるので、長期休暇が終わるギリギリまで商都に滞在する。

 留守にしている間にたまった書類を、片っ端から処理していると、その中の新規顧客名簿にふと目が留まった。


「ルビーさん、この『雷の鎚』というのは?」

「鍛冶屋よ。人工薪の安定した火力が気に入ったらしくて、大量に買い付けてくれることになったの」

「通年の定期購入になっているけれど……この鍛冶屋さんは、何を作っているのかしら?」


 嫌な予感がする。

 人工薪はただでさえ、天然の薪よりも長持ちするのだ。

 それをこんなに多く発注するなんて、異常な消費量だった。

 そしてルビーからもたらされた答えに、ファビオラは戦慄する。


「武器や防具がメインみたい。皇城にも納品している、名の知れた鍛冶屋だと聞いたわ」


 ひゅっと細く息を飲んだ。

 まさか、戦争の準備が始まったのではないか。

 ファビオラの脳裏に、そんな考えがよぎる。


「……『雷の鎚』の責任者と、会うことは可能かしら? 私もご挨拶がしたいわ」


 もともと、ファビオラがヘルグレーン帝国で商会を立ち上げたのは、敵情視察が目的だった。

 ついにその瞬間が、やってきたのかもしれない。


「ん~、ハネス親方は忙しいから、顔合わせは難しいかもしれないわね。でも、ファビオラさんが希望してるって、お弟子さんには伝えておくわ」


 ハネス親方は顔も体もいかついから、ファビオラさんは驚くかもしれない、とルビーが気にしている。

 しかし、ファビオラの心臓は、別の意味でドクドクと激しく脈打っていた。


(私はまだ、17歳――予知夢の中で侵略が行われたのは、19歳のときだった)


 『七色の夢商会』を立ち上げてから2年弱、収益は順調に増えている。

 それに比例して、エルゲラ辺境伯領の防衛設備も整い出した。

 容易く突入されないような防柵、国境を見渡せる物見やぐら、あの町の周囲には濠や跳ね上げ橋も完成しつつある。


(長らく平穏だったせいで、エルゲラ辺境伯領には穏やかな空気が流れていたけど、こうして少しずつ堅固になるにつれ、領民の意識も変わってきたと聞くわ)


 林業や酪農業に携わる者が多いので、体はすでに仕上がっている男性ばかりだった。

 それが仕事の合間を縫って、兵士の鍛錬に混ざるようになったらしい。

 エルゲラ辺境伯であるリノが、声をかけた訳でもないのに。

 みんな何かを感じて、自主的に始めたのだという。


(国境で暮らすということは、そういうことなのかもしれない。今までが幸せだっただけで、本当は危険と常に隣り合わせなのだろう)


 ファビオラやアダンが、心のままに駆け回ったあの町が、これからも安寧でいられるように。


(ヘルグレーン帝国の内部について、もっと私も調べなくては。そして今回の件を、お父さまに相談しましょう)


 ◇◆◇◆


 いよいよ新学期が近づき、ファビオラはモニカと共に、カーサス王国への帰路を辿る。

 結局あれから日程が合わず、『雷の鎚』のハネス親方とは会えず終いだった。


(それでもルビーさんに調べてもらって、『雷の鎚』が例年よりも注文を多く受けたせいで、人工薪が必要になったのだと分かったわ)


 武器と防具の製造を依頼したのは、誰なのか。

 考え出すとファビオラの気持ちは沈む。


「お嬢さま、夕焼けが見事ですよ」


 暗い表情のファビオラを慮って、モニカが声をかける。

 ひとつ前の地を発ったのは昼過ぎだった。


「もうそんなに時間が経っていたのね。気がつかなかったわ」


 顔を上げたファビオラは、そこに広がる朱金色の世界に飲み込まれた。

 どこまでも続く空に、沈みゆく太陽の命が映える。


「きれい……」


 そう呟いたきり、押し黙ってしまったファビオラを、モニカは静かに見守った。

 夕日に照らされたファビオラの横顔が、凪いだものに変わっていく。


(予知夢の通りならば、私はこのまま消える運命だけど……それに抗って、今を生きている)


 家族もモニカも、生きている。

 護ると決めた命が、輝いている。

 ファビオラの思考が、ようやく日常へと帰ってきた。

 ふう、と大きく息をつき、ファビオラは他愛ない話を始める。


「そう言えば、最近モニカは、休日に何をしているの? 弟さんが入学してから、しばらくは寂しそうにしていたけど」


 愛してやまない弟が、学校に入学して以来、素っ気ない態度になったと嘆いていた。

 それは立派に自立の精神が育っている証だと、ファビオラはモニカを慰めたものだ。

 だから何気なく話題にしたが、思いがけない回答が返ってくる。


「じ、実は、弟の家庭教師をしていた方と、こ、婚約を前提とした、お付き合いを始めまして」


 どもるモニカは珍しい。

 短く切ったオレンジ色の髪に負けないくらい、頬が赤かった。

 そんな可愛い一面を晒すモニカへ、ファビオラはずいと身を寄せる。


「初めて聞く話だわ。もっと詳しく教えてちょうだい!」

「弟が入学した後も、学校の勉強についていけるか心配で、しばらく来てもらっていたんです。でも大丈夫そうだから、今日が最後になりますねってお別れの挨拶をしているときに、こ、告白をされてしまって――」


 両手で顔を覆ったモニカは、いつものお姉さん然とした態度が、どこかへ行ってしまっていた。

 ファビオラは記憶の箱をひっくり返す。

 家庭教師をしていた男性は、モニカと同じ子爵家出身で、実家の爵位を継げない三男だったはずだ。

 だが家庭教師が務まるほど聡明ならば、これから身を立てる可能性はある。


「それで? モニカは、なんてお返事をしたの?」

「私はこんな年齢ですし、一度はお断りしたのです」


 モニカはファビオラの6歳年上だから、今は23歳だ。

 貴族令嬢としては、その年まで婚約者がいないのは珍しいが、珍しいだけでいなくもない。


「ですが、それでもと強く望まれて……かれこれ、もう半年ほどになります」

「素敵! 相思相愛の恋人同士なのね!」


 ファビオラの目がじわりと潤む。

 頑張り屋のモニカの人生に、寄り添おうとしている男性がいるのが嬉しくてたまらない。


(と言うことは予知夢の中のモニカも、すでに家庭教師だった男性と、お付き合いを始めていたのかもしれない。それなのに、王太子殿下の要求を飲み、私と入れ替わった。自分の幸せを犠牲にして、私の命を救い、弟の立身出世のために散ったんだわ)


 つうっ、とファビオラの頬を涙が伝う。

 許せなかった。

 諸悪の根源となった、横領の罪をなすりつけた人物が。

 断れないだろうモニカに、卑怯な提案をしたレオナルドが。


(そうはさせない……! 未来は私が、絶対に変えてみせる!)


 ぐっと顔を持ち上げると、窓の外にはゆるやかに夕闇が迫る。

 そこへ射す朱金色の残光が、天からの梯子のようだった。


(神様が授けてくれた、希望を掴まなくてはならない。……思い返せば、第二皇子殿下がルビーさんを庇ってくれたときも、天の助けと感じたのだったわ)


 颯爽と現れ、困っている者へ躊躇うことなく手を差し伸べたヨアヒム。

 あの黄金色の髪が、ファビオラは忘れられない。

 どうして朱金色ではないのか。

 赤い瞳は、そっくりだったのに――。


(あの男の子以外で、こんなにも心に残るのは初めてだわ)


 ほんの少しの逢瀬だった。

 しかし、その印象は強烈だった。

 ファビオラは暮れなずむ空に、見送ったヨアヒムの後ろ姿を想うのだった。


 ◇◆◇◆


 あれからモニカの幸せな惚気話を聞いて、ほくほくで帰宅したファビオラを待ち構えていたのは、苦い顔をしたトマスだった。


「お父さま? どうしたのですか?」

「これを確実にファビオラへ渡すために、執務中だったにも関わらず、レオナルド殿下に無理やり退勤させられたんだ」


 トマスの手の中には、薄ピンク色をした封筒があった。

 サッとファビオラの顔色が変わる。


「ファビオラはこれまで、レオナルド殿下の招待を、ことごとく断っていただろう?」

「私には、やるべき使命がありますから」

「それは私も理解しているから、何も言わなかった」


 むしろトマスは、断りの文面を一緒に考えてくれたり、協力的だった。

 しかし、こうして溜め息をついているのを見るに、事情が変わったのだろう。


「レオナルド殿下は、ファビオラがどこで何をしているのか、すべて把握していた。そして今日、この時間帯に、グラナド侯爵邸へ帰宅するのも知っていた」

「っ……!」

「財務大臣を伝書鳩に使うなど、王太子じゃないと出来ないよ」


 トマスが封筒をこちらに差し出す。


「今回ばかりは、分が悪い」

「断れないのですか?」

「18歳になるレオナルド殿下の、成人を祝うパーティの招待状だ。おそらく、ファビオラの予定も調査済みで、休暇に合わせて開催日を決めてある」


 じわじわと首に、縄が絡まる感触がした。


「アダンをパートナーとして連れて行きなさい。今回のパーティに、親は付き添えない。何かあれば――アダンを盾にして逃げるんだ」

「お父さま……」


 予知夢でのレオナルドとの因果を、トマスに打ち明けたことはない。

 だが、ファビオラがこうも徹底的に避けているのだ。

 なにかを察したのかもしれない。


「滞在時間は短くていい。お祝いに駆け付けたという、名目が立てばいいのだから」

「……分かりました」


 ここまで逃げ切れただけでも、運が良かった。

 ファビオラは、レオナルドに対面する覚悟を決める。


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