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71話 罪人の独白

 ヨアヒムとダビドの間で条件がまとまり、罪人同士の交換が行われた。

 国境近くのエルゲラ辺境伯領にいたマティアスたちは、比較的早くヘルグレーン帝国へ引き渡されたが、皇都にいたオラシオがカーサス王国へ戻ってくるには、しばらくの時間を要した。


 そしてようやく、待ちかねた到着の日――。

 ブロッサとホセとエバは、ダビドの指示によって、密かに王城へ招集された。

 簡素な服に着替えさせられたオラシオは、一般的な牢屋ではなく、レオナルドと同じ北の塔に拘置されている。

 調度品が整い、使用人も付き、寝起きするには何の問題もない収監部屋で、ダビドとアラーニャ公爵家の四人が顔を合わせた。

 一同を前に、厳かにダビドが口を開く。


「明日から行われる裁判で、アラーニャ公爵が犯した罪が詳らかになり、最終的な刑罰が決まる。家族としての面会が許されるのは、今日限りだと思って欲しい」


 そんなダビドの言葉に、ブロッサが食ってかかる。


「刑罰云々の前に、オラシオさまのこれまでの功績を、鑑みるべきだわ! 優秀な頭脳でもって、どれだけ国政の役に立ってきたのか! お兄さまなら、この稀有な才能のありがたみが理解できるでしょう!?」

「……例外なく、横領は大罪だ。家族へ累が及ばないだけ、ありがたいと思わなければ」

「そんなの嘘よ! 横領なんて、するはずがないわ! オラシオさまは、腐るほどの財産を持っているのよ!? 私が降嫁したときの支度金だって、手つかずで残っているんだから!」

「残っていない」


 ブロッサの主張に、オラシオ本人が口を挟む。

 全員がぎょっとした顔で、発言したオラシオを見た。


「馬鹿皇子が振り回していた変な槍だとか、盗賊くずれの傭兵に着せる装備一式とか、そんなガラクタを買うために使った」

「っ……!? 宰相の職を引退後、二人で旅行をするために、取っておくと言っていたのは……」

「嘘だ。旅行だなんて、考えたこともない」


 これまでも冷たいと思っていたが、より一層の冷たさをオラシオから感じる。

 意図的に突き放されているのが分かって、ブロッサは堪らず縋りついた。


「オラシオさま、ホセが言っていたのは間違いですよね? ヘルグレーン帝国の側妃を、誘拐しようとしたなんて……」

「それは本当だ。ウルスラと二人で、逃げるつもりだった」

「その女が……! 側妃という立場を使用して、そそのかしたのでしょう!? きっとオラシオさまは、権力に逆らえなくて仕方なく――」


 ばっ、とオラシオがブロッサの腕を振り払う。


「低能すぎて嫌気がさす! 聡明なウルスラを、お前と一緒にするな!」


 ブロッサがその場にへたり込んだ。

 確かにブロッサは、すでに婚約者が決まっていたオラシオを、権力でもって横取りした。

 その過去を今さら責められ、ぼろぼろと頬を涙がつたう。


「だって、オラシオさまのことが、好きだったから……」

「私が愛しているのは、今も昔もウルスラのみだ」


 オラシオはもう、ブロッサを視界に入れようともしない。

 金色の瞳にそっぽを向かれたブロッサは、今度はダビドに懇願する。


「お兄さま、どうしたら減刑されるの!? このままだと、オラシオさまは絞首刑なんでしょう!?」

「恩赦を実施できるだけの、祝い事があればよかったが……」

「レオの婚約者を、決めたらいいわ!」

「レオ自身、まだ幽閉されている最中だ」

「じゃあ、他に方法は!? オラシオさまが、死んでしまうじゃないの!」


 絶叫する声が、低い天井に響く。

 しかしダビドにも、どうしようもないのだ。

 数日前から、その眉根には深いしわが寄っている。

 諦めきれないブロッサは、他の手を考える。


「私がオラシオさまの罪を半分、肩代わりするならどう!? そうすれば、せめて生きていられるんじゃないの!?」


 だが、ブロッサの必死の嘆願を、オラシオが遮った。


「邪魔をするな。ウルスラが死刑を望むのなら、私は甘んじてそれを受ける」

「オラシオさま、投げやりにならないで! 二人で償っていきましょう!」

「捕まってしまったこの身では、もうウルスラとは添い遂げられない。私は……来世に賭けることにした」


 達観したオラシオは、ブロッサを無視して自分の世界に浸る。


「きっとウルスラも、それを願っているのだ。今世で皇帝に嫁いだのを、悔いているのだろう」

「オラシオさま……?」

「生まれ変わって、早くウルスラと一緒になりたい」


 ほう、とオラシオが熱のこもった溜め息をつく。

 誰にも陥落しないと思われたオラシオが、ウルスラを恋い慕って頬を染めている。

 それを目の当たりにしたブロッサは、顔から表情が抜け落ちた。

 長らくオラシオを尊敬していたホセは、父の異常ぶりに思考が止まっている。

 その隣に座るエバは、目の前で繰り広げられている両親の愁嘆場にはまるで興味がなく、きょろきょろと部屋の外を気にしていた。


(レオさまは、どの辺りにいるのかしら? 北の塔の構造を覚えて、忍び込んでやるわ)


 バラバラな家族の姿に、ダビドは痛むこめかみを押さえ、それぞれに発言を促す。


「これが最後だ。お互いに心残しがないよう、よく考えて欲しい」


 だが、誰も反応しなかった。

 重苦しい雰囲気のまま、面会は終わる。

 この場を設けたのは間違いだったか。

 ダビドは肩を落とし、後悔した。


 ◇◆◇◆


 ファビオラとヨアヒムは、オラシオと入れ替わるように王都を出発して、ヘルグレーン帝国を目指すことになった。


 その前の晩には、グラナド侯爵家でお別れパーティを開き、ファビオラとヨアヒムの婚約が本物になったと家族に報告をした。


「お姉さま、おめでとうございます!」

「ありがとう、アダン」

「ファビオラがいなくなるのは、寂しいわ」

「お母さま、今年はモニカの結婚式に招待されているし、来年はシトリンさんの結婚式に招待されますから、すぐに会えますよ」

「それに私も宰相の職に就任した。これからは外交で、ヘルグレーン帝国を訪ねる機会も増えるだろう」

「お待ちしています、グラナド侯爵。……お義父さまとお呼びしても?」


 ヨアヒムはしかめ面のトマスに、まだ早い、と言い返されていた。

 それを聞いて、みんなが笑う。

 そんな楽しい時間を思い出に、ファビオラは王都を旅立った。


 揺れの少ない馬車の中で、ファビオラとヨアヒムは隣り合って座っている。

 通り過ぎる領地や町について、ファビオラはひとつひとつ説明をした。

 学生時代は何度も往復した道のりだが、これからはそれも少なくなる。

 しみじみと噛みしめるように、景色の流れを味わうファビオラを、ヨアヒムは柔らかい眼差しで見つめていた。


 グラナド侯爵領からは、馬車のまま大型船に乗り入れ、エルゲラ辺境伯領まで運河を下ると聞いて、ヨアヒムもバートもそわそわし始めた。

 アダンもそうだったが、男性はのきなみ大きな乗り物が好きなのだ、とファビオラは認識を改める。

 船の中をあらかた案内し終わると、バートから「あとはお二人で」と言われ、甲板に取り残されてしまった。

 どうやらバートなりに気を遣って、ファビオラとヨアヒムが二人きりになれる時間を、つくってくれたようだ。

 それに感謝して、読み終わった最新刊の感想を、ヨアヒムと語り合う。


「そう言えば、私はヨアヒムさまからサイン本をいただきましたが、ご自分の分はあるのですか?」

「サインをしてもらえるのは、一人につき一冊までと決まっていたんだ。私はファビオラ嬢のためにメッセージを書いてもらうと決めたから、自分の分はサインがなくてもいいと思っていた。ところが――」


 ヨアヒムがそこで、ふっと笑った。


「私の後ろに並んでいたバートが、私の分だと言って、サインをもらってくれた」


 ヨアヒムが『朱金の少年少女探偵団』シリーズの熱心なファンだと、バートは知っている。

 それならば、『ヤン・ヘンドリックス』のサインが欲しいだろうと、思いを汲んでくれたのだ。


「代金を払おうとしたら、これは誕生日の贈り物ですから、と本を手渡された。バートとは、十年も一緒にいるけれど、そんなことをしてもらったのは初めてだった」

「誕生日だったんですか?」

「ちょっと過ぎてたけどね」


 ファビオラは調査不足だった自分を責める。

 取り急ぎ、ヨアヒムへの贈り物を用意しなくてはならない。

 焦るファビオラと違って、ヨアヒムは少し悲しそうな顔をした。


「ちゃんとメッセージも書いてあった。『ヨアヒムさまへ、長生きしてください』って。それを見て、バートの言いたいことが分かってしまったんだ」


 ヨアヒムは幼少期から、命を狙われ続けた。

 それをバートが護り抜いたから、今がある。


「バートは、私から離れるつもりだ。これからは自分の力で自分を護れ、と伝えたかったんだろう」

「どうして離れる必要があるのですか? 皇太子になっても、引き続き護衛をしてもらえば――」

「正しくは、バートは護衛じゃないんだ。……暗殺者なんだよ」

「っ……!?」

「これから表舞台に立つ私の側に、そんな裏稼業の自分がいては、迷惑になると思っているのだろう」


 ヨアヒムの声が沈む。

 長年、連れ添った相棒の考えは、手に取るように分かる。


「バートは決して、人殺しを楽しむような性格じゃない。ただ、技術的に優れていたから、暗殺者として育てられただけで。……以前、言われたんだ。私から離れるときは、新しい職場を紹介してくださいって」


 苦しげにヨアヒムが息を吸う。


「だけど出来ることなら、バートにはもう人を殺して欲しくない。これ以上の業を、背負わせたくない。それだけが、生きる道じゃないはずだ」


 しかしバートの暗殺術は、誰しもが欲する才だ。

 そして本人も、その能力の高さに誇りを持っている。

 だからヨアヒムは悩み、どうするべきか、と葛藤していた。

 それを打ち明けてもらったファビオラは、自分も力になりたいと思う。


「ヨアヒムさま……暗殺者というのは、気配を感じさせずに近づいて、標的の息の根を止める達人。そんな認識で、合ってますか?」

「他にもいろいろなことが出来るが、概ね、その通りだと思う」


 それならば、もしかしたらファビオラは、再就職先を斡旋できるかもしれない。

 しかもそれは、暗殺の技術を必要としながら、人を殺さない職業だ。


「ヨアヒムさま、私に心当たりがあります」


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