目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
58話 鳴り響く鐘の音

 ファビオラが出国して、1か月ほどが経った。

 ヨアヒムたち第二皇子派は、マティアスたち第一皇子派の動きを静観している。


「こちらの準備は整ったというのに、あちらは何を足踏みしているのかしらねえ」


 待ちくたびれたウルスラが、そう零したときだった。

 これまでに聞いたことのない拍子で、どこかの神殿の鐘が鳴り響いた。

 すぐさまヨアヒムは立ち上がると、窓の近くで耳を澄ます。


「ようやく義兄上が蜂起したようです。こちらの予想通り、赤公爵家を目指していますね」


 先に後ろ盾を潰し、ヨアヒムを孤立無援の状態にして、いたぶり殺すつもりなのだろう。

 いかにも弱い者いじめが好きな、マティアスらしいやり方だ。


「赤公爵家には、この鐘の音と共に、皇城の兵士たちが駆け付けます」

「そこでマティアスの私兵団は、ある程度、捕らえられるわけね?」

「義兄上やその取り巻きたちを含め、若干名はわざと逃がします。そうすれば、次はここを目指すはずですから」


 ヨアヒムが足元を指さす。


「本命は私です。赤公爵家への襲撃が失敗しても、義兄上はまだ諦めないでしょう」

「ヨアヒムはそれを迎え撃つつもり?」

「一騎打ちに義兄上が応じるか、分かりませんが……私は逃げ隠れしません」


 どちらに正当性があるのかを示すため、人目の多い皇城を決闘の場に選んだ。

 違法な私兵を引き連れて、暴れるマティアスの姿が詳らかにされれば、やっと皇位継承争いに決着がつく。


「母上は、安全な場所にいてください。バートが言うには、父上の執務室が一番頑強で――」

「とんでもないわ。あんな奥まった場所では、ヨアヒムの雄姿が見られないでしょう。戦うあなたがどれだけ素敵だったかを、私は帰ってきたファビオラさんに、教えてあげなくちゃいけないんですからね!」


 ウルスラは嬉しそうに胸を張るが、ファビオラの名前に反応して、ヨアヒムの顔は途端に翳る。


「どうしたの? 夜更けに寝室の扉を開けて、こっそり逢引きするほど仲良しだったじゃない」

「あ、逢引きではありません。扉を開けてもらったのも、あの日だけです。それにファビオラ嬢は、多分、私とソフィの関係を誤解していて……」


 ウルスラの口がぽかんと開く。

 ファビオラが隠し通路を使った日に、ソフィと何をしていたのか、身振り手振りでヨアヒムは打ち明けた。


「どうして早急に、ファビオラさんへ説明しなかったの!?」

「何度も試みましたが、機会に恵まれなかったのです」

「じゃあファビオラさんは、ソフィ嬢が恋人だと勘違いしたまま、カーサス王国に行ってしまったの?」


 その通りなので、ヨアヒムが気まずげに頷く。


「なんてこと……いえ、待って。もしかしたら私も、口を滑らせたかもしれないわ」

「どういうことですか?」

「ヨアヒムとソフィ嬢の仲を、認めてると受け取られかねない会話を――」


 その途中で、新たな鐘の音が聞こえてきた。

 先ほどとはまた、違った拍子だ。


「義兄上がこちらへ来るようです。では、行ってまいります」


 ヨアヒムはバートを伴い、皇城の大門へと足早に向かう。

 騎乗した兵士が駆け抜けて通れるのは、跳ね橋の下りている場所だけだ。


「中央の大門を開放しています。巻き添えにならないよう、人は遠ざけました」


 バートの的確な指示に、頷いて返す。

 ヨアヒムは手を帯剣にかけ、颯爽と歩く。

 いつもならば、通りすがりの令嬢たちが、うっとりと溜め息をつく場面だ。

 しかし今日は、ヨアヒムの尋常ではない様子に、誰もが固唾を飲み込んでいる。

 開かれた大門の前に辿り着くと、騎馬のあげる砂埃が、徐々に近づくのが見えた。

 いよいよマティアスとの直接対決が始まると思うと、気持ちが昂り体が震える。


「ここまで、長い道のりだった。バートにも世話になったな」

「それも今日で終わりですよ」


 穏やかなバートの声音に、ヨアヒムは微笑み、右肩を手で押さえる。

 始まりは、あの襲撃だった。

 大切にしたい人が、血を流したのを目の当たりにして、温厚だったヨアヒムは変わった。


(それから私は、義兄上を倒すと決めた。平穏を勝ち取るために)


 ヨアヒムの馬が引かれてくる。

 ふわりと跨ると、剣を抜いてマティアスを待つ。


「義兄上だけは、ここの広場へ辿り着くように誘導してくれ」


 それを聞いて、待機していた兵士たちが散らばっていった。

 間もなく、異母兄弟による戦いの火蓋が切られる。


 ◇◆◇◆


 中央の広場が見下ろせる位置には、耳聡い多くの貴族が集まっていた。

 第一皇子派も第二皇子派も入り乱れ、これから始まる一騎打ちを、その目で見届けようと瞬きもせずに注視している。

 そんな人混みの中、いつもは出会うことのない、ヘッダとウルスラがかち合ってしまった。


「愛息が血祭りにあげられるのを高みの見物とは、いい趣味ね」


 紫色の唇で弧を描き、ヘッダがいびつに笑う。

 その後ろには、かつてファビオラを蔑んだ貴婦人たちが、ヘッダを取り巻いている。

 扇で口元を隠しているが、どうせ似たような笑みを浮かべているのだろう。

 誰しもが、マティアスの勝利を信じて、疑っていなかった。

 それに対して、ウルスラは一人、小首を傾げてみせる。


「善悪の区別がつかない子どもを、野放しにしている母親がいるんですってね?」


 誰のことかご存じ? と、本人に尋ねる。

 マティアスの違法行為を当て擦られて、ヘッダは瞬時に気を悪くした。


「フンッ! 負け犬の遠吠えね。勝てば何をしてもいいのよ!」


 うるさいから場所を変えるわ、と青筋を立てたヘッダに、貴婦人たちもゾロゾロついていく。

 ウルスラはひらひらと手を振って、その集団を見送った。


「残念ね。せっかく、泣きっ面を拝んでやろうと思っていたのに」


 ウルスラとヘッダが舌戦を繰り広げている間に、マティアスの乗った馬が広場へと到着したらしい。

 数名の取り巻きを引きつれている様は、先ほどのヘッダと重なる。


「あら、マティアスは剣じゃなくて槍を持っているじゃない。さすが卑怯者のすることは、一味違うわね」


 バルコニーから身を乗り出し、ウルスラはヨアヒムに精一杯の声援を送る。

 その背後に、忍び寄る人影がいるとも知らずに。


 ◇◆◇◆


「これ……あんまりじゃない?」


 レオナルドから届けられたドレスは、リボンやレースの細部に至るまでがピンク色で、ファビオラはその主張の激しさに眩暈がした。


「お姉さま、装飾品はすべて銀色ですよ。銀髪の輝きを邪魔しないように、という配慮でしょうね」


 アダンも小箱を開けては、呆れかえっている。

 しかし、ファビオラからエスコートをお願いした手前、着用を断る訳にはいかない。


「仕方がないわね。あの屋敷に監禁されるよりは、ずっといいもの」

「いくつかのパーティに参加して、お姉さまが橋渡しの役目を完遂したら、別のレオナルド殿下対策を考えましょう。それよりも先に、ヘルグレーン帝国の皇位継承争いが、終わればいいんですけどね」


 アダンの言葉に、ファビオラも同意する。

 父のトマスはさっそく、ウルスラへの返事をしたためたようだ。

 両国間の連絡は、些細な情報も含め、なるべくこまめに取るつもりでいる。


「アラーニャ公爵令嬢は自宅謹慎中だから、王太子さまにパーティでエスコートされても、すぐに襲われるってことは無いと思うのよ」


 ファビオラは予知夢の中で、ロープを巻きつけられた首元をさする。

 かつてエバが従わせていた影は、現在、すべてダビドの管理下にあると聞いた。

 うまく立ち回り、レオナルドの機嫌さえ損ねなければ、ファビオラにも勝機がある。

 ファビオラの言葉に、アダンが思い出したように口を開く。


「そう言えば、エバ嬢の懲罰の期間も、かれこれ半年以上になりますね」


 社交界では、すっかりエバの噂を聞かなくなった。

 ほとんど国内にいない宰相オラシオや、姿を見せなくなった王妹ブロッサに代わり、アラーニャ公爵家を代表してパーティに顔を出しているのは、兄ホセだと言う。


「エバ嬢とは正反対で、評判がいいですよ。真面目すぎるきらいはありますが、好青年だと令嬢たちも囁いていました」


 なにしろ、顔はオラシオに似て美形なのだ。

 いまだに婚約者が決まっていないのは、奇跡に近い。

 今回のパーティでレオナルドの寵愛がファビオラにあると周知されたら、一気に婚約の申し込みが殺到しそうだ。


「普通は親が優秀すぎると、ひねくれて育つものですが、ホセ卿はそんなことはなく、父を尊敬していると常々口にしています」


 そんなホセが、オラシオの横領の罪を知ったら、悲しむに違いない。

 ファビオラは重たい溜め息をつく。


「お父さまの予想では、処罰は連座ではなく、宰相閣下のみが受ける可能性が高いんですって」

「妻子には王族の血が流れていますからね。簡単に、絞首刑には出来ないのでしょう」


 それでも、アラーニャ公爵家は没落する。

 ブロッサも、エバも、ホセも、これまでと同じでいられない。

 それほど国庫からの横領は、大罪なのだ。


「どうして身の危険を冒してまで、ヘルグレーン帝国の皇位継承争いに関わったのかしら?」

「何か、利があってのことでしょうね。外交的なものなのか、私的なものなのか、それは分かりませんが」


 ファビオラとアダンは頭を悩ませる。

 それが解き明かされるのは、もう少し先だ。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?