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47話 朱金色のかつら

「こっちよ。今は勉強中なのだけど、急ぎなの?」

「特注のかつらが仕上がりました。ファビオラ嬢に試着してもらいましょう」


 ヨアヒムが、小脇に抱えた円柱型の箱を指さす。

 ウルスラの専属侍女とヨアヒムの婚約者は、同一人物ではないという設定だ。

 だからファビオラは偵察中、眼鏡をかけたり、かつらを被ったり、そばかすを描いたりして変装している。

 いっそのこと、髪を染めるのはどうかと提案したが、せっかくの美しい銀色なのだからと、ヨアヒムにもウルスラにも止められてしまった。

 どうやらヘルグレーン帝国でも、銀髪は珍しく貴重であるようだ。


「これまでのかつらは既製品だったから、豊かな銀髪を隠すのが大変だっただろう?」


 ヨアヒムがそう言って差し出してくれたのは、三つ編みに結われた朱金色のかつらだ。

 少女時代のファビオラの髪型にそっくりで、思わず息を飲む。


「前髪の長さを調節することで、素顔が分かりにくくなるそうだ。さあ、つけてみて」


 ヨアヒムの言葉に、侍女たちがファビオラの髪をまとめてくれた。

 銀髪の上にそっと載せられたかつらは、今までのものよりも重さを感じない。


「どうだろうか? 違和感があれば教えて欲しい」


 長い前髪越しに、ヨアヒムの顔が近づいたのが分かる。

 赤い瞳に、朱金色をした三つ編み姿の自分が映って、ファビオラの胸は高鳴った。


(もしかして、ヨアヒムさまは私の正体に気づいてる?)


 偶然にしては、ここまでよく似たかつらの説明がつかない。

 ファビオラと遊んだ過去を、ヨアヒムも思い出してくれたのかもしれない。

 じんわりとファビオラの目の奥が熱くなった。

 ヨアヒムが連れてきた職人が、ファビオラの前髪の長さを手早く調整する。

 最後に鏡を掲げて、ファビオラに見た目を確認させてくれた。


「いかがでしょうか? 視野が狭すぎたり、前髪が邪魔であれば、もう少し短くできますよ」

「大丈夫です。この長さで、お願いします」


 新しいかつらは碧の瞳を隠して、ファビオラの印象をがらりと変えてくれる。

 これならば、眼鏡は必要なさそうだ。

 ファビオラが感心していると、ウルスラが職人を褒めた。


「いい出来栄えね。このかつらは、いつもの場所へ置いておきましょう」


 ウルスラの執務室の奥に、ファビオラが侍女に変身するための更衣室がある。

 そこには、ヨアヒムの婚約者として登城するときのドレスとは違った、落ち着いた雰囲気のドレスが準備してあった。

 そして本物の侍女たちの手を借りて、かつらや眼鏡といった小道具を駆使し、ファビオラは別人に見えるよう化けていたのだ。


「それにしても、朱金色を選ぶなんて、ヨアヒムも過保護ね」


 ウルスラの言葉に、ファビオラはぴくりと反応する。

 侍女たちによってかつらを外されながら耳をそばだてていると、続いてヨアヒムの声が聞こえた。


「母上と同じ髪色であれば、恐れ多くて手を出す者は減るでしょう」

「どう見ても、私たちの遠縁だと分かるものね」


 朱金色が選ばれた意味を知って、ファビオラは納得しながらも落胆した。


(私がシャミだから、ではないのね。ヨアヒムさまは先ほどのかつらをを見て、なにか思い出したりはしなかったのかしら……)


 そろりとヨアヒムの表情を窺うが、そこにはいつもの優しい笑みしかなく、ファビオラにその真意は測れなかった。


 ◇◆◇◆


「ファビオラ嬢はいつ帰ってくる?」


 レオナルドがトマスを問い詰める。

 通常であれば長期休暇が終わる頃、ファビオラはヘルグレーン帝国から帰ってきていた。

 特に今年度末には、学校で卒業式も執り行われる。

 その用意があるから、いつもよりもファビオラは早めに戻ると、レオナルドは想定していた。

 だが、待てど暮らせど、その姿はグラナド侯爵家にない。


「それをお尋ねになるために、わざわざここへ足を運ばれたのですか?」


 質問されたトマスがいるのは国王ダビドの執務室で、その周囲では書記官たちが今も忙しく働いている。

 あまりにも場違いであると、やんわり注意したつもりだが、レオナルドには伝わらなかった。


「先に財務大臣の執務室を訪ねたが、いなかった」


 だからトマスを探してここまで来た。

 レオナルドの渋面がそう責める。

 そこへ、見かねたダビドが仲裁に入った。


「レオ、そういうことは手紙で問い合わせるものだぞ。いきなり職場へ来られては、財務大臣だって困るだろう」

「グラナド侯爵家に対し、手紙は何度も送っています。『まだ帰ってきていない』『いつになるか分からない』……その繰り返しだから業を煮やして、本人へ聞きにきたのです」


 そうなのか? と目で尋ねるダビドへ、トマスが頷いて返す。

 王妃ペネロペから教えてもらい、レオナルドがファビオラへ、過剰な贈り物をしていたのはダビドも把握している。

 相手の負担になるからと止めさせたが、こうして目の前でレオナルドの執着の度合いを見せつけられ、ダビドの胸はズキリと痛んだ。

 たった一人になってしまった双子の片割れ、レオナルドの恋はおそらく実らない。

 ファビオラの母パトリシアがペネロペに釘を刺したように、トマスもまたダビドへしっかりと釘をさしていた。


「ファビオラ嬢が帰ってきてから、知らせてもらえばいいのではないか?」


 ダビドはレオナルドを諭した。

 度重なる手紙に、辟易しているトマスが想像できたからだ。

 しかしそれに対して、レオナルドは首を横に振る。


「こちらにも、準備があります」


 レオナルドの生誕パーティで、ファビオラへファーストダンスを申し込み、大勢の観衆の前で婚約者に指名する。

 昨年はこの計画をアダンに邪魔されたが、今年は仕込みをより大掛かりにする予定だ。

 ファビオラにはレオナルドの色であるピンクのドレスを誂えたし、銀に輝く装飾品も用意した。

 ただし、それを贈る相手が、いつまで経っても帰ってこない。


「学校の長期休暇も、残り僅か。そろそろヘルグレーン帝国を発たねば、間に合わないはず」


 レオナルドがトマスへ圧をかける。

 本当はいつ戻るのか、知っているのだろう? と追いつめるが、トマスの顔色は変わらない。

 それどころか逆に、飄々とレオナルドを嗜めた。


「ファビオラはまだ学生ですが、多くの従業員を雇用している商会長です」

「だったら何だ」

「本来ならば、学業を疎かにするのは褒められませんが、すでにファビオラは論文を提出し、あとは卒業を待つばかりの身。事業に本腰を入れて取り組んでいたとしても、親としては問題ないと考えています」


 暗に、ファビオラは仕事が忙しいから、帰ってこないと言っているのだ。


「トマス、もしかしてファビオラ嬢は、卒業式にも出ないのか?」


 心配したダビドが、横から口を挟んだ。

 卒業式は学生にとって、大切な行事のひとつだ。

 六年間、通い続けた学び舎を巣立ち、切磋琢磨した友人に別れを告げる。

 感動的な場面を、ダビドは国王として臨席し、数多く見てきた。

 だが、トマスの答えは簡潔だった。


「ファビオラの判断に委ねます」


 そんな態度を、レオナルドが責める。


「保護者なのに無責任だ」

「ファビオラは立派に自立しています」

「そうは言っても、ヘルグレーン帝国での事業に手を焼いているから、カーサス王国へ帰ってこられないのだろう? 私なら今すぐにでも、困っているファビオラ嬢に手を差し伸べる」

「レオナルド殿下のは、善意の押し付けです」


 冷静に反論され、ムッとレオナルドの眉が寄る。

 同年代の中では、比較的理性でいられるレオナルドも、老練なトマスの前ではひよっ子だ。


「ファビオラの意志を尊重する。これが私たち家族の総意です。何卒ご理解ください」


 用が済んだトマスは、さっさと執務室を辞した。

 それを睨みつけていたレオナルドへ、父親としてダビドは忠告する。


「ファビオラ嬢は王家へ嫁いではくれないよ」

「なぜですか?」

「影のせいで、危険な目に合ったんだ。王家と影の縁は、切っても切れないだろう? トマスはそんな影のいる王家へ、大事な娘を渡す男ではない」


 肝心な場面で足を引っ張る影に、レオナルドの苛立ちが募る。

 そんな影など全員、殺してしまえばいい。

 口の端に出かかった言葉を、寸前で押し留めた。


(それは僕が国王になってから、実行すればいいことだ)


 それよりも今はどう動けばいいのか、頭を働かせる。

 グラナド侯爵家の現当主はトマスで、その許しがなければ、ファビオラとの婚約は成り立たない。

 ダビドとトマスは親友なので、王命によって従わせるのも難しいだろう。


(父上が引退するのはまだ先だ。僕の権力だけでは、ファビオラを婚約者にするのは難しい)


 だから外堀を埋めてしまおうと、生誕パーティでの一計を案じた。

 しかし、ファビオラ本人がいないのならば、それも無理な話だ。


(――やはり人知れず攫って、監禁するしかないのか。以前もそうして、僕だけでファビオラを愛でた。あの屋敷の中は、二人きりの世界だった)


 神様に連れ去られてしまう前に、ファビオラから万難を排するにはそれがいい。


(僕の公の婚約者が誰かなんて、どうでもいいんだ。それこそ政略で相応しい令嬢を選び、カーサス王国の政治を安定させ、結果として僕の仕事量が減るなら万々歳じゃないか)


 そうして空いた時間を、ファビオラと過ごそう。

 腹積もりが決まったレオナルドは、晴れやかな顔で執務室を出て行った。

 残されたダビドは、深い溜め息をつく。


「あれはファビオラ嬢を諦めていない顔だ。すでにヘルグレーン帝国の第二皇子と婚約していると知ったら、レオは何をしでかすか……」


 重たい頭に手をやる。

 だが、ダビドにはレオナルドの気持ちも分かるのだ。

 なにしろ己もまた、ペネロペに対して、過度な執着を抱えているのだから。


「こんなところで、親子が似る必要はないんだがなあ」


 ダビドのぼやきは、書記官たちの働く喧騒の中へ消えた。


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