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39話 通わない心

「なんて恥ずかしいんでしょう。下々のように自らの手を汚すなんて、私には思いつきもしませんよ!」

「……」


 眉間に皺を寄せて叱責する母ブロッサとは正反対に、父オラシオは無言を貫く。

 両親がそろって国王に呼び出され、先ほど王城から帰ってきたと思ったら、エバへの説教が始まった。

 とばっちりで、兄ホセも臨席させられている。


「どこで手に入れたんだ、こんな物騒なもの」


 ホセの手の中にあるのは、ファビオラへ投げた簪だ。

 先端を研いであるため、刺し所によっては、相手の命も奪えるだろう。


「下級生が護身用に持っていたのを、取り上げたのよォ。代わりに私が付けていた、もっと高価な髪飾りをあげたわ」


 だから何も悪くない。

 エバの口調はそう言っていた。


「だからって、王城へ持ち込んでいいはずがないだろう? 武器の携帯は禁止されているって、知っててやったんだよな?」

「お兄さまは口うるさいから嫌いよォ!」


 ふいっと顔を背ける。

 ホセはその態度に憤った。


「父上、母上、エバは全く反省していません。これでは、同じ愚行を繰り返しますよ!」

「ちょっとォ、勝手に決めつけないでよ!」

「お止めなさい、二人とも見苦しい! 国王陛下は激高していたけれど、あなたたちのお父さまが、それを取り成してくださったのよ。おかげでエバは、北の塔に収監されずに済んだのだから、もっと感謝しなさい」

「北の塔ですってェ!? 私を、あんなところに入れるつもりだったのォ!?」


 ひどいわ! とエバが叫ぶが、ホセにしてみれば妥当に思えた。

 王城にある北の塔は、牢屋には入れられない、高貴な身分の者を幽閉する場所だ。

 とりわけ人通りの少ない場所にあるため、寂れた印象しかない。


「犯罪者には、お似合いの場所だよ」

「私は何も悪くないわ!」


 またしても口喧嘩を始めた二人を、オラシオは冷めた目で見やる。


(家族とは、煩わしくて厄介なものだな。やはり私に必要なのは、愛しいウルスラだけだ)


 ふう、と気だるげに息を吐いたら、何を勘違いしたのかブロッサが謝ってきた。


「オラシオさま、申し訳ありません。最近は私も公務で忙しくて、子どもたちにまで目が行き届いていませんでした。でも必ずや、エバに再教育を施しますから――」


 どうか見捨てないで、という言葉が続きそうな嘆願だった。

 しおらしく身を寄せてきたブロッサに、オラシオは何の感慨も浮かばない。

 それでもなおオラシオの気を引くためか、ブロッサは弱々しい声を出した。


「また離れ離れになる期間が延びて、悲しいですわ」


 オラシオはダビドに、これまで以上に旺盛に働くから、とエバの減刑を願い出た。

 今でも、一年の三分の一は国外にいるオラシオだったが、その日数を増やすことにしたのだ。

 献身的に家族を護ろうとするオラシオの姿に胸を打たれ、ダビドはエバの幽閉場所を北の塔から自宅へと変更した。


(家族愛を前面に出すと、国王陛下は絆されがちだ。ヘルグレーン帝国へ頻繁に通える口実ができて、むしろ助かった)


 エバを可哀そうとは思わない。

 オラシオは家族愛など、端から持ち合わせていないのだから。

 しかしそれを利用すれば、今より側妃ウルスラに会える場面が増える、と冷静に算段した。


(だが、また騒ぎを起こされては困る。ウルスラと逃避行を成し遂げるまで、カーサス王国の宰相という地位にいなくては、ヘルグレーン帝国を訪れるのも難しくなる)


 オラシオはエバに釘を刺した。


「幽閉が解除されるまで、エバの遊興費は凍結する。そして次に問題を起こしたら、修道院へやるから心しておけ」

「そ、そんなァ! 嫌よ! お父さま、私は何も悪いことなんて、してないのにィ!」


 オラシオに縋りつこうとするエバを、ホセが止める。


「これ以上、迷惑をかけるな。父上がくれた温情を、ありがたく受け取るんだ」

「どこが温情なのよォ! 期限も分からない自宅謹慎なんて、生殺しじゃない!」

「それだけのことをしたんだ。なぜ自分の過ちが分からない?」

「邪魔者を排除するのが、悪いはずないでしょ!!! 誰だって害虫は殺すじゃないの!!!」


 喚くエバを横目に、オラシオは席を立った。

 ブロッサが後に続こうとしたが、それを視線で押し留める。

 エバを躾けろ、とオラシオの金色の目は語っていた。


(一瞬でもグラナド侯爵にやり込められたなど、はなはだ不本意だ)


 面子を傷つけられたオラシオは、不機嫌な様子を隠しもせず退室する。

 ブロッサはその場で肩を落とした。


「……いつになったら、その瞳に私を映してくれるの」


 権力を盾にして、勝ち取った政略結婚であるのは理解している。

 その証拠に、一度もオラシオに愛を囁かれたことはない。


「それでも夫婦になったのだし、やがて情が芽生えると思っていた。私が欲しているような、愛じゃなくていいから……」


 オラシオは結婚してからもずっと、空虚なままだ。

 いまだに陰では多くの女性に言い寄られているが、誰のことも相手にしない。

 若かりし頃は、そんな孤高のオラシオを独り占めできるとあって、ブロッサは有頂天になっていた。


「どんな令嬢にもなびかないオラシオさまを、素敵だと思っていたけど……まさか妻すらも、軽くあしらうなんて」


 神様の御使いの一族という、生まれながらに持っていたブロッサの強みは、オラシオを虜にする役には立たなかった。

 ましてや姿かたちに至っては、美貌のオラシオの隣に立てば、ほとんどの者が霞んで見えてしまう。

 不甲斐なくて落ち込むブロッサの背後では、いまだにエバとホセが言い争っていた。

 耳障りなそれに、こんなはずじゃなかった、という言葉が喉元までせり上がる。


(どうしてなの……私はカーサス王国で、最も高貴な女性なのに。幸せになって当たり前の存在なのに。夫の心は掴めず、子どものせいで怒られ、まるで立場がないじゃない)


 その上、これまではいくらでも褒め称えてくれて、ブロッサの気分を高揚させてくれた、影たちも没収されてしまった。

 耐えがたいこの忌々しさを、どこへぶつけたらいいのか。


(……そうよ、ペネロペさんがいるわ。私に次ぐ身分の高さを持ちながら、私よりもうんと不幸な女性が……)


 娘を亡くして以来、寝たきりになった義姉ペネロペの存在を思い出し、ブロッサの心の靄がぱっと晴れる。


(久しぶりに、お見舞いに行きましょう。やせ衰えたペネロペさんの姿を見れば、きっと私は元気になれるはずよ。だって、あの人に比べたら、まだ私は可哀そうじゃないもの)


 気を取り直したブロッサは、振り返ると声を張った。


「エバ、すぐに自室に籠りなさい。いいと言われるまで、出てはなりません!」


 嫌だと叫ぶエバを無視して、ブロッサはホセに命じる。


「使用人と一緒に、エバを連れて行って。部屋の鍵は、あなたが管理するのよ」

「な、なぜですか……?」


 エバを押しつけられ迷惑顔をしているホセを残し、足取りも軽やかにブロッサは部屋を後にした。

 これから、ペネロペに面会を求める手紙を書かなくてはならない。


(手土産は何にしましょうか。死んだラモナを、彷彿とさせるものがいいわね)


 考えを巡らせながらブロッサは微笑み、知らず鼻歌を歌っていた。


 ◇◆◇◆


「借りてきた資料のおかげで、論文の執筆が捗るわ」


 久しく序論で止まっていたファビオラの論文だったが、今はそれを挽回している。

 この調子でいけば、次の長期休暇までに結論を書き上げられるだろう。

 学校から帰ってきても自室に籠り、ずっとペンを走らせる。

 しかし順調そうに見えて、ファビオラは別の問題に頭を悩ませていた。


「お姉さま、また届きましたよ。これは……フーゴ宝石商で人気の、オーダーペアブレスレットですね」


 コンコンと扉をノックをして、アダンがファビオラの部屋へ入る。

 その手には四角い箱があり、すでにリボンが解かれていた。

 ファビオラはそちらを見なくても、アダンが持っているものが、碧色とピンク色の石を銀色の鎖で繋いだものだと知っている。

 予知夢の中でも贈ってこられて、大変扱いにくかった一品だ。


「メッセージカードには、何て書いてある?」


 ファビオラのぐったりした声に、アダンは紙片を読み上げる。


「『温室に美しい花が咲きました』……これは、一緒に見ませんか? という誘いでしょうね」

「お返事は、『論文を書くのに忙殺されている』でいいかしら?」


 ファビオラは、銀の縁取りがある便せんを、引き出しから取り出した。

 以前は下書きをして清書をしていたが、あまりにも回数が多くて、最近はぶっつけ本番で書いている。

 それほどに、レオナルドからの贈り物攻撃が、連日のように続いていた。


「断りの文句も、これが定番になってしまったわね」

「仕方がないですよ。事実なんですから」

「それにしても……諦めないわね」

「困惑しているお姉さまの反応を、楽しんでいる気配すら感じられます」


 はあ、とファビオラとアダンのため息が重なる。


「やはりヨアヒム殿下との婚約を、真剣に考えるべきです。レオナルド殿下に指名されてからでは、後手になってしまいます」

「……第二皇子殿下にだって、都合があるわ」


 ヨアヒムの心には、すでに慕う相手がいるかもしれない。

 それを想像した日の、胸の苦しみがぶり返す。


「実はあまり、お姉さまに時間は残されていないんです。ボクの予想では、次の長期休暇が明ける頃、レオナルド殿下は動きますよ」

「怖いこと言わないでよ」

「去年あった、レオナルド殿下の成人を祝うパーティを覚えていますか?」


 忘れもしない。

 アダンの機転でうまく煙に巻いたものの、レオナルドからは狙われ、エバからは恨まれ、散々だった。


「今年も同じ時期に、レオナルド殿下の生誕を祝うパーティが開かれます。おそらくその場で、お姉さまは婚約者候補として紹介されるでしょう」

「っ……!」


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