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14話 唯一の弱点

「今日の慰問先は、王都の孤児院だったか?」


 国王ダビドが声をかけた相手は、栗色の髪を美しく巻いた王妹ブロッサだった。

 その特徴的な紫色の瞳は、娘のエバにも受け継がれている。

 豪奢な馬車へ乗り込もうとしていたブロッサは、振り返りふわりと微笑んだ。


「ええ、そうよ。たくさんお菓子を持っていくわ」

「いつも頼ってばかりで、すまんな」

「いいのよ、お兄さま。神様の御使いの血が流れる一族として、民を慰めるのは当然の努めですから」


 娘のラモナを事故で亡くして以来、王妃ペネロペはずっと床に伏せっている。

 その代わりに、女性王族として表舞台に立ってくれるブロッサの存在は、ダビドにとってありがたいものだった。

 特に孤児院の慰問などは、厳粛な雰囲気のダビドが赴いても、子どもたちには喜ばれない。

 どこか母性を彷彿とさせるブロッサのほうが、おおむね反応がいいのだ。


「ブロッサには、アラーニャ公爵夫人としての仕事もあるだろう? 多忙ではないか?」

「オラシオさまが快く、公務を優先しなさいと言ってくださるの。王族が最も大切にするべきは民だと、分かっていらっしゃるのよ。さすがだと思わない?」


 ブロッサは自慢の夫オラシオについて語るとき、いまだ乙女のように頬を赤く染める。


 ――初めてブロッサがオラシオに出会ったのは、16歳のデビュタントの日だった。

 襟元で結われた深みある緑色の髪、心奥を見透かす金色の瞳、それらすべてが芸術品のように、瑞々しい18歳のオラシオを飾っていた。

 そんなオラシオの周りには、美貌に引き寄せられるように、大勢の令嬢たちが輪をなしている。

 彼女らに対し、そつなく振る舞うオラシオの色男ぶりに、ブロッサの心は鷲掴みされた。

 当時すでに、婚約者のいたオラシオだったが、ブロッサがそこへ強引に横やりを入れる。

 王家と縁を結ぶ方が、アラーニャ公爵家にとっても、利があると判断されたのだろう。

 政略だったオラシオたちの婚約は、ブロッサの申し出の後にすぐ解消された。

 そしてオラシオは、何事もなかったかのように、ブロッサの隣へと立ったのだ。


 どうやらブロッサが好いているのは、オラシオの顔だけではないらしい。

 オラシオの良さが分からないと、トマスに零した過去のあるダビドは、いささか気まずい思いをした。


「そうか、それならばいいが」

「私と違ってお兄さまは、とんだ外れくじを引いちゃったわね」

「どういう意味だ?」

「ペネロペさんとは政略結婚だったから、選択の余地もなかったんでしょう? 双子を産んだせいで子宮が傷つき、次の子を望めない体になるし、その双子の内の一人は、早々に神様に連れ去られてしまうし」

「ブロッサ! それ以上は……っ」

「あら、そろそろ時間だわ。お兄さま、行ってまいります」


 軽やかに手を振ると、ブロッサは馬車に乗り去っていった。

 残されたダビドは、震える拳を握り込み、口惜しさをこらえるしかなかった。


(神様の御使いの一族であることを誇りに思うあまり、ブロッサはそれ以外を見下し過ぎる)


 ペネロペは王妃なのだから、名前には敬称をつけろと言っても、相変わらず「さん付け」なのがその証だ。

 ダビドはブロッサの言葉を思い出し、奥歯をぎりっと噛みしめた。


(子を産めない体になったのも、ラモナが事故死したのも、ペネロペのせいではない。むしろペネロペは、そのたびに心身を病んで……それでも私の隣にいてくれる、大切な王妃だ)


 始まりは政略ではあったが、ダビドの心の全てはペネロペにある。

 側妃を迎えるようにと、臣下に進言されても、決して頷かなかった。

 そんな愛して止まないペネロペを、ブロッサに外れくじと言われ、はらわたが煮えくり返らないはずがない。


(しかしブロッサがいなければ、公務が回らないのも事実。ここは、私が我慢しなければ――)


 沈痛な顔つきを、俯いて隠すダビドへ、近づいてきた者がいた。


「国王陛下、そろそろ執務室へお戻りになりませんと――」

「っ……トマス、もうそんなに時間が経ったのか」

「おい、なんて顔をしている」


 ダビドの肩を抱き、トマスは護衛たちへ「少し離れてくれるか」と、お願いする。

 護衛たちもダビドを慮り、トマスの言葉に素直に従った。


「さあ、これで護衛たちには聞こえない。何があったんだ? 少し休憩してくると仕事を抜けたのに、ひどく苦し気にして――」

「そんなに、か?」

「そんなに、だ。そのまま執務室へ戻るのは駄目だ。すぐに主治医を呼ばれるぞ。体調が悪いわけではないんだろう?」

「……ペネロペを、悪く言われて……」

「ああ、それはつらかったな。ダビドの唯一の弱点だ」


 トマスがゆっくりとダビドの背をさする。

 王族専用の馬車止まり前で会う人物など、限られている。

 ダビドを手ひどく傷つけたのは、ブロッサだろうと当たりを付けた。


(兄妹だと言うのに、ふたりの性格は正反対だ。繊細で人の心の機微をよく読むダビドと、傲慢で自己中心的なアラーニャ公爵夫人は、昔から反りが合わなかった)


 本来ならば、もっと距離を置いて付き合えばいいのだが、ブロッサが公務を担っている以上、そうもいかないのだろう。

 ダビドがどれほどペネロペを愛しているのか、知っているトマスは同情する。


「ほら、深呼吸をして。吐く息と一緒に、嫌なことを頭から追い出すんだ」


 トマスに言われ、ダビドは懸命に息を吸ったり吐いたりした。

 顔色がだいぶん良くなったのを確認すると、ダビドを執務室へと促す。

 これ以上遅くなれば、トマス以外の者が呼びに来てしまう。

 ダビドも弱っている姿を、他人に見られたくはないだろう。

 執務室まで短い距離ではあるが、なんとか心を平常に戻さなくてはならない。

 トマスはあえて、全く関係のない話を振った。


「ファビオラが立ち上げる商会で、何を売ろうとしていると思う? 私もまさかと思ったんだが、なんと我が領内で流通している――」


 そんなトマスの気配りを、ダビドは心から感謝して受け取った。


 ◇◆◇◆


 ファビオラたち一行は、エルゲラ辺境伯領を発ち国境を越えると、ヴィクトル辺境伯へ挨拶をしに向かった。

 先触れの後に屋敷を訪ね、「少々お待ちください」と通された応接室で、ファビオラは調度品へチラリと視線を投げる。

 見事なティーセットが置かれた一枚板のテーブルも、ファビオラの体を受け止める優雅なソファのひじ掛けも、磨き抜かれて飴色をした往年の木製品だった。


(これならモニカの言う通り、人工薪を評価してくれるかもしれないわ)


 ここにいるのはファビオラだけで、ルビーやモニカは別室で待機していた。

 逸る心臓を押さえつつ、出された香り高いお茶で気持ちを落ち着ける。


 そうしていると、ゆっくりと開かれた扉の先に、待ち人の姿が現れる。


 ヴィクトル辺境伯イェルノの容貌は、ファビオラの想像からかけ離れていた。

 亜麻色の髪はざんばらに切られ、あごには無精ひげも生えている。

 ただ、ひたりと合わされた灰色の瞳には、あふれんばかりの知性がうかがえた。

 さっと立ち上がり、ファビオラは淑女の礼をする。


「初めてお目にかかります。カーサス王国グラナド侯爵家のファビオラと申します」


 すでに予知夢で履修しているため、ファビオラの所作は美しかった。

 しかし、それに対してイェルノは手を振る。


「そんな仰々しいのは止めよう。ここは皇城ではないのだから」


 昔、エルゲラ辺境伯領にやってきたアダンへ、ファビオラは同じような台詞を言った。

 それを思い出して、ふっと頬が緩む。


「そうそう、そうやって笑っていた方がいい。せっかく国の端っこにいるんだ、もっと気楽にしてくれ」


 イェルノも口角を持ち上げて笑った。

 皇弟だからと緊張してたファビオラだったが、肩から力が抜ける。

 どさりとイェルノがソファへ身を預けたのを合図に、ファビオラも腰を下ろした。


「わざわざ、お礼を言いに来たんだって? 私の後ろ盾が、どれほど通用するかも分からないのに、ちょっと気が早くないかい?」


 ファビオラに話しかけながら、かくしゃくとした執事の差し出すティーカップを受け取り、イェルノがお茶の香りを楽しむ。

 その仕種は洗練されており、伸ばしっぱなしにされた髭や、乱暴にソファへ座る姿とは、はっきりとした差異を感じた。


(兄である皇帝と争いたくなくて、放蕩者を装っているって、叔母さまは言っていたわ。だらしない外見は作り物で、隠された内面はきっと――)


 じっと観察するファビオラの碧眼を、イェルノは愉快そうに眺めていた。


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